「今まで当たり前に有ったものが突然失くなった(“空白”になった)時の人間の姿を「映画」という手段でしか出来ない表現で描き出している。(巧く言えないな。)そこに感心した。」空白 もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
今まで当たり前に有ったものが突然失くなった(“空白”になった)時の人間の姿を「映画」という手段でしか出来ない表現で描き出している。(巧く言えないな。)そこに感心した。
①古田新太のモンスターファーザーぶりが話題になっているようだが、そんなにモンスターとは思わなかった。花音ちゃんの無惨な死体のイメージが映画を観ている間ずっと脳裏に焼き付いていて(それを目の当たりにした)この父親の暴走ぶりを心底憎めない。確かにああいうのに付きまとわれるような事態に会わない幸運を祈りたいが、「いるよね、こういう人。」という範囲を逸脱していないと思う。人との関わり方、距離の取り方や思いもよらない事態に直面した時の対処の仕方等にかなり疎い極めて不器用な人間なのだろう。あれだけ「万引きをしていない」ことにしがみついていたのに「してた」証拠を見つけた時にこっそり捨ててしまうセコさ、狡さ。しかし、スーパーマーケットまで閉めさせてしまったのだから今更「間違いでした。すいません。」と言えない小心さ、保身ぶり。でもその人間臭さは誰の中にもあるでしょう。ラストの方で変に物分かりの良いオヤジになってしまったのが少し甘いかな、と感じたくらい最後までもう少しイヤミなオッサンでいて欲しかったかも。②驚いたのは松坂桃李の上手さ。でもその上で言わせて貰うとこの映画ではミスキャストだと思う。彼のようなメインでも主役の張れるイケメン俳優ではなく、寺島しのぶの気を引くくらいのイケメンで色気は有るけれどももう少し地味な俳優だった方がキャスティング的にはバランスが取れていたと思う。終始謝罪するばかりでこちらから積極的に対応策を取ろうとしない姿には正直イライラもさせられたが(わたしも寺島しのぶタイプの人間なのかもしれない)、松坂桃李でなければそこまでイラっと来なかったかも。スーパーマーケットを守ることに精一杯だったのか、あんなに初音ちゃんをしつこく追いかける必要があったのか。私なら途中で諦めているだろう(その前に体力的に無理だけど。)それとも、自分では必死に否定しているが、あそこまで追いかけたことや、自己弁護をせずあくまでも謝罪に終始する態度を見ると、もちろん性格のせいかもしれないが、やはり父親に疑われるようなことが実際はあったのかも知れない。③寺島しのぶ演じる明るくて前向きで正義感があって(その正義感を疑っていなくて)ややお節介焼き(ボランティア活動がお節介だと言っているわけではありません)のオバサンも「いるいる」キャラクターだ。実は心の奥底ではいつもハッキリしなくて何を考えているかわからないボランティア仲間に苛立っている。そういう意味では松坂桃李もハッキリしない何を考えているかよくわからない同じような男なんだけど、こちらの方は好意を寄せているだけに自分が助けてあげないと、支えてあげないと、戦ってあげないと暴走ではないが突っ走ってしまう。古田新太の方が悪い方のKYだとするとこちらは良い方のKYだな。そして結局その善意(好意)も松坂桃李にとっては迷惑というか苦痛でしかなかったのを知り、想いも行き場を失くして、ボランティア仲間に八つ当たりてしまい、自己嫌悪に泣いてしまう独身の中年女の内面を的確に演じて相変わらず寺島しのぶは巧い。④藤原季節演じる青年は、「きつくてやってられないすよ」と言いながらも一旦首にされながらも、何かと古田新太のオッサンを気遣う。傍目には自分勝手でご迷惑な人にも一人くらいは理解者や味方はいるもんだ、ということを体現しているこの映画で一番の救いかも知れない。古田新太が映画の中で初めて笑顔を見せるのも彼に対してだし。⑤白眉だったのは、自殺してしまった第一加害者の女の子の通夜のシーン。普通なら行きづらいと思うが(私が同じ立場だったら行けないかも)、『謝らないからな』と憎まれ口を叩きながらもキチンと喪服を来て現れたのは心の何処かで罪悪感を感じていたからだろう。こういう人は他人も自分と同じように思い振る舞うだろうと考えるから、母親から恨み言を言われると覚悟していただろうが、母親が述べたのは人間として余りに真っ当な言葉。恐らく今までそんなことを言われた事がなかったのではないか。そう思うと気の毒な男だなとも思える。⑥古田新太演じる父親にほぼ唯一意見できる元妻役の田畑智子も好演。元朝ドラ女優も安心して観ていられる堅実な助演女優に成長した。しかし、よくこんな男と結婚したな、と思うけど年齢差があるようだから若気の至りか、それとも昔はもう少しマシな男だったのか?⑦『死んでから理解者ぶるのは狡いですよ』と同僚教師にイヤミを言われても、生きているときはちゃんと向き合えなかった花音ちゃんの「空白」に向き合おうとする担任の教師。人間は相手の存在が「空白」になって初めてその相手の存在に真剣に向き合き会わなければならなかっことに思い当たり、「空白」を埋めようとするけれども埋められないし埋めようもないことに気づいて、そのことに何とか折り合いを付けようとあがく悲しい生き物なのかもしれない。父親も生きている間はマトモに向き合わなかった花音ちゃんの「空白」に向き合うことになるわけだが、最初は向き合いかた自体が分からないので暴走してしまうけれども、やがて本当に向き合おうとする。それでも「空白」は埋まらないし埋めようもないのだが、少しでも娘を理解出来るならと書いた下手な絵の中の一枚と、生前花音ちゃんが書いた絵の中の一枚とが構図(視点)も全く同じ、雲をイルカと捉えた感性も同じなのを発見するラストに、やや出来すぎとも思えるシーンだが、その「空白」が少しだけ埋まったように思う。