選ばなかったみちのレビュー・感想・評価
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ポッター監督ならではの感性息づく記憶世界
英国監督サリー・ポッターの作品には、いつも何かしら鮮烈な感性が迸る。本作も小さな物語ながら、内面世界はたった一日のお話と思えないほど広大かつ複層的だ。ポッターの分身でもあるエル・ファニングと認知症を患う父親役ハビエル・バルデムのやり取りは、これまで想像もつかなかった二人の共演なだけあって、抑制された中に確かな化学反応が垣間見える。と、ここで父親の記憶のうねりを現実と同時進行させながら重ねていく描写に、ノーラン監督作「インセプション」を思い出す人も多いのではないか。ただし、あくまでポッター流の記憶世界なだけあって、現代のニューヨークとギリシアの海辺と、はたまたメキシコ砂漠地帯という3つの場所が入り乱れる様には、視覚のみならず音や肌触り、匂いすら漂う感性がいっぱいだ。86分でこれだけの奥深さや関係性を端的に描ける人は他にいないだろう。つくづく人間の心は味わい深い感情のパズルなのだと思い知った。
遠のく記憶、消えない後悔
身内の話から始めて恐縮だが、私の父も晩年、アルツハイマー型認知症を患った。診断されてからは進行を遅らせる薬を飲んでいたが、ゆるやかに記憶を失い、日常生活でできなくなることも少しずつ、しかし着実に増えていった。
本作の主演の一人、ハビエル・バルデムが演じるメキシコ移民の作家レオも、若年性認知症を患い、かなり症状が進行している。一人ではもはや生活できず、娘のモリー(エル・ファニング)とヘルパーの助けがなければ生きることもままならない。周囲への反応が鈍く、ぼんやりしているように見えるレオはしかし、頭の中で、メキシコ時代に愛していた女性(サルマ・ハエック)との日々や、執筆に行き詰まりギリシャの海辺で過ごしたときを思い出し、後悔の念にとらわれている。
現在のレオの表情は乏しく、時折混乱したりおびえたりする様子を、認知症の身内がいる/いた人なら胸を締めつけられるような思いで見るはず。バルデムの演技は真に迫っており、回想シーンでの健常だった頃との対比も印象的だ。
人生の重要な分かれ道――家族のこと、パートナーとの関係、仕事のうえでの決断など――で、あの時に選ばなかった道をもし進んでいたらどうなっただろう、と折に触れふと考えてしまうことは、ご多分に漏れず私にもある。アルツハイマー型は遺伝するケースも多いと聞く。この先記憶が薄れていっても、後悔は消えずに残るのだとしたら……と鑑賞しながらやるせない気持ちになった。
それでどうするんだ!!
私は、66歳になったが、認知症の気配なし。別に認知症なんて恐くない。認知症になっちまったら、自分が分からなくなるだけだから、自分自身は困らない。言うまでもなく、困るのは『周り』だけ。なった事ないから、なんとも言えんが、本人は『痛くも痒くも無い』んじゃない。
この映画では、昔と今が交互に現れる、ごちゃごちゃ!なんだかわからん。それと、爺さんの過去の出来事が挿入される。爺さんの妄想を、本人の代わりに娘が推測しているに過ぎない。だから、不条理な出来事の様だ。せめて、回想や妄想の部分を色抜きにして現実のと区別して貰いたかった。
難民として日本国へ再度、難民申請するすれば、日本なら『家族の絆』が保てて、天国に葬って貰えるよ♥しかも10万円も貰える。
駄目だ。ニューヨークから成田は片道149,800円だ。約五万の損失だね。でも、老人を始末してくれるんだから、周辺諸国からは重宝されるかもね。関税取るとかすれば、我が国の収入になるか!
