滑走路のレビュー・感想・評価
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いい作品だと思う
世の中にはいじめっ子の精神性が蔓延している。昔からそうだし、これからもそうだ。麻生太郎の悪人面を思い浮かべてみるといい、あれこそがいじめっ子の典型的な顔だ。発言もそうだ。「暴飲暴食で糖尿病になって国から医療費をもらってそれをおれたちが払っている」と言っていた。糖尿病にかかるのは長時間労働にも関わらず収入が低く、糖質主体の安い外食を食生活の中心としている人々が多い。子供の頃の食生活は本人にはどうにもできない。麻生のように金持ちで添加物のない高級食材の美食を習慣としている人たちは糖尿病にも癌にもなりにくい。
自分の狭い価値観で世の中の弱い人々を断罪する。それがいじめっ子の精神性である。自分が優れていて相手が劣っていると考えるから、いじめることで自分の優位性を確認するのだ。そして満足する。翌日も同じように相手が劣っていることを確認したくなる。かくしていじめは相手が死ぬかいなくなるまで続くのである。セクハラ、パワハラも同じ構図だ。すべてのいじめは理不尽であり、被害者には重い精神的被害を齎す。人間はどうしていじめに遭うのか。
何かを守ろうとする人間は、何も守らない人間に負ける。いじめられる子はいじめられていること自体を恥ずかしいと思い、誰にも言えない。いじめる人間が優位でいじめられる人間が劣位だと感じているからだ。これは子供だけの話ではなく、声が大きくて怒鳴り散らすしか能がない上司が優位になってしまうのは大人も同じだ。「おれが怒鳴ったらおとなしくなったよ」と自慢する馬鹿がいるが、ほぼ原始人である。友達や同級生、会社の同僚たちとの友好な関係性を守ろうとすれば、差別やいじめを我慢するしかない。自尊心を守ろうとすればいじめを誰にも話せない。社会のルールを守ろうとすればいじめっ子の家に火をつけることもできない。
いじめが被害者の個人的な問題に帰せられているうちは、いじめは解決できない。少なくとも共同体が共同体としての健全なありようを目指すのであれば、いじめは重大犯罪とされて刑法で重い刑罰を科すのが最低条件だと思う。
本作品はいじめを題材としているから、重く沈鬱な映画になってしまうのは自然だ。画面のこちら側にいる観客には、もっとああすればよかったのにと勝手な想像をするが、当事者にとっては出口も行き場もない袋小路の状況だ。親も教師も警察も天網ではないから疎にして漏らす。本作品のような酷いいじめはほぼ犯罪だから取り締まることも可能なはずだが、警察はいじめには踏み込んでこない。
暴力や強奪をともなわない比較的軽いいじめの場合は、いじめる方にいじめている自覚がないことが多い。ただ遊んでいただけだと主張するのだ。その遊びが自分の優越感を満足させるために相手の人格を貶めることであれば、それはいじめに他ならないのだが、人間は自分に都合よく解釈するようにできている。
人類の歴史はいじめの歴史である。人間が他人よりも優れていることに自分の存在理由を見出す精神構造を捨て去ることがない限り、いじめはなくならない。戦争もなくならない。子供を生むのは不幸を生むことだ。しかし人間は子供を生み続ける。それは不幸を生み続けることに等しいのだが、人間はそもそも不幸が好きなのである。
本作品はいじめの構造を現実は踏まえて上手に表現している。こういう現実は世界中の至る処で起きているだろう。洋画でも邦画でも、いじめのシーンは数多く上映されているが、本作品のいじめの陰険さはトップクラスだ。被害者が逃げ出せないことを知っていじめるところが狡猾で酷薄だ。そしていじめるのが普通の子供であるところにリアリティがあった。
いじめた人間はいじめたことを忘れるが、いじめられた側は一生忘れられず、深夜にうなされることもある。観るのに苦しい映画で光も見えてこないが、あとに残るものはあった。いい作品だと思う。
それでも生きてほしい。
飛行機が滑走路から飛び立ってゆく。
空に憧れる学級委員長。陰湿ないじめに苦しみながらも耐え忍ぶ日々。
叱責や理不尽、加えての激務に押し潰されそうな不眠症を患う若き官僚。
一見優しい夫。でも大切なことは何も選択してくれない。その関係に悩む切り絵作家の妻。
中学校、職場、家庭。3つの時間軸を利用して物語が進んでゆく。そして中盤。驚きと共にそれは全く違ったストーリーへと変貌する。なんだか余計に辛い。
なんて苦しいのか。なんでこんなに傷付くのか。どうすれば楽になれるのか。周囲からは前向きに見えても突然自ら命を絶つ人がいる。深いところに溜まった痛みはそう簡単に取れるものではないと痛感させられる。
役者陣がみんな良かったです。浅香航大も今までのイメージとは違った感じですごく合ってました。水橋研二にはイライラしたし、いじめっこ達が決して不良ではないってとこが妙にリアルだった。
そして委員長を演じた寄川歌太。なんて真っ直ぐで綺麗な瞳。好演でした!
