17歳の瞳に映る世界のレビュー・感想・評価
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#62 女性蔑視社会がうまく表現されている
Never Rarely Sometimes Always というタイトルが冒頭に出たときは、何の意味かわからなかった。
終始静的で事件っぽいことはスーパーでお金を数えるところでしか起きないけど、彼女たちの背景に何があったのか問診時にタイトルと同じ4つの選択肢が出たときに全て明らかになる。
冒頭の学校のステージでの嫌がらせに始まり、居間で家族でTVを観ている時父親のセクハラ発言、スーパーでの露骨なセクハラ、極め付けはバスで出会ったこの映画のなかったらでは比較的好青年と、女性は常に男性からの性的圧力を受けながら生きている。
いとこのようにそれを逆手に取ってうまく世間を渡り歩くことも出来るが、unconfortableなことには変わりはない。
表向きは高校生の女の子が無責任な行動の末妊娠して中絶する話に見えるが、その背景には根深い問題があるのだ。
この映画に出てくる男性はことごとく…(本文参照)
今年85本目(合計149本目)。
toho系でしかやっておらず、最近ご無沙汰していましたが行ってきました。
さて、この映画は元のタイトルが "Never Rarely Sometimes Always" で、「頻度を示す副詞」が4つ並んでいます。それが日本では「17歳の瞳に映る世界」というタイトルになっていますが、元のタイトルは映画内で重要な意味を持っており(下記参照)、あながちこちらの日本のタイトルでも間違っていないかな…と思います。
日本もアメリカも、どこも「望まない妊娠」というのは、やはり存在します。そしてそのとき問題になってくるのが中絶です。本人に帰責性がない場合(事件に巻き込まれた等)は比較的寛容なほうですが、アメリカでは州によって、妊娠後の週が一定数過ぎるとダメという規定があるようで、その「中絶ができる州」まで女性2人(17歳)が旅立つ…というストーリーです。
映画内では明示的な描写はありませんが、主人公は男性から「望まない妊娠」を強要されたものと解せます。すると、彼女から見た目線は「どの男性も汚らわしい」存在になってしまいます。映画内でしつこくメールアドレスを交換しようと迫ってくる青年(もっとも、この人はよこしまな考えを持っている。詳細省略)はもちろん、ただ単に手荷物検査をするだけの男性なども、必要以上に「彼女目線では汚らわしい」存在なので、どうしても「汚らわしい」存在として描かれています(そして、映画内で、彼女に手を差し伸べる男性はまったく出てこない)。
妊娠や中絶をめぐる議論は、日本もそうですが、一般的には暴力など本人に帰責性がない場合は認められることも多いし、それは海外でもそうです。ただ、宗教信仰が日本よりも盛んなアメリカ・ヨーロッパでは、宗派ごとの違いから「宗教が妊娠を許容・禁止」している場合もあり、さらに複雑にします(当然、こういう場合、信仰の自由なんていうものは何ら考慮されない)。
くしくも日本は近々、民法が改正されて男女とも18歳から名実ともに「成人」になります。17歳は(現行でも改正後でも)「未成年」ですが、実際には「成人に準じた扱いを受ける」人たちです。彼ら・彼女らの決定権をどこまで親が許容するのか、また、もっと大きい、中絶の在り方(濫用的に使われるのはまずいが、望まない妊娠を許容することも、またできない)という倫理的な面を問うており、映画自体は架空のお話ですが、日本でもアメリカでもどこでも起きてもおかしくない話であり、明確に問題提起することなく、「自分だったらどうするのだろう?」(男性は妊娠しませんが…)という問題提起がありうることは明白で、その点でも考えさせるところが多いです。
なお、映画内でゲームセンターに行って、ニワトリと○×ゲーム(3×3のもの。先手後手が最善を尽くせば、引き分けになる)をするシーンがありますが、あれに宗教的な意味合いがあるのか、あるいはアメリカの何らかの文化的な事項の示唆なのかは、鑑賞後色々調べてみたのですが、不明でした(もしかすると、何もないのかも)。
採点は、下記が少し気になりましたが、大きな傷ではないので、5.0に切り上げています。
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(減点0.1) 明確に翻訳されていない部分(訳漏れ)がそこそこあります。病院(性質上、日本でいう産婦人科)の前で抗議する人たちが叫んでいる内容(おそらく、趣旨的に中絶反対、賛成という趣旨?)にはじまり、中国語の看板まで出る(国際都市なので…)のですが、翻訳がなく(漢字を追いかける限り、「お手洗いの後はよく手を洗いましょう」というようには読めるが…)、ちょっと不親切かな…とは思いました(ただ、理解を決定的に妨げるほどとは言えない)。
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(※参考) Never Rarely Sometimes Always とは何か?
