「「望み」とは?」望み R41さんの映画レビュー(感想・評価)
「望み」とは?
息子タダシの仲間が何者かに刺され、遺体で発見された。
警察の捜査上に浮かび上がった「タダシ」は、もう2日間も帰ってきていない。
ざわつき始める周囲と、誹謗中傷の渦の中に巻き込まれてゆく家族。
誰もがタダシは犯人じゃないと言うが、心の中は半信半疑だ。
父は、タダシが小刀を持って出た情報から、信じていると言いながらも疑心暗鬼が募る。
母は、犯人でもいいから生きていてほしいと望んだ。
この微妙なスタンスが、家族を引き裂いてゆく。
このどんよりと思い流れが後半まで続く。
タダシも、少年AとBによって殺害されていた。警察は両親に、「子供の本当の姿を知ったとき、一番悲しいのです」という。
さて、この作品のタイトルの「望み」とはいったい何を指すのか?
この作品という条件で言えば、起きてしまった事件後の「望み」なわけで、それが両親の中で違ったニュアンスがあり、それが亀裂の原因でもあった。
救いは、タダシは家では何も話さなかったが、将来の展望や尊敬する父の言葉を大切に押していたという、彼の本当の姿が美しかったことだろう。
私の息子は小児がんで生まれて、何度も腸閉塞で入院手術という経緯がある。
私が息子に望むのは「ただ生きていればいい」だけ。
大学生になってもゲームが好きで、帰省した時は一日中遊んでいるが、それでいいと思っている。
息子が入院していた時、そこには奇形の奇形といわれるような子供たちがたくさんいた。
肛門がない、腸がない…
その親たちはみな、生きてほしいとだけ願う。健康を願う。
これ以上のものはないと思う。
それだけで十分だと私も思う。
親が子供に「望む」のは、それだけでいいと思う。
子供がどれだけ正義感が強くても、死ねば、空になってしまう。
あの、家族写真のように。
そうなってしまえばもう何も望めない。
コメントありがとうございます😊
わかりませんが、日本国の歴史にも関係ある心情かも。侍時代での切腹に通ずるような命で名誉を守ることが正しいという考え。
罪を犯し生きていることは我が国では恥晒しでしかなく映画作品として観客に受け入れてもらいにくいと考えたから、と思いました。