「【“まやかしでも、人には必要な時がある・・。” 不寛容な思想が広がる現代を”のさり”の精神を心の片隅に持って生きていきたいと思わせてくれた、ファンタジー色を纏った印象深い作品。】」のさりの島 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【“まやかしでも、人には必要な時がある・・。” 不寛容な思想が広がる現代を”のさり”の精神を心の片隅に持って生きていきたいと思わせてくれた、ファンタジー色を纏った印象深い作品。】
ー ”のさり”とは・・。佳い事でも、そうでない事でも、自分の今ある境遇は、天からの授かりものとして否定せずに受け入れるという、天草地方の優しさの原点ともいえる言葉。(フライヤーより)ー
◆感想
・オレオレ詐欺の受け子の男(藤原季節)は、九州各地区で、オレオレ詐欺をしながら、天草に辿り着く。早速、町一番のアーケード街”天草銀天街”の端っこで、電話を片っ端からかける。
その中で、電話に出たのは老婆(原知佐子)だった。
男は殆どの店のシャッターが下りたアーケード街をアプリを使って行って見ると、そこは小さな楽器店だった。
男は”孫のしょうたから頼まれた者だよ・・”と言って金をせびろうとするが、老婆は耳を貸さず親切に男を風呂に入れ、美味しそうな料理を振舞う。
”何やってんだ、俺”と呟きつつ、男は美味そうに料理と酒を口にし、眠ってしまう。
ー この導入部分から、藤原季節さんと、故、原知佐子との面白き演技合戦に引き込まれる。お二人とも素敵な俳優さんである。原さんに合掌する・・。ー
・男は、翌朝も老婆の指示で洗濯モノを取り込んだり、2階の物置の整理をしたり・・。老婆はコッソリ、男の財布とスマホを隠す。男は最初探し回るが、そのうちに気にもしなくなる・・。そして、地元のラジオ番組のパーソナリティ清ら(杉原亜実)たちとも、交流を深めていく。
ー 清らの友人ゆかり(中田茉奈実)から、”スマホで遣り取りしようよ”と言われて、ニコリと”スマホ無いんですよ”と言う男。オレオレ詐欺の入れ子からの電話が鬱陶しい事もあっただろうが、自由になった気分だったのだろう。ー
・寂びれたアーケード街の片隅で、毎晩ブルースハープを吹く女。彼女のハーモニカの音がこの映画では、効果的に使われている。
彼女は、昼はドルフィン・ウォッチングの受付をしている。
ー 今作の魅力は数々あるが、ブルースハープの音色と、大都会から来る人々と、天草の人々の時間の流れの違いの描き方も、上手い。ー
・地元のラジオ番組のパーソナリティ清らたちは、且つての天草銀天街の賑わいを記録した映像を探す。だが、東京オリンピック閉会式の夜に大火に襲われた天草では、ナカナカ当時の記録が見つからない。
ー そんな中で、しょうたを名乗る男が、老婆の家の物置を整理している時に見つけた古いアルバムに貼ってあった写真。それでも、男は、老婆に普通に接する・・。老婆も・・。
二人が、本当の孫と祖母に見えてくる・・。ー
・清らは、ある日男を誘って海辺に行く。そして、男に聞く。”貴方は本当は何処の人なの・・”
男は”何が本当か、分からなくなったんだ・・。”と答える。
ー のさりの優しき精神に男が引き込まれている様が、良く分かるシーンである。ー
<都会から来たオレオレ詐欺の男は、ゆるやかに流れる天草の時に身を委ねるうちに、天草の人々の優しさに絆されていったのだろう。
勿論、その筆頭は孫が死んでいる事を知りながら、
ー ラストシーン、老婆が伏せてあった孫の写真を元に戻し、位牌に対し祈る姿・・。ー
男の嘘を、優しく受け入れ、優しき対応をした老婆である事は、間違いない・・。
そして、天草の人々の優しさも・・。
男は、老婆の家を出て、ある漁港で漁師が海辺に立つマリア像を見ながら、言った言葉
”まやかしでも、人には必要な時がある・・”と声を掛けられる。
彼は、真っ当な道に戻る事は出来たのだろうか。
きっと、真っ当な道を歩んでいくと、私は信じたい。>
<2021年7月25日 刈谷日劇にて鑑賞
・山本監督の舞台挨拶と、将来監督を目指す大学4年間をこの映画製作に捧げた青年の話も大変面白かった。
・そして、映画製作に如何に労力と時間がかかるかを改めて教えて頂いた。
・オリジナル脚本で勝負する、山本監督の明るいトークの中で閃く聡明さも、印象的であった。>