劇場公開日 2020年10月9日

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「☆☆☆★★ 冒頭、『市民ケーン』のファーストシーンを意識するかの様...」望み 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0☆☆☆★★ 冒頭、『市民ケーン』のファーストシーンを意識するかの様...

2024年3月9日
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☆☆☆★★

冒頭、『市民ケーン』のファーストシーンを意識するかの様なカメラワークから、映画本編は始まる。

原作読了済み。

これはかなり読み応えのある原作でした。

〝 自分の息子は果たして殺人犯なのか? 〟

普通の家族を襲った《世間からの厳しい眼差し》

「息子の無実を信じたい。だけどひょっとしたら…」との思いが拭えない父親。

「あの子は人殺しなんかじゃない。そんな子じゃない。」と、オロオロするしかない母親。

「どうするのよ!私、行きたい高校に行けなくなっちゃう!」と、憤る娘。

一見すると何の問題もない幸せな家庭だったのだが。実は事件の前から、夫婦関係であり親と子の間には、それぞれ小さな亀裂が入っていた。
その亀裂は、事件が明るみになるに連れ、次第に大きくなって行く。

だが、この原作が本当に面白かったところは…。

徐々にこの家庭に於いて、「ああしなさい!こうしなさい!」と、実権的な決定権を握っていた父親が。「どうすれば良いのだろう、、、」と、オロオロし始め。逆に、始めはオロオロするしかなかった母親が、父親とは逆に「私がしっかりしなければ!」とばかりに。次第次第に立場が入れ替わって行く辺り。

食べ残したチャーハンを三角コーナーのポリ袋に捨てる。
皿に残っている間はかろうじて食べ物のなりを保っていたチャーハンが、ポリ袋にはいった瞬間に穢れをまとい、グロテクスなごみへと堕していく。
(原作191頁より)

マスコミの餌食となり、徐々に世間から好奇の目に晒されて行く家族。
この家族を知る人達からは好き勝手な言われようを浴び、SNSでの言葉の暴力から、メンタルを削られて行く。
多くの〝 面白がる人達 〟から格好の餌となってしまう地獄の日々が続く。

父親は世間体を気にし始めた途端に、それまでの「あの子は無実だ、間違いないんだ!」との思いが揺らぎ始め。逆に「もしも犯人だったなら、今までとは全く変わってしまうんだ!」と、体裁を取り繕ろうとする。

ところが母親は、「寧ろ殺人犯の方が良い!母として生きていてくれるのを望む!」と、強い意志を露わにする。
この逆転現象が、読み進めて行くに従っての1番面白い部分だったと言えると思います。
だからこそ出来上がった映画本編を。単なる事件の結末から、お涙頂戴の家族ドラマに仕立て上げてしまったならば、この原作の面白い部分が観客には伝わらないのでは?…とゆう気がしました。

後半に於ける母親の心変わりによる〝 人間の業の深さ 〟
「絶対にこうだ!間違いない!」…との決め付けをしていた人達が、事件の全容が明らかになるに連れて(そこは原作には詳しくは描写されてはいないものの)どの様な気持ちで、この家族を見つめて行くのだろうか?
その辺りが、映画化に於いてはおそらく1番大事な部分なのでは?…と。

↓ 以下は、映画本編を観ての感想になります。

ん〜〜〜〜〜! そりゃ〜そうなりますかね(-_-)

オープニングとエンディングを映画的なカメラワークで「どこの家でも起こり得る出来事なんですよ!」…とばかりに、映画的な広がりを持たせて描写するのは良いと思います。

但し、やはり恐れていた様に、単純な《親子愛》を強調する作品になってしまったのは、残念なところでした。
まあ、ある程度は予想出来ました。その様に描く方が、なによりもお金を出して観に来てくれるお客さんには1番分かりやすいのだから、、、

その為に、色々と原作の部分をカットしており。原作の後半に登場する、中学生時代のサッカー仲間の男の子や、飼っているペットのクッキー。更には、マスコミ報道の加熱振りも細かな点でカットされていた。

マスコミ関連で言えば。原作では描かれていた、執拗に鳴らされる呼鈴や固定電話(仕事の為に必要)など。そこまで固執しなくても良い箇所も有るには有るが。2階の妹の部屋への盗撮で有り、愛犬には散歩させなければならないので、やむなくマスコミの前に出なくてはならなくなり。その事で一方的に(加害者として)責め立てられ、不条理な状況にドンドンと追い込まれて行く描写。
お通夜の時に暴力を振るわれ、マスコミの餌食にされた瞬間。自体が一変し、マスコミが一斉に撤収する慌て振り等は描かれてはいない。

それらの、SNSでの無責任な書き込みと並び。現代社会での加熱報道の行き過ぎが、映画本編ではないがしろにされていたのは、正直なところ少しガッカリとしました。

そして何よりも、映画本編で《親子愛》を強調した事で、原作が描写していた〝 人間の闇の深さ 〟 が薄まってしまったのが、、、

映画が原作との違いをはっきりと見せるのが、最後に明らかになる母親とジャーナリスト内藤。父親とリハビリ医師とのエピソードの順番。

映画ではこの2つの順番が入れ替わっており。父親の言葉が、息子の胸に届いてくれていたのが分かる、感動的な終わり方(の様に)に描いていた。

…しかし………

原作の恐ろしいところは。母親とジャーナリスト内藤とのエピソードで、「例え殺人犯だったとしても、母親として生きていて欲しかった、、、」とゆう、人間の闇の深さを露わにする言葉で唐突に終わる事で…。

〝 結末はこうなったものの、本当は逆の立場も有り得たのです。貴方ならば、その時にどちらの立場を《望み》ますか? 〟

…と、問われているところだと思ったのですが、、、

それにしても、この監督は相変わらずに光の描写が好き過ぎて、観ている間「おいおい!また光当てますか〜!」…と(u_u)

2020年10月10日 TOHOシネマズ錦糸町オリナス/スクリーン3

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松井の天井直撃ホームラン