ミッドサマー ディレクターズカット版のレビュー・感想・評価
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ダニーとクリスチャンの関係により踏み込んだ、狂気がぶつかり合う完全版
20年2月に上映された通常版のわずか4週間後に公開された23分長い完全版。アッテストゥパン当夜の狂言じみた儀式と、その流れからのクリスチャンとダニーの言い争いが丸ごと追加されている。その他は性器などの該当表現がゆるかったり、既存シーンが少しずつ長くなっていたりするのだが、強調されるのはクリスチャンの人間性と、ダニーの病んだ部分。ペレの里帰りは外部の種の取り込みが目的だけに、クリスチャンが標的に値するような、仲間や恋人ダニーに対する胸糞演出が機能している。このカップルによる息詰まるすれ違いは、監督が参考にしたと言われる「ある結婚の風景」の影響か。逆に想定外とも思えるダニーの同行とクイーン選出によって、より深まった彼女の闇がホルガ全体を飲み込む可能性をも感じられた。夏至祭の残りの日々が気になる。
「ヘレディタリー」の前に監督が撮った7本の短編(全てネット公開中)も、「息子から性的虐待を受ける父」「息子の未来に嫉妬し凶行に走る母」など、身近な人がもたらす恐怖がモチーフの作品も多く、本作と比較するのも興味深い。
わくわくする展開
2度目の鑑賞。
1度観たけどなんとなく気持ち悪い内容なのと展開の面白さがあったなーとうろ覚えでディレクターズカット版視聴。
2度目の方がより面白く、笑えさえした。いやすごい。これ作った人たち俳優含めどれだけ楽しかっただろうかと。
誰しも興味のあるカルトの最奥、それをおかしいと思わないどころか心酔している信者たち、感情を表す言葉が見つからない程の異様な儀式に次々巻き込まれて完全に翻弄される自己開放感。
こんなものを作ってくれて、観せてくれてありがとう、くらい言いたい。
暗闇背景の一切ない白夜のホラー、幽霊も悪魔もなんなら悪人すら出てこない。ただただ純粋に突っ走っているもとは普通の善良な人々。
狂気が当たり前の世界では当たり前が異端となり、結局この世には当たり前と狂気を明確に区別する基準はなく、自分(私)が今いるところが常識だと盲目的に信じている、このコミューンの人たちとなんら変わりはないのかもしれないな、とか思ったり。
素晴らしいシーン(=自分にとって新鮮な感覚を湧き起こさせるもの)はありすぎる程で、絵的にも新鮮さと神聖さもあり(音楽も相まって)、彼らが真剣であるがゆえの滑稽さ、種付けのシーンはまさにクライマックス!(ゾッとするのと笑えるの両方)
主人公の彼氏、クリスチャンがただただ可哀想。優柔不断で流されやすい、常識を持ち合わせているけど小狡いところもあるごく平均的な男。
悪人がいない。だれも悪くない。それなのにこんなに恐ろしい、、もう最高。
家族を失い、最後女王となった主人公は居場所をみつけたのでしょうか。
ユーモア満点の素晴らしい恋愛映画
ホラーが得意ではない自分は、この映画がホラーだと聞いて、相当覚悟して怖がりながら見たのですが(確かに怖かった)この映画は相当素敵な恋愛映画だと思います
いわば主人公ダニーが不実な恋人(本当にサイテー)から目覚め、真に自分が求めていた愛情と共感を得るまでの物語なのです。ダニーへのペレのストレートなアプローチがとても良い。
とはいってもアッテストゥパンのシーンとか、生贄が妙なやり方で殺されていくのは思わず目を覆いたくなります。しかし、それもスウェーデン伝統に対する自虐的なギャクなのかもしれません!!!
生贄がそれぞれ殺されるのに真っ当な理由があることがちゃんと描かれていて、それも見所かもしれません。最後の方で、どう見ても死体がはりぼてで、手を抜いてるだろう!とツッコミをいれたくなるところもご愛嬌です。
唯一、ペレの両親も「目の前で焼かれた」ということは、ひょっとしてこの儀式だったのかと思うと、背筋が寒くなりますが…
しばらく変な夢をみそう
それが怖いです。
後半は、笑うしかなかった…トホホ
90年に一度の大祭という設定には矛盾を感じます。
アッテストゥパンを何度も見たという証言や、ペレの両親の死や、そもそも去年のメイクイーンとは?
???