3人それぞれが迎えるエンディング。誰だって多かれ少なかれ苦しみを抱えている。それがどんなものであっても、それでも生きてほしい。
滑走路を少年が疾走している。宝物を背負って。少女を探して。なんて淡い。そしてなんて清々しい。
めちゃめちゃ良作だと思います。
私は好きです。
とてもやりきれない辛い気持ち
自分は幸か不幸か今の仕事や生活に満足もしていなければ不満もない。
頭も賢くなければ世間知らずでもない。
理想とか目標とか目指すものやあるべき姿が何も想像できないまま、
ただ今を生きている。これからも生きていく。多分。
何のためにとか何が楽しくてとかそんなことは何も考えられない。
こんな世の中だからとか、生きにくい社会だからとか、努力が足りないとか
安易な言葉で片付けたくはないのだけれど、
現実社会のどこかで日々起きているであろう他人の人生の出来事を
自分の今の現状と過去とを照らし合わせて決して他人事ではない気持ちになって観ていました。
ただ考えてみたら今の自分の職業は、10代の頃に夢見ていた職業に近いところに就いている。
それは自分の努力ではなく、家族の支援や助言をくれた人がいたからであって。
感謝の言葉を言ったことはないけれど。
鑑賞後そんなことを考えさせてはくれました。
最後の橋の上のシーン。
数年後自殺をしたのをわかって観るこのシーンはなんとも言い表せない気持ちになり、とてもやりきれない。
彼女の存在の大きさ、悲しくも素敵な別れを経験したのに。のちにその記憶が自分を苦しめるなんて。
不謹慎かもしれないが、自死を美化しているようにも少なからず感じてしまったのが正直な感想です。
彼の存在は今を生きているふたりの心と母親の心の中でこれからも生き続けていくと思えば
救われるのだろうか。
厚労省のお役人がますます嫌いになりました 私の気持ちは滑降路
32歳で夭逝した非正規雇用歌人の歌集(滑走路)からインスパイアされて、ストーリーを作ったとされる映画。
時系列が前後し、どんな展開でラストを迎えるのかと集中していました。
母子家庭で、母親に心配かけないように気を遣う優秀な学級委員長(寄川歌太)と絵が得意で、大好きだが、成績がさがったら絵を辞めさせるという厳しい父親をもつ天野翠(木下渓)。図書館や公園のシーン、彼女の絵、切り裂かれた絵を張り合わせるシーン、自転車、広い河川に架かる橋。それぞれのシーンやカットアングルはすごくきれいで印象的。
水川あさみと水橋研二はともに美術に関わる夫婦。
おしゃれな部屋のソファーに横たわる水川あさみの脚。キレイでしたね。天井からのカット。切り絵もすごくきれいで、水川あさみの指が想像に反して(喜劇・愛妻物語の影響w)きれいでした。手のモデルは使ってなかったようでした。
若手官僚役の浅香航大。
中学生のいじめ役3人。
寄川歌太の母親役には最近よく見る坂井真紀(宇宙でいちばんあかるい屋根、461個のお弁当)。
不妊・少子化問題、いじめ問題、母子家庭問題、雇用問題。観るものに一番訴えたいのは何なのかが中盤から観ているうちにだんだんわからなくなって、もやもやしてすごくストレスが溜まりました。
いじめから救ってくれた親友が、25歳で亡くなったことをNPO法人から提出された自死した非正規雇用者リストから知ることになる若手厚労省官僚。NPO代表が「このSSさんは須和駿介さんで」という場面でノーリアクションだったことから、リストから選んだ時点ですでに確信していて、確認しただけなのだと思いました。睡眠時間がとれないほど忙しいはずなのに、駿介(寄川)の死に対する自分の罪悪感が正当なものか否か確かめたいという身勝手な動機で、単独行動をとる刑事のように調べてゆく浅香航大に強い違和感を覚えたのみならず、母親(坂井真紀)に自分の卑怯な行動の象徴である数学の教科書をわざわざ見せるという無神経な行為(返してない事実も判明!)に私は強い怒りを覚えてしまいました。