・ 病院などで、体調管理の観点の問診票で、「次の質問に回答ください」というときに、例えば「あなたはよくタバコを吸いますか?」というような質問があります(日本でもありますよね)。そのとき、ここでは「まったく吸わない、まれに吸う、時々吸う、いつも吸う」から選ぶわけです。元のオリジナルのタイトルは、そこから来ています(彼女たちが病院に行くことは、ネタバレでもない)。
このとき、5択、つまり「普通」のような選択肢を作ると、そこが多くなってしまうことが経験則的によく知られています。そのため、無難に選ばれやすい「普通」を排して、このように4択(または、6択)のようにすることが、しばしばあります。
淡々と描き出される現実に自分の無力を思い知る
原題と邦題は全く異なります。原題は作中もっとも大切な場面のセリフです。注目して鑑賞することオススメします。邦題は作品そのものを表す良タイトルです。
本作は親に内緒で中絶手術を受けるためのショートトリップ・ムービー。少ないセリフで紡ぎ、描写で語っていきますから観る側に想像の自由度をかなり与えてます。
このくそったれな世界、17歳の女性の受難の数々は、辛いです。淡々と、ホントつらいです。けど、これが現実なんでしょうね。
映画「sns」でもそーでしたが、フツーと思われる一般人が獣となり弱者に群がってくるこの世界は、実態は証明しにくくい暴力に溢れているんでしょうね。本作はそんな世界をどうこうしようといわず、犯人探しすらせず、17歳の女性の受難を通して淡々と映し出します。
そして、きっと変わらないであろうこの世を、立場が弱い者がどう生き抜かなければならないか?も。
この弱者にとってのくそったれな世界は今に始まったわけではないわけだから、多くの多くの悲しんだ女性達の想いの積み重ねが少女に差し伸べられた手を生み出したのだろうな、、って考えるとやるせないです。連携して協力して立ち向かわねばならない強さは、悲しみの強さだから。
僕は何かできるのか?何かを変えられるのか?と思うと無力であると痛感します。女性にまとわりつく生き物がいる限り。性欲を持ち、理性と道徳心が薄い人間が存在し続ける限り、変わらないのでしょう。哀しいけど。自分、家族、友人、知人の手を握ることが精一杯です。くやしいけど。
ラスト、彼女達の瞳には何が映っていたのだろうか?
何を見ていたのだろうか?僕には変わらぬ現実への辛さしか見えませんでした。
ホント、男ってくそったれな生き物です。
これからはノーと言える人生を送るのだ
性犯罪は加害の対象が財産ではなく身体であることから、被害者の心を深く傷つける。同じく身体を攻撃する傷害は被害が医学的に明らかであるのに対し、性犯罪は被害を物証によって証明することが難しい。加害者側や冷酷な裁判官がそこを追及すると、被害者の心はさらに傷つくことになる。性犯罪は、被害者の身体だけでなく、人間としての尊厳を傷つけるのだ。
人工妊娠中絶を肯定するか否定するかは、宗教も絡んで複雑な議論となっている。しかし性犯罪の被害者が人工妊娠中絶を望むのは不自然ではない。動物や昆虫の雌が雄を選ぶように人間の女性も、もし子供を望むとしたら、自分で選んだ男性との子供を望むのではないだろうか。
本作品のハイライトは、多くの人が同意見だと思うが、原題でもある4択の回答例を出してカウンセラーが主人公オータムに質問する場面である。性行為についての質問をするのだが、初体験の年齢や相手の人数を聞く。場合によってはノーマル、アナル、オーラルなどの際どい質問もするが、オータムは淡々と答えていく。しかし相手との関係性を4択で質問するあたりから、オータムは答えられなくなる。それはオータムの人格が傷つけられた体験であるからだ。
物語の中では明かされないが、赤ん坊の父親は誰なのか。オータムの母親はオータムのことを気遣っている。そういう場合、娘と母親の関係は良好である。しかしオータムは妊娠のことを母親に相談できない。オータムには幼い弟妹がいて、母親は弟妹の世話で手一杯である。オータムの父親と夜の相手をするのも大変だ。父親がオータムを見る目は怪しさで溢れている。ということで本命は父親。対抗は学園祭で下品な掛け声をかけたアホ男子だ。相手の人格が低劣なだけに、尚更オータムの心は傷つく。だから4択の質問に答えられず泣いてしまう。
