空白のレビュー・感想・評価
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許すことの難しさと、許すことの尊さ
狂気の映画かと思って観ていましたが、後半には感動が用意されているとても素敵な映画でした。
人を許すことって難しい。でも許さなければ前に進めないのかもしれないなぁ~。
後半は泣けましたし、ラストの絵画のシーンもすごく良かった。
知っている役者は少なかったのですが、脇役に至るまで演技の巧い俳優が揃っていたので映画に入り込むことができました。
「マイ・ダディ」「護られなかった者たちへ」そして今作「空白」と、この秋は邦画が豊作だなぁ~。
胸糞悪い映画です
※胸糞ばっか言ってるのでご了承下さい。
この映画をなんて表すのが一番良いんだろう?と考えた結論。
「胸糞悪い映画です」
この映画は普段私が目を逸らしている、人間の嫌なところをこれでもか!と見せてくるので、
「こっちは気づかなかったことにしてるんだよ…やめてくれよ…」
と、非常に苦しくなります。全編通してしんどい。見終わった今切実に記憶を消したい。
二回は見たくない。
また、話の中で絶対悪になる存在がいない&実際に聞く出来事が起きたりしている(マスゴミの切り取り報道や正義の味方ぶった一般市民の私刑など)ので、本当に日常を切り取って見ている気にされます。
登場人物それぞれ胸糞だなと思うのですが、とりあえずトップ3を挙げておくと、
① 古田新太さん演じる父親
冒頭から人間として終わってる。ずっと漁師一本でやってきた(多分)、価値観が凝り固まった『自分が絶対正しいマン』で、人の話を聞きやしない。
でもこういう職人気質のおじさん居るよね。と思うリアルさが、こちらの気分を最高潮に害してきます。
流石古田新太さんだな、と。(古田新太さん大好きです。)
娘を殺されているのだから許せる訳はないのだけれど(むしろそんなすぐに許せたらどこの聖人君子だよ、と思うけど)途中から
『「万引きした娘が逃げて殺された話」じゃなくて、
「まったく落ち度が無かった娘が悪いやつに拐かされそうになった結果殺された話」にしたい(しか俺の中ではあり得ない)から、それを真実としてお前が話すまで追い詰めるマン』になるのでやっぱり胸糞です。
やり方間違ってるんだよなぁ…。
② ボランティア大好きおばさん
ああ、こういう人いるよね…と思う…
『私は貴重な自分の時間を使って慈善活動をしている、だから私が言うことやることは絶対正しいマン』です。
自分がやることは全て自己満足。「人のためを思ってやってあげた」は、結局自分のため。人に押し付けるのはやめましょう。と、自戒になりました。
年齢的にどんどん近づいていくので、本当に気を付けたいと思います。
③ 要所要所で出てくるモブ
これこそ胸糞の鉄板、まったく関係ない第三者がさも正義面して私刑。や、話題になるからと面白がって冷やかし。
こいつらマジで腹立つ~暇人か!と思うけど、いざ自分がその第三者になった時、同じ事しないって言えるの?
と、これまた自戒になりました。人の振り見て我が振り直せ。
その他、松坂桃李さん演じる店長や、轢かれてしまう娘さん、いきなり車の影から飛び出されて轢いてしまうお嬢さんやとどめをさしたトラックの運転手など、それぞれの視点から見ると救いが全く無くて本当に息が苦しくなる。
特にトラックの運転手については冒頭でしか描かれていなかったけど、実際にあったとしたらもっとキツいんじゃないかな、と思います。
特に轢かれてしまう娘さんの描かれ方が私は切なかった。
普通の引っ込み思案、ともすればいじめでも受けていたのかな?と思いきや、それ以前の問題だった。
もっと早い段階で気づいてあげることが出来ていて、対応できていればまた違ったのかな。と思うと切ない。(そこで言うと母親が気づいてたのにな、というところがありますが…)
そしてなあなあで済ませようとする教育現場への切り込みが鋭い。
担任の先生が自分の教育に疑問を感じるけれど、それを押し潰していくところなんてしょっちゅう取り沙汰されている事で、ああこうやって教育現場は若い芽を押し潰していくのだな、としみじみ思いました。
と、ポイントを上げていくとキリがないのですが、
結論、見る価値あります。
胸糞な登場人物たちも、話が進んでいく事で自分の行いを振り返り、自問自答し、うまくいかない現実にもがきながら進み始めるのでずっと胸糞展開が続くわけではありません。(まぁ松坂桃李くんは最早PTSDだよね、という位に追い詰められることにはなっちゃうんですけど…)
でも見る価値あります!むしろこれは見た方がいい!
