空白のレビュー・感想・評価
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誰もが持つ加害性、被害性
まず始めに、報道機関や教育機関、野次馬に対する愚痴は、本映画のメインテーマでは無いと思っているため言わないようにします。
物語はスーパーで万引きを疑われた女子中学生が店長(直人)に追いかけられ交通事故に遭い亡くなってしまう。父(充)は娘の死の責任を追求すべく店長を追い詰める。
立場としては加害者である店長、被害者である娘の父のはずが映画の巧みなバランス力によりどちらも加害者であり被害者に見えるようになっています。
例えば誹謗中傷に遭っている充を見せたと思ったら同じく誹謗中傷に悩まされる直人を見せられる。万引きした花音も悪いという直人に対して根も葉もない疑惑を掛ける充。
人間全員が普遍的な加害者的要素、被害者的要素を持っており、直人や充や楓を始め、主要人物全てに加害性と被害性がある。
花音ですら被害性だけでなく、万引きをしたという加害性を持っています。
この映画が心のどこかに引っかかるのは皆が普遍的に持っている加害性と被害性を認めたくない自分を感じるからではないでしょうか。
この物語は状況を同じにすれば、(例えば充と直人のキャラクターを逆転させても)誰でも物語として成立するんじゃないか、
と思えるほどの人間の根本に迫ったもの感じました。
加害性と被害性。
ラストは避けようもない事実を受け入れ、それでも生きる充と直人に生への力強い肯定を感じました。
今思えば冒頭の美しい海辺とスローな映像、穏やかな音楽は花音から見た世界だったように思います。
繊細な弱者が辛い思いをするこんな時代ですが頑張って生きましょう。
最後に、あの不協和音のようなおばちゃんはなんだったのでしょう?
彼女にも何かしらのメッセージがあったのでしょうか。
報道はすべて記名、責任者の所在を公開すべき
であると、映画にかこつけて、強く要望します。
無責任で悪意のある報道ほど害なものはないと、この映画を観ても改めて思います。
吉田恵輔監督は回想シーンやナレーションを一切使わず、徹底して今現在から俯瞰しています。
今起きていること、今見えることだけから、横暴で独りよがりな父に対して、娘が心を通じ合わせた瞬間があったのだとすっと納得させられてしまいました。
この映画を「赦し」をテーマとしてご覧になった方が多いようですが、私はもう少し消極的に、「理不尽に折り合いをつける」をテーマとして観ました。
世の中に理不尽はあふれていて、誰もが逃げ切ることは難しい。
そんな中、ただひたすら自分を攻撃する人もいれば、他者を責める人もいる。
それでも心を寄せてくれる人がいれば、ちょっとした共感をもらって、前を向きなおせることもあるのだと、希望はあるのだと語り掛けてこられているように思いました。
寺島しのぶさんは、自分の正義を押し付ける偽善者であるとも見れますが、「正しいことをしたのだから胸を張ればいい」と力強く言ってくれる人の存在は、その時には「劇薬」でも、決して害なだけではありません。
彼女にも何か救いをあげてほしかったようには思います。
思いますが、この映画の結論が、「すべての人に希望は与えらえる」と受け取って良いのかもしれません。
「謝罪」と「赦し」を考える
吉田恵輔監督のオリジナル脚本による作品。
予告編や事前情報からは、娘を突然の事故で失った古田新太が、モンスター化して、学校やスーパー店長の松坂桃李を追い詰めるものと思っていたが、粗暴で高圧的であるものの、一線を越えるところまではいかない。娘の事情を知っている元妻・田畑智子の存在が、歯止め役となっている。
自分の娘のあまりにむごたらしい死を前にして、事実と向き合えずに、誰かのせいにしたい気持ちは理解できる。最初に疑われた学校は、真偽不明の話で、矛先をスーパー店長に向けさせる。スーパー店長は、謝罪する以外、中身のある言葉を持っていない。そうした姿を古田新太は赦すことはできない。
「ごめんなさい」の言葉は、亡くなった娘からも、寺島しのぶのボランティア仲間(無理矢理やらされてる)からも、たびたび発せられる。他に言いようがないので、意味がなくても、つい口から出てしまう。コミュニケーションの断絶。
しかし、自分の命をかけて謝罪しようとした娘に代わって謝罪する片岡礼子の言葉は、「赦し」を乞うというよりも、人の弱さへの「憐れみ」まで感じさせ、それを契機に、古田新太も初めて亡くなった娘に向き合おうとする。
様々な人物とエピソードを骨太に練り上げた力業の脚本は見事。ただし、展開上重要なシーンでありながら、疑問の残るところもいくつかある。(やる気なさそうな店長が、なぜあれだけ執拗に追いかけたのか?古田新太に運転手のことを電話で知らせたのは誰か?なぜ夜中のスーパーに一人でいたはずの店長を寺島しのぶが助けに来られたのか?)
