「昭和テイストにビックリの『犬鳴村』でしたが、今回は観る前から「樹海...」樹海村 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
昭和テイストにビックリの『犬鳴村』でしたが、今回は観る前から「樹海...
昭和テイストにビックリの『犬鳴村』でしたが、今回は観る前から「樹海って、どうよ・・・」という期待薄満載。
とはいっても、観ちゃうんですが・・・
と、はじめる前に断っておきます、傑作です、と。
富士のすそ野に広がる自然林の樹海。
毎年の自殺者は少なくない。
そんな中、樹海警備員(らしい)出口(國村隼)は、自殺志願者の女性ピックアップした路上、樹海から現れた幼い娘ふたりを保護する。
時を経、ユーチューバー・アキナ(大谷凜香)が、実況中継で樹海探索の途中、謎の男性の姿を見つけ、後を追ううちに交信不能となってしまう。
その中継を見ていたのが、樹海にほど近い村で暮らすハイティーンの少女・響(山田杏奈)。
彼女は「ジーニー」のハンドルネームで、その種のオカルト心霊配信の熱心な視聴者であったが、自身もどこからしらスピリチュアルな要素があった。
そんな響だったが、姉の鳴(山口まゆ)とともに、幼馴染の輝(神尾楓珠)と美優(工藤遥)が新たに暮らす新居の引っ越し作業の手伝いに出た際、新居(といっても古い一軒家だが)の軒下から一抱え程度の不気味な小さな木箱を発見する。
あまりの不気味さに木箱を、居宅の貸主に預けたところ、その貸主が突然の交通事故に見舞われてしまう・・・
というところからはじまる物語で、出だしは樹海が舞台だけれども、鳴と響と姉妹に話が移ってからは、あまり樹海の要素がない。
前半、メインとなるのは、コトリバコと呼ばれる不気味な木箱で、それに関係した人々が次から次へと悲惨な事故に遭ってしまう、というもの。
まぁ、この前半はそれほど面白いわけではありません。
いわゆる「呪われた何々」のパターンどおり。
で、俄然おもしろくなるのは終盤。
その不気味な木箱の出自が、昭和の初めごろまで樹海に棄てられた不具者(いまでは、こんな言い方はしません。以下では忌棄者と表現します)たちが、樹海の中で集団で生き延びた村の怨念・妄念の集合体のようなものとわかり、忌棄者たちが生き永らえた集団を「樹海村」と呼ぶあたりから。
興味深いのは、忌棄者たちは、その後、自然森林の土の精、樹の精霊と結びついたかして、人とも土とも樹とも判別しがたい状態となってしまったこと。
登場する忌棄者たちは、『怪物團 フリークス』や『悪魔の植物人間』を思わせるような雰囲気。
土と樹と人が一体となったような動きは、昭和40年代の前衛舞踏を彷彿とさせます。
映画の展開はさらに驚くもので、スピリチュアル要素の響は、ある事件がきっかけで解離性精神障害と診断されて入院することとなり、替わって姉の鳴が不気味な木箱と自分たちの出自を検証する役となり、彼女も妹同様にスピリチュアル気質に覚醒して、過去の出来事を幻視するようなります。
そして、最終盤、危機に陥った鳴を救うのが精神的存在となった妹・響(ここで名前の意味、「響鳴」となるわけです)。
救い方がまた見もの。
土と樹と人が一体となった忌棄者たちに身を投げ出した響は、『ミッドサマー』もかくや、という形態へと変化する・・・
さらに、土と樹と人が一体になる響の精神的存在に対して、刑務所を思わせるような病院の個室で監禁されている(としか思えない)実存的響に襲いかかるのは、樹木たちの影!
と、このあたりになると、ツジツマがどう、どういう理由で・・・といってはいけない。
いうのは野暮、バカらしくなります。
ここいらあたりは、ラース・フォン・トリアー監督『アンチクライスト』に匹敵するかも。
と、樹海を舞台にした近年の映画『追憶の森』『Vision ヴィジョン』あたりと比べると、ぶっ飛び加減がまるで違います。
妄執と異形が合体した、樹海ならぬ傑作「呪悔村」、といっておきます。