母親役の坂井真紀の冷静な返答の言葉、「これはあなたが持っていて、忘れないように・・・・そして、自分の子供ができたら死ぬ気で守りなさい」には雷に撃たれたような気持ちになりました。切り裂かれ、張り合わせられた絵をひとり息子の遺品としてずっと飾っている母親の気持ちを思うと重くて仕方ありません。
その絵を描いた翠の選択。「あなたの子供だから堕したのよ」の優柔不断な男に対する強烈パンチ。しかし、産婦人科でのシーンは直前に止めたはず。展覧会で駆け寄る息子とのシーンは翠が産んだことを明らかにするものでした。
浅香航大と精神科医のシーンのセットは前衛演劇みたいで、「あれじゃ、治らないよ。」と、心の中で突っ込んでいました。医者も精神科医らしくない突き放した態度だし。
あなたが持っていなさい、忘れないように。忘れずにあなたは生きるの。あなたは、 結婚して子供産んで、その子を宝物のように命がけで守りなさい。
中学生のパートと、成人してからのパートが入れ違いながら映画は進む。その成人後を演じる水川あさみと浅香航大がなかなか絡まなくてヤキモキしだした頃に、二人それぞれの委員長(須羽シュンスケ)の死との時間差で、この成人した二人は別々の時間を過ごしていることに気付かされる。そう、時間軸は全部で3つあった。委員長主観でいえば、人生が急転した中学時代と、当時の彼を取り巻く二人の友人がのちに彼の死を知ったことで変わっていく何か、とでも言おうか。
誘導として、はじめ、カウンセリングに通うくらい仕事に行き詰っている若手官僚(浅香)が出てくる。勉学優秀だった委員長が成長した姿だと思った。イジメを克服して、国を動かす側の階段を上っているのだと思った。それが、途中であれ違う?と気付く。登場人物を名字と名前とあだ名で言い分けていたので、こちら側がうまいこと騙されていたのだ。この裏切られ振りが巧妙で、その分、委員長の自死の衝撃が増してくる。それまで過程をそれなりに知った後だからこそ、ああ、彼は負けたのだと思った。だけどそのあとに、いや、彼は彼なりに懸命で優しくて純粋であった、なにより逃げなかったのだと思い直す。そして気付くのだ。そんな彼だからこそ、自分の尊厳を守るべく死を選ぶしかなかったのだと。
彼の死を知ったあとの鷹野と翠も、その純心さを思い出し、今の自分を不甲斐なく思ったのだろう。だから、二人もそれぞれ、今の立ち位置から前へ前へと飛び立とうと密かに決意するのだ。委員長に恥じない自分であろうとするかのように。孤独な友人の死を知らず、何もしてあげらなかった自分を悔やむ二人を観ているのに、なぜかこちら側の気分が晴れやかな感情に包まれているのは、二人の思いに贖罪の感情ではなく、"借りを返していく決意"のようなものを感じたからだろう。そうだ、委員長は二人が前に進むための"滑走路"を用意してくれたのだ。
永六輔もいう。「生きているということは誰かに借りをつくること。生きていくということはその借りを返してゆくこと」と。二人だけでなく、僕自身も、「ああ、自分は今、誰かに生かされている」と気付かされた。
当日、舞台挨拶あり。寄川歌太(委員長子役)、浅香航大、水川あさみ、大庭功睦監督。水川あさみの親しみやすさはいつも気分がいい。歌太くんの今後、期待してます。
このあと小説も読んで、裏設定を補完するのをおススメします。タイトルのセリフは、なぞるように何度も読み返してしまいました。そしていくつか、映画に描かれなかった人間関係や人物の名前などにハッとさせられることがあるはずです。
※補足