役者陣では、古田新太が堂々の主役。松坂桃李は受けの芝居で難しい役だが、空っぽな感じが絶妙。脇では、藤原季節がいい味を出していて、今後に期待。
2時間あっという間
劇場で鑑賞してよかったー。
桃李くん、相変わらずうだつの上がらないオドオドした役がお似合いです。今回はスーパーの店長。
万引きした女子中学生を追いかけてるうちに、その子が無惨な交通事故に遭い即死。目の前でその光景を見てしまった青柳(松坂桃李)。
被害者のJKの父親、添田(古田新太)は気性が荒い漁師。職場でも家庭でも威圧感がすごく周りは気を使う。
この映画のテーマは"赦す"というところにポイントがあって、私達はいつでも映画のキャラクターのような状況に巻き込まれる、または巻き込んでしまう可能性がある事を本作を観ながら考えずにはいられない。
他のレビューにもあるが、全員加害者のような作品で、残り30分くらいまでは非常に重い。添田が憎んで憎んで、やるせなくて、その思いを青柳や周りの人間にぶつけるしかない。その姿は大切な人を失った悲しみだけではなく、自分自身と娘の間にあった空白が何なのか分からず戸惑う気持ちからの行動だったんだろうな。。。
誰しも自分を正当化して生きている世の中。
その中にはそれを押し売りしてまで他人に自分の存在価値をわかって欲しい人→草加部のおばさん(寺島しのぶ)とか、正当化する気持ちではなくあるがままの事を受け止め、自分の子供のしたことは自分の責任でもあると自覚しながらも赦しを乞う母親(片岡礼子)など、非常にどのキャラクターも印象が強く残った。
添田と共に働く若者、野木くん(藤原季節)は本当にいてくれてよかった。大変なことが起こった人の周りに近づく事は誰しもができる事ではないのに、本当に野木君のような人はとても貴重で大切な人間である。
片岡礼子さんの演技はとても素晴らしく、泣いた。
お母さんってやっぱりあぁでないとね、、、
残り30分の添田は前半とのギャップがすごい。何かを受け入れると人はやはり穏やかになるもんなんですね。"折り合い"って難しい。でも不可能な事ではないはず。それを添田が見せてくれたことが最後にスッキリさせてくれたんだと思う。まぁ、前半の添田の青柳に対する行動やら、万引きの事実が分かったにも関わらずきちんとそれを謝ることができないなど、ダメ親父っぷりもすごかったけどね。
そんな登場人物達に比べて、マスコミの程の悪さ。ほんまメディアてこんなにもいい加減なもんなんですねと呆れますね。今に始まった事じゃないけど、本当に残念。
割り切れない
タイトル「空白」って深い
松坂桃李演じる店長がどんどん壊れていく様は見ていて苦しかった。(それ位、桃李くんの演技が秀逸!)