作品内の嘘にしては上手くない感じがする。
究極の解放
ディレクターズカット版を公開初日に鑑賞。
不穏な雰囲気の中、花々や衣装など彩りの美しさに心を少しずつ乱される。
話が進むほどに足元からぐらぐらと揺らされるような感覚、主人公達が口に運ぶ、何かのハーブを混ぜた妖しげなティーを自分も飲み下している気すらしてくる。
観終わってから暫くは、自身もトリップしたような心持ちが続いた。鑑賞後にこんな気持ちになったのは初めて。
アリ・アスター監督ならではの意味深なカメラワークが多い。グロなどショッキングなシーンもあるが、ホラーというよりは「別離と再生、一種の希望」を描いた(特殊な人達の)ヒューマンドラマのように感じた。
ホルガ村にとってはどの死も意義のあるもので、強盗殺人や通り魔・銃乱射のテロ行為などで理不尽に命を奪われることはないんだろうな…少なくとも今回犠牲に選ばれなかった村人達にとっては。
2時間50分の尺でも長いと感じる事はなく、ぐいぐい引き込まれる。むしろもっと長くてもいいから、ホルガ村の人々が普段どんな暮らしをして穏やかに幸せな日々を送っているのかを見せてほしかった。
カルトなりの歪んだ幸福…そんなものはないのかな…?
常時トリップして正気を失い続けていないと、
カルト集団の中では暮らせないのかもしれない。
深いようで、深いようで…
乱暴に言えば、
治外法権のコミュニティで一方的に彼氏に復讐した悲劇の女の子の話。
オチのダニーの笑顔が一番「まとも」にみえた。ダニーは、双極性障害の妹に振り回され、姉としての役割を保ちながら、唯一頼れる存在の彼氏が、旅行先で浮気した。その浮気の経緯が、怪しい薬によるもの・自分に対する倦怠感など「これまでの流れがあっての浮気」と、頭では理解してはいるが、ラストシーンでは恋人を生贄にすることを選んだ。
家族の問題に向き合い、心理学の勉強をして自分を保とうとしてきたが、そこで緊張の糸がバツンと切れてしまった。最後のあの笑顔は「解放された自分」への祝福にも思えた。
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とはいえ、「カルト教団」を描きたかったのか「人間の思想」を描きたかったのか。
コミュニティの設定が(雑な部分も含めて)緻密すぎて、「主人公をメイン」にしたいのか、主人公を動かすことで「カルト教団をメイン」にしたいのか、途中見方がわからなかった。
コミュニティのロケーションや伝統、文化、ルールなどは事細かに描かれているが、そこに住む人間の心理描写は少ない。
主人公vsコミュニティの対比は、圧倒的にコミュニティの描かれ方がすごいので、人が死のうと皮を剥がされようと、「そういうコミュニティ(地域性)なんだ」という風な見方しかできず、どの登場人物にも感情移入・共感がしづらかった。
何も解決には至らないまま終わるオチだが、このコミュニティの終わりは描かれていると思った。
村の繁栄のために外の人間の血を定期的に補充(誘拐から証拠隠滅の殺人まで)したり、神の声を聞けるのは身体的障害のある者だけとする村の設定などから、【計画的に村の印象を構築している】ように見えるので、村のトップの連中は、心理異常者には見えない。村人より、むしろダニーのほうが心が壊れている。「心が壊れかけてる人間」を連れてこられる、その眼があるから、ある程度近代的な価値観を持った連中が村の中では増えているのだろうと、推察できる。
おそらく、数世代前の村人たちは、本当にこの村にあるならわしや思想を完全に信じていたのだろう。しかし今では、思想を信じて正しいと想う事をするのではなく、思想が正しい事を証明するために、これまでの伝統を続けている気がする。
長く生き、外の文化に触れるにつれ、村人らの中でも疑心暗鬼が生まれ、その証拠に、最後焼け死ぬシーンでは、叫ぶ奴と叫ばない奴がでてきている。その疑心暗鬼をかき消すかのように、黄色衣小屋から聞こえる叫び声に合わせて叫ぶ村人。
一つのものだけをずっと信じていても、いつかボロが出るんだなーと感じた。
(このままでいいのか?)という疑心は、裏を返せば、(他にもあるんじゃないか?)という人間の好奇心。欲深いなぁー人間って。と思った作品でした。
おもしろくはないけど、interestingという意味ではすごいおもしろい。
奇妙で不気味で嫌な世界観は、抜群に感じられる。センスの凄い映画。
信仰することの恐ろしさ
どうせ観るならディレクターズカット版から観ようと思ってましたが、コロナ禍で劇場へ向かうことが難しくなり、MOVIX昭島でたまたま開催されていた「爆音映画祭」にて鑑賞。
なるほど。これは映画館で観た方が良い作品。
冒頭のタペストリーがデニーの未来を想起させるもの、ということや前半のホルガ村で描かれていた少女の恋愛物語もいずれ起こることであるというのは察することが出来たのですが、作品の至る所で描かれる(初めはデニーのアメリカでの部屋に掲げられていた熊と少女の絵画?)「熊」がクリスチャンを意味することに気がつくのはクライマックスの熊を解体し、革部分をクリスチャンに被せ神殿を放火するシーンとなってからでした。気がつくのが遅い……!!