ただ、見終わった後めちゃくちゃ疲れるのと、気分がどんよりするのは覚悟して見た方が良いかもしれません(それだけ俳優さん達の演技と脚本と演出が素晴らしいということなので…笑)
ちなみに胸糞胸糞言ってますが、漁師の弟子が「コイツいいやつだなー」と、要所要所で良い味出してます。
「自分はあなたが父親だったら嫌ですね」的なセリフを古田新太さんに言うシーンがあるんですが、いや良く言ったなお前…!!と、その瞬間喝采を送りたかった。
その他、しつこいマスコミを港から追い出したり、クソジジイと言いつつ師匠を尊敬しているのが伝わってきて凄くいい弟子でした。
それと最後に出てくるトラックの運ちゃん。松坂桃李くんに救いを与えてくれるんですけど、なんか好き笑
途中で桃李くんが轢かれそうになるトラックの運ちゃんもこの人だった気がする?
あと、個人的に一番泣けたのが、轢いてしまったお嬢さんがなんやかやなった時のお母さんの涙と、そのお母さんが古田父にかける言葉ですかね…
古田一家の涙では正直泣けなかったんですが、このお母さんにはものすごく泣かされました。
自分が同じ状況に立っても絶対言えないな、凄いな、と思いました。
頑なだった父親に『お前は娘のことを理解してもいないのに良く言えたもんだな?』と投げ掛ける(父親側が勝手にそう感じるだけですが)場面は、唯一もう一回見たいな、と思うシーンでした。
この映画を見て感じることは人それぞれだと思いますが、何かしら必ず残る作品になると思うのでオススメです。
人と人の間にある距離
正直な所、序盤から過剰な程に神経を逆なでする表現に少し嫌な気持ちになりながら観ていました。
父親としても人としても失格としか言えない添田が暴走して、執拗に自分の感情だけで周りを振り回す姿にうんざりし、
振り回された教師達の保身に走る対応にも、マスコミの過剰なまでのご都合主義な対応にも、スーパーの店員 草加部の自分に酔った傍迷惑な正義感にも。
そして店長の青柳の本心の見えない態度にも。
そもそも本当に万引きしたのか?事務所で何があったのか?過去の痴漢は本当にあったのか?
彼が何かを隠しているのかも判らず、本心はとんでもない悪なのか?も判らず。
この辺りは前半の教師やマスコミのクズっぷりも併せてそういった方向で進みますが、娘が自殺した母親が添田に伝える、弱さに逃げて自殺した娘を責めながら許して欲しいという言葉。
この言葉からやっぱり映画の流れが変わったんだな。と思いながら。
多分、添田にとって娘をはねた女性に対しては本当に無関心、そもそも青柳が追いかけ回さなければそんな事故は起きていない。というだけの認識でしかなかったと思いますし、何度謝られても興味もなかったような。
けれど自殺した娘の母親に謝罪されて、初めて自分が無視を続けた事がどれだけ残酷で、自殺した娘がどれほど苦しめられていたか?を理解したような。
添田にとってはこれがきっかけだったんでしょうね。
自分の感情だけを正当化して生きる事が人に与える冷酷さと、詫びる人間を突き放すことが相手を地獄に突き落とすような絶望を与えるという事を始めて理解できたきっかけのような。
そして、そこまでの懺悔を伴う謝罪であれば、受けた側がその問題を終わらせない限り、延々と謝罪と復讐を続ける羽目になるという事。
自分の非や弱さを認め謝るという事と、他人を理解して寄り添うという事が人間的に欠落していた添田にとって、力で屈服させる以外の謝罪という物に触れたのも初めてだったのではないか?と思いながら。
でも人って解ったからってすぐには変われないんですよね。
だからこそ、添田がタクシーの中でつぶやく「みんな、どうやって折り合いつけるのかな?」というセリフを聞いて、すとんと、これが描きたかった映画だったんだな。と思いながら。
添田にとって、人を許す、受け入れる、理解するというのは、その必要性を判ったとはいえ、どうするべきかも判らずそこでもがき苦しむ。
思いつく範囲で、妻の現在の夫を詰ったことを謝罪したり、かつての弟子を再度受け入れたり、娘の好きだった物に触れたりしながら。
それでもはっきりとはせず、人との接し方を、折り合い。と、妥協のようなぼんやりとした言葉で表現してしまうような。
でも、教えてくれる人がいない中で、自分と格闘しながら人との共存を進めようとする添田にとっては、この言葉は紛れもない本音だよな。と思いながら。
そして、自分の間違いを知り、それを悔い正そうと苦しみながら生まれ変わっていく添田の姿を描くことがこの映画のテーマだったんだろう。と、そう思っています。
だからこそ、添田と青柳が再開し、青柳を初めて許す姿には、グッとくるものがありました。
空白って何でしょう?