地震のシーンの意味は「直面している問題が大きすぎて、この程度の地震なんてどうでもいい」ってことかな。介入する第三者がいれば、その人を無視する場面なんだろうけど、人付き合いの少ない夫婦なので、邪魔が入るのは自然現象くらいなのでしょうね。
3人の生き方、3つの時代
しみじみいい作品でした。
いじめや自殺、非正規雇用の問題が奥底に敷かれ、3人の人生、3つ(いや、4つ?)の時間が重なって、織り成していく。
生きていくことの難しさに、正面から向き合った内容でした。
時代を行ったり来たりするため、描いた時代がいつかなのかを読み解くのに、努力が必要となる部分もある。
キャラを掴む以外にも、画面の色調(過去は少し退色したフィルムっぽい)や、出てくる小道具が役に立った。
電話器、服のデザイン、ミュージシャン……
特に、テレビの形がわかりやすかった。
ただ、同時に3人の年齢や年代に「?」の山になりました。
3人が中学2〜3年の頃に、「ビートルズが聴きたい」ってセリフがあったから、1960年代後半?
中学生の彼らが公園で見上げる飛行機が、今2020年頃に運行しているタイプっぽい。
そのうちの1人が幼児の頃を撮ったビデオが出てくるが、映すテレビの型が1980年代前半のブラウン管カラーテレビ、再生するカメラの画質がVHS。
彼らが大人になって、うち一人が厚生労働省で働く25才の青年になって出てきたが、厚労省が出来たのが平成の世(2001年以降)。
20代後半〜30代前半に成長し、切り絵作家となったヒロインが手にしていたのが、LINEの使える現行(2019年以降)のスマホ……
ヒロインの個展が、メインの舞台から4〜5年後……
はて、それぞれの時代は「何年」なのだろうか?
これはとっても良い映画、本当の意味でリアル
コロナの影響か、先週くらいから見たい映画が多過ぎて、全部は観られそうもないので、スルーかなと思っていたけど、評価が高いので見に行きました。
結果、とっても良い映画。宝物ですね。
テーマは「自死」の話ですが、とても繊細に作られていて、「自殺」という言葉も使われます。
個人的には、少し引き込まれる感覚があり、とてもリアル。観ていて恐ろしかった。恐ろしいと思いつつ、最後はとても後味が良かった。
ハッピーエンドかどうかは見る人によるかと。
イジメを助けた高校生
働き過ぎで眠れない官僚
妻の才能に嫉妬する高校美術教師
の3人の男の話です。
それぞれの物語がどうやって繋がるのか。
いろいろな伏線をどうやって回収するのか。
見終わったあとの余韻がとても好きでした。
基本的に、小さいプライドを捨てられない男の話です。私も男としてとても共感できます。
同時に、それぞれの男のそばにいる女の話でもあります。女性は素晴らしい、、ちょっと、個人的な幻想が入っていますが。
そして、やっぱりあのお母さんのセリフ、、
「○○って言ってあげられなくてごめん」。
涙です。
また、詩人が原作者なので、ところどころ素敵な言葉が多いです。
あと、エンディング曲も良かったsanoibukiさんですね。
映画「his」で知ってファンです。
この映画の主題歌を歌っていると知らずに見たので、エンディングまで最高でした。
これもとても映画らしい映画で、最初から最後まで、何にも邪魔されない環境で見て欲しいです。そういう作品は、やっぱり映画館ですね。
私には教養がないので、原作者の「萩原慎一郎」さんは知りませんでした。ただ、プロフィールを見ると自死されたとの事。この映画との関係がとても深いと思いました。
残された方々が、伝えたいことの結晶のようないい映画でした。
残念なのは、たくさんの映画館では放映されないことですね。観るか迷っている方は是非映画館で。
観て正解でした!