否否!葬儀ナショナリストが『日本人じゃないと10万円ださん!』とか言い出すか?『難民は自国で』とか言って、海上に防波堤作ったりして、10万円取得の為の不法入国を抑えにかかる。まぁ、大日本帝國は温暖化で何が起こるかわからないから、防波堤は作っておいた方が良いね。一石二鳥だぜ。
ブラックユーモアてす。
タイトル通りの「選ばなかった」ルート
自分なりの解釈。
最後のシーン、エル・ファニングが二人出て来るところでわかるが、それまで出てきた2つの回想シーン……メキシコでサルマ・ハエックと夫婦でいて、息子の魂を迎えるシーンとギリシアでドイツの娘を追いかけるシーンは、どちらも「選ばなかった」ルート。それらとは別の道を選んで、その結果今、娘(エル・ファニング)と一緒にいる。
認知症の朦朧とした頭で過去を現在のように追体験しながら、しかし「選ばなかったルート」の先までも体験する。このあたりはジャコ・バン・ドルマル監督の「ミスター・ノーバディ」とも被る。
その追体験の中で彼はこれが「選ばなかったルートなんだ」というのを認識し、だから今があるということを娘に伝えた。うまく動かない頭を使って頑張ってそれを娘に伝えたから、娘の方でも選んだ道と選ばなかった道に分岐し、彼女はまさに選ばなかった道を見ることになった、というオチ。
娘が「わかりたいけどわからない」と何度も語り掛けるが、本当にわかって欲しいことは父から娘に伝わり、その結果未来を変えた……ということが最後の二人のエル・ファニングのシーンの意味。
このギミックを主題にするためにかなりの説明を削っていると思うが(なんで死んだ息子の名前を犬に付けるんだ、とか、なんでこんなに症状が進んでいるのに一人暮らしさせているんだ、とか)、そういうところは主題には不要な要素だから敢えて説明してないだけで、それなりの背景はちゃんとある……と思いたい。
あと、ハビエル・バルデムは顔が大きいから、エル・ファニングみたいに顔のちっちゃい女優と組み合わせると存在感が凄い。
ミスキャストじゃないの?って思うくらい凄い。
これも監督の狙いだと思っておこう。
認知症
認知症の父を病院に連れて行くために大切な仕事を休んで付き添う。結局半日休む予定がハプニングの連続で1日休む事になり、結局大事な仕事のチャンスを逃してしまう事に。
認知症の父はそんなことはもちろん分からず、心は過去の思い出を巡っていた。モリーにはそんなことは分からず、心ここにあらずの父の面倒を親身に診る。観ていて辛いのは、父の彷徨う過去の思い出にモリーはいない。モリーの母と出会う前の恋人と過ごした日々や、モリーが赤ちゃんの頃、仕事に集中出来ないと一人で家を出た頃の思い出。モリーが気の毒。
私事ではあるが、亡き父が軽度の認知症で、やはり会話をしていても話が通じず、私のこともわかっていない時もあった。そういう時、父は過去の思い出を巡っていたのかな、、、とこの映画を観てふと思った。もちろんきちんと現実に戻り普通に会話も出来たけど。ちょっと父の思い出に浸ってしまう映画でした。
あのラストは、、、モリーは仕事ではなく、父を介護するみちを選んだとらいうことか?
【”認知症の父と、擦れ違う娘”認知症を患う父の幻影と、彼を介護する娘の現実を交錯されながら描こうとしたヒューマンドラマ・・。】
ー 今作は、サリー・ポッター監督が自身弟が若年性認知症になった経験をもとに脚本化した映画だそうである。
但し、ストーリー構成が非常に分かりづらく、観る側からすると、オスカー俳優、ハビエル・バルデムとエル・ファニングが良く出演を承諾したなあ、と思った作品である。
劇場公開時に鑑賞予定であったが、余りの評価の低さに鑑賞を見送った作品でもある。
■ニューヨークに住むメキシコ移民のレオ(ハビエル・バルデム)は認知症で、娘・モリー(エル・ファニング)との意思疎通が困難になっていた。
ある朝、モリーはレオのアパートを訪れる。モリーが隣にいながらもレオは、故郷のメキシコや一人旅をしたギリシャを脳内で往来し、父娘は別々の景色を見る。
◆感想
・改めて鑑賞すると、映画レビューサイトの得点は、確かなモノだと納得した作品である。
・そして、何故にハビエル・バルデムとエル・ファニングが今作に出演したなあ、とも思ってしまった作品である。
<サリー・ポッター監督は、今作を頑張って製作したのであろうが、観る側には感動が伝わって来ない・・。
残念な作品であった・・。>
この系統が苦手だったことに気づくのに10分 → 以降、罰ゲーム
エル・ファニングの美しさ以外に、良いと思える所が無かった。と言うよりも。
邦題問題ですよ。久々に文句言いたくなりましたけど。
原題は "Roads Not Teken"
この "Teken" はBe動詞省略の受動態でしょうが。「選ばなかった道」じゃないですよ。「選ばれなかった道」で、それがすなわち娘のモリー。
