「酷評が聞こえる東映=松竹初配給映画『大怪獣のあとしまつ』、ロードシ...」大怪獣のあとしまつ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
酷評が聞こえる東映=松竹初配給映画『大怪獣のあとしまつ』、ロードシ...
酷評が聞こえる東映=松竹初配給映画『大怪獣のあとしまつ』、ロードショウで鑑賞しました。
日本を恐怖とと絶望をもたらした大怪獣が突如死亡。
死体は利根川下流域、千葉県と茨城県の県境あたりの横たわった。
政府は早速、周辺環境に及ぼす影響調査を行うとともに、その後始末をどうするかの論議に入った・・・
というところからはじまる物語で、怪獣を倒す映画やドラマは多かったが、その死体の後始末というのは現代未聞のテーマだろう。
なので、設定的にはハードSFの部類に入るだろうし、過剰なコメディ要素をはぎ取れば、たぶんそのとおり。
しかしながら、怪獣来襲という非常事態から、怪獣斃死という非常事態が緩和されて、日常に近づいてきているので、緊迫感が薄らいでしまうのはどうしようもない。
「笑いは、緊張の緩和である」とは、故・桂枝雀の言であるが、緩和した緊張は笑うしかない。
笑うしかないのは、どうしようもない。
で、そんな緊張の緩和下での主要な登場人物は、政治家たちで、かれらは未曾有の危機の国難去ってのこの時期を絶好の好機にしようと企み弄ぼうとするのは、政治家の本能。
彼らが吐き散らす言葉は、どうしようもなく、くだらない。
と、みんな、思っているでしょ? 政治家の言う言葉なんて、信じてないでしょ?
映画だったら、信じちゃうのかなぁ、未曽有の危機に立ち向かう政治家たち、っていうの・・・ と監督は思っているんじゃないかしら。
だから彼らの言葉はくだらない。
怪獣後始末の発想も、それほど高尚なことはない(水洗トイレは流すよね?的な発想だ)。
ということで、意外と面白かったです。
発想の原点は、東映=松竹で、「シン・ゴジラ」「シン・ウルトラマン」に対抗した「大怪獣映画」を撮ろうとした。
そしたら、その後、以下のようなやり取りがあったんじゃないかしらん。
「それじゃ、シン・大怪獣映画ね」
「"シン・大怪獣"って10回言ってみて?」
「"シン・大怪獣" "シン・大怪獣"・・・ 死んだ怪獣!」
「死んだ怪獣の映画でいいんじゃない。 だって、われわれは着ぐるみ、下手だからなぁ」
「動かないやつ! 絶対、円谷は手伝ってくれないだろうから」
「円谷ならば、ウルトラマンも入れれないか? 「シン・ウルトラマン」のお株奪っちゃおうよ。向こうは絶対作るの遅いよ!」
「でも、ウルトラマンは出せないよ・・・」
「『大怪獣東京に現る』の手があるよ!」
この後、大怪獣の大きさを強調するために、俳優陣は身長の低いひとたちをキャスティングすることが決まったとか、決まらなかったとか・・・
妄想は、これぐらいにしておきます。