ホラーに特別耐性あるわけでありませんが、怖いという感情はほぼ抱きませんでした。ただ、至る箇所での「音」が非常に不快(例えばジョシュがマークの顔の皮を被った村人に殴られるシーンが顕著)でそこが狙いだったのでは?と鑑賞後の現在は思います。
ほぼ音が大きくてその不気味な不快さが怖かった感覚なので自宅での鑑賞はさほど怖くないかもしれません。
前半クライマックスのアッテストゥパンのグロシーンが若干きつい程度?
村に連れてこられた生贄(ペレ、イングマール共に「90年に一度の夏至祭を一緒に楽しもう」といった目的で連れてきているわけでないと思われるので敢えてこのように記載します)はダニーを除き、殺されて然るべき存在でした。精神的に不安定な恋人を蔑ろにし論文の題目をパクるクリスチャン、撮影を禁じられている聖典をスマホで撮影するジョシュ、勤勉ではなく(ここは殺される動機としてはないでしょうが、余りにスカスカな脳に私は登場人物で最も苛立ちました笑。後に解説で彼の役割は「The fool=愚者」とあったので思わず笑ってしまいました笑)村人の大事な木に小便をかけたマーク、アッテストゥパンという文明社会に生きている身では理解し難いとはいえ、他文化に畏敬の念を表すどころか侮蔑したサイモン・コニー。
クリスチャンはダニーから指名を受けたので恐らくマヤと浮気したことへの復讐(普通ならここまで…と思いますが、ドラッグの濫用で判断力が鈍っていたのかも、と思います)ですが、後の5人はただ「連れてこられた」とはいえ村人にとっては「殺す理由がある人間」となります。信仰はなかなか重いものでそれを穢されることは許されざることですから。
これがもし、何もしていないのに生贄として殺されていたらま~後味悪いですが、この作品においては殺される側にそれなりの理由がある(あくまで村人目線からなら)ので気分が悪くなりません。
一点疑問なのは何故サイモンが一番残虐な殺され方をした?という点です。
コニーは恐らく水死でマークとジョシュの確かな死因は不明ですが、サイモンの殺され方はなかなか残虐(肺がピクピク動いていたのでまだ生きていた?)よほど異常呼ばわりしたことが気に障ったのでしょうか。
↑の点が気になるのと前述したように自宅鑑賞する際はさほど(グロシーンを除き)怖くないのかな~と思い★4つ。
それにしてもクリスチャンがマヤとの性交から逃げ出した時、フルチンで飛び出ていくのには笑いました(笑)
170分の長尺に終始引き込まれる
ディレクターズカット版から鑑賞しました。170分は一般的なものと比較すると長めだなと思いながら映画館に足を運びましたが、終始引き込まれていました。単純に村の白い衣装と緑地の組み合わせが綺麗で、宗教の異様な雰囲気に緊張感は保たれたままでした。
しかし、監督も仰っていますがこれ失恋映画なんです。ラストでダニーが浮かべた笑顔は新たな居場所を見つけたことと、他の女と浮気(ここでは儀式みたいな感じですが)した彼氏にサヨナラした開放感から来るものではないでしょうか。我々もホルガ村と同じ価値観を持てば純粋な恋愛映画になるのでは。
ホラー+恋愛という斬新な設定ですが宗教を挟むことで簡潔な作品に仕上がっているなーと感じました。
個人的には「ホステル」「ゲットアウト」「グリーンインフェルノ」って感じです。
3時間が辛くなかった
最近も2時間越えの映画を見たけど、眠りこそしないものの途中で我に帰っていま何分ぐらい時間経ったかなーとか、飲み物飲んだり尻の位置を直したり集中は何度も途切れた。
だけどなぜかこの映画は3時間という長時間、ほぼ飽きさせることなく鑑賞できたんだな。
全然ハッピーになる要素がなくて、中盤からどんどん人が減っていって、この登場人物たちの行く末から目が離せないというのかな、好奇心は身を滅ぼすってやつで、多分自分がこの世界にいたら真っ先に消えるタイプ。
