ヤクザと家族 The Familyのレビュー・感想・評価
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ヤクザ映画からネオノワールへ
そのストレートなタイトルから、往年の“任侠映画”をイメージするかもしれないが、日本のヤクザ映画の系譜を受け継ぎつつも、いい意味でその固定概念を覆してくれる。「新聞記者」のスタッフが再び集結し、「家族」という視点から現代のヤクザを描いて進化させた新世代のスタイリッシュな作品となっている。
見どころのひとつは絶妙なキャスティングだろう。チンピラからヤクザの世界で男を上げていく主人公・山本を演じた綾野剛が放つキレと哀愁、その繊細な表情がこの映画に説得力をもたせている。さらに山本の親分となる柴咲組長を演じた舘ひろしが綾野と新しい化学反応を起こす。いわゆる強面の親分ではなく、義理人情を重んじ、包容力と凄み併せを持った役で、「あぶない刑事」シリーズを見て育った世代としては、その立ち居振る舞いを見ただけでなんとも感慨深い。ヤクザ役は43年ぶりだという。
この映画は新旧の時代を対比させ、「家族とは何か」「いかに生きるか」「失ってはいけないもの」を提起している。エンタテインメント作品でありながら現代の様々な問題をはらんでおり、「変わりゆく時代の中で排除されていく“ヤクザ”」を鋭い視点で描くことで、生きる場所を失った者の人権、今の世の矛盾と不条理を突きつける。
前半のイケイケだった山本ケンジから、出所してからの哀愁漂う姿が染みる
ヤクザから足を洗った男が、社会で更生しようとするドキュメンタリーを観ているようだった。
前半のイケイケだった山本ケンジから、出所してからの哀愁漂う姿が染みる。
ユカと再会してから、自分のせいで周りが崩壊してくの辛いだろうなぁ。SNSにばら撒いた会社のやつがクズすぎる。リアルでも居そうで怖い。
「ヤクザには人権ない」警官が放った言葉が突き刺さる。たしかにヤクザは悪い面もあるけれど、ここまで厳しく取り締まるのはやりすぎだと思う。更生しようとしてる人には、もうちょい当たり弱くなっていいんじゃないかな。
しばらく引きずる作品だ…(褒め言葉)
切ない。切なさに心が捻じ切れそう…。
ヤクザ映画はあまり観ていない人間なんだけど、ヤクザをメインの人物に据えながらも、こんなにも繊細で哀しい作品ってほかにないのではないだろうか。
冒頭OPはヤクザ映画!な雰囲気出してたけど、この作品の個人的な見どころはアウトローな世界ではなく、義理人情の美しさではなく、変わりゆく時代と変わりゆく人間関係の切なさだった…。
しかし賢治が出所して以降は本当に観ていて切なかった…。
組員が減り残った者も高齢化、組の社会での居場所もなくなり、兄貴分は組を存続させるために薬物売買に手を出している。
かつて賢治を慕っていた人間もヤクザとは付き合えないからと距離を取ろうとする。
ヤクザや暴力団を許さないという社会はもちろんそのほうが良い。その風潮には私も賛成。
ただ、この映画はその前提をふまえながらも、ヤクザの是非を問うているわけじゃなくて、ヤクザに同情を促してるわけでもなくて、そこにある個々の人生を拾い上げている、というところ(そのスタンス)が良かった。
ヤクザという肩書を持たない山本賢治のままだったなら彼はきっと彼を慕う人たちと一緒に生きていくことができたんだろうな。
でもヤクザの柴咲が山本を受け入れ肯定してくれたからこそ、そこで出会えった人に一目置かれ愛されるようになった彼がいたんだろうな、と思うと切なくてたまらない。
山本賢二、本当に魅力的な人物だった。
彼を演じた主演の綾野剛さんが出す繊細さがこの世界観を作り上げてるんだろうなと思う。
あと組長の舘ひろしさんの穏やかだけど重厚な存在感も良かった。
あと中村の兄貴(北村有起也さん)…。山本がいなくなってからの柴咲組の衰退をどうにかしようとしていた真面目な中村の兄貴のことを思うと胸が潰れそう…。