ストーリー上の隠された部分、特に青柳に絡む、本当に万引きしたのか?事務所で何があったのか?過去の痴漢は本当にあったのか?という謎掛け的な物のような気もしますが。。。
個人的には人と人の間にある距離。
それを空白のままとするのか、折り合いや愛情、信頼といった物でその空白を埋めるのか?という意味のような気もしています。
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ブログの方では、ネタバレありで個人感想の詳細とネット上での評判等を纏めています。
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感動のなかにも苦味が
片岡礼子さんのお芝居、みぞおちに入る。静かに、そのまま重力に従うように、膝を折りたくなった。古田新太さんも松坂桃李さんも寺島しのぶさんも藤原季節さんもみんないいし、脚本も好きだ。どうしようもなく過酷な部分もあるけど甘ったるいぐらい人に優しいところもあるし、やっぱり怖いところもあるし。
結局、万引き疑惑でスーパーの裏手に連れて行かれた少女が、なぜ死にものぐるいで逃走したのか、そこの“空白”は明らかにされない。観た人それぞれで想像していいんだと思うけど、ひょっとして彼女を死に追いやったのは父親ではという気がしてならない。
授業参観を父親でなく母親に出てもらおうと思っている、ということ一つ伝えるのに大変な勇気が必要になる関係性。母親がせっかく持たせてくれたスマホを目の前で投げ捨てられても抗議もできない関係性。そういう父娘関係だと、万引きが父親にバレたらどんなことになるのかって、娘が恐怖に駆られても不思議じゃないと思うので。
スーパーの店長がいやらしいことをしそうになったとかいうのより、どうもそっちのほうに真実味を感じる。
加害者になってしまった運転手の母親と、若い漁師と、元妻と、そして店長と、感動的な場面をあんなにいくつも演じて、最後に娘ともつながって光が見えました、ですっきり終わったらそれはそれでいい映画だったと思うけど、この苦味の残りかたも案外、嫌いじゃない。
もう一回見たらまた別の解釈をするかもしれないけど。
そういえば、寺島さん演じる草加部さんが「正しさ」に異様なこだわりを見せた理由もはっきりとは分からなかった。自分の「キモさ」を正しさで超えたかったのかな。
人間のズルさを目の当たりにした。
少しずつ隠してる何か、そんなズルさを目の当たりにした。
始終怒鳴る父親役の古田新太の演技がリアル過ぎて、なんだかウンザリしてきた。あんなだったら理解してもらわなくてもいいから、関わり合いたくない。
良い人であろうと必死な、寺島しのぶが演じたおせっかいなおばちゃんもキツかった。
開けてみたら、そもそも事件が起きる前から人生が煮詰まってる。
なかなかキツい作品だった。
空白を埋めるもの
一つの交通事故。
1人の死が様々な人に与えた空白。
この空白をあるものは「怒り」で埋め、またあるものは「偽善」で埋め、またあるものは「死」で埋める。
この空白を埋めるなにかを探す物語なのだと見終わって思った。
とはいえ映画の内容は明確に「これが答えです!!」と打ち出すわけではなく。
さりとて、主人公たちを物語の世界に置き去りにしたままでもなく。
我々観客に「あなたならどう埋めますか?」と問いかけてくるような作品。
この消化不良感(空白)も監督から我々に向けたメッセージなのかと考えてしまう。
まんまと監督の術中にハマった。
最後直人が人から感謝を伝えられて泣くシーンには思わず泣いてしまった。
僕は「人からの感謝」で空白を埋めて欲しいタイプみたいだ。
観ていて、しんどい映画だ。上映前に覚悟が必要。
誰が悪い訳でもない。本当に運命のいたずらに翻弄される人間を描いている。秀作だ。脚本も役者も上手い。前半は本当にしんどい。席を立ちたくなるが、じっと我慢して最後まで見ること。最後に仄かな救いが暗示される。運命のいたずらにより、それまでの生き方を考えさせられる人間の業を描く。寺島しのぶが演ずる役がミニ古田新太で、脚本の上手さが光る。
