空白のレビュー・感想・評価
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☆☆☆☆ 〝 西洋的決闘主義と、日本人特有の日和見主義との対立 〟...
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〝 西洋的決闘主義と、日本人特有の日和見主義との対立 〟
その昔にこんな出来事があった。
日本の企業の電子レンジを購入した人が、ある日その電子レンジで濡れたペットの猫を乾かすとゆう信じられない事をしたのだ!
結果は言わずとも解る。
しかし、その人はその後、我々日本人には思いもつかない行為に出る。
何と!その電子レンジを発売した日本の企業を相手に訴訟を起こしたのだ!
その理由が、、、
電子レンジの取説には《猫を入れて温めてはいけない》とゆう文言が無いから…との理由だった。
全くもって有り得ない訴訟なのだけど。あろうことか、この裁判で日本の企業は負けてしまう。
しかも、訴訟を起こした相手には数十億円とゆう大金を得てしまった。
当時のニュース番組での報道を「信じられない!」と思いながら見ていた人は多いと思う。
この作品の中で対立する古田新太と松坂桃李との関係は表裏一体であり、(かなりの極論かも知れないとは思いつつ)ある意味では西洋と東洋(特に日本的な)考え方のぶつかり合いなのかも…と思いながら、スクリーンを眺めていた。
この作品には色々な人物が登場しているのですが。それぞれの性格には、色々な【悪】とも言いきれない(おそらくは)持って生まれた性格ゆえの小さな利己主義が内包していた…と言えるでしょうか。
●自分の考えこそは絶対であり、他人の意見等には一切の耳を貸さない者。
●取り敢えず面倒な事象があれば謝っておけばいいだろう…と考える、日本人特有の日和見主義者。
●ある程度の事実・又はそれに近いのかも?と思いながらも、確かめようともせずに事実から逃げ隠れする者。
●正義感が強すぎる為に、ついつい回りを巻き込んでしまい他人の気持ちを踏みにじってしまう者。
多少の思い違いがあるかもしれないのですが。作品を観終わっての単細胞男の発想だと思って頂けたら…と思いながら、もう少しだけ作品を観た感想を💧
先程指摘させて貰ったそれらの人達は、少しばかり度を過ぎてしまったとしても、なかなかそれには気がつかない。
ところが作品中には、もっと【度が過ぎる輩】が登場し、〝 正義とゆう盾を振りかざし 〟登場人物達の真綿をジワジワと締めて来るのだから本当にタチが悪い。
テレビ等のマスメディアやネット民達には、《面白ければ何でもOK》であり。全ては自分達がどれだけの期間、楽しめるのか…だけにしか興味がない。
対象者がそれに対して激しく反応を見せたりしたら、それだけでもう白飯が3杯でも4杯でも食べられるくらいに満足感が増す。
〝 楽しければ全て良し! 、のネット民からすると、《人の不幸は蜜の味》とばかりに、不幸が増せば増すほど別腹なのだ!
いつしか、そんな姿を現さない悪の空気に耐えられなくなって行く関係者達。
そして、少しずつ疲弊し。遂に悲劇の連鎖は雪崩の様に関係者達の心を押し潰してしまう。
登場人物達が表裏一体・合わせ鏡の関係にあるのは指摘されてもらいました。
主に娘を亡くしてしまった事で、そのきっかけを作ってしまった2人の関係性。
古田新太と松坂桃李は、作品を支える核となる2人だけに当然の如く表裏一体の関係と言って良いと思います。
娘の無実、、、と言うよりも、己れの信念と性格ゆえに一切の妥協はせず、他人の意見等は聞く気は毛頭ない男と。自分は間違ってはいないのだけど、その性格と立場から直ぐに妥協する道を選んでしまう弱い男。
悲しい最期を迎えてしまう娘と、その瞬間に偶然にも居合わせてしまった或る人物の2人。
人とのコミュニケーションを取るのが苦手な性格ゆえ、ついつい逃げてしまった事が悲劇を生んでしまった。
一方で、コミュニケーションを何度も取ろうとするも。現実の大きさに押し潰されてしまい、現実逃避へと走ってしまう。
ダブル主演の古田新太と松坂桃李が作品を支えている…と一見すると見えるのですが。実はこの2人よりも、ひょっとすると最重要なのでは?と思える登場人物が2人いる。
それが寺島しのぶと片岡礼子の2人。
寺島しのぶは見ていれば解る通りに、松坂桃李側で奮闘するのですが。奮闘すればするほどに、松坂桃李の心と身体を精神的に破壊して行く。
彼女も古田新太と同様に、自分の信念にブレがない性格。
同じボランティアの人物に「やる気はあるの!?