切なくて美しい良作。
追記
観終わって2日経ったんだけど、本作をずっと引きずっている…。
頭から離れない。
一人、車内で薬物を体内に入れる中村が。
すべて失って山本を刺して、それでも「兄貴」と泣いた細野が。
大人になってもなお山本を「ケン坊」と呼び続けた組長が。
娘と新しい場所で生きるために車を走らせながらおそらく山本を想って涙を流した由香さんが。
色んなことに気づいて山本と接していたであろう綾のまなざしが。
ラストシーンで綾を見て微笑んだ翼の表情が。
そしてすべて引き受けて海に沈んでいった山本の表情が。
この作品の登場人物はそれほどまでに私の中で「生きて」いる。
改めてすごい作品だったのだと思う。
あとOPの親子血縁盃のシーン、インパクトと謎の中毒性でサブスクでつい何回も観てしまうな。
どこもかしこも
暴対法によるヤクザの衰退を主軸にストーリーが流れていき、公共に訴えかける映画でヤクザを擁護するはずもないと思いながら観た。
間違っているかもしれないが、結局、
真面目に実直に生きている者が、その置かれている立場を利用して狡く非道に生きている者らに食いつぶされていくのか、と感じた。
また、現在のネット社会と言われる化け物、
ひとつ間違えば格好の標的にされ、全く関係の無い者達によって世間から排除される。元ヤクザに限った事では無く。
俳優さん達、従来ならばカッコいい役まわりの方々ばかりであるが、今作品においては情けない背中や顔ばかり見せてくれている。しかし、その情けない姿こそ懸命に生きながら思うようにいかない姿となっていて同調してしまう。
終わりの方で細野が刺しに来て死なせてしまったけれど、山本が捕まらずにあそこにいるのも
不可解だし、細野が激情にかられてというのもわかるが、山本を死なせるため?ここの場面が謎。
結局どんな人だったの?
大きなテーマというか、やりたいことはヤクザの衰退であるがために、そこがメインテーマなのでしょうがないのかもしれないけど、そのせいで主人公がぼんやりとぼんやりとしていて、流されていきました。
時代の流れは面白かった。本当にそうなのかわからないけれど。
最後にお父さんはどんな人だったの?って聞いていたけど、私も主人公がどんな人だったのかよくわからなかったです。
今まで見た映画で一番好きな映画
ヤクザ物ということで最初すごく見るのに躊躇しました。ですが全然内容は思っていたものとは違いました。綾野剛さんが10代〜を演じているのを見た時流石にそれはと思いましたが全然馴染んでいました。歳をとるにつれ変わって行くヤクザの歴史に怖くなりました。
綾野剛さんと市原隼人さんが殴られるシーンで本当にやっていいよって駿河太郎さんに言ったと聞きプロ根性すごいなって思いました。安定に車に轢かれていた綾野剛さんは素晴らしかったです。
テーマは家族
親や兄弟がいなくてもヤクザにはなりたくなかった。けど成り行きでヤクザと家族になった。なったら全力で家族の一員になるべく努力した。けど刑務所にはいった。やっと出所して家族の元に戻ったけど、全てがかわってしまっていた。好きだった女からも拒絶され行き場を失った。家族と幸せになりたかっただけなのにうまくいかなかった。
そんな話。
嘘っぽいので、途中で観るのやめました。
うーん、配信で途中まで観てましたが、なんかリアリティが無さ過ぎてつまらなくなりました。
襲撃されたのにボーっと突っ立ってるヤクザの親分。出所してすぐにヘーキな顔して一晩寝た女に会いに行く主人公。どーでもいい一般人が投稿した元ヤクザの写真が芸能人並みに拡散して、人の人生を狂わしていくありえない展開・・・エトセトラ、エトセトラ・・・ここでウンザリしてやめました。結末も救いがないだろうと思います。もっと本職のヤクザ屋さんにいろいろ取材してからリアルな話を映像化してください。馬鹿馬鹿しかったです。
ヤクザを排除した次は、どこだ?