不安があったので映画館の割引デーでの金銭的なリスク回避での観賞だったけど観て正解でした!
本作も前情報は一切無しでの観賞。
いじめと自殺の重いテーマに加え初恋物語の合わせ技。
これに加え、それぞれの登場人物が自分の殻を破って前進する展開が良かった!
出だしから複数のドラマが展開。
後から全てが繋がって来るとは思うんだけど全く予想も出来ず(笑)
徐々にそれらのストーリーが結び付いて行く感じ。
かなりの偶然で話が展開するんだけと、これも映画の良いところ(笑)
水川あさみさんが良かった。
あんな優柔不断な旦那さんなら別れたくなる気持ちも理解出来ます。
子供も元気で安心しました!
ラストの音楽の歌詞も良かったです。
気持ちが重くなると思ったけどそんな事も無く満足度は高かったです。
本作のタイトルの意味が最後のメッセージで理解出来ました( ´∀`)
重たいテーマなのに、曖昧模糊として希望が見えない😥
原作は読んでないので、全くの白紙で鑑賞したからかもしれないですが、映画の構成がややこしすぎて、すんなりと頭に入ってこない⁉️
現在と過去、三者の場面が絶えず交差していることに加えて、現在の誰が過去の誰なのか、説明がないまま進んでいくので、後半までよくわからなかった⁉️
福岡に転校って言われても、今ここはどこの学校って感じで、場所の説明が無さすぎて位置関係もよくわからなかった⁉️
それで結局、なんで自死したのか、何も描かれてないし、三者の関係も今一つピンと来ないし…😵
この映画のどこに希望が見出だされるか、サッパリわかりませんでした(//∇//)
#101 時間が分かりにくかったけど
最後にはうまく繋がってそういうことかと納得。
翠ちゃんとユウトの現在を作ってるのが委員長なんだね。
中学生の翠ちゃんが子供の頃のキム・セロンちゃんとかぶって見えたのは私だけ?
登場する団体名は架空ですって最後に出てくるんだけど「厚労省」は実在するでしょ。あの綺麗すぎるオフィスがフィクションやわ!と1人で突っ込んでました😅
【向き合うこと】
僕には自死を選んだ友人や知人がいる。
理由を、あれこれ詮索して言う人がいるし、残された家族が理由を理解できずに苦しんでいるのを目の当たりにして、自分自身であれこれ考えたこともある。
でも、本当の理由は本人しか知らないはずだとも思っている。
僕には離婚経験がある。
理由を詮索している人がいるのを知ってるし、面白おかしく質問してくるやつもいて、全て無視することにしていた。
どうせ分かるわけはないのだからと。
僕は、隼介は、中学時代のいじめが原因で自死を選んだのではないと思う。
翠は、それが理解できたのだと思う。
隼介との橋での別れを思い出したのだと思う。
だから、今の翠の境遇を人のせいにせず、同情で結びついていることを止めにしたのだと思う。
身籠った子供が拓巳の子供とするのも止めにしたのだと思う。
ここに描かれる官僚の鷹野裕翔の役割は、色々な意味でキーポイントに違いない。
隼介と本人の関係もそうだが、
その後の隼介と社会、
隼介と現実、
物語と現実、そして、これらを映画を観る人と結びつける存在のように思うからだ。
隼介は、前に進もうとしていたのだ。
だが、前に進めなくなった…、飛ぶことが出来なくなった理由があったのだ。
その理由は…、現実は…、僕達の今生きている社会の非正規などの問題なのではないのか。
こんなふうに感じるのは、僕だけだろうか。
逝ってしまった人を想い、悲しむことは避けられない。
でも、同情だけで終わらせてしまってはいけないこともたくさんあるように思う。
前に向いてる人を妨げるような社会システムは現実として、そこかしこにあるのだ。
空を自由に飛ぶことは出来なくても、いつか空を飛ぶことを夢見て、両手を広げて疾走するぐらいはさせて欲しい。
「きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい」
翠の絵の背中を向けて佇む人は、泣いていたかもしれない。
悲しかったのだろうか。
夕日に感動していたのだろうか。
でも、泣く姿を人には見せたくなかったのかもしれない。