もどかしくて苦しい
「全員被害者・全員加害者」と謳っているように、みんな悪いような悪くないような、そんな感覚になる。
そういう演出が上手いなーと思ったし、色々考えながら観賞すると本当にあっという間だった。
切なくて胸が苦しくなるような、そんな映画。
自分の中にある空白は自分自身で埋めるしかない
2021.9.23 イオンシネマ久御山
2021年の日本映画(107分、PG12)
万引き逃亡から死亡事故に至った事件を機に、それぞれの正しさが暴走するヒューマンドラマ
監督&脚本は𠮷田恵輔
物語は蒲郡の沖合にて漁をする添田充(古田新太)が描かれて始まる
新人の野木(藤原季節)に無理難題を押し付けながら、ひたすら怒鳴るだけの日々
そんな充にも中学生になる娘・花音(伊藤蒼)がいたが、妻・翔子(田畑智子)とは既に離縁していて花音の親権は充が持っていた
花音は学校では目立たない子どもで、動きの鈍さから担任の今井(趣里)からも叱られてしまう毎日
美術部でも存在感がなく、自己主張をあまりしない娘だった
ある日、父に何かを相談しようとしてタイミングを逃した花音は、翌日スーパーで化粧品を万引きしてしまう
それを見逃さなかった店長の青柳直人(松坂桃李)は花音をバックヤードに連れて行く
だが、間もなく花音は店を飛び出して逃げ出し、青柳はそれを懸命に追った
そして、交通量の多い道を横切ろうとした瞬間、加音は中山楓(野村真純)の運転する乗用車に轢かれ、そして連続して大型トラックに引きずられて即死してしまう
事故を聞きつけた充が警察に駆けつけるものの、花音の遺体は損傷が激しく所持品からしか身元を特定できなかったのである
物語は「万引きの末に人を殺した」と報道されるスーパーと、葬式にて青柳に暴力行為寸前に至った「狂気の父」のどちらもがマスコミの餌になり、ネットのおもちゃになるところから動き出す
切り取り報道にキレた充が青柳に執拗に迫るようになり、それを見兼ねた店員の草加部(寺島しのぶ)は「店の潔白を訴えよう」とビラ配りを始めたりもする
それぞれが事件によって感情的になって、自分自身の正しさを振り翳しながら、さらに事態は混迷を極めていくのである
映画は「事故死した娘の父の暴走」という側面が訴求効果になっていて、その怪演が波紋を広げていく
それでも、その行動を誘発するものが青柳側にもあり、彼の逃避傾向が事態を助長させている場面もある
また、正しさを相手にわからせようとする草加部の行動がさらに火に油を注いで、充の行動を正当化していくようにも見えるのである
誰の行動が正しいのかという観点で映画を見ると誰もが正しくて、誰もが間違っているように見える本作は、それぞれが持つ価値観を揺るがしていく
死んでから父親になろうとする充
結局のところは他人事に思っている青柳
私がいなければと常に中心にいようとする草加部
だが、これから紡いできた爆発的な負の連鎖をキッパリと断ち切ったのが、楓の母・緑(片岡礼子)の言葉であると言える
彼女の言葉は同じ境遇になっても到達できない悲しみというものに踏み込んでいて、それぞれの死は関連性があるように思えて無いと断じていることである
花音の死の、その先にあった楓の自殺は延長線上にあるように見えて、似て非なるものである
充が事故相手の謝罪を受け止めなかったから楓は死んだと考える向きもあると思うが、だからと言って飛び出し事故の運転手が全て罪に病むかと言われればそうではないだろう
それぞれが事故によって「空いてしまった穴」を埋めるために、「自分を罰する言葉」を待ち望んでいて、誰もがそれを埋めようとはしなかった
それゆえ、誰かの言葉が埋めるはずだった「空白」を自分が埋めざるを得なくなって、それによって狂っていくとも言える
そんな中で緑だけが正気を保っているように思えるのだが、彼女も同じく「自分の言葉」で空白を埋めているに過ぎない
誰かの言葉がないのなら、自分で自分を傷つける
その手段が言葉だったと言うだけで、緑と楓は本質的に違わないとも読み取れるのである