古田新太のくそ親父が、自死した娘の母親からの言葉(泣けた〜)を聞いて、だんだんと自分と娘の関係に向き合っていく後半は引き込まれた。
最後、元嫁ともやっとまともに話せて救われた。
店長をやめて警備員していた桃李くんにも、昔のお客さんからの言葉があって救われた。
ラスト、娘の絵が父の心の救いとなった。
脚本もありそうな事を取り入れて、よく考えられていると思った。
予告のアオリには⁇
今年一番のすごい映画でした。
なんて言っても、演技派揃い。
最初の事故のシーン、病院のシーンはショッキング過ぎて席を立とうと思ったくらいのリアルさでした。
辛過ぎて続きを見られないかもと思いつつ、脚本と演技にぐいぐい惹きつけられて最後までみてしまいました。
予告のアオリに父親はモンスターに、とありましたが、悲しみを乗り越えるステップとして、あれだけの怒りが必要だったのではないかと、リアリティを感じました。
自分が医療関係者なせいか、彼がサイコパスだとか、モンスターだとまでは思いませんでした。
ただ、娘を跳ねてしまった女性の菓子折りくらいは受け取るか、"あんたには関係ない"と一言言ってあげられなかったのかと、フィクションにこんな事を言っても仕方ないですが、彼女の死がなければ話の流れが変わらなかったのは切なすぎました。
他のレビューにもありましたが、自分としては、くさかべさんの関わるシーンが今年一番のホラーでした。
しかも、うちの職場にもいるんですよね…
スーパーの店長はつらいよ 毎日、深~く反省しております
ふざけてごめんなさい🙏
男はつらいよシリーズの御前様の笠智衆に返す寅さんのセリフを思い出しただけです。
幼い子供を失った親御さんや人身事故を起こした人はとてもつらくて観れない映画です。他にも映画はたくさんありますから、敢えて見ようとするのはおやめ下さい。
キャストがよかったです。
松坂桃李がドアノブであることをしている場面では、松坂桃李じゃなくて、柄本時生でいいじゃんと思いましたが、とおして観るとやっぱり松坂桃李しかいないと思いました。
寺島しのぶ。冒頭の雰囲気からなんかやってくれると思いましたが、期待を裏切らないw
低俗なマスコミにはうんざりですね。
人員過剰の組織の閑人どもの悪態はマスコミだけではなく迷惑千万。
学校の校長のバカで無責任な言動にも腹が立ちます。
趣里が学校の担任の先生なのも効いていました。あとだしジャンケンみたいな懺悔のシーンには誰でも自分の胸に手をあててみたくなると思いました。
弱い人間に強く当たったり、軽蔑する人間たちの話で、スッキリはしません。
冒頭の漁船のシーン。無音でした。エンジンの音や風の音を入れなかったのはどうしてなのか聞いてみたい。底引き漁でした。ワタリガニがちょっとだけ。燃料代を引くと儲けなしです。 漁師訛りや土地の訛りがなかったので、気の荒い千葉の袖ヶ浦あたりかなと思ってましたが、蒲郡でした。漁師は気の荒い人も多くおるでしょうけど、別れたかみさんが再婚していて、自分がひとり娘を養うのは大変ですよ。ついまわりに、とくに親しい人に八つ当たりしてしまう。反省しました。
娘のことをなにも知らずに過ごしていたことを別れた妻に責められるのはつらい。でも、男親ってそんなもんかもしれません。
最初にひいてしまった若い女性、かわいそうでした。その母親役の片岡礼子のセリフが新太に反省を促したのでしょう。よくできたセリフでしたが、そんなに自分の子を卑下しなくても。
藤原季節の演じる父親を漁で失った青年がとてもよかったです。この映画のやりきれなさを緩和する隠れたキーマンでした。
万引きに関しては、小学校二年生のときに宇○川○子の万引きのオトリにされて、捕まったことのあるアタシとしましては、花音(伊東蒼)ちゃんは絶対に万引きすような子とは思えません。ただ手にとって、いろいろ想いに耽っていただけです。宇○川○子は匂い付きの消しゴムを4個も一度に万引きしました。学校の目の前の文房具店で。宇○川○子は大きくなったら、「かんごくさん」になりたいと文集に書いていました。看護婦さんになれたとは思いたくもない。監獄に入れって思いました。つられた自分の弱さや愚かさを反省する毎日はとてもつらかったです。○子の名前は今のかみさんの名前と一緒なのも一生の不覚です。
負の連鎖の根源は父親なのだが
イルカ雲
生きるとは試練を乗り越えていくこと
彼らを叱りつけたくなった僕もあなたも同類だ。
一人の命をきっかけに、登場人物みな、狂ったように正義を押し付ける。
何かを求め感情で動きまわるが、何一つ得られないどころか、信頼を、店を、大切な誰かを失ってしまう。。
古田新太も最後は良いおじさんになったように見えるが、きっかけは死人が出てからだというのは忘れてはいけない(脱線ですが日本の不祥事ってこんなのばっかりですよね)。
娘の交通事故は巡り巡って自分のせいでもあると、こてんぱんにやられて初めて気づくのである。
日常で、何かを言いたくてしょうがない人は世の中たくさんいるけど、自分に返ってきて初めて、愚かさに気づくのだろう。