」と叫ぶ姿は、学校の先生役の趣里が、亡くなった古田新太の娘に対して感じていた「無気力に見える」…と語った思いと、熱量には差があるものの、この2人もまた合わせ鏡の様に思える。
その意味では、身体的に松坂桃李を破壊して行く《怪物》が古田新太ならば。精神的に破壊して行く《怪物》は寺島しのぶでもあり、共に、「絶対に自分の考えは正しい!」との信念に溢れる古田・寺島の2人も或る意味では表裏一体で合わせ鏡の関係性にあるのでは?と言える。
もう1人の重要な人物が片岡礼子。
彼女は作品中では特に目立たない。
或る人物の横でそっと寄り添っているだけで台詞も多くない。
彼女のところにも悲劇は忍び寄りその心を砕きに来る。
しかしながら彼女の心は折れる事はなく気丈に振る舞った。
「もう許してあげて下さい!」
彼女は気力を振り絞り古田新太に哀願する。
その言葉の一言一言は、古田新太にとっては2度目の言葉だった。
全く同じ言葉をその前に松坂桃李の口から聞いていたが、古田はその言葉を単なる口から出まかせ的な意味でしか聞いていなかったのだった。
それだけに、、、
古田は、今この時。その立場が逆転してしまったのだとゆう現実をその言葉で理解し。自分は今や松坂桃李と同じなのだと悟り無言となる。
この悲劇の連鎖のきっかけとなったのは一体何だったのか?
作品中では趣里演じる学校の先生の証言が何度か挿入される。
先生と生徒の関係で接した限りでは、死んでしまった彼女は正直言ってよく分からない生徒だった。
彼女には真相は分からない。始めの内は理解しようとも感じていない風に見える。
どうしても憶測での発言しか出来ずに古田新太の怒りを増幅させる。
「証拠を出すよ!証拠を!」
何度も何度も古田新太は叫ぶ。
古田にとって確かな証拠こそが唯一の信じられるモノ。
やがてその言葉に呼応されたのか趣里は「ひょっとしたら…」と、サインが出ていたのかもしれないと思い始めて来る。
しかし学校側は、真相を確かめようとはしない。
やるだけの事はやったとの考えなのか?それとも、、、【身の保身】に走ったのか。
●他人を追い詰めて行く行動の【悪】
●真実の追求を辞めてしまう【悪】
●都合の良い方向に嘘をでっち上げる【悪】
●ただ面白ければ良いと考え、罪の意識の欠片も持たない【悪】
吉田恵輔監督は、そんな問い掛けを観客に提示させ、様々な思いを感じさせながら。最後の最後に思いもよらない冷や水を、観客の頭を目掛けて浴びせて来る。
「証拠を出せ!」と何度も叫んだ古田新太。
彼は知ってしまったのだ、娘の真実を。
古田新太は、悪魔の前に跪き悪魔と契約を結んでしまったのだ!
それこそが、この作品中に提示される【悪】の中では最大の【悪】の行為。
今、古田新太は。【身の保身に走る悪人】や、【自分が楽しければ良い】と考える輩よりもタチが悪い人間に成り下がってしまったのだ!