オータムを演じたシドニー・フラナガンはまだ無名の女優だが、17歳のオータムの幼さと勇気の両方を上手に演じていた。相手役の従姉妹スカイラーを演じたタリア・ライダーが素晴らしい。2002年生まれで撮影時は17歳か18歳であったが、幼さの残るオータムよりもずっと世の中を知っていて、感情に流されることなく現実的に行動するスカイラーをリアルに演じる。ときには現金を盗み、時には嘘を吐き、時には唇を与えて現金を得る。大人でも舌を巻く強かさだ。
ニューヨークは、行ったことのない当方から見ると、相当危険な街だという印象だ。ワルがそこら中にいるだろうし、拳銃を持っているかもしれない。若い女性は格好の獲物だ。しかしスカイラーの判断力と夜の下町に近づかない賢明さによって、なんとかニューヨークの夜をやり過ごす。これは本作品のコンセプトに従ったストーリーだと思う。主人公をこれ以上酷い目に遭わせると、物語のテーマがずれてしまうのだ。それにしても、二晩も寝ないでいられるとは、さすがに17歳の体力である。
幼い精神性の残るオータムだが、スカイラーの助けもあって勇気を出して行動した。彼女にとっては4日間の大冒険だった。この体験はオータムを生涯にわたって勇気づけるだろう。これからはノーと言える人生を送るのだ。
女性向け 男は微妙な感じ
全く予備知識なくレビューの高評価のみで見てきました。この作品は見る性別や立場で評価がかなり別れそうです。
ぺンシルベニアに住む17歳の主人公が親友の従妹とバスを乗り継ぎ都会のニューヨークで親の許諾書の不要な中絶手術をしに行くのがメインストーリー。
当然ながらお金の工面や精神的な不安、男からのナンパ。体調不良とトラブルが続きます。
誰の子供かとか中絶へのためらいとかは全く描かずこの従妹との二人の微妙なやりとりや会話が延々と続きます。
ドキュメンタリー調でドラマチックな展開はあまりないですが最後まで飽きないで見れるロードムービーになってます。
ニューヨークで友人がナンパ男から金を借りる代償でキスをされるシーンがあるのですが女性からはかなり批判がありそう。
中絶の行う病院でのカウンセラーと主人公のやり取りがリアルで凄く為になり印象的。
主役二人は魅力はありますが男性にはお勧めしにくい作品。
わかってくれる事の偉大さ
はち切れそうな切なさが画面から溢れ出し、グレーな思春期の想いに、物語は始まっていないのに胸がいっぱいになっていた。
そんな事になった原因が直接的には描かれていないが、心がヒリヒリする程伝わってくるその瞳と画面の暗さが美しいと思ってしまう。
思春期っていろいろあるんだよね、決して優しい訳じゃないけど、不意をつく様に心に入り込んでくる3つの選択肢に張り詰めた心は砕ける。
断片的でもわかってくれる、それだけで立ち直れる気がする。
Never Rarely Sometimes Always
わたしは妊娠した経験がない。
ないから分からない、とまでは言わないけど、この映画を見ても当事者感は薄いかもしれない。ただ、望まない妊娠をしたかもしれない、という不安感はよく分かるし、その先も想像はつく。特に自分の行為に責任を負わせるほどにはまだ大人になりきれていない少女にとって、それがいかに大変なことかと考えた時、男という生き物の無責任さと併せて、空恐ろしくなる。
『17歳の瞳に映る世界』この邦題は、この映画が描き出す現実に対してあまりにも詩的すぎはしないか。原題の"Never Rarely Sometimes Always"が突きつける現実性に対して、やや逃げのような、と言って悪ければ斜に構えたカッコつけ感がある。
映画はいつの時代もそれほど違いはない、10代のセックスに対するリアルを嫌というほど描き出している。男はいつだってヤリたいだっけの生き物だし、なお悪いことに「女も同じはず」という共犯者めいた幻想を抱いている。女はともすればそれではすまない、場合によっては不可逆的に人生が変わってしまうかもしれないリスクと隣合わせだというのに。
願わくば、望まない妊娠という過酷な現実の中で、この映画のように少しでも救いがあらんことを。
【自分、友だち、《社会》、《家族》】