いずれにせよ、出演者全員の熱量が凄まじく、これだけ配置の上手いキャスティングも珍しい
この映画ではそれぞれのキャラクターに清濁の部分があったとは思うが、一貫して「濁」しかなかったのはマスコミではないだろうか
良い画が撮れた後に「よし!」と呟いたスタッフを誰も咎めないように、そこで事件を俯瞰するだけの人間は「ネットの悪意」よりも質が悪い
ただ、そう言った社会の負を求めている人間がいるのも確かで、それによって心の充足を得ようとする人も多い
映画の中盤で担任が自分のことを悪く言うシーンがあって、それを他の教員と教頭が嗜める場面がありました
「それはズルくない? 今になって理解者ぶるのはズルくないですか?」
自分をセーフティゾーンに入れるために他人の偽善を見抜いて解釈を与える
このシーンはとても印象的で、そう言った会話を笑ってできると言う闇というものが事件の発端だったようにも思えた
必要なのは自問自答する時間と・・
この映画は脚本的な着色が殆どなく、エンディングも淡々と終わる。そこにはエンディングは存在しないのだ。多分この様な事故に巻き込まれたらどこかに自分が当てはまるのではないか?と考えてはしまう。被害者も加害者も区別なく追い詰められていく。必要なのは自問自答する時間と程よい距離を保ってくれる理解者なのかな・・追い詰められていく松坂桃李も良く、役者も申し分なかったが個人的には主人公の漁師の助手役の藤原季節が良かった。秀作でした。
被害者であり加害者
映画館にて鑑賞。
娘を殺されたと思う父親。
しかし、その父の行動も他の人を自殺へと追いやる。
辛い気持ちもわかるしこの憤りをどこにやったらいいのかわからず当たり散らすのも、子供の頃親に思い通りにいかないと当たり散らした自分に重ねて気持ちは伝わる。
でもそんな事しても、悲しみは収まらないどころか辛い気持ちがむしろ波紋のように広がっていく。
最後店長に自分の思い出を語る作業員の方、店長の心に種子を巻きましたね。あれで店長は生きていけると思います。
ボランティア好きさんはちょっと演出やりすぎ?店長を好きだったのかも知れませんがあの時の店長の追い詰められた感じがぼやけてしまい残念でした。
終始古田父さんを見守る(見捨てられない)藤原季節さん演じる船乗りがすごく良かったです。主観的な人ばかりが出るこの作品で彼の目線がすごく良かった。これからが楽しみな俳優さんですね。
人の弱さを真摯に描いた一作。
まずは古田新太の圧倒的な存在感がすばらしいです。実際にお父さんだったらまず口答えはできないよね…、と思わせる佇まいと眼力、怒声の圧が終始観客席にも伝わっていて、気弱なスーパーの店長、青柳を演じる松坂桃李もよく対峙できるな…、とはらはらしていました。
一方で、非常に重要な台詞を、ちょっと聞き逃しそうになるほどあっさりと発するという、静的な演技も素晴らしいです。この緩急の付け方に、過剰な演技を嫌う古田新太の本領が発揮されています。
事件の加害者も被害者もさらし者にされ、侮辱され、そして報道の具として使い捨てられる。そうした現代社会の病理を捉えた社会派ドラマのようにも展開しますが、本作で吉田監督が描こうとするのは、あくまでそれぞれに弱さを抱えた人間そのものです。その中でも添田という強烈な登場人物に目が向きがちですが、吉田監督は青柳(松坂桃李)や添田花音(伊東蒼)といった、理不尽な扱いに黙って耐えるしかない人々に対しても実に優しい視線を注いでいます。その描き方は『Blue』にも共通した、吉田監督演出の真骨頂と言えます。
絶対に結びつきそうにない者同士のつながりをこれ以上ないほど見事にみせた結末は、後半の展開から何となく予想していた内容の上を行くもので、さすが吉田監督と感心すると同時に鮮烈な印象を残しています(そしてここでも、古田新太の演技は最小限の仕草だけで、これもすばらしい)。
吉田監督の特徴である、人物を背中越しに捉える映像は、今回も効果的に用いられていますが、本作ではそのアングルも入念に練り上げたとのこと。そういった映像論としても学ぶところの多い作品です。
