「【雨の日かも】」レイニーデイ・イン・ニューヨーク ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【雨の日かも】
#MeTooの余波と、新型コロナ感染症の影響でお蔵入りしていた本作、もうウッディ・アレンは映画を撮ることが出来ないのではないかとの憶測もあって、それが本当だったら、とても複雑な気持ちだ。
#MeTooの余波とは、90年代初めに、ウッディ・アレンが養女に対して行ったとされる性的虐待についてだ。
これについて、ウッディ・アレンは否定しているし、彼に対して起こされた民事裁判も棄却され、様々な調査でも事実は確認されていないが、アマゾンは本作についてウッディ・アレンとの契約を破棄、出演者のなかには、ギャラを受け取らず、寄付するなどして暗に抗議の意を示すものがいたり、逆風が続いていた。
この作品は、場合によっては、「何!?この人〜!?」なんて思われがちな人を、そこかしこに配置して、ユーモアたっぷりに人間模様を描いている。
ニューヨークに住むもの、あこがれるもの、若者や大人の人間模様を軽いタッチで描きながら、皆にありがちな、独りよがりなところ、寂しさ、勢い、目標、不見識、流されやすさ、親との葛藤、コンプレックスなどを散りばめ、大人のエゴや自分勝手さ、そして、優しさも加えられて、ストーリーは進んでいく。
だが、考えてみると、これは僕達の周りでも実はありそうなことではないのか。
アシュレーのように下着で放り出されることは少ないかもしれない。
ギャツビーのようにお母さんが高級コールガールという境遇の人も少ないかもしれない。
でも、アシュレーのように、大人に言われることを、そのまま鵜呑みにして行動して、とんでもない出来事に遭遇したり、ギャツビーが母親やチャンとの一連の出来事を通して感じたように、身近にいる人への自分自身の気持ちに気が付くことは、きっと多くの人が年代を問わず経験するようなことだ。
僕達は、きっと大小にかかわらず多くの葛藤を抱え、様々な経験を積み重ねながら、これらを消化しながら生きている。
若さという勢いやエゴ、大人になっても身勝手な人間もいる。
そして、そんな人々が集えば、良くも悪くも、何か化学反応も起きる。
でも、ちょっとしたユーモアな視点で、それを振り返ってみれば、笑えることはきっと沢山あるはずだ。
そして、今、もし辛いことがあっても、いつかは、どーってことなかった!と感じられるようになって、案外人生は楽しいものだと思えるような気がする。
雨の憂鬱な日でも、ニューヨークでは何かが起こりそうな予感がする。
ウッディ・アレンは、本当にニューヨークが好きなのだと思う。
人が集い、何かを考え、行動したり、コミュニケーションのあるところには何かストーリーが生まれるのだ。
この作品はアメリカでの上映が様々なことで難しくなったらしい。
取り敢えず、ウッディ・アレンの映画が引き続き観られるようになることを楽しみとして取っておきたい。