劇場公開日 2020年8月7日

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「リンク・レイこそがロックの創始者~文化の根絶やしも立派なジェノサイド」ランブル 音楽界を揺るがしたインディアンたち カールⅢ世さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0リンク・レイこそがロックの創始者~文化の根絶やしも立派なジェノサイド

2020年9月23日
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鑑賞方法:映画館

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ブルースロックはイギリス人(代表:エリック・クラプトン)が1960年代にアメリカのブルースマンを見出し、アメリカに逆輸入した。大概のロックオヤジはそこまでは知っている。
だが、この映画はブルース、フォークなどの音楽にはアメリカンインディアンが深く関わっていることを教えてくれた。そして、さらにアメリカの恥ずべき歴史も。

【Link Wray:リンク・レイ】
1929年生まれ。ショーニー族。幼いころ、カーニバルで黒人芸人の弾くスライドギターを見て音楽に目覚める。若いころに朝鮮戦争に従軍。その後、兄弟たちとバンドを結成。テレビ番組でのバックバンドを務める。1958年29歳の時に発表したインスト曲 Rumble が米国では少年犯罪を助長するという理由で、放送禁止になる。インストゥルメンタルの曲が放送禁止なんて初めて聞いた! 言いがかりも甚だしい。差別の匂いがプンプンする。当時はロカビリーブーム。プレスリーのジャケットの袖から居酒屋ののれんみたいなヒモ(フリンジ)をずらーっとぶら下げたスタイルはネイティブアメリカンのファッションだ。エルビスとジョニー・キャッシュの影に隠されてしまった。リンク・レイに影響を受けたと証言するミュージシャンはジミー・ヘンドリックス、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、ボブ・ディラン、ニール・ヤング、イギー・ポップ、ピート・タウンゼント、マーク・ボラン、タフ・マッケィガン、ブルース・スプリングスティーン、キンクス など

【Rumble 演ってみた】
自分のオヤジバンド(ブルースロック)の課題曲でやってみた。非常に知識豊かなバンドリーダー(ギター)もリンク・レイはもちろん、Rumble は知らなかった。しかし、譜面をどこからか手に入れてきた。バンドメンバーは私の突然の提案に難なく答えてくれ、異常に盛り上がった。私はもう一人のギターのサドウスキーのライトグリーンのストラトモデルで弾いてみた。ベースがドラムに、サドウスキーの彼がベースにまわった。ものすごく気持ちよかった。すごい曲だ。ロックの原点に間違いないと確信した。リンク・レイはロックのまさに創始者。パワーコードの創始者でもあるのだ。それはすごいことだ。我々はロックの真髄はアジア発のモンゴロイドの兄弟にあることを実感し、うち震えた。

【鮎川誠(シーナ&ロケッツ)はリンク・レイの一番最初の子供説(マイ・オリジナル)】
リンク・レイの演奏する姿を見たとき、真っ先に思ったのが、鮎川誠にそっくり。鮎川誠は1948年に福岡県柳川で生まれた。父親がアメリカ人で母親が日本人。父はアメリカ軍の軍人だが、会った記憶はない。と、ウキペディアにある。リンク・レイは朝鮮戦争(1950-1953年)に従軍したとあるが、1945年からすでにアメリカ軍は南朝鮮に入っているわけで、リンク・レイがなにかの間違いで日本に寄った可能性は皆無ではないと思われる。リンク・レイは生涯で4回結婚し、9人の子供を残したとされている。10人いてもおかしくない。

【Howlin Wolf の塩辛声のルーツ】
シカゴブルースの巨人、ハウリン・ウルフにもアメリカインディアンの血が。知らなかった。嬉しかった。あのダミ声はわれわれには身近な魚屋(築地市場など)のオッサンのダミ声だ。ダミ声は黒人が特別得意な訳ではない。ハウリンウルフはクラプトンとのライブ盤を出している。Killing floor は Led Zeppelin が もろにパクっている。セカンドアルバムの Lemon Song がそうだ。チョクトー族でデルタ・ブルースの祖であるチャーリー・パトンからギターを学んだというハウリン・ウルフ。その影響を受けたローリング・ストーンズやクラプトンを経由し、逆輸入の形でブルースはアメリカに。その背景にはアメリカ政府の徹底した黒人蔑視がある。しかし、先住民に対する差別はアフリカン・アメリカン以上で、先住民の多くはアフリカン・アメリカンになりすましたり、同化することにより難を逃れてきた歴史が語られる。実際、南北戦争以前は先住民の男はアフリカに代わりに連れていかれ、先住民女性はアフリカの男性と結婚することが多かった。我々が黒人音楽と思っていたものも純粋なアフリカン・アメリカンのものではなく、先住民の音楽との融合なのだ。