〝 真実を隠蔽してしまう最悪の【悪】の人間へと 、
2021年 9月24日 TOHOシネマズ錦糸町オリナス/スクリーン8
古田が最後まで糞
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古田の中学生の娘が桃李店長のスーパーでマニキュアを万引き・逃走。
桃李がそれを追うが、逃走劇の中で交通事故死する。
そして漁師であるこの古田がとことんクズでモンスター化。
娘に興味もなく、話なんてろくに聞いてあげたこともないクセに。
で娘が万引きしたことがない、化粧なんてしたの見たことないと主張。
桃李がいたずら目的で追いかけてたんちゃうんかとか因縁つける。
営業妨害みたいなこともしてくるし、報道陣に暴力振るったりもする。
そして娘を車ではねてしまった女性の謝罪も完全に無視。
その女性は自殺してしまう。桃李も自殺未遂する。
そんな挙句、娘がマニキュアを隠し持ってたことが判明・・・。
結局それで少しは態度を軟化させるが、謝罪をするでもなし。
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劇場で見た。
ほんまにこの古田はクズそのものやったなあ、感情移入まるで無し。
娘を失った悲しみはともかく、そんなええ父親ちゃうやん。
離婚相手が娘に買い与えたスマホを問答無用で叩き割ったりする人間。
結局娘のことなんて何も分かっちゃいない。自分の方針に従わせてただけ。
娘に限らずあらゆる人間を恫喝して服従させようとするクズ。
学校もかなり手を焼いてた。ホンマに関わりたくないタイプ。
結局最後は態度を軟化させるが、それでもまだまだ人間未満でしょ。
コイツがクズでさえなければ、女性も桃李も自殺を選ばなかった。
娘だって万引きも事故死もしてへんはず。可哀想に。
しかし最近のCGはすごいね。娘は車にはねられ、別の車に巻き込まれて死ぬ。
その描写がホンマに強烈の一言。あそこまでリアルにできるのね。
空っぽの世界に、光はあるか。
感想
「新聞記者」スターサンズ×「ヒメアノ〜ル」吉田恵輔の衝撃の問題作
罪と偽りそして赦しを映し出すヒューマンサスペンス
苦しく、重たい作品でありましたが素晴らしい作品でした。
花音の事故はちょっと衝撃的でした。
娘を失った父
追いかけた店長
轢いた運転手
加害者の母
前に進む元妻
弟子の漁師
娘の元教師
正義感の店員
誰が加害者で誰が被害者か
色々感情移入できちゃうんですが無骨頑固親父古田新太は狂気でしたし気の弱そうな店長松坂桃李はもう観ててずっと苦しいです。
轢いた運転手は可哀想でしたね、罪の重さに耐えきれず自殺しちゃうとは…でも結局とどめを刺したのはトラックの運転手だからな!!
加害者の母の片岡礼子が出演時間少ないですがいい味出してました。
そして1番キツかったのは正義感の店員でした。普通に接してれば何ら問題はないんですがね…
野木はイケメンでした笑
チャンス大城も出てます笑
マスコミの悪意のある編集はクソでした、でもそれを鵜呑みにしちゃうんですよね、視聴者は…。
終盤の警備員になった青柳が休憩中に職人からスーパーの焼き鳥弁当美味しくて好きだった、ありがとうございました、お疲れ様でした
充と花音のイルカの形をした雲の絵がリンクするところがグッときました。
※みんなどうやって折り合いつけるのかな?