最後に、ちょっとだけ救いが見えた気がして良かった
あらすじを読んでから映画をみたので、交通事故にあうことは知っていたものの、、衝撃がすごくて、、、映画館で悲鳴をあげたのは初めてじゃないかな。
救いようのない話で、誰が被害者で誰が加害者なのかも混乱するような話で、遺族はどんな風に受け入れたらいいのか、自分の身に起きたらどうしたらいいんだろうと思いながら何度もマスクが濡れないように涙を拭きながらの鑑賞。
娘を交通事故で失って、万引犯だと言われて、まともでいられる自信がない。深い悲しみとやり場のない怒り。冷静になれたのは、野木が自分の代わりに怒ってくれたからかな。古田新太の演技はさすがだと思った。
やはり時間が解決する部分もあるんだろうけど、最後に双方に、少しだけ救いが見えた気がして、そこまでを映画にしてくれて、良かった。
安全運転で帰ります。
死によって問われる生きる意味
予告の段階でもかなり重そうだなぁと思いながら期待しており、いざ公開されると高評価の嵐で本サイトでも平均4.1という高得点。邦画でこれは期待していいのではと思い、後味悪いだろうなと覚悟して鑑賞。
いや〜...これは考えさせられる。
ちょっと時間が欲しいなと思った。言葉にするのが難しい。必然的に暗い気持ちになっちゃう映画でした。
スーパーで万引きをした女子中学生・添田花音(伊東蒼)は、その現場を店長・青柳直人(松坂桃李)に見つかってしまい逃げ出すが、道に飛び出しトラックに轢かれ死亡してしまう。
最大のポイントは登場人物のリアリティさ。
ろくに話を聞いてくれない頑固で恐ろしい父親、愛想が悪くいつも暗いスーパーの店長、お節介焼きで善を押し付けるおばちゃん、嫌味ったらしい担任、愚痴を並べる部下。こういう人いるなぁと思わせるような人ばかりで、第三者目線で見ると自分の行動を振り返ってみてこういう部分あるなと反省。事件を通して滲み出る性格がとてつもなく現実的。どの目線に立つかで気持ちは180度変わり、古田新太と松坂桃李の目線にたって考えた私は、藤原季節が好きになり寺島しのぶが嫌いになりました。つまり、素晴らしい演技力ということです。
ひとつの事件による混乱。
万引きを信じない父、自分が殺したと責める店長、周りからの目、メディアの印象操作、卑怯に逃れる学校、不安で仕方ない運転手。特にメディアの印象操作は酷いもの。「パンケーキを毒味する」でもこのテーマを取り上げたスターサンズ。今作ではより分かりやすくメディアの胸糞悪さを表現しており、基地外だの性犯罪者だの書くような奴らと何も変わんねぇじゃんと感じだ。結果的に何が言いたいのか分からないし、「お前誰だ?」に過ぎない。悪人を仕立て上げるのがお仕事ですか?松坂桃李演じる青柳の気持ちに立って取材されたテレビを見ると、イラつきというかもはや諦めというか、こんなことされたら人間を信じられなくなるなと思った。
演出、照明、編集、脚本、美術、全てが美しく心揺さぶられる。暗く苦しく重くのしかかり恐怖と困惑が入り乱れる前半。傷は治らずとも、少しずつ現実を受け止めながら光が射し込む後半。なんと言っても、ラストは少し明るい気持ちになれる演出と脚本であり、うっすらと光が見える照明、絶妙な空白、そして美術。非常に良かった。
この映画は死による「崩壊」と死を通しての「再生」の物語だなと感じた。失ったことを認めたくない。どう足掻いても帰ってこないことは知っているけど、足掻かないと生きている気がしない。けど、失うものはこれ以上増やしたくない。正直になれない古田新太演じる添田という娘を失ったことによって崩壊したモンスターが、後半になるにつれて再生への道へと足を進める。共感とか出来ないはずなのに、出来ちゃうんだなこれが。古田新太の演技に脱帽です。
しかし、どうしても納得が行かない所がいくつか。
そもそも、スーパーの店長は悪いのか?という問題。青柳という男は気が弱いためにここまで追い詰められていたが、もしもこの青柳とトラックの運転手の立場が逆だったら、こうはなっていないだろうなと思った。というか青柳ばかりを責める添田だが、殺したトラックの運転手に関しては何も触れないんだなと思った。学校とかスーパーとか責める前にまずそこ行かないんだ。