でも、振り返って前に進めたらいいと思う。
この作品は、観る人の経験や境遇、立場によって感じ方は異なると思う。
非正規の問題を暗に入れ込むのに違和感を覚えるという人もいるように思う。
でも、この物語自体が、僕達の世界なのではないのか。
問題があると分かってはいるのに見過ごしてしまう現実。
心のどっかに何か引っ掻き傷のようなものを残したり、ふと立ち止って考えてみようとするきっかけをくれる作品だと、僕は思う。
正直であれ
原作知らず。
中学生、20代官僚、30代切り絵作家という3人の人物の、苦悩と自戒と解放の話。
イジメられている幼馴染みを助けたことから、今度は自分がイジメられることになった中学生。
自分と同じ25歳にして自死した男性のことを調べる理不尽な環境で働く官僚。
優しい様でいて何も自身では判断せずどうしたい?と投げ掛けてくる旦那との関係に疑問を覚える30代切り絵作家。
という3人のストーリー。
一応話は繫がっているけれど、繫がりが希薄、というか直接的に繫がってなくても良い様な感じだし、中学生の主人公の彼が後にそういう言い訳や選択をするキャラですか?と違和感がある。
そもそもちゃんとイジメっ子に抗いそうなキャラだしね…。
一つ一つの話は、モヤモヤしたりやり切れなかったりするところから、自分に向き合い、人と向きあいという展開から、温かさと幸せを感じる流れが、赦されている様な感覚になり、なかなか面白かった。
きみのため 用意されたる 滑走路 きみは翼を 手にすればいい
様々な社会問題を取り入れ、3つの人生の歯車がかみ合わず、息苦しさの中でそれぞれの心の叫びが交錯する。厚生労働省の若手官僚の鷹野、中学時代の委員長と天野、そして30代の切り絵作家の翠が夫婦関係に亀裂が入る様子を描く物語。時系列のスリリングな交錯と名前のギミックが絶妙だった。
まずは厚生労働省の過労による自死についてNPO団体から陳情を受付け、それに対処しながらも上からの指示で何度も徹夜させられ、不眠症にまでなった鷹野(浅香航大)。正規・非正規社員の問題をも軽くえぐり、過労死の現実を突きつけられたかたちだ。自死を選んだ者のリストを見せられ、そこで同じ年齢の一人の青年を見つけた鷹野は彼の死の原因を一人で調査していく。時系列的には翠の妊娠が2029年だったことから、この鷹野のエピソードは2017年だったと思われる。そして原作者・萩原慎一郎の没年も17年・・・
その年齢から2005年辺りの中学2年生の教室。委員長は教科書に落書きしつつも、数学の問題はすらすら答えられる優等生。幼馴染みの裕翔がイジメに遭ってる現場で助けに入ったことが元で今度は委員長がイジメられることになった。そんな中、天野翠の描いた“夜明け”という絵に魅入ってしまい、彼女と親しくなる。
翠は切り絵の才能を発揮し、様々な催し物に展示することで名声を得るようになったが、美術教師である夫が突如クビになってしまい夫婦関係に亀裂が入る。そんな時、妊娠が発覚するのだが、産む産まないの選択で夫の態度で心が変化していく様子。
最初は、委員長の頭の良さから彼が官僚になったものだとばかり思っていたが、それが違っていたことに驚いてしまった中盤。さすがに廊下に展示してあった水彩画には天野翠と書いてあったため木下渓が水川あさみになるのはわかるのですが、交錯するようでしない関係もあったりして、映画のテーマが別にあったのだと予想がすべて覆された感じでした。
派遣をはじめとする非正規社員と過労死の問題。さらには若手官僚が退職するのも自分のやりたいことができないのが原因。折しも19日のニュースで、20代官僚の自主退職が6年で4倍超になっていると知ったばかり。そして青年の死が非正規を嘆いたためではなく、失恋が原因?そして過去のイジメによるトラウマが原因だとわかるのです。
それぞれの中学時代に集束し、手を差しのべること、翼を広げること、人の痛みを理解することなど、考えさせられることが多い。旅客機好きの委員長、授業中校舎に旅客機の影、いったいこの飛行機はどこから飛び立ったのだろう。そしてどこへ降り立つのだろう。「傷ついて翼が折れたとしても誰かに否定される人生なんてないんじゃないかな」・・・この言葉が心に沁みる。滑走路という意味も離陸だけかと思っていたのに、シュンスケだけは違った意味になるかと思うと悲しすぎる・・・でも、翠の心を受け止められたんだから少し救いがあったかな。