出発点として父親がダメすぎる
亡くなった娘が可哀想。
スーパーの店長も可哀想。
事故を起こし自殺した女性も可哀想。
だけど、父親は可哀想に思えないところが、この映画の辛いところ。
以下映画を観て再認識したこと
・やっぱりすぐ怒鳴る人間は浅はかで、バカにしか見えない
・マスコミはいつも最低。自分があんな取材対象者にされたなら、「電波オークションについて報道しないテレビ局」とか「電通の独占禁止法違反」とか書いたプラカードを首に掲げてカメラの前に出よう
・いつも安全運転を心掛けよう
・人にやさしく生きよう
狂っているレビュー
タイトルが空白。濃い内容の映画なのに、中身が無さそうな軽い言葉を使っている。
外から見るのと違うことがある。
店員の接客態度と心の中。
教員の表と裏。
真逆のことを発表したり、表だけ綺麗にすることは簡単に出来てしまうし、悪い事とされていない。
見た目が良ければ大丈夫…
表面的に良ければ大丈夫…
心の中までは裁かれない。咎められない。それで良いのだろうか。
演技したり役をこなしたり、与えられた役割を果たして「空白」を埋めている人生。規則やルールに従い秩序正しく平和に暮らす。
避けられない不慮の事故がある。
交通事故で人が亡くなる理由は、車が人より強いから、硬いものを移動させているから、つまり物理的な原因で死んでしまう。
一方、原因をソフト面で考えてみる。
追いかけたから。
逃げたから。
捕まりたくなかったから。
知られたくなかったから。
まわりを見る余裕がなかったから。
予測出来なかったから。
世の中が悪いから。
教育が悪いから。
家庭が悪いから。
顔が悪いから。
頭が悪いから。
そこにいたから。
そこを通ったから。
そこで育ったから。
生きていたから。
産まれたから。
車を造ったから。
道路を造ったから。
国を造ったから。
世界を造ったから。
…などなど、きりがない。事故との関連が有るような無いような、突き詰めればこの世界が始まったから全てのことが有るのだ。全ての原因は、世界の始まりのせいなのか。わけわからなくなる。
狂った世界を上手に映画にしてくれた。
狂ったようなレビューが似合うと思う。
本作を視聴中は内容に没頭しすぎてカメラワークを見てなかった。見ているようで見ていなかった。目を開いていたのに。
被写体に意識を集中することができる映画。
(※最後まで読んでくれてありがとうございます。)
空白を埋める者
2021年9月9日 新潟県長岡市 Tジョイ長岡にて
特別試写会に当選し、一足先に鑑賞させて頂きました。
𠮷田恵輔監督作品の鑑賞は今作が初めてです。
予告からも誰しもが感じる負の連鎖による精神的ダメージが凄まじい内容でした。
「誰しもが加害者であり、被害者」
「誰しもが正しいし、間違っている」
「誰しもが善意を持ち、悪意を持っている」
そんな言葉では片付けられない。
日々、当事者ではない第三者の立ち位置で俯瞰している私達は、そんな言葉を振りかざしていいのだろうか。
私達の正義は何処まで行っても独善の域から出ない。
劇中、多くの無自覚な善意と悪意が充満している。
何故、彼女は万引きをしたのか...
その理由は観客が感じたものだと思います。
しかし「きっとこういう事だよ」と持論を展開して、自身の中の正解を言うのすら躊躇ってしまう。
劇中の登場人物達のように憶測で物を語ってはいけない...そんな圧を感じてしまう。
それでも烏滸がましいですが、私なりに登場人物の空白を考察してみようと思います。
【花音】
両親の離婚、粗暴な父親、自分のペースを理解してくれない周囲...
余りにも空白が広く、この日常から放たれたい衝動に駆られてしまった...