めちゃめちゃ良かった。宣伝は見かけなかったけど蓋を開けてみればA級のヤクザ映画で、もうアウトレイジなんかよりもよっぽど痺れたね。全然あらすじとか見てなかったからいつ中村が親分を裏切るんだろう?とか脇役かと思ったら市原隼人じゃねえか!ならこいつか!なんて思っていたりもした。
さて、本作はヤクザ映画なのだが、ちょっと特殊でより組織やその家族に焦点が当てられている。そして、それを20年以上の歳月で追いかける。
物語の前半では主人公の綾野剛がヤクザになり、そこからブイブイ言わせるまでの過程が描かれる。親分に従い、クラブの用心棒で、女は少し苦手という、”超テンプレなカッコつけヤクザ”が描かれるのだが、綾野剛の演技も相まって全く不自然じゃなく絵にも説得力が有った。この辺の映像も一級品で、決して安っぽさを感じさせずに楽しめてまずは安心出来たね。
そして中盤のある事件を境に状況は一変し、物語の後半からは14年の月日が流れた現代(2019年)へと移る。すっかりスマホ社会となり、何でもかんでもパシャパシャ撮ってネットの力に浮かれる若者と、時代に置いていかれた老人達。
そんな対比が妙にリアルで物悲しくて、スマホ世代なのになんか泣きそうになったよ。
ビシッとカッコよかった親分(舘ひろし)もすっかり老けて、寂れた事務所には昔からの幹部が数名と明らかな下っ端が一人という寂しい構成に。そしてその唯一の新顔である下っ端も何かシャっとない。
恐らく、まともな新規なんてもう居なくて精々フィクションの世界に憧れてきた変わり者くらいしか入ってこないであろうから、そういうちょっと全然輩系じゃない子が『自分も男を磨きたいっす!』みたいな感じで入ってきたんだろうなあとか想像しちゃうともうそこでも泣きそうになる(笑)。舘ひろし親分が優しい笑顔で迎え入れたんだろうなあとか思うと。。。
黒塗りの高級車を乗り回していた頃から、ワゴン車に乗って違法漁業でよく分かんねえ珍魚売る羽目になる落差。もうヤクザに限らず衰退した日本を感じるし、親を介護する時期になってきて店も閉めて昔の活況が無くなった商店街の家族みたいにも感じるし、なんかもう他人事じゃない気がしてきて胸が抉られたよ。
物語の後半では小さかった翼が商売を取り仕切っているのだが、結局はヤクザが居なくても同等の似たような輩達が仕切る事に変わりないわけで、むしろ顔が効いて名前も割れてるヤクザの方が必要悪だったんじゃないかとも思えてくる。海外勢力に対するアンチにもなるわけで。
結局は役割が変わるだけのゼロサムゲームだという事も匂わされているのが実にあっけない。そして、そんな奴らを相手にするのが”商売”の警察は捕まえる側なのに腰巾着のようだ。
全ては自然淘汰の結果であり、シバサキ組がただ負けただけなのだろうか?親分達に感情移入すると非常に悲しい話だが、結局はただの敗北者であり、むしろ一般人にとっては迷惑な存在でしか無い、という話だったのだろうか。
或いは、過ちを犯した者にチャンスを与えない日本の不寛容さを描いているのだろうか?役所を辞めさせられた由香のように、本当にヤクザがただ世間にとって邪魔な存在という以上に、日本の不寛容さを描いていたようにも思える。
飽く迄もヤクザが突出しているだけで、誰でもあのような状況に陥るよ、と。そう藤井監督は言いたかったのだろう。
果たしてヤクザの次は、どこだろう?