これは、多くの人に観て欲しいと思う。
行き場のない思いを、どのように抱え、思い悩み、どう行動するのか、妊娠に気がついたアメリカの女子高校生の視点で描かれる。
タイトルにある「自分」「友だち」は、多くの場合、悩み、相談をする順番だと思う。
そして、《》で括った《社会》と《家族》は、これにどう対処すべきか、実は、非常に重要であるのに対して、こうした若者のカテゴリーの位置付けは定まっていないし、入っていない可能性だってあるのだ。
それは、そうした解決の社会システムがあることを知らないこともあるだろうし、家族の場合は、親子関係が不安定だったり、家庭内暴力がある場合は、選択肢に入れることすら危ういことだったりするかもしれない。
「まん延防止等重点措置」は覚えられないくせに、「自助、共助、公助」を念仏のように唱える国のトップがいるが、本来、個人や社会の関係は有機的であり、時代時代の価値観の変化によって、順番付けより、ケースバイケースで、柔軟に変化する社会システムの構築の方がもっと大切なだということを考えることができないのか、呆れてしまう。
日本の場合も、こうした映画で描かれていたようなことはあるに違いない。
河瀬直美さんの「朝が来る」に取り上げられたテーマも、一部、これを含んでいたではないか。
家庭が不安定な場合をリスクと考えて、性教育、相談窓口の開設と周知、更に、アフターピルの機動的な利用規定やカウンセリング・システムの構築など、社会として出来ることは沢山あると考える。
この作品は、ストーリーをそのまま受け取るというより、どうしたら良いのか考える機会を投げかけた映画だ時思う。
男目線 75
好対照な2人の旅を特にドラマもカタルシスもなく淡々と見せて行くが、行間から滲み出る2人の感情、関係性が地味ながら痛切に伝わる
男目線で語ると、友人(従姉妹)のスカイラーが体を張りながら主人公のオータムを支えていく行動、仕草が愛おしい(唯一の見せ場、柱のシーンは切なくも美しい)
こういう映画は一見退屈に感じる人もいるだろうが、見るほどに発見があり味が出てくるのだと思う
蛇足だが、これ17歳男2人旅にしたら完全にお笑い珍道中になっちゃう(設定は包茎手術)
このようにこの世の中、まだまだ女性には行きづらいので、男共はこのような映画を観ては肝に命じるべき!!
共感を拒絶する程のリアリズム
「スワロウ」('19)同様のセンシティブな題材を別の視点、アプローチで描く
極限まで抑えた情動が堪えきれずに表出する時もあるけれど一貫して劇的なものは極力排除している
"感動ポルノ"の対極に位置する凪の世界
タリアライダーの美しさを(内面も)目撃
私小説的ドキュメンタリー映画
親に内緒で妊娠中絶手術を受けるために、田舎から大都会へ親友と2人で出かける女子高校生の旅を描く。妊娠中絶を1人で決断したといっても、そこは十七歳の高校生。孤独な心情や不安感がよく描かれていて、観ている私たちも辛くなる。ベルリン国際映画祭で、受賞したもの当然か。
但し、私はこの手の映画が嫌いなのだ。練られた脚本や作り込んだ画面構成や音楽が好きなのだ。虚構なのに、ドキュメンタリータッチは嫌いだ。
また、この邦題は誰がつけたのか。瞳に映るではなくその心情を描いた作品なのに、視点が逆転している。まだ、原題の方がよかった。よって、三つ半。
男性の気持ち悪さと女子の友情
不快なだけ、疲れた。
(一度もない めったにない 時々 いつも)
やるせなくなる。柱越しに顔も見ず手を、指先をつなぐシーンがやばかった。互いのことを想うからこそ黙ってそうしていて、グッときた。世界のリアルに敗れた風に見えても、それを利用する。人の振り見て我が振り直せ、ものすごくやるせない気持ちになってしまった。ただ、それでも主人公二人の、イトコという親戚関係ではあるものの、友情やシスターフッドに少し救われた。この中絶の旅で何かを学び感じ取り、危機を乗り越えてまた強くなってほしい。勉強にもなる。
好奇の目に晒されては都合よく搾取される十代の女性性と、NOと言えない女性の心理や状況シチュエーション。声にならない叫びや表面化しない心の傷跡。絶えず胃のキリキリ締め付けられるような感覚、居心地の悪さだけど、その分グイグイと引き込まれてしまう自分がいた。しかも