痴呆の父が最後の最後に、モリーの名前をつぶやく。モリーは父親が、自分のためにNYに戻って来たことを理解する。自分は「選ばれなかった道」では無かったと知る事で救われる。
そもそも、この耄碌した老人の湿度の高さが性に合わなくってですね。
全く共感できるところが無くって、辛かったです。
やっぱり、サリー・ポッターは苦手です。
って事で。
自分が娘だったらどうするか
ニューヨークでひとり暮らしているメキシコ移民の作家レオは認知症を発症し、介護なしでは日常生活もままならず、娘モリーやヘルパーとの意思疎通も難しくなっていた。ある朝、モリーはレオを歯科医と眼科医に連れて行くためアパートを訪れた時、レオは、初恋の女性と出会った故郷メキシコや、作家生活に行き詰まり一人旅をしたギリシャを妄想していた。そして、医者巡りに付き合ってる時重要な仕事の契約を切られ、病院では父が医師の言うことを聞かず、シッコを漏らし・・・と大変な目にあってしまった。さてどうなる、という話。
娘の立場だったらどうするだろう?と思いながら観てた。
人生選択の連続だから、選ばなかった方を進んでたらどうなっただろう、って思うことは誰でも有るだろう。
それを、認知症と絡めて、観た人がどう感じるかを問う作品なんだと思う。
考えさせられる作品で良かった。
美しい幻想と残酷な現実……これは決して感動作ではない
サリー・ポッターといえば『ジンジャーの朝 〜さよなら、わたしが愛した世界』や『耳に残るは君の歌声』など、しっとりとした作風の中に、ずっしりとくるものを落とし込む天才であるが、今作もそんなテイストが活きた作品といえる。
アンソニー・ホプキンス主演の『ファーザー』のように、悲しいことではあるが、それなりの年齢になっての認知症というのは、まだ受け入れる余地があるというもの。しかし、それがまだ20~30年は生きるであろう相手ならどうだろうか。
自分の親だから、家族だからと言ってしまえば、全力で支えるのは当たり前と感じるかもしれない。しかし、それは綺麗ごとでは決して済まない。
少なくとも、その相手が生きている間は、自分にとっての自由は存在しなくなってしまうのだ。施設に入れることもできるかもしれないが、その場合の費用だったり、そもそも自分の親を施設に入れることへの葛藤もある。家族という逃れられない呪縛だ。
今作も『ファーザー』同様に、認知症になってしまったレオ(ハビエル・バルデム)の視点も描かれていく。それは過去に、自分が選択してこなかった道「選ばなかったみち」を想像・妄想するものだった。
そんなレオの想像した世界は、皮肉にも美しい。
認知症の父に訴えかけることのできない、どうしようもない怒りと悲しみがこみあげてくる。若くて将来のあるモリー(エル・ファニング)は、父親に情がある分、割り切れないことへの不安や、自分の将来への不安……様々な種類の不安や葛藤が襲う。
今作は、サリー・ポッターの弟が若年性認知症になってしまった経験を元に書き下ろされたこともあって、経験した者しかわからない闇の部分が鮮明に描かれているのだ。
これは感動作ではなく、目を背けたくなるほどの人生の地獄でもある。逆にこれを感動作と感じるのであれば、実際にそういった状況を体験したことがないからだ。
僕もこんな旅をするのかなぁ
なんとも興味深い認知症の描き方でした。昨年の「ファーザー」はサスペンステイストだった認知症本人には「このように見えている、感じている」という推測(であろうと思いますが)。それを本作ではロードムービーのような「旅・・・過去への旅」に昇華しています。序盤はその独特な展開にドギマギしますがリズムを掴むと一気に旅にお供できます。
人生を生きるとは「選択をし続ける」ということですよね。ですから、いい歳の僕も「あぁ、あの時それを選択していなければどうなっていただろうなぁ」なんてよく思います。それは後悔なのか?それともただの興味本位なのか?認知症になってもその思いは身体に刻み込まれているのかも知れませんね。特に身を切るような思いで選択した場合などは特に。
まさに人生は旅。認知症患者の断片的な記憶は心と共に時間や時空飛び越え過去の旅へ出かける・・・素晴らしいアプローチだと思います。心が飛び、彷徨っているその肉体を第三者達は「彼」と呼ぶ・・・なるほど・・・なぜならここにいないから、心が無い肉体だから・・・なるほど、なるほど。選ばなかった道への悔恨、選んだからこその喜び。そして忘れちゃいけないのは、「今」は過去の選択の結果であるということです。それをしっかりと描き、さらに大きく愛情で括るクライマックスは見事な旅の終着を表したのではないでしょうか。熱いラストです。
父親レオ役の俳優さんの演技が素晴らしいです。モリー役のエル・ファニングも!