住みにくい時代になった、ヤクザににとってだけではなく。
若い頃からヤクザ映画は大好きだし、綾野剛も尾野真知子も良い俳優だとは思っているが、あの悪名高い新聞記者を撮った監督の作品ということで正直全く期待していなかった。が、良かった。20年の間に世の中はものすごく変わったが、その間塀の中にいた主人公にとっての変化はさぞショッキングだったことだろう。住みにくい時代になった。ヤクザににとってだけではなく。
綺麗事だけでは生きていけない…
本当だろうか。。暴対法以降のヤクザたちが社会で生きていく上での難しさ、苦しさをヤクザ側の視点で描く。昔のように義理人情では通用しない、スマホも、保険も、口座も、仕事も、家族ももてない。しかし、ある意味、そういう生き方を選んだ彼らが悪い、自業自得だと思う。反社は社会に必要なのだろうか。今更世の中に放り出されたって、極道しかやってこなかった子分たちを路頭に迷わせてはならない組織の長である親分の気持ちもわかる。彼らにほとんど実の家族がおらず、組織が家族のようなもの。自ら入りたくて入ったのではなく環境がそうさせた者もいるかも知れない。けれど、それは甘えだと考える。映画では綾野剛、舘ひろし、磯村勇斗、尾野真千子、娘の物語に感情移入してしまうが、実際は違うと私は思う。人の道を外れた者が人並みの幸せを求めてはならないと強く思う。
時代の流れと、ヤクザ
暴力団とその家族には、絶対になるもんじゃない!!
非情なようですが、
その思いを強くする映画でした。
2021年。監督と脚本は『新聞記者』の藤井道人。
暴力団構成員と呼ばれる人が、この30年間で7割も減ったそうです。
その背景を1人のヤクザ・山本賢治を通して浮き彫りにしました。
暴力団の核心に迫る社会派作品です。
主人公・山本賢治役の綾野剛は、
ケンちゃんと呼ばれるチンピラの20代前半、
ヤクザの幹部となった20代後半、
そして14年後の40代半ば・・・。
すっかり牙を抜かれて弱った賢治の、
勢いの違いを絶妙に演じ分けて《凄み》さえ感じる熱演でした。
1999年(平成11年)
手の付けられない暴れん坊であり、殺されたヤクザの息子であった賢治。
やがて親父と慕う柴崎親分(舘ひろし)の命を救ったことから盃を貰い、
正式な暴力団構成員となる。
2005年(平成17年)
激しさを増す対抗組織の暴力団との抗争としがらみ、裏切りに合い、
賢治も人生の転機に沈む(この辺りは、是非映画をご覧ください)
そして賢治がただ1人愛した女性・工藤由香(尾野真千子)の存在。
彼女は出会った時、組で経営するクラブのホステスでした。
(学生と掛け持ちのアルバイト・ホステスでした)
2019年(令和元年)
由香は、市役所で働いている。
しかも14歳の娘のシングルマザーでした。
一方の山本賢治は出所して、ヤクザを取り巻く環境が激変していることに驚く。
(暴力団排除条例で、すっかりヤクザのシノギは減っていた)
もう既に柴崎は現役ではなく、組に賢治の居場所はない。
それでも、世話になった恩人そして愛する人のためにすること。
賢治にできることは、たったひとつ。
暴力でしか決着をつける事を知らない《山本賢治》
副題につけられた、