今年は印象的な役が多い水川あさみですが、ここにきて大女優の片鱗を見せてくれた。そして、コメディ向きだと思っていた浅香航大もシリアスで良かったし、中学生たちの演技も素晴らしかった。染谷将太の無駄遣いも感じられるし、坂井真紀は安定の演技だし、俳優陣も凄すぎる。ただ、ビートルズに関するものがあればもっと良かったのになぁ。
【”涙が枯れるまで泣いたら、苦しいけれど一歩前へ進もう・・。”現代社会が抱える諸問題を軸に、生きる事の辛さと”生”を選択する事で得る”光”を描いた作品。作品構成も素晴らしい、見応えある重厚な作品。】
ー 物語は、三つのストーリーを平行して映し出しながら進む。そして、中盤までは、観ていて精神的に辛いシーンが多い。-
1.ストーリー➀ -画像の風合から、描かれた年代が現代ではないのではないか・・。-
・メイン舞台は中学校。
苛められている”幼馴染の男の子”を助けた委員長シュンスケは、逆に苛めの対象になってしまう。幼馴染の男の子は苛めをしていた連中からの指示で、シュンスケの数学の教科書を盗み、故に、不登校になる。
ー 幼馴染の男の子が、自分を苛めていた連中よりも、自分を“弱っちいな・・”と呼んで助けてくれたシュンスケに対し、複雑な思いを抱いて屈託し、自室に引きこもる姿。
自分の弱さを、直接指摘される方が辛いのだろうか・・。-
・シュンスケはプールに投げ込まれたシュンスケのカバンを"髪を濡らしながらも"届けてくれた絵の好きなアマノさんと徐々に仲良くなる。が、”自分が苛められている事”を母親(酒井真紀)に知られたくないが故に、苛めをしていた連中から言われたままに、絵の好きなアマノさんが描いた”賞を獲って校内に飾られていた絵”をカッターで切り裂いてしまう・・。
- アマノさんの画の魅力をきちんと指摘しながら、その画を傷付けてしまった罪の意識から、ズル休みをしてしまう、シュンスケ。
キツイよなあ・・。誰にも、弱音を吐けない辛さ・・。
このような出来事が、彼の"トラウマ"になってしまったのだろうか・・。-
・アマノさんが、引っ越すことになり、自分が切り裂いてしまった絵を、テープで張り直し、届けようと自転車で追いかけるシュンスケ。
ー 追いつかなかったが・・、訪れた奇跡。そして、アマノさんに届いた”自分らしく生きろ!”と言う、シュンスケの想い。-
2.ストーリー②
・メインは、厚生労働省の官僚として、激務の日々を過ごすタカノ(浅香航大)。不眠に悩まされ、精神科医に通っている。
- 彼の不眠の ”本当の理由” が徐々に明らかになって行く過程の描き方が、上手い。そして、その過程で、エピソード②とエピソード①が時空を超えて、徐々に絡んでいくのである。ー
・タカノは非正規雇用者達の”自死”の問題に直面していく中で、自分と同じ25歳の男性の死の原因を追究していく。そこで明らかになった、”その男性”と自分との関係性。
- タカノが”その男性”の母親(酒井真紀)に土下座して詫びながら渡した、”中学生の時に盗んだ数学の教科書”。それを涙を流しながら、タカノに返し、母親が言った言葉。
”貴方が持っていなさい。そして、シュンスケの分まで生きて、結婚して、子供を作って、大切に育てなさい。ゴメンね、受け取ってあげられなくて・・。”
◆涙腺が、崩壊直前まで行ってしまったシーンである・・。-
3.ストーリー③
・ミドリ(水川麻美)は切り絵作家。夫は学校の非正規美術雇用の先生。二人は瀟洒なマンションに住み、一見仲が良さそうである。夫がミドリのかける言葉は常に”優しい”
- が、この夫は”決して、自分の意見を言わない・・、のではなく、自分自身に自信と軸がないので、意見を言えないのであろう。妻の様々な問いに”君の好きにしていいよ・・””君はどうなの・・”
ミドリから”妊娠した”と告げられた際の、彼の言葉を聞いた際には
”ハッキリ、自分の意思を愛する人に伝えろよ!”