レオとモリーとのクライマックスはとにかく素晴らしい、ぐぐぐぐっと込み上げます。良い作品でした。
人は誰でも後悔する
とにかくヒトは後悔します。問題は、後悔とどう向き合うかですよね。「そりゃ、後悔はある。俺の人生、後悔のオンパレードや。ただ、納得はしとる。」そんなセリフ、マンガで、覚えました。確かに私の半生も、後悔、後悔、大後悔時代。マゼランも、びっくりです。それでも、みちは続く。極端な話、選らばなくても、みちは続く。だとすれば、せめて選んだみちくらい、大切にしないとね。どんな結果になるとしても、受け入れて納得できる大人になりたいものです。でも、まぁ、後悔と納得の狭間を揺れ動いてこそ、人。それがなければ、神様ですから。
ただ、それ以上に気になるのが、ラスト。私だったら、どちらを選ぶだろう。
皆様も、是非観て、みちを選んでね。
「朽ちた手押し車」
認知症は、時間と場所の体内GPSが機能不全。想像を絶する不安に駆られるそうです。そして、ボケた親の世話は、映画のように、2時間で完結しません。
あらすじだけ追いかけると、何とも殺伐としたお話の「選ばなかったみち」ですが、あらすじ通りに殺伐としたお話になっちゃったのが、本作。三國連太郎が出ていたにもかかわらず、長くお蔵入りしたのも、分かります。併せ観ると、お国柄の違いなのか、時代の違いなのか、どうにも埋められない溝のようなものを感じて、余計殺伐とした気分に浸れます。
ある意味濃密な作品かも?
エルちゃん目当ての鑑賞⭐️
監督サリー・ポターの実弟がモデルと言うだけにその鋭い観眼と表現力には始終、緊張感が途切れずどっぷりとその世界観に引き込まれた…
認知症を患う作家のレオ…彼がギリシャ、メキシコそしてニューヨークそれぞれの場所での人生の混乱ストーリーに
現実?想像?幻想?観手を巻き込み変容する時間の流れに人生の摩訶不思議さえ感じた
決して派手な作品では無いが
選ばなかったみち…それも自分自身の一部なのではないのか…それぞれの人々との絆を時に強く、哀しく
まるで私的小説を読み終えた時の様な思いが残った
主人公レオの娘役エルちゃんの目を見張る成長っぷり溢れる演技には脱帽👏
"彼"は"ここ"にいない
若年性アルツハイマーを患った父が医者に行く道中で過去を彷徨う話し。
現在の父は完全に意思疎通がはかれないほど認知症が悪化していて、記憶が混在しているのでメキシコでの生活や海岸(場所どこか忘れた)でも出来事が混ぜて語られる。これが『ファーザー』同様に記憶が混ざっているからこうなってるのかと思いきや、本作は父、本当にそこに旅に行っている模様。
最初過去と思われるパートでもなんかボケてるような雰囲気の父で、最後に見せられていたものがあの時こうしていればのwhat ifの話だと明かされて納得。特に、娘に似てる女子に絡む所普通に居酒屋によくいる無駄に絡んでくるめんどくさいオジで笑う。
献身的に父を支えるエル・ファニング演じる娘がとても愛おしい。自分の仕事に支障が出ても父を見捨てないのは、この父が家族を選び他を捨てたからこそ。でも、最後、部屋から去っていく娘と父を愛する娘、2人の娘が部屋にいるのを見せられるとこの献身的な娘ももしやwhat ifの姿なのではないかと怖くなる。
この選択によって違う未来があるのを見せられるのはゲームのバットエンドハッピーエンドのようでもあり、まさにマルチバースだった。
何故か感動しない。
コロコロと現在と発病前のシーンが入れ替わって観てるこちらが、「混乱してるの」って感じ。ラスト「モリー」って呼んだシーンも何故か感情移入できず。むしろ迷子のレオを助けた見た目は悪っぽい2人に感謝の念。
誰か教えて!!