設定のアラは多々あるんだけど、どっかでこの映画はそもそも主人公の妄想の中で、癒しの過程を描いたなんて考察も見たので、なんだ、それだったら残酷な殺され方をした人はいなかったんだね…と安心できるw
結構な客入りなもんだから、知らずに見にきちゃって言葉を失っている人たちに「ご愁傷様」という言葉を贈ります。
作品時間を収めるということ
勿論、監督や制作現場に携るスタッフ、そして演者にしてみたら撮影されたカットは何一つ落とさずに利用して繫げて欲しいというのが願いであろう。編集は、そのカットをストーリーとして構築していく為の作業であって、チャゲ飛鳥じゃないけど♪余計なモノなどないよね♪的な不必要なカットを削ぎ落とすなんてチョイスはしたくない。しかし冗長はしばしば観客に飽きと集中力の低下を招く。そしてそれが直接的に評価へと繋がる。そもそもがストーリーをリアルタイムの時間軸で組み立てることにリアリティが生まれるのかと言えば、それは“NO”である。生放送のテレビドラマは以前はたまに放映されていたが、あくまでもシチュエーションドラマの枠内だ。ノーカットのワンショット撮影(風)の作品も注目され、それはそれでスペクタクル性がとんでワクワク感が増す演出だ。ただ、その大半は綿密に構築された撮影プロットや脚本の積み重ねにより、整理整頓された形で観客に提供される。所謂“過不足なく”だ。“過不足”の基準は一体何だろうか?正に前述の評価に繋がる冗長さを精査しての作品全体を統括するプロデューサーの千里眼に他ならない。勿論、映像作品全てには当てはまらないが一般論としてだ。とはいえ、フィルムからデジタル媒体へと記録先が劇的に変化した現代は、その真剣さも薄れつつあるのも事実であろう事は承知している。
前段こそ冗長で申し訳ないが、その葛藤に於いて、監督は自身の思い描く表現を余すところ無く披露したい欲求にブレーキを掛けなければならない。難産の末に生まれた映像カットをだ。今作のアリ・アスター監督も苦悩を吐露していたようである。そして、その監督が完全版と自信をもって上映されたのが、今作のディレクターズ・カットである。
正式版では伝えきれない、本来存在する細かな加筆部分も数箇所あるが、何回も鑑賞していないのでどの部分がその場所なのかは、ネット上の考察まとめで確認するという、本末転倒的な行為に恥ずかしさを感じているが、それでも直ぐに気付いたシーンがある。コミューン内の少年が生贄の為、体中に錘を付け洞窟内?それとも希少な夜時間?の池の中に投下される件だ。正にその前段階での壮絶な“アッデスパン”の精霊行事を見せつけられての、今度は子供迄も犠牲になる究極の狂気に狩られた村の蛮行に、主人公達のストレスもピークに達する演出だ。但し、それは神の前で繰広げられる“劇”であり、村の女性達からの救いの懇願により沈めることを止めるというところまでが芝居内容である。そのジェットコースター的感情の起伏を喰らい続ける観光グループ達の不安、不信、安堵、そしてこの世界での寄る辺の無さという無常観に、一気にたたき落とされるのだ。そう、子供を池に投げ入れるのではない、自分達がこの村という“池”に投げ落とされてしまった決定的瞬間なのだ。
このシーンの重要性は、観客それぞれが感じ取るものであろう。カットされても確かに直接的なストーリーの齟齬はない。但し、感情のメーターの往復数が違うだけで、以降のシーン又はシークエンスへの布石がどれだけ違うか、強力な楔という意味合いを改めて考えさせられた大事なシーンであると自分は強く感じる。ストーリーを積み上げる上で、あの演出(又は騙されたと言っても良い程)の壮大な“フリ”は、地獄で黄色いタンポポをみつけたようなそんなホッとした優しさを、実はそれも企てられた罠とは知らずに受容れてしまう悲しい人間の性を描いた、心を惑わされる悪魔の演出なのである。
平衡感覚がなくなるような映画
ディレクターズカット版が上映されるということであったので、通常版を観ずに鑑賞しました!
