ハウス・イン・ザ・フィールズのレビュー・感想・評価
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秋が区切りなんだ。
2回目の鑑賞です。1回目は吉祥寺か渋谷で見ました。レビューを始める前です。
二人の姉妹が血の繋がりがよく分かる映画だと思いました。でも、民族楽器を弾く男性と姉妹との人種の隔たりを感じました。つまり、姉妹はコーカソイド系であり、楽器を弾く男性はネグロイドだと言うことです。僕はその点に作為を感じないで入られませんでした。
さて、だから、余り印象を残さずに恩讐の彼方に、なってしまった訳ですが、本日は2回目の鑑賞のなり、じっくり時間を掛けて見てみました。
カメラの前に立つ少女。楽器を朴訥に弾く男性。それをカットで繫ぐ。
どこかで見た風景。そうですね。
小津安二郎監督の絵じゃないですか?!
と勝手に思い込み、作為なんかどうでも良くなりました。ドキュメンタリーって言うから作為。でも、映画であれば、演出が入って動く写真として見れば良いのです。
【モロッコの山奥に暮らす”自由の民”アマズイーグ族の、アトラス山脈の壮大な自然の中、変わらぬ生活を描いた静なドキュメンタリー作品。】
ー ご存じの通り、モロッコは男尊女卑思想が残っている国である。だが、世界から絶賛された「モロッコ 彼女達の朝」で描かれれた通り、女性達は逞しく暮らしている。(だが、今作はモロッコ国内では上映禁止)
今作は、モロッコの山奥に暮らす”自由の民”アマズィーグ族(一般的には、”ベルベル”と称されるが、今作のフライヤーを見ると、それは他称であり、蔑称であると記載されている。知らなかった・・。)の若き姉妹が、自然の中で生きる姿。そして、姉が見知らぬ男性との結婚を迎えるに当たり
”結婚するのは怖いけれど、それが義務だから・・。”と言い、結婚式に臨む姿と、姉が居なくなることに寂しさを感じている妹の姿が、静やかに描かれている。-
◆感想
・今作で映し出される、アマズィーグ族の民の表情が男女問わず、穏やかである事に好感を覚える。もしかしたら、諦観の念も入っているのかもしれない。
・結婚に臨む、姉の不安感と共に語られる未来への希望。そして、実際の結婚式で花嫁は綺麗に着飾り、女性達も美しい装いで、若き二人を祝うシーンも良い。
<今作は、ドラマティックな要素を極力排して、描かれたアマズィーグ族の姉妹を中心に、彼らの大自然と共に生きる姿が、鮮やかに描かれている。
モロッコの大都会であるカサブランカなどの喧騒は、この映画には一切出ない。
只、只管に大自然の中で生きるアマズィーグ族の人々の姿が、過剰な演出無く描かれている。
今作の監督、タラ・ハディドさんは、7年にわたって現地に通い、姉妹たちと寝食を共にし、信頼を得て今作を完成させたそうである。
派手さはないが、少数民族であるアマズィーグ族の生き方を美しく捉えたドキュメンタリーであると思う。>
家族が語るパートをはさみつつ 説明のナレーションもなく 基本は映像...
家族が語るパートをはさみつつ
説明のナレーションもなく
基本は映像+自然音だけで進んでいく
写真集をパラパラと
めくっていくようなイメージの映画
遠い国の全く異なる民族なのに
村人の歌う歌が
懐かしく感じて不思議
今の時代にも
それが義務だからと言って
一度も会ったこととない人と
結婚する人がいるんですね
ラストの結婚式は
村人総出のお祭り
太鼓の音で血が騒ぎ
盛り上がるのは万国共通のこと
花嫁の衣装とペイントが神秘的
なんだ、その歌は
歌は誰のためにあるんだろうと思った。映画の中でいろんな人がいろんな歌をうたうんだけど、愛の存在を信じられる歌もあれば、子ども時代から愛国心を定着させようという意図を感じる歌もあるし、「携帯電話」が登場するから比較的最近作られたんだろうに絶望的に古くさい女性観を押し付ける歌もあって。
婚約者のことを「話したことがない」「何も知らない」「聞くところによると穏やかな人だって」と話す姉が、微笑みをピン留めしたみたいな顔をしていた。彼女の婚礼はものすごく長くて、村人総出で一生懸命はしゃいでいて、外堀埋め感はなはだしい。木の実をかたっぱしから食べていたあの妹ちゃんが弁護士になっていてほしい。
きれいな画がいっぱいあったのに、地面を農具みたいなので掻いて水を流していたよく分からん画がなんでか印象に残る。
優しいね。
「結婚するのが義務だから」
お姉ちゃんのこの言葉が、胸にズンッと響きましたわ。