『The F amily』
天涯孤独だった賢治が喉から手が出るほどほしかったもの【家族】
一度は手に入れたとも思った【家族】
遠ざかるその言葉が、
虚しく悲しい。
心揺さぶる映画でした。
ヤクザと家族
若い頃チンピラで街で暴れていた。それでも麻薬にだけは、手を出さない。そんなある日街で襲われている組長を助けた事によりヤクザとして道を歩み始める。
この映画では、ヤクザがかっこいいとかそんな風ではなく、時代の流れと共に暴力団である事、暴力団であった事が問いかけられる作品でした。
抗争の末に自ら出頭して、代わりに刑を全うして変わった時代に再び戻った主人公。
そこでは、今まで関わってきた人達が人生の中でどういう歩みを踏んできたか。
ヤクザ者としての道を踏み入れてしまってからは、世間からの目は、とてつもなく苦しいものになっている。
それでも女の子が最後に言った「お父さんの事を教えて!」これは、とても深いと感じた。
外側と内側
近いところにいる人が感じているものがある。
世間では、間違った人だと言われる。
本質は、もっと近くにあったりするのかも
やたらCMで推されてたのですが
父親に反発して調子に乗ってた悪ガキがヤクザにボコられてたところをヤクザの親父(前から目をつけてた)にケツもたれて、盃交わして、舎弟殺された仇を討って若頭の代わりに14年お勤めして戻ってきたら浦島太郎って話。
とにかく長い。邦画独特の間がふんだんにあります。
個人的には前半もっと破茶滅茶やってクズっぷり発揮してからの方が後半反省しても人権など無いと実感させられる展開の方が面白かったかも?なんか綺麗にまとめ過ぎ。
ラストの展開も刺した理由が頭悪過ぎて「???」だが、まぁ、だからダメなんだよな…って変に納得して苦笑い。
すごい人生を見させてもらった。
すごい人生を見させてもらった。
綾野剛さんに圧倒される136分だった。
綾野さん演じる山本賢治の生き方全てを感じたいと思い、ひとときも見逃したくないという気持ちに。
3つの時代を生きた山本賢治をしっかり見届けることが出来たのは、綾野さんの演技力あってこそだと感じた。見た目もその時代の年齢にしか見えなかった。
柴咲組 組長を演じる舘ひろしさんの登場シーンの貫禄に圧倒される。
2019年からのシーンは、山本、市原隼人さん演じる細野、尾野真千子さん演じる由香、柴咲組の者、それぞれ時代に応じて、もがきながら生きていこうとするも、結局叶わない現実を突きつけられ、胸がえぐられる気持ちに。
翼役は、磯村勇斗くんが本当にハマり役だったと思う。ヤンチャで可愛らしい、今どきな雰囲気がありつつも、時にその目に狂気が宿る、父親の血を引いているその目。自分がヤクザにならなくても、家族からは逃げられない。ラストシーンの翼の目の演技にも引き込まれた。
エンドロールで流れる「FAMILIA」で、この映画が完結するのを体感し、更に感動。こんな感覚は初めてで、エンドロールに映し出される歌詞を追いながら、涙が溢れるのを止められなかった。
何度も見て、自分なりにしっかり感じ取りたいと思う映画だった。
ラスト、細野が山本を刺す場面を見て、瞬間的に「ちがうだろー」って、...