【ジミヘンにもインディアンの血が】
奴隷だった曽祖父とチェロキー族の血を引く曾祖母を持つ、ジミ・ヘンドリックス。1942年生まれ。もう、言うまでもないだろう。ロックは白人の産物ではない。

【ジェシ・エド・デイヴィス(タージ・マハル)】
1944年生まれ。父はコマンチ族、母はカイオワ族の生粋のインディアン。オクラホマ州出身。スワンプ・ロックの名手。素晴らしい。43歳でオーバードーズで死亡。残念でならない。オールマン・ブラザース・バントの伝説のライブ盤アット・フィルモアイーストのはじめの曲 Stateboro Blues はタージ・マハルのデビューアルバムでジェシが弾いているスライドギターをドゥエイン・オールマンが無名時代から必死で真似した一曲だそうだ。Stateboro blues はもちろん、昔のブルースマンの曲。この映画のなかで流されるジェシのチャーミングな笑顔にすごく癒された。

【Buffy Sainte-Marie とJoan Baez】
バフィ・セントマリーとジョーン・バエズ。この映画でバフィ・セントマリーを見た時に真っ先に思った。ジョーン・バエズに似てるなぁ。 Wikipediaで両者を比べてみた。誕生日はどちらも1941年。ジョーン・バエズが1月生まれ。バフィは2月生まれ。やはり。バエズが20歳にはメジャーデビューしているのに対し、彼女は苦労人だ。カナダのインディアン クリー族出身。幼少期に親の離婚で、マサチューセッツ州の養父母の養子になる。キャンパス内のコーヒーショップなどで演奏し、フォークソングフェスティバルに精力的に出て、ニール・ヤング、ジョニー・ミッチェルらと親交を深める。1964年にデビューアルバムを出すが、ベトナム戦争で、傷ついた兵士を歌った Universal Soldier はリンク・レイ同様、理不尽な放送規制を受ける。のちに彼女は語っているのだが、ラジオ局のブラックリストに載ったのは当時の政府(ジョンソン、ニクソン大統領、FBI)によるもので、事実上、彼女はアメリカでのビジネスを禁止され、反戦活動のみならず、先住民運動の芽も摘み取られ、70年代はなんもできなかったと。
71年の西部開拓史の実態を扱った映画 Soldier Blue の主題歌もアメリカでは発売禁止。彼女はジョーン・バエズよりもはるかに直接的なオリジナル反戦歌詞で訴える。社会貢献は長期に渡り、今でも続いている。闘うフォークシンガーの姿勢を崩していない。そして、嬉しいことに、映画「いちご白書」で、サークルゲーム(Circle Game)がヒット。1984年には Up Where We Belongが「愛と青春の旅立ち」で、第55回アカデミー賞の主題歌賞を受賞しているなど、映画との関係も深い。

【文化の根絶やしも立派なジェノサイド】
先住民族のヴォーカル・グループ、ウラリがパフォーマンスを披露し、踊りや音楽をも禁じた当時のアメリカ政府による迫害の歴史が語られる。故意に先住民の誇りをくじく目的で、彼らの伝統的儀式を非合法化し、長年抑圧した。文化の剥奪は虐殺に等しい。アメリカ先住民は文字文化をもたないからなおさら。

【この映画で出ている著名人:多数の中から厳選】
マーティン・スコセッシ、ロビー・ロバートソン(The Band:モホーク族)、スティービー・サラス(アパッチ族)スティーヴン・バン・ザント、スラッシュ、タージ・マハル、イギー・ポップ、バディ・ガイ、マーキー・ラモーン、バフィー・セントマリー、リキー・メドロック(レーナード・スキナード:ラコタ族)、ジム・ケルトナー、デルク・トラックス、ロバート・トロ匕ーヨ(メタリカ)
【紹介されたその他のネイティブアメリカンミュージシャン】
ランディー・カスティーヨ。ヘビーメタル界のスーパードラマー。イスレタ・ブエブロ族/アパッチ族。ニューメキシコ州出身。1960年生まれ。参加バンドはモトリー・クルーなど。51歳で死亡。

タブー(ブラック・アイド・ビーズ)1975年生まれ。ショショーニ族。

レッドボーン(成功を収めた最初のインディアン・ロック・バンド 1968年~)ヤキ族/ショショーニ族。1974年の Come and Get Your Love は世界的なヒットを記録。Vegas 兄弟にインディアンの音楽をやったらどうかと勧めたのはジミヘン。

カールⅢ世
NOBUさんのコメント
2020年10月25日

こんにちは。
 レビュー拝読しました。
 とても、勉強になりました。
 有難うございました。
 鮎川誠さんの件、本当だったら日本のロックもネイティブアメリカンの血を引いた男が君臨していた事になりますね。
 では、又。

NOBU