「あとしまつ、出来ないモノ、、、」大怪獣のあとしまつ しゅうへいさんの映画レビュー(感想・評価)
あとしまつ、出来ないモノ、、、
通常スクリーンで鑑賞。
ノベライズは未読。
東宝以外の映画会社(東映・松竹と云う史上初・前代未聞のタッグ!)が久々に製作した特撮エンターテインメント。
かつて特撮怪獣映画が一大ブームだった折り、パイオニアの東宝に追いつけ追い越せで、当時の日活や大映、果ては松竹までもが怪獣映画をつくった時代がありました。
そのムーブメントの再来を予感させるには、残念ながら及ばずの感があったものの、三木聡監督のオフビートな世界観が炸裂した、「らしさ」全開の作品でした。
怪獣の死体処理、と聞いてすぐに思い浮かべたのが、「ウルトラマンティガ」第5話「怪獣が出てきた日」でした。海岸に怪獣の死体が漂着し、特捜チームが処理に当たろうとした矢先怪獣が復活してしまう、と云うストーリー。
純粋な死体処理の物語ではありませんでしたが、同作以外にも「パシフィック・リム」など、怪獣の死体についてはこれまでにも(若干ではありますが)触れられて来た事柄でした。
しかし本作は、ありふれているようで実はあまり取り上げられて来なかった怪獣の死体問題を全面に押し出して、一本の大作に仕上げてしまったのは単純にすごいし着眼点が良い。
怪獣映画なのに、怪獣は全く動かない。しかし、動かない怪獣―死体の処理に人間たちは翻弄され、絶体絶命の危機に直面してしまう。そこに本作の面白味があるはずなんだけど、それをリアルに描くかコミカルに描くか、どちらかに振り切らず欲張って両立させようとしたところはいただけないかなぁ…
公開直後、ツイッターなどで賛否両論の嵐となりましたが、この騒ぎの根本原因として本作の予告編のつくり方が大いに関係しているであろうことは明白でしょう。
予告編では、「シン・ゴジラ」的に怪獣の死体処理に関して政府はどう対処するのか、と云うことをリアル志向で描くかのように思わせる演出が成されていました。
私はこの予告編を観た時、違和感を覚えました。
監督は三木聡なのに、リアル一辺倒なわけなかろうと…
その予感は的中していました。
元々三木監督の世界観は好きだったし、構えて臨むことが出来たのでかなり楽しめましたが、「シン・ゴジラ」のような作風を期待していた方にとってはこれじゃない感満載に映っただろうし、純粋な特撮作品として観た場合はかなりアンバランスなものに思えたのではないかなと感じました。
怪獣は、社会情勢や時々の諸問題の暗喩として我々の前に現れ、警鐘を鳴らす存在でした。本作の大怪獣「希望」は、福島第一原発の暗喩として、一級河川に横たわっていました。
その後始末に翻弄される人類でしたが、繰り出す作戦はことごとく失敗し、緊急事態には即応出来ず、最終的にはデウス・エクス・マキナのような存在がいなければ解決出来ないような代物を、そもそも持つべきではなかったのでしょう。
代表的な例としては、やはり原発。自らの手に余るものを持ってしまった今となっては、いざと云う時のことを考えて、常日頃から備えておくべき。神など実際は現れないのだから、自分たちの手で後始末が出来るようにしないといけない。
[余談1]
原発事故時や現在の新型コロナウイルス流行における、政府の後手後手だったりぐだついていた対応を、ブラックユーモアを交えた滑稽な演出で茶化しまくっていたのは、「ドント・ルック・アップ」にも通じる批判精神が感じられ、笑いつつも現実とのリンクに深く考えさせられました。
[余談2]
岩松了、ふせえり、笹野高史と云った三木組の常連俳優たちが軽妙な演技を見せ、シーンを掻き乱し、絶妙な笑いを生み出していました。特にふせえり。蓮○イメージの環境大臣をパワフルに演じていて、彼女でスピンオフつくって欲しいくらい。
[追記(2022/02/12)]
ラストについて、一緒に観た同僚が一言―
もしかしたら、変身すると人間に戻るまで時間が掛かってしまうから、ギリギリまで頑張って、どうしようもなくなった時にしか変身出来なかったんじゃないでしょうか?
なるほど、と思いました。
アラタが最初に光球に衝突した際、2年間行方不明になっていたのがその証左ではないか、と考えました。でも、怪獣を倒した直後はすぐに人間に戻れているから、もしかしたら変身には回数制限があるのかもしれないなぁ…
※修正(2024/03/02)
ありがとうございます😊
そんなに褒めていただけるだなんて、大変恐縮です。
かなり批判されているラストの展開については、監督から日本への精一杯の皮肉のように感じました。
しゅうへいさん、サスガの分析に感服しました。
純粋に感じたこと、見方によって懸念されること、物語の不足部分を補う考察、、、手練れの観客による評論の見本です。
私も勉強せねば!