「心の優しい子供ほど両親に心配をかけまいとする。 しっかりした子供ほど自分で問題を解決しようとする。」望み kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
心の優しい子供ほど両親に心配をかけまいとする。 しっかりした子供ほど自分で問題を解決しようとする。
WOWOWの放送にて。
ちょっと、泣かずにはいられなかった。
母親と父親の子供に対する思いの違い…堤幸彦は『人魚の眠る家』でも、事故で植物人間化してしまった娘に対する母親と父親の思考の解離を描いていた。
母性と父性の違いと言ってよいのだろうか…。
ニコール・キッドマン主演の『ラビット・ホール』で、事故で幼い息子を亡くした夫婦が、悲しみ方、克服のし方が違うことで対立する様子か描かれていたのを思い出した。
行方知れずの息子は殺人事件の加害者か、被害者か。
加害者であっても生きていてほしいと願う妻。死んでいたとしても加害者であってほしくないと願う夫。
そもそも事件とは関係ないことを私なら願うと思うのだが…その部分においては、原作がベストセラー(未読)なのだから、小説ではもっと納得できる設定なんだろう。
夫(父):堤真一
妻(母):石田ゆり子
息子 :岡田健史
娘(妹):清原果那
なんと、理想的な一家か。
ほとんど主人公の自宅が舞台で、息子が巻き込まれる事件はあるものの、さしたるアクションはない。
タイトル明け、俯瞰撮影で町並みを延々捉えて主人公宅にカメラは降りていく。
そしてエンディング、主人公宅からカメラは上昇し、町全体を捉えて終わる。
このオープニングとエンディングは堤幸彦が得意の移動撮影だが、本編でもさりげなくカメラが動くショットがちりばめられていて、場面の単調さをカバーしている。
舞台設定が地味でも映画的スケールを出す良い手本だ。
奥寺佐渡子の脚本は、泣かせる台詞は上手だと思うのだが、ストーリー全体としては物足りない感じが強い。
前述した夫婦が二択で割れるのもそうだが、まだ第二の殺人が確認されていない段階で、犯人でないなら殺されていると決めつけたかのようだ。
事件の真相説明も少し雑に感じた。
何より、マスコミの取材陣と竜雷太演じる大工の棟梁の言動が、あまりにステレオタイプだ。
逆に、雑誌記者の松田翔太が意外にものわかりがよい紳士だったのは拍子抜け。ただ、彼は母親の最後の台詞を引き出す役回りだったことで、納得。
息子を信じる同級生の女子たちには感動したが、つまり彼はモテたんだと見えてしまった。
この映画で、何が誰の望みだったのだろうか…と思う。
妻は息子が生きて帰ることを望んだ。夫は息子が無実であることを望んだが、死んでいることを望んではいなかったはず。
だとすると、この両親の望みは叶わなかった…という物語なのか。
母親、父親、妹、祖母、級友、それぞれがそれぞれの関わり方で少年のことを理解している。
真実が明らかにならない中で不安を募らせつつも、盲目的に信じて待つ者、最悪を覚悟して心の準備をする者、当事者ではない我々は想像するしかないのだが、どの立場の人の思考も理解できる気がする。
そして、全員が一縷の望みを持っていたのだろうと思う。
最近の堤幸彦は円熟期とでも言うか、淡々と物語を追いながら泣かせる場面を丁寧に演出して、ベテランらしい職人的な手腕を発揮している。
オープニングとエンディングの空撮は、単に逆順でなぞっているのではない。上空から道路をなめるように辿る映像で不安感を煽りながら主人公宅に行き着くオープニングに対して、主人公宅から焦点を外さずに上昇したカメラが上空でパンして町全体を見渡すことで、家族が事件を乗り越えて歩みだしている靄が晴れたような明るさのあるエンディングになっている。
正直、こういう監督になるとは思わなかった。皆さんは「マルっとお見通し」だっのかもしれないが。