選ばなかったみちのレビュー・感想・評価
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それでどうするんだ!!
私は、66歳になったが、認知症の気配なし。別に認知症なんて恐くない。認知症になっちまったら、自分が分からなくなるだけだから、自分自身は困らない。言うまでもなく、困るのは『周り』だけ。なった事ないから、なんとも言えんが、本人は『痛くも痒くも無い』んじゃない。
この映画では、昔と今が交互に現れる、ごちゃごちゃ!なんだかわからん。それと、爺さんの過去の出来事が挿入される。爺さんの妄想を、本人の代わりに娘が推測しているに過ぎない。だから、不条理な出来事の様だ。せめて、回想や妄想の部分を色抜きにして現実のと区別して貰いたかった。
難民として日本国へ再度、難民申請するすれば、日本なら『家族の絆』が保てて、天国に葬って貰えるよ♥しかも10万円も貰える。
駄目だ。ニューヨークから成田は片道149,800円だ。約五万の損失だね。でも、老人を始末してくれるんだから、周辺諸国からは重宝されるかもね。関税取るとかすれば、我が国の収入になるか!
否否!葬儀ナショナリストが『日本人じゃないと10万円ださん!』とか言い出すか?『難民は自国で』とか言って、海上に防波堤作ったりして、10万円取得の為の不法入国を抑えにかかる。まぁ、大日本帝國は温暖化で何が起こるかわからないから、防波堤は作っておいた方が良いね。一石二鳥だぜ。
ブラックユーモアてす。
タイトル通りの「選ばなかった」ルート
自分なりの解釈。
最後のシーン、エル・ファニングが二人出て来るところでわかるが、それまで出てきた2つの回想シーン……メキシコでサルマ・ハエックと夫婦でいて、息子の魂を迎えるシーンとギリシアでドイツの娘を追いかけるシーンは、どちらも「選ばなかった」ルート。それらとは別の道を選んで、その結果今、娘(エル・ファニング)と一緒にいる。
認知症の朦朧とした頭で過去を現在のように追体験しながら、しかし「選ばなかったルート」の先までも体験する。このあたりはジャコ・バン・ドルマル監督の「ミスター・ノーバディ」とも被る。
その追体験の中で彼はこれが「選ばなかったルートなんだ」というのを認識し、だから今があるということを娘に伝えた。うまく動かない頭を使って頑張ってそれを娘に伝えたから、娘の方でも選んだ道と選ばなかった道に分岐し、彼女はまさに選ばなかった道を見ることになった、というオチ。
娘が「わかりたいけどわからない」と何度も語り掛けるが、本当にわかって欲しいことは父から娘に伝わり、その結果未来を変えた……ということが最後の二人のエル・ファニングのシーンの意味。
このギミックを主題にするためにかなりの説明を削っていると思うが(なんで死んだ息子の名前を犬に付けるんだ、とか、なんでこんなに症状が進んでいるのに一人暮らしさせているんだ、とか)、そういうところは主題には不要な要素だから敢えて説明してないだけで、それなりの背景はちゃんとある……と思いたい。
あと、ハビエル・バルデムは顔が大きいから、エル・ファニングみたいに顔のちっちゃい女優と組み合わせると存在感が凄い。
ミスキャストじゃないの?って思うくらい凄い。
これも監督の狙いだと思っておこう。
この系統が苦手だったことに気づくのに10分 → 以降、罰ゲーム
エル・ファニングの美しさ以外に、良いと思える所が無かった。と言うよりも。
邦題問題ですよ。久々に文句言いたくなりましたけど。
原題は "Roads Not Teken"
この "Teken" はBe動詞省略の受動態でしょうが。「選ばなかった道」じゃないですよ。「選ばれなかった道」で、それがすなわち娘のモリー。
痴呆の父が最後の最後に、モリーの名前をつぶやく。モリーは父親が、自分のためにNYに戻って来たことを理解する。自分は「選ばれなかった道」では無かったと知る事で救われる。
そもそも、この耄碌した老人の湿度の高さが性に合わなくってですね。
全く共感できるところが無くって、辛かったです。
やっぱり、サリー・ポッターは苦手です。
って事で。
ある意味濃密な作品かも?