あえてこういう作りにしているのだろうけども、スッキリせずに終わってしまった。もっと重い映画を想像していただけになんか物足りなかったし、尺的にももうちょっと長くても良かったのではと思った。単純に好みの問題もあるだろうけど、どうもしっくり来なかった。
それでも、とてもよく出来た映画でした。
本年度日本アカデミー賞は古田新太で間違い無いでしょう。強烈的な演技、ありがとうございました。
今まで当たり前に有ったものが突然失くなった(“空白”になった)時の人間の姿を「映画」という手段でしか出来ない表現で描き出している。(巧く言えないな。)そこに感心した。
①古田新太のモンスターファーザーぶりが話題になっているようだが、そんなにモンスターとは思わなかった。花音ちゃんの無惨な死体のイメージが映画を観ている間ずっと脳裏に焼き付いていて(それを目の当たりにした)この父親の暴走ぶりを心底憎めない。確かにああいうのに付きまとわれるような事態に会わない幸運を祈りたいが、「いるよね、こういう人。」という範囲を逸脱していないと思う。人との関わり方、距離の取り方や思いもよらない事態に直面した時の対処の仕方等にかなり疎い極めて不器用な人間なのだろう。あれだけ「万引きをしていない」ことにしがみついていたのに「してた」証拠を見つけた時にこっそり捨ててしまうセコさ、狡さ。しかし、スーパーマーケットまで閉めさせてしまったのだから今更「間違いでした。すいません。」と言えない小心さ、保身ぶり。でもその人間臭さは誰の中にもあるでしょう。ラストの方で変に物分かりの良いオヤジになってしまったのが少し甘いかな、と感じたくらい最後までもう少しイヤミなオッサンでいて欲しかったかも。②驚いたのは松坂桃李の上手さ。でもその上で言わせて貰うとこの映画ではミスキャストだと思う。彼のようなメインでも主役の張れるイケメン俳優ではなく、寺島しのぶの気を引くくらいのイケメンで色気は有るけれどももう少し地味な俳優だった方がキャスティング的にはバランスが取れていたと思う。終始謝罪するばかりでこちらから積極的に対応策を取ろうとしない姿には正直イライラもさせられたが(わたしも寺島しのぶタイプの人間なのかもしれない)、松坂桃李でなければそこまでイラっと来なかったかも。スーパーマーケットを守ることに精一杯だったのか、あんなに初音ちゃんをしつこく追いかける必要があったのか。私なら途中で諦めているだろう(その前に体力的に無理だけど。)それとも、自分では必死に否定しているが、あそこまで追いかけたことや、自己弁護をせずあくまでも謝罪に終始する態度を見ると、もちろん性格のせいかもしれないが、やはり父親に疑われるようなことが実際はあったのかも知れない。③寺島しのぶ演じる明るくて前向きで正義感があって(その正義感を疑っていなくて)ややお節介焼き(ボランティア活動がお節介だと言っているわけではありません)のオバサンも「いるいる」キャラクターだ。実は心の奥底ではいつもハッキリしなくて何を考えているかわからないボランティア仲間に苛立っている。そういう意味では松坂桃李もハッキリしない何を考えているかよくわからない同じような男なんだけど、こちらの方は好意を寄せているだけに自分が助けてあげないと、支えてあげないと、戦ってあげないと暴走ではないが突っ走ってしまう。古田新太の方が悪い方のKYだとするとこちらは良い方のKYだな。そして結局その善意(好意)も松坂桃李にとっては迷惑というか苦痛でしかなかったのを知り、想いも行き場を失くして、ボランティア仲間に八つ当たりてしまい、自己嫌悪に泣いてしまう独身の中年女の内面を的確に演じて相変わらず寺島しのぶは巧い。④藤原季節演じる青年は、「きつくてやってられないすよ」と言いながらも一旦首にされながらも、何かと古田新太のオッサンを気遣う。傍目には自分勝手でご迷惑な人にも一人くらいは理解者や味方はいるもんだ、ということを体現しているこの映画で一番の救いかも知れない。