何でもよかった...その行為が偶々、万引きだった。
【添田充】
口調が荒く、常に苛立ちを隠せない父親。
こういう人は私達の日常にいるが、「何であんなに苛立っているんだろう?」程度で済ましている。
性格であり、どういうバックグランドでそのような人格になったのかも憶測で語るしかない。
彼自身もその苛立ちの源泉は分からなかったのではないかと考えました。
【青柳直人】
自己主張を上手く出来ない性格で他人との会話も苦痛に感じている。
感情を押し殺しているが、海苔弁当の件で電話で怒りの余り暴言を吐き、その後謝罪の電話をするシーンが印象的でした。
その際、「海苔弁当、美味しかったです」と云う言葉が彼の全てを物語っていたと思います。
【野木龍馬】
劇中数少ない良心の青年。どれだけ充に悪態着いても彼を心配する。不穏な空気を読んで仲裁に入ったり、港でマスコミに怒号を上げる等、随所に優しさを感じた。
【草加部麻子】
「行き過ぎた善意は悪意と変わらない」と云う言葉を思い出させてくれる人物。
善行を重ねる自分にいつしか酔い、自分の正義に盲目的になる人も現実味がありました。
そんな彼女も同じボランティア活動で要領の悪い人物に強く当たっている。
彼女もまた空白を埋めたがっている人間。
最後の涙は、今まで誤魔化してきた自身の在り方を自覚したように感じた。
【今井若菜】
花音の担任教師。子供を導く立場にあれどもやはり人間。花音のマイペースさや葛藤を察してあげられず、強く当たってしまう。
花音の死後、自身の指導に落ち度があったと吐出するが、同僚の教師の「それは狡いですよ。死んだ後に理解者ぶるのは」と返される。
このやり取りは凄く刺さりました。
私達も日常でこのように手の平を返したかのように理解者ぶる...ゾッとした一面でした。
【中山緑】
花音を最初に撥ねてしまった女性の母親。
彼女こそがこの空白に光を齎した。
自責の念に堪えきれず自殺した娘。
充に対して強い憎悪を持っていたにも拘わらず、充に出た言葉が衝撃的でした。
大切な娘を「心が弱かった」「逃げ出して申し訳ありません」なんて言いたくなかったでしょう。
それなのに憎しみを断ち切った。
とある作品の台詞「憎しみや悲しみは誰かが歯を食いしばって断ち切らなくちゃダメなんです」を思い出しました。
【その他の人々】
粗暴な言葉を吐くクラスメイトの男子、常に無関心だったクラスメイトの女子、番組を盛り上げる為に捏造をするマスコミ、教育する立場でありながら学校のイメージを優先した学校、憶測で正義を振りかざす国民...
誰も彼もおぞましいです。
しかし私達は、そんな人々を非難できるのか...
私達もきっと変わらない...
【最後に...】
最後に充が他人の言葉に耳を傾け、心を理解しようとしたのは良かったです。
絵を描き始めた充ですが、花音と同じく空に浮かぶイルカのような雲の絵を描く。
充も花音もイルカを“三頭”描いた事に心が救われました。
そして青柳君にも救いがあったのは良かったです。
店を畳み、交通誘導員として働く彼の前に現れたトラックの運転手らしき人間。
また好奇心に駆られ、話し掛けてきたかと思いきや、「焼鳥弁当美味しかったです」「ありがとうございました。本当にお疲れ様でした」と感謝の言葉。
劇中、彼が本当に欲しかった言葉...
両者にささやかではありますが、空白を埋める光があった事は本当に良かったです。
鑑賞後は、充が言ったように心に靄が残り続けるかも知れません。
しかし、この映画を是非、一人でも多くの人々に観て貰いたいです。
人間の本質に対して答えを見付ける作品ではなく、「明日から人に優しくなろう」と云う教訓的な作品でもない。
皆さんと一緒に考えて行きたい...そんな作品です。
みんな可哀想
みんなが少しずつ悪くて、そしてみんなそれぞれに可哀想な映画でした。
特に最初に跳ねてしまった女性ドライバー、2番目に轢いたトラック運転手。完全に貰い事故。店長が追いかけ過ぎたと思うし。お父さんが厳し過ぎたから万引きを知られたくなくて逃げた?お父さんは娘が死んだ理由を万引き以外に見つけたくて、学校でいじめに遭っていたと思いたかったし、店長にイタズラされようとしたとか勘ぐってみたり。
父親の『怒り』から『受容』まで良く描かれている。
みんな良い人たちなのにね。みんな不幸に。
唯一学校の校長先生だけは嫌な感じでした。それにハイエナの様なマスコミも。