エルちゃん目当ての鑑賞⭐️
監督サリー・ポターの実弟がモデルと言うだけにその鋭い観眼と表現力には始終、緊張感が途切れずどっぷりとその世界観に引き込まれた…
認知症を患う作家のレオ…彼がギリシャ、メキシコそしてニューヨークそれぞれの場所での人生の混乱ストーリーに
現実?想像?幻想?観手を巻き込み変容する時間の流れに人生の摩訶不思議さえ感じた
決して派手な作品では無いが
選ばなかったみち…それも自分自身の一部なのではないのか…それぞれの人々との絆を時に強く、哀しく
まるで私的小説を読み終えた時の様な思いが残った
主人公レオの娘役エルちゃんの目を見張る成長っぷり溢れる演技には脱帽👏
"彼"は"ここ"にいない
若年性アルツハイマーを患った父が医者に行く道中で過去を彷徨う話し。
現在の父は完全に意思疎通がはかれないほど認知症が悪化していて、記憶が混在しているのでメキシコでの生活や海岸(場所どこか忘れた)でも出来事が混ぜて語られる。これが『ファーザー』同様に記憶が混ざっているからこうなってるのかと思いきや、本作は父、本当にそこに旅に行っている模様。
最初過去と思われるパートでもなんかボケてるような雰囲気の父で、最後に見せられていたものがあの時こうしていればのwhat ifの話だと明かされて納得。特に、娘に似てる女子に絡む所普通に居酒屋によくいる無駄に絡んでくるめんどくさいオジで笑う。
献身的に父を支えるエル・ファニング演じる娘がとても愛おしい。自分の仕事に支障が出ても父を見捨てないのは、この父が家族を選び他を捨てたからこそ。でも、最後、部屋から去っていく娘と父を愛する娘、2人の娘が部屋にいるのを見せられるとこの献身的な娘ももしやwhat ifの姿なのではないかと怖くなる。
この選択によって違う未来があるのを見せられるのはゲームのバットエンドハッピーエンドのようでもあり、まさにマルチバースだった。
誰か教えて!!
ハビエル・バルデムの、素晴らしい演技に「あぁ、またノーカントリーを観たい♡」と胸が熱くなりました。
ところで、ハビエル・バルデムとエルのファニングちゃんがどうしても血がつながっているとは思えず(見た目)、ラテン代表とゲルマン代表みたいな二人、「この二人はなにか事情があって、血がつながってないけど親子になったんだろうな」とずーっとそう思ってみてたけど、その疑問にはエルちゃんの「誰がなんと言おうと親子よ」というセリフのみ。。。
私、なにか重要なとこ見落としたんでしょうか。
誰か教えてください。ネタバレマークつけておくので、よろしくお願いします
少し
認知症の父親の記憶を辿って行くロードムービー的な物を勝手にイメージしてましたが、少し違いましたね。父親一人の妄想での振り返りのみで、苦しむのは面倒を見ている娘。もちろん、結論らしいものは無いので、何となく消化不良です。
#17 父親の目に見えているもの
認知症の父親の目には目の前の自分が映っていないのに、必死に父親の世話をするモリーがなんだかアメリカっぽくなくて愛しい。
父親の目に映っているのは現実の世界ではなく、自分が捨ててきた世界。
かつての妻や、モリーの母親、さらに昔亡くした子供の名前もおぼえているのに、娘のことは最後まで認識しない。
最後に娘の名前を呼ぶところで、この映画を観ている人全員が救われた気持ちになる。
認知症患者の頭の中は……
認知症を患った父の元を訪れた娘。その日、歯科医と眼科医の予約があったのだが、思いも寄らない行動を繰り返す父に娘は困惑し、重い決断をする……。
タイトル通り、認知症を患った父は、“選ばなかった”別の人生を生きている(つもりである)。現実も含めて3つの人生を生きる彼を理解するのは難しい。
ハビエル・バルデムとエル・ファニングの共演で期待していたのだが、やはり認知症をテーマにした作品は重くつらかった。2人の演技には圧倒されたけれど。
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