古田新太が映画の中で初めて笑顔を見せるのも彼に対してだし。⑤白眉だったのは、自殺してしまった第一加害者の女の子の通夜のシーン。普通なら行きづらいと思うが(私が同じ立場だったら行けないかも)、『謝らないからな』と憎まれ口を叩きながらもキチンと喪服を来て現れたのは心の何処かで罪悪感を感じていたからだろう。こういう人は他人も自分と同じように思い振る舞うだろうと考えるから、母親から恨み言を言われると覚悟していただろうが、母親が述べたのは人間として余りに真っ当な言葉。恐らく今までそんなことを言われた事がなかったのではないか。そう思うと気の毒な男だなとも思える。⑥古田新太演じる父親にほぼ唯一意見できる元妻役の田畑智子も好演。元朝ドラ女優も安心して観ていられる堅実な助演女優に成長した。しかし、よくこんな男と結婚したな、と思うけど年齢差があるようだから若気の至りか、それとも昔はもう少しマシな男だったのか?⑦『死んでから理解者ぶるのは狡いですよ』と同僚教師にイヤミを言われても、生きているときはちゃんと向き合えなかった花音ちゃんの「空白」に向き合おうとする担任の教師。人間は相手の存在が「空白」になって初めてその相手の存在に真剣に向き合き会わなければならなかっことに思い当たり、「空白」を埋めようとするけれども埋められないし埋めようもないことに気づいて、そのことに何とか折り合いを付けようとあがく悲しい生き物なのかもしれない。父親も生きている間はマトモに向き合わなかった花音ちゃんの「空白」に向き合うことになるわけだが、最初は向き合いかた自体が分からないので暴走してしまうけれども、やがて本当に向き合おうとする。それでも「空白」は埋まらないし埋めようもないのだが、少しでも娘を理解出来るならと書いた下手な絵の中の一枚と、生前花音ちゃんが書いた絵の中の一枚とが構図(視点)も全く同じ、雲をイルカと捉えた感性も同じなのを発見するラストに、やや出来すぎとも思えるシーンだが、その「空白」が少しだけ埋まったように思う。
苦しいのは、自分だけじゃない。
そんな事を感じた作品でした。
劇中の古田新太演じる、父親に巻き起こる壮絶すぎる展開に
想わず絶句です。
悲しみや傷は簡単に癒えるものではないけど、
その悲しみや傷は自分だけのものではない。
きっと、主人公も物語の最後にその事に気が付いたんだと思いました。
つらい
それぞれの立場で、後悔を背負いつつも自分が今できることに実直であろうとするが故に、自分や他人を追い詰め、傷付けていく人々。
作品中、4分の3くらいまで、そのつらさが連鎖していくので、本当に観ているのがつらかった。
ラスト、それぞれに示される小さな光。
映画では描かれなかったが、結局のところ彼らにとってその光でさえ「取り返しのつかない過去」を悔いることにしかならないと考えると、決して幸せな結末ではない。
「でも、生きていかなくちゃいけない」
どこまでも胸を締め付けられる。
ひとつ気になったのは、メディアやネット・野次馬たちによる煽りは、特に我々観客に近い存在のあり方としてもちろん無神経さを非難されるべきなんだけど、その辺りの描写があまりに一方的にデフォルメされた結果、むしろ不自然な気がして、不幸すぎる展開が、嘘くさく感じられてしまった。
決して繰り返し観たい映画ではないけど、今日という一日の生活に、ガッツリと跡を残す作品。
役者陣も素晴らしかった。
一つの事故が原因の悪意の連鎖
学校でも家でも大人しい自分の意見の言えない娘が万引きを機に車に跳ねられて。
そこから悪意の連鎖が始まる。
娘を失った男
スーパーの店長、パート
轢いてしまった運転手
学校の教師、生徒
マスコミ
漁師仲間
本当に誰が悪いのでしょう
ありそうなシチュエーションにいそうな登場人物で、恐らく誰かに感情移入すると思います。
細かく丁寧に作られているので一場面一場面が見逃せません。娘の携帯一つとっても悪意があるし、あれがなければの後悔も。是非必見
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