ラスト、細野が山本を刺す場面を見て、瞬間的に「ちがうだろー」って、違和感ありあり。
ストーリー的に恨むのはSNSにあげた男であって、山本ではない。
映画的に衝撃的なストーリーにしたかったのか、違和感がのこる。
全員が不幸になり、なんとも暗く救いようがない。
それを描こうとしているのかもしれないが、本当に全員が不幸になりすぎ。
あっぱれ
ネトフリにて鑑賞
正直日本映画だとたかを括っていた
結論、とても良い映画だった
序盤はなんだかありがちな展開で、なんだこんなもんかと思っていたが、出所後の展開から目が離せなくなった。ヤクザとしての立場や権威が昔とは全然違い、時代の移り変わりを感じさせる。その後も元組員の仲間にも反社だと蔑まれ、途方に暮れてしまう。そんな中知らぬ間に出来ていた家族と出会い、人生に一寸の光が射す。車の中での娘との会話の中で、娘に何故母の元に来たのかと問われる。その答えは有耶無耶にされていたが、義理と人情であろう。どんなに時代が変わろうともヤクザとしての心は変わっていなかったのだ。あの時子供だった翼も立派に成長し、町はまだ完全に光を失ってはいなかった。そう思ったのも束の間、ネットやTwitterという、まさに新しい時代の象徴であるものに人生をめちゃくちゃにされてしまう。そんな中、老衰した親父に言われた「家族を幸せにしろ」は主人公の心に重くのしかかる。雷雨という重く暗い天気の中、家の電気(光)を消し、逃げる家族。しかし完全に主人公の人生の光は失われたわけではなかった。翼だ。だが、主人公は翼の力は借りようとはしなかった。おそらくもう生きるのに疲れたのだろう。柴崎組という1時代が完全に終わった。両方ともの家族を失った主人公は最後、海のなかで太陽の光に差されながら、暗い暗い、光の無い海の底へ沈んでいくーーーーー
その後、新しい時代の存在である翼と娘が海で出会い、時代が完全に移り変わった。
何より特筆すべきは、綾野剛と堤真一の演技であろう。綾野剛は3時代の主人公を見事に演じた。
主題歌も本当に映画の余韻に浸るにはぴったりな曲で、あっぱれだった。
前半は「ヤクザ映画入門」です
前情報を目にすることなく、連休中にNetflixにて観覧。誰が主演なのかも曖昧な状態で観はじめたため、冒頭、脱色された髪色で登場する主人公が、綾野剛なのか笠松将なのか、それともスピードワゴンの小沢さんなのかが分からない。
お、今回は綾野剛のターンなのね…と分かる頃には、何とも怪しく漂うステレオタイプの任侠映画感。シャブを扱う悪いヤクザと、渋い親分が率いる正義のヤクザ。シマのクラブに敵対する組のモンがやってきて場を荒らしたり、抗争のきっかけになったりと、本当に分かりやすい。呆れるほどに分かりやすい。
だがしかし、ここまで「ヤクザ」という生き物を手取り足取り観客にイントロダクションしてきたからこそ生々しく描けたのであろう、令和ヤクザ凋落の空気感。ヤクザらへの情けが正しいかどうかは知らないが、綾野剛の枯れた演技に宿る切れ味と、現代の半グレを演じる磯村勇斗は見もの。
残念なのは、ラストの悪いヤクザと悪いマル暴の癒着によるぐちゃぐちゃ感。前半のエンタメヤクザ感を後半でお漏らししちゃった。主題がずっしり重い社会派要素だから、また最後に任侠エンタメ要素をぶっ込んできちゃったのかしら。ちょっと欲張っちゃった感じが否めない。
この負の連鎖は誰が作ってるのか
責任放棄した大人たちのツケを払わされる子供たちが大人になりかけてる時、社会はそれ等の人たちを無視する。生まれた時や幼い時から社会から弾き飛ばされたものがたまたま、ヤクザという人たちに出会って家族という名の義理人情を感じたら、誰だってそれに従い守ろうとしてしまうんじゃないだろうか、親や学校や社会を拠り所にできない子供たちが、助けてくれる大人たちを拠り所にして何が悪いのか?だからと言って何をしても良いわけではない。ただ、その道義的なものは誰が教えてくれたかによるところが大きいと思う。
そして、社会復帰などさせないこの仕組みの気持ち悪さは、相変わらず続き、いったいどこでこの人たちは真っ当と言われるこの嘘くさい社会に喜びや幸せを感じて紛れることができたんだろう、、、。
映画の展開そのものはありきたりで、面白みにはかけます。が、社会の狭さと普通になりたい人たちの強迫観念に対する問いかけはよく分かります。
最後は少し前向きな終わりを見せる。そう見るのが普通なのかもしれない。だけど、私があの少女なら最後にあの磯村くんには声をかけない。それが普通を強要する社会の生き方だから。人間らしくないのはどっちだろう。
演者さんはみんな本当良かった。特に磯村くんが良い!
全130件中、1~20件目を表示