と脳内で思わず、罵ってしまった・・。-
・夫は、”カリキュラムから美術の時間が減ったから・・”、解雇されたとミドリに告げる。
ー 私は、このシーンから、この夫が”非正規雇用だった”と判断した。-
・そしてミドリは、逡巡しながら、病院に行く時に迷子になった男の子と出会い、小さいがふっくらとした暖かそうな手を握ったが・・
”貴方の子供だから、堕ろしたの・・”
と夫に告げる・・。
- 男としては、駄目出しされたと同じ事。哀しいが、当然、離婚である。
そして、このエピソード③も、エピソード①と繋がって行くことが、徐々に明らかになる過程の描き方も、絶妙に上手い。-
◆2年後、ミドリの個展で久しぶりにミドリが夫と再会するシーン。蟠りは無さそうだ。そして、彼が去った後、ミドリの元に駆け寄って来た男の子。”アスカ!(飛鳥かな・・)”と呼び、嬉しそうに抱き上げるミドリの母親としての柔らかな表情。
ー 中絶していなかったのか! -
このシーンでは、堪え切れずに、涙が溢れてしまった・・。
<三つのストーリーが中後半になるに連れて、時空を超えて繋がっている作品構成の妙に魅入られた作品。
そして、どんなに辛くても、枯れるほど涙を流しても、”生”を諦めてはいけない・・、
”誰かに否定される人生などない” という当たり前のことを再認識した作品である。
シュンスケが自死した背景は、曖昧にしか描かれていないが、
彼の死が、逆説的に、タカノとミドリに
”どんなに辛くても、”命”を大切にするのだ!”
という想いを持たせたのであろうと感じた作品でもある。>
■補足
<シュンスケが自死した背景の考察>
・様々な解釈が出来ると思うが、私は彼の中学時代の辛い経験が、”トラウマ”として彼の”生”を徐々に蝕んでいったのではないか・・、と解釈した。
それ故に、知識は有れど、サイクリックな仕事の町工場で働き(否定する積りは全くない。)、理由なく愛した女性と別れたのではないか・・。
ここが、もう少しキチンと描かれていればと言う想いはあるが、それが不鮮明であるからこそ、”生の儚さ”が浮き彫りになるのではないかと、私は思った。
それは、今作の発想の源となった方の詩集の内容と生き方とも、繋がるのではないかとも・・。
■蛇足1
・ここ数作の水川あさみさんの演技は凄い・・、と思っているのは私だけであろうか・・。
■蛇足2 <2020年11月22日 追記>
・鑑賞後、2日経ってパンフレット購入。今から読む。
水川あさみさんが選んだ、故、荻原慎一郎さんの一首は”自転車のペダル漕ぎつつ 選択の連続である人生をゆけ”
名門中高一貫校で、長期に及んだ苛めの後遺症に悩まされ、自死された方の短歌集を読むには、相当の覚悟が必要な気がする・・。
イジメは根深いな
2020年11月17日
映画 #滑走路 (2020年)鑑賞
@オンライン試写会
オンライン試写会というものを初めて体験したけど、パソコンのサイズが大きければそれなりに楽しめるのかな
コロナ禍だしね
#萩原慎一郎 の短歌をモチーフにした作品で、イジメ、自殺と少々重いテーマ
主人公とダブらせて見てしまう
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