スウェーデンの夏至祭という舞台設定で、白夜によって物語の大部分が昼間で、それによって、村の風景や草花、村民の衣装が華やかで綺麗でした。
その綺麗な映像が反転したり、モワモワと動いたりすることで不気味さが引き立ちます。
また、建物の壁や、タペストリーに描かれた絵が伏線となっており、宗教画のような綺麗な絵が逆に不気味さを誘います。
村民は笑顔で祭りを楽しんでいるように描かれていますが、その笑顔が怖い…😱
ときおり村民が発する言葉も不気味で、村の外の血を入れるため、たまに外から人を連れてくる。という話や、この祭りのことは外に出してはいけない。と言っていたのに急に許可したりといろいろ不気味…😱😱
この村に関する文献が残っていないということで、初めからこの村から出すつもりはなかったんだろな…🤔
最後は主人公だけ残され、主人公が笑う場面で終わりますが、途中でのんだドラッグが見せた幻覚だった?とか、自分の家族の死も生命の輪の中の一部だと安堵した?とか、自分はここで生まれ変わった?とかいろいろ考えられて、ん?となりました。
映画を見終わってすぐは、なんだこれ?という感じでしたが、色々考えるといろんな伏線などもあり面白かったという印象に変わりました!
ジャンルはホラー?エロ?映像作品?みたいな感じでした!
平衡感覚がなくなるような不気味な映画でした🎬
人それぞれ評価がちがう
バックグラウンドとして皆、精神的に不安定だったり日常生活にストレスを溜めていたり。一応大学院のなかよしメンバーでのお話のようですが、どうも純粋にそうは見えない。お互いある程度距離をとっているような気がする。
そのメンバーのひとりの故郷である、スウェーデンの奥地にみんなで行くのですが閉鎖的かつ異様な環境にストレスが溜まっていく。
ストレスが加担して、もともとの性格の良いところも悪いところも際立っていく。
この奥地には家族を作りたい人が集まっている、と捉えられるようなことを劇中で言っていました。それを念頭において鑑賞すると、なんとなーくですが古くから受け継がれてきた伝統を守る、ちょっと激しいひとつの村に見えてきます。
最後に主人公の女の子が笑ったところで、やっと冒頭の彼女の両親と妹の不審死と繋がった気がしました。
幸せな日常がある人物は排他されていく。郷に入れば剛に従えってやつなのかなぁ。モヤモヤ派でした。
あなたはどれ派?
まずエログロが苦手な人、登場人物に強く感情移入する方にはおすすめできない作品です。
そうでなければ言われているほど見るに耐えないものではないとわたしは感じました。
(それでも精神的にはドッときます…)
その上で、作品鑑賞+考察を人セットで是非観るべき作品だと感じました。
観賞後の印象としては、この作品は個人的にはハッピーエンド派、バッドエンド派、モヤモヤ派に大きく分かれると思います。
またそれぞれ下記のような人に分かれると勝手に私は感じました。
【ハッピーエンド派】
・ダニーに感情移入して観た人
・登場人物の男性陣にイラッとした人
・自身が過去に辛い経験をしたことがある人
【バッドエンド派】
・クリスチャンに感情移入して観た人
・宗教観が受け入れられないと感じた人
・彼女とのすれ違いを日常的に感じている男性
【モヤモヤ派】
・オリジナル版のみを鑑賞した人
・ダニーとクリスチャンの両方の視点で観た人
・ダニーに感情移入しつつも宗教観が受け入れられないと感じた人
この作品は全体を通してダニーの心情を中心に描かれている印象を受けました。また、オルガ村の宗教的慣習や神話を元に作られていて、考察すればするほど面白くなる作品と感じました。
ネタバレ要素に関して言えば、
左右対称や上下反転のカメラワークが不気味な印象を増幅している点や、ルーンの石碑と終盤の生贄シーンの対比、序盤のダニーの1人の叫びと後半のダニー+村人の共感の叫びの対比、現代社会と古代文明の対比など多くの対比を用いている点が鑑賞者が深く考えさせられる作りになっていると感じました。
観ていない方は、オリジナル版→考察→DC版→考察の順で観るとより深く考えながら楽しめるのかなと思います。
考察まで込みで星4としました。
最後に、不思議なことに長くてたいくつしそうなのに何故か眠くならない作品でした(笑)
是非観てみて下さい。
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