「タイトル通りの「選ばなかった」ルート」選ばなかったみち 映画を見たり見なかったりする人さんの映画レビュー(感想・評価)
タイトル通りの「選ばなかった」ルート
自分なりの解釈。
最後のシーン、エル・ファニングが二人出て来るところでわかるが、それまで出てきた2つの回想シーン……メキシコでサルマ・ハエックと夫婦でいて、息子の魂を迎えるシーンとギリシアでドイツの娘を追いかけるシーンは、どちらも「選ばなかった」ルート。それらとは別の道を選んで、その結果今、娘(エル・ファニング)と一緒にいる。
認知症の朦朧とした頭で過去を現在のように追体験しながら、しかし「選ばなかったルート」の先までも体験する。このあたりはジャコ・バン・ドルマル監督の「ミスター・ノーバディ」とも被る。
その追体験の中で彼はこれが「選ばなかったルートなんだ」というのを認識し、だから今があるということを娘に伝えた。うまく動かない頭を使って頑張ってそれを娘に伝えたから、娘の方でも選んだ道と選ばなかった道に分岐し、彼女はまさに選ばなかった道を見ることになった、というオチ。
娘が「わかりたいけどわからない」と何度も語り掛けるが、本当にわかって欲しいことは父から娘に伝わり、その結果未来を変えた……ということが最後の二人のエル・ファニングのシーンの意味。
このギミックを主題にするためにかなりの説明を削っていると思うが(なんで死んだ息子の名前を犬に付けるんだ、とか、なんでこんなに症状が進んでいるのに一人暮らしさせているんだ、とか)、そういうところは主題には不要な要素だから敢えて説明してないだけで、それなりの背景はちゃんとある……と思いたい。
あと、ハビエル・バルデムは顔が大きいから、エル・ファニングみたいに顔のちっちゃい女優と組み合わせると存在感が凄い。
ミスキャストじゃないの?って思うくらい凄い。
これも監督の狙いだと思っておこう。