「自分の中にある空白は自分自身で埋めるしかない」空白 Dr.hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
自分の中にある空白は自分自身で埋めるしかない
2021.9.23 イオンシネマ久御山
2021年の日本映画(107分、PG12)
万引き逃亡から死亡事故に至った事件を機に、それぞれの正しさが暴走するヒューマンドラマ
監督&脚本は𠮷田恵輔
物語は蒲郡の沖合にて漁をする添田充(古田新太)が描かれて始まる
新人の野木(藤原季節)に無理難題を押し付けながら、ひたすら怒鳴るだけの日々
そんな充にも中学生になる娘・花音(伊藤蒼)がいたが、妻・翔子(田畑智子)とは既に離縁していて花音の親権は充が持っていた
花音は学校では目立たない子どもで、動きの鈍さから担任の今井(趣里)からも叱られてしまう毎日
美術部でも存在感がなく、自己主張をあまりしない娘だった
ある日、父に何かを相談しようとしてタイミングを逃した花音は、翌日スーパーで化粧品を万引きしてしまう
それを見逃さなかった店長の青柳直人(松坂桃李)は花音をバックヤードに連れて行く
だが、間もなく花音は店を飛び出して逃げ出し、青柳はそれを懸命に追った
そして、交通量の多い道を横切ろうとした瞬間、加音は中山楓(野村真純)の運転する乗用車に轢かれ、そして連続して大型トラックに引きずられて即死してしまう
事故を聞きつけた充が警察に駆けつけるものの、花音の遺体は損傷が激しく所持品からしか身元を特定できなかったのである
物語は「万引きの末に人を殺した」と報道されるスーパーと、葬式にて青柳に暴力行為寸前に至った「狂気の父」のどちらもがマスコミの餌になり、ネットのおもちゃになるところから動き出す
切り取り報道にキレた充が青柳に執拗に迫るようになり、それを見兼ねた店員の草加部(寺島しのぶ)は「店の潔白を訴えよう」とビラ配りを始めたりもする
それぞれが事件によって感情的になって、自分自身の正しさを振り翳しながら、さらに事態は混迷を極めていくのである
映画は「事故死した娘の父の暴走」という側面が訴求効果になっていて、その怪演が波紋を広げていく
それでも、その行動を誘発するものが青柳側にもあり、彼の逃避傾向が事態を助長させている場面もある
また、正しさを相手にわからせようとする草加部の行動がさらに火に油を注いで、充の行動を正当化していくようにも見えるのである
誰の行動が正しいのかという観点で映画を見ると誰もが正しくて、誰もが間違っているように見える本作は、それぞれが持つ価値観を揺るがしていく
死んでから父親になろうとする充
結局のところは他人事に思っている青柳
私がいなければと常に中心にいようとする草加部
だが、これから紡いできた爆発的な負の連鎖をキッパリと断ち切ったのが、楓の母・緑(片岡礼子)の言葉であると言える
彼女の言葉は同じ境遇になっても到達できない悲しみというものに踏み込んでいて、それぞれの死は関連性があるように思えて無いと断じていることである
花音の死の、その先にあった楓の自殺は延長線上にあるように見えて、似て非なるものである
充が事故相手の謝罪を受け止めなかったから楓は死んだと考える向きもあると思うが、だからと言って飛び出し事故の運転手が全て罪に病むかと言われればそうではないだろう
それぞれが事故によって「空いてしまった穴」を埋めるために、「自分を罰する言葉」を待ち望んでいて、誰もがそれを埋めようとはしなかった
それゆえ、誰かの言葉が埋めるはずだった「空白」を自分が埋めざるを得なくなって、それによって狂っていくとも言える
そんな中で緑だけが正気を保っているように思えるのだが、彼女も同じく「自分の言葉」で空白を埋めているに過ぎない
誰かの言葉がないのなら、自分で自分を傷つける
その手段が言葉だったと言うだけで、緑と楓は本質的に違わないとも読み取れるのである
いずれにせよ、出演者全員の熱量が凄まじく、これだけ配置の上手いキャスティングも珍しい
この映画ではそれぞれのキャラクターに清濁の部分があったとは思うが、一貫して「濁」しかなかったのはマスコミではないだろうか
良い画が撮れた後に「よし!」と呟いたスタッフを誰も咎めないように、そこで事件を俯瞰するだけの人間は「ネットの悪意」よりも質が悪い
ただ、そう言った社会の負を求めている人間がいるのも確かで、それによって心の充足を得ようとする人も多い
映画の中盤で担任が自分のことを悪く言うシーンがあって、それを他の教員と教頭が嗜める場面がありました
「それはズルくない? 今になって理解者ぶるのはズルくないですか?」
自分をセーフティゾーンに入れるために他人の偽善を見抜いて解釈を与える
このシーンはとても印象的で、そう言った会話を笑ってできると言う闇というものが事件の発端だったようにも思えた