僕らは決してこの映画をバカにすることはできない。
しかし、ここまでグロテスクな末路の反面、映画館を出ると妙に気持ちがすっきりしているのはばぜだろう。
最終部の、苦しみは時が解決する、真面目にやっていれば良いところを見てくれる人はいる、そんなありきたりな主張がとても心地良く、救われた。
死にたいほど辛くても、一抹の希望は必ず現れ、また立ち上がれる。ものすごく婉曲だが、そんなメッセージが伝わってくる映画だった。
ワイドショーの再現ドラマ
本作は、巷間、非常に評価が高いようですが、誠に狡い作品です。
冒頭の漁のシーンからラストまで、終始手持ちカメラで撮られており、映像は常に微妙に揺れ続け、観客を車酔い状態に陥らせます。更に寄せカットの連続、人の顔のアップばかりでカットが割られ、全体を見せる引きカットは殆どないため、アップされた人物の表情と感情のみに視線は引き寄せられざるを得ません。その上、息抜きや気分転換になるBGMが全くないので、映画はドキュメンタリーフィルムのように進行します。
本作で描かれるのは、半径数百メートル圏内での出来事に過ぎず、あまりにも狭域での狭小な事件であり、観衆にとっては、夢のような別世界の話ではなく、ごく身近な風景の中で起きたことです。それゆえに切実でありながら、一方で所詮は他人事ゆえに大いにゴシップ的な興味が煽られることになります。
カメラの視点は、明らかに作中でも頻繁に表れるTVワイドショー目線、即ち世間の野次馬目線、興味本位のみの第三者目線です。いわば、本作は延々107分に亘るワイドショーの再現ドラマといえます。
人は、己とは無関係の、悲惨で凄絶な他人の不幸な出来事や他人同士の揉め事に対して、残念ながら生来持っている下賤でどす黒い好奇心が強烈に、且つ歪に掻き立てられます。
本作は、被写体を古田新太扮する添田充、松坂桃李扮する青柳直人、寺島しのぶ扮する草加部麻子の三人に絞り込み、常に各々の狂気の様をデフォルメして映しており、核となるスジがブレず、従い観客の好奇の眼を集め続け、好奇の心を掴み続けることに見事に成功しました。
ほぼ1時間半の間、観客は息つく間の無いままに異常な忘我と陶酔状態に置かれ、心にずしりと重い充足感を得たのが、本作への高評価になっているのではないかと思います。
尚、映画のキャッチコピーでは、「日本映画史に残る息の止まる感動のラストシーン」とあるのですが、ラスト10分間での明らかな映像の変調、人物の言動の劇的変化は、私には、よく意味が分かりませんでした。
あくまで私見ですが、カメラの動き、寄せカットの多用、身近な狭域世界の深掘り、それらによって醸し出された緊張感等により、テレビで観るには傑作といえますが、そのスケール感、そのシンプル過ぎるカメラワーク等により映画館で観る映画としては、やや疑問を感じるしだいです。
キャスティング
諸悪の根源はお父さんの気質
こういう人いるいるだけど、この映画ではその誰もがそれぞれの個性の度合いが普通を過ぎている感じで、だからこそこのストーリーが出来上がったのだろう。最初からみんなが折り合いをつけられる人なら、ただの交通事故で1人の少女の命が失われた、それだけ。でも行き過ぎた個性のぶつかり合いは関わった人たちの人生を狂わせた。私はずっと、お父さんの激しい気性が諸悪の根源と思って観ていて最後も結局謝らないのかい💦と突っ込んでしまった。もしかして最初に心に折り合いをつけられたのがお父さんとしたらこれも不公平なんじゃないか、とか娘を失い一番辛い人に厳しいことも思ったけど。。。いつ自分に降りかかるかもしれない、或いは巻き込まれるかもしれない災難、これは怖いなと心底思わされたこの映画。重かったけど、強くて柔軟な心を持ちたい、こんなことを考えさせられてこの先の人生の教訓にしたい、見てよかった。
破滅的なことを予感させたが
今、同じような事件があったとして、作品中であるような報道のされ方があるかというと、まずない。リアリティを出すためには、舞台を昭和にする必要があったと思う。
そこはおいておいたとして、父親の暴走は尋常でなく、破滅的なものを予感させた。破滅的な結末から観客が何かを感じる。そんなストーリーを想像していたが、違っていた。
娘を突然失った父親の喪失感というのは想像できる。その父親が、喪失感を埋め合わせるだけの娘の思い出を持ち合わせていないとなると、外に向かって感情を爆発しないと心の均衡を保てないのかもしれない。
添田は、全く知らなかった娘のパーツを一つ一つ拾い上げて理解していく。この作業にようやくたどり着いて、過去との折り合いをつけるスタートラインに立てた。
100%善なる人間も存在しないし、100%悪なる人間も存在しない。相手の中にある善なる部分に希望を持つことが赦すということなのかもしれない。
あの日に見た白い雲
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