ハビエル・バルデムの、素晴らしい演技に「あぁ、またノーカントリーを観たい♡」と胸が熱くなりました。
ところで、ハビエル・バルデムとエルのファニングちゃんがどうしても血がつながっているとは思えず(見た目)、ラテン代表とゲルマン代表みたいな二人、「この二人はなにか事情があって、血がつながってないけど親子になったんだろうな」とずーっとそう思ってみてたけど、その疑問にはエルちゃんの「誰がなんと言おうと親子よ」というセリフのみ。。。
私、なにか重要なとこ見落としたんでしょうか。
誰か教えてください。ネタバレマークつけておくので、よろしくお願いします
ポエムな認知症映画はツライよ
全編ポエムで、連れは冒頭から爆睡。自分も堪えるのに必死…。
ポッター監督の弟が認知症で、その体験をもとに、ていう事だけど、
それならもう少し現実に近い設定にすれば良かったのでは?
それは辛かったのかな。しかしわざわざ移民問題を絡める必要があったのか?
(この泥棒メキシコ人ー!出ていけ〜!とかあんな極端な人、あえて登場させる必要性は???)
本来のテーマから逸れてしまうんでは…
ハビエル・ビビデバビデブ演じるお父さんの回想2段階が、思わせぶりな長いポエムの割に
「あー犬の名前は、実は死んだ息子の名前だったんだねー」程度の情報量しか得られず。
海辺で「小説書いてるんだけど、どっちの結末が良い?」てニヤニヤしながら
若い娘に声かけるのは、意図が不明で気持ち悪すぎる。何が言いたいの??
ポエム!!!
そんな意味ありげ説明不足シーンが続く割に、もと奥さん(エルちゃんのお母さん)が登場して
「あなたは私の元夫で、今は一緒に住んでなくて、…云々!!!」と、まるで橋田壽賀子が脚本書いたのか
っていうくらい、すべてを台詞で説明し尽くして、観客に推測の余地を全く残さず立ち去るという暴挙。
せっかく回想シーンのパズルで、辿り着こうとしてたのにね!
(でもそのパズルは完成しない)
そんなわけで? まだ自身の介護問題を客観視出来ていない段階で、
心の赴くままにポエムを書き殴ったら、こういうの出来ましたーな印象でした。
とりあえず景色は綺麗だった!
観ていて自分が認知症になった気がした。
メキシコからアメリカへ移民した作家の爺さん。一人暮らしの認知症だ。そこへ彼を歯医者に連れていくためにやってきた娘。
この話、爺さんの頭の中と娘の現実生活を2つのラインで追っかけている。メインは頭の中の話なので、時間軸や現実味がモヤモヤしている。
爺さんは生活のちょっとした風景や音をきっかけに、昔の記憶を思い出したり、記憶を元に想像を繰り返す。この現実と想像の入れ替わりの数が半端ない。昔のパートナーの話や海辺のシーンなどは分かりやすかったんだけど、深夜徘徊のシーンなど、どこからどこまでが現実なのか難しかった。そして最後のシーン。あれ?
認知症、本人は普通に生きているから苦しくなさそうだけど周囲は大変そうだ。なっちゃったら仕方ないなこりゃ。
ほぼホラー映画。
認知症あるあるで埋め尽くされた一日の話ですが父の言っていることは支離滅裂、自分の大切な一日がズタズタに踏み躙られたことも理解していない、いやもうこの人は父ではないのでは?という懸念を逆撫でする母、医師、看護師の言葉がグサグサと胸に突き刺さる。そして父は同じ一日の中で過去のものとも妄想ともつかぬ時間に迷い込む・・・これリアル過ぎて怖い(;´༎ຶД༎ຶ`)。
ハビエル・バルデムの魂が抜け落ちたような演技はもう狂気の域に達し、エル・ファニングは今にもポキリと折れそうな父への愛と献身で対峙する・・・ほぼ『エクソシスト』、これを真っ暗闇のレイトショーで独りで観た恐怖たるや、そりゃ大層なものでした。
ということで私にとっては膝が震えるくらい凄い傑作でしたが、他の人にとっては悪夢の86分になる可能性大です。
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