「痛みも喜びも分けあえるものだから」青くて痛くて脆い 野々原 ポコタさんの映画レビュー(感想・評価)
痛みも喜びも分けあえるものだから
理想論なんか語っちゃって「さぶッ」と、
冷ややに薄ら笑いを浮かべる自分がいる。
でも語るべき理想すらない自分に気付き
薄ら笑いが凍りつく。
敬語で喋るのは相手を傷つけないため...
なんかじゃない。
自分のこころを覗かれたくないから。
本当は自分が傷つきたくないから。
自分ひとりが銃を投げ捨てても
戦争は終わらない。
むしろ丸腰になったところに銃弾が飛んできて
結局のところ傷つくのは自分自身だ。
わたしたちは本物の銃は持ってないけど
わたしたちは言葉の銃を持っている。
興味本位で、たぶん興味すらもない
およそ関わりもない安全圏で
傍観を決め込むヒトたちによって
無慈悲な言葉は投げつけられる...
SNSが普及するにしたがい
それが顕著になってしまった。悲しいことに...
言葉が怖くなって、言葉に絶望し
言葉を手放したとしても
今の自分はこれまでの言葉が積み重なって
今の自分が出来ているはずだ。
だとしたら、
再び手にする言葉が、希望を託す言葉が
未来を決定づけるはずだ。
そうやって摩擦から発した温みある言葉を胸に
わたしたちは少なからず傷つきながら前進するのだ。
顔を見合わせない、直に体温を感じないSNSでは
言葉の真意を測るためにリテラシーを酷使して
辟易するかもしれないけれど
面と向かって言いにくい本音だったり
日頃は照れ臭さいことだったりと
言葉にできない言葉を発信するには
もってこいなツールだと思うので
“要領・用法”をまもり配慮をもって
正しくお使いください。
同じネット民、同じ映画ファンである
わたしの願いです。
杉咲花さんとか松本穂香さんとかが演じる
明け透けのない性格のヒトって
一見なんにも悩みがないように見えて
実はいちばん傷付いきやすい性分なんですよね。
本心をさらけだすことをせず
傷付きも傷付けることも避けて
慎ましく平坦な生き方を望んでもいいのだけど
彼女たちはそうとはせず
たとえ傷付き、傷付けようとも
喜びも悲しみも等しく受け入れて
起伏のある生き方を選んでしまった。
誰かに何かを言われても
そうして手にしたものが
なにものにも代えがたい財産だと
彼女たちは知っているから...
「こころが痛い」→〈主観〉と
「言動、行動がイタい」→〈客観〉の違いはあるけれど
これからの社会で大事なことは多様性を認める寛容さと
お互いの適切な距離感を推し測り
寄り添う姿勢なのだと思いました。
言葉を届けるために。言葉を受けとるために...
ネットでも。現実でも。