産まれてきた場所、育つ環境で、こうも生き方が変わってしまう。
ただ、そこに不満を感じず、幸せを感じられれば良いのだよね…。
風景、自然とともに慣習に習って、素直に育った姉妹。
なんだか優しかった。
周りが変化を強制する必要はないのだ。
静かな少女の眼差しが印象的
姉が結婚して離れる寂しさと、外の世界への関心。
まだ世界が狭い少女のドキュメンタリー。
男性が民族楽器を奏でながら歌うファーストシーン、遠くから聞こえて来る祈りの時を知らせる声、ここでイスラム文化である事が印象付けられる。
慎ましく美しいイスラム文化を感じる暮らしぶりに、宗教は国を越えるんだと実感する。
実際に共通する言葉もチラホラ聞こえて来るし、食文化も似ている様に見えた。
姉が結婚し遠くに行く、静かに訴える少女のナレーションがいっそう寂しさを感じさせる。
一方で盛大に行われる結婚式。
地域の1番の楽しみなのだろう、鮮やかな衣装と歌や踊りが賑やかで静かな暮らしと対象的だった。
しかし、受け継がれる儀式や祭典、地域の誰もが芸達者なのが驚きだ。
製作者が対象に溶け込んだ功績
監督が5年生活を共にして収めた映像作品。
純粋なルポルタージュではないと監督もいっているとおりに、記録映画としてのみでなく、適度な演出を散りばめ一つの家族、一つの姉妹の事実やイベントを通して、民族の過去、今、未来を描いてます。
ストーリーは作り物ではないです。
演出のためのカットはあります。
ですが、それは素人が演じてるのではなく、ただカメラの前でも真っ直ぐな等身大のホントの気持ちを言葉にできるようになっているにすぎません。
5年間(監督インタビューでは7年と書いてあったけど)に築いたであろう人間関係、信頼関係がもたらした結果でしょう。あっぱれです。
日常の一コマを映像作品として昇華させたと言ってよいでしょう。
今年観た「ミッドナイト・ファミリー」も似たようなアプローチでした。ドキュメントの対象者にどれだけ素になってもらえるか?が重要ですね。
密着ドキュメントと生活を共にした仲間とでは、見せる表情も言葉も変わるのでしょう。
初めてみる文字、初めてみる慣習。文化。
どれも驚きとともに興味深く観ました。
クライマックスの変わらぬ儀式に民族の奥深さを、妹の悩みや発言に時代を感じます。
エンタメを期待せずに、綺麗な面白い記録映画としてよく出来ているのではないでしょうか?
良作です。
圧巻の結婚式
ドキュメンタリーとのことだが、「ドキュ・フィクション」と言って良いだろう。
ノンフィクションであるが、登場人物はカメラとしっかり正対しており、対象をカメラが追いかけ回すわけではない。
アトラス山脈の山あいの地なのか、山の上は荒涼としていても、住居のまわりは緑豊かで、目を楽しませてくれる。
春になれば、世界が色づき、太陽は蘇り、空気は澄みわたる。
そこで人々は、草を刈り、木の実を食べ、牛や犬と暮らしている。
少女ハディージャは、「風や川の歌」を聴き、崖に座って空想にふけるのだ。
そういう地域色豊かな美しい映像に満ちている作品で、それ自体が一つのテーマと言っていいが、もう一つ「姉の結婚」というテーマがある。
家父長制によって、“男女同等”の「国王令」にもかかわらず、娘の将来は親によって決められる。
一見、悲劇の物語のようだが、必ずしも“女たちが虐げられている”わけではない。
19歳の姉ファーティマは、「女になるのは怖い」とはいえ、結婚して田舎を出て、都会のカサブランカで仕事をすることに期待を持っている芯の強い女だ。
ひとりぼっちで残されてしまい、「姉は私を忘れる」と嘆く妹ハディージャ。しかし父親は、成績が良いハディージャを学校に行かせる。夢の“弁護士”の道が閉ざされているわけではない。
長尺を割いたクライマックスの結婚式は、圧巻である。ここは映画館のスクリーンで楽しみたい。
男も歌い、女も歌い、奇声も上げる。すごい高音だ。ダンスもする。
何よりスゴいのは、女たちの衣装である。それだけで、“目の滋養”になるほどだ。
迫力ある映像に、感動した。
決して、姉妹の物語だけではない。予告編は、すべての重要ポイントを的確に凝縮して映している。
エスニック文化好きな人向きの作品と言えるだろう。
ちなみに、変なペイントをした粗末な3弦楽器を奏でて歌うオッサンも3回出てくるが、こちらも必見である。
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