「痛み」と「苦しみ」に溢れた作品
観ていて徹頭徹尾「痛い」のですよ。ここまで痛みを感じる映画ってそうそうないなあ、というのが観ながらの率直な感想。
その「痛い」というのも
・物理的な痛さ
・人格的な痛さ
・人間関係の痛さ
・社会生活の歪みがもたらす痛さ
・痛い奴
それらの痛みが苦しみを産み出しさらに痛んでいく。というネガティブな連鎖が続きました。
物語は単純です。ミステリーではないので何の捻りもありません。終盤では、「ま、そうだろうな」で終わります。平凡でした。でも、平凡って悪くないなって感じましたし、平凡って大切かもしれないとも思います。平凡は日常と置き換えてくれても構いません。平凡、日常こそ心を込めて他人を思いやることが大切なものになっていく、それに気付いた時には遅く、取り返しはつかない。取り返しがつかないからこそ無くなった時に気付く。そんなことを丹念に表現していたと思います。
なお、主演陣は素晴らしいです。古田新太の無頼っぷり、寺島しのぶのどこかには必ずいそうなお節介加減、藤原季節のチャラいんだけど芯の詰まったキャラ、そして、松坂桃李の演じる万引された?未遂?の店長が秀逸。いい役者だよなあ。古田や寺島を向こうに回しての存在感はすごかった。一方、それ以外、特にモブキャラの演技は学芸会レベルで正直白けました。特にマスコミサイドはステレオタイプの演出で正直、観ていて辛かったです。
評価が高いのも納得の映画作品でした。
キツかったけど見て良かったけどキツかった
うん、わかるんだけど。いい話とは思えなかったなー。 やっぱり父ちゃ...
誰にでも起こり得る話
悲嘆の物語
面白いけどイラつきがすごい。
空白の意味
ふたつの「空白」
ひとつは、もちろん、青柳店長と花音の二人だけがいたスーパーアオヤギの事務所の出来事です。そこで、いったい何が…女子中学生の花音が血相を変えて走って逃げ出し、青柳店長が、これまた必死の形相で追いかけなければならない何があったのか。その空白です。
スーパーの万引犯は事務所に連れて行かれて、話を聞かれたり、店側が呼んだ警察官が到着するまで待たされることは、そう特別なことではないと思われるのですが、事務所に入る店長と花音を見て、店員の草加部は、ちょっと不審そうな表情も浮かべます。
一方で、後に草加部が別の万引犯を捕まえたときは、事務所に連れて行っていますから、こういう場合、スーパーアオヤギでも、やはり事務所に連れて行くものなのだと思います。
すると、草加部が不審そうに思ったのは、花音が事務所に連れて行かれたことではなく、店長が連れて行ったこと…店長と花音とが二人で事務所に入ったことに不審を抱いたことになると思われます。
なぜ?…それが、ひとつ目の(物理的な・時間的な)空白なのだろうと思います。
もう一つは、価値観の違う者同士の間に生まれる避けがたい(心理的な)空白だろうと思います。
(充が「他の人は、どうやって折り合いをつけているのか」と、)呟いた、その空白。
自分の価値観に固執する充と花音との間にあった(心理的な)空白も小さくはなかったろうと推認されますが、同じように、イルカの形をした雲に感動を覚えたところ(同じ感性を持っていたところ)は、さすがに血は争えず、その空白をいささかでも埋める、せめてもの救いだったと思います。
(追記)
充を演じた古田新太さんは、もともとは舞台の方から映画に入ってきた方と聞きます。彼の迫真の演技があってこその本作であったことには、多言を要しないと思います。
空白の靄
映像を見る限り明らかに万引きはしていなかった。
ただ防犯カメラも付けていないし、仮に悪戯をしていたとしても証拠はない、まさに「空白」の時間であったと思う。
死んでしまってからの「空白」の時間もあるが、最後に父親(古田さん)も言っていたが、どちらかというと前者の「空白」の方が常に靄がとれなかった。。。
おそらく、店長は悪いことをしてしまったと反省はしているものの、真実を言えず自殺に逃げたいと思ったのであろう。。
世の中であり得る事件だと思う。
この一つの事件だけで社会情勢や人間関係まで表現した深い内容の映画に作り上げていることに感嘆した。
最後の父親の変わりようを見て、私自身も人ともっと正面から向き合っていくべきだと心に留めた。
古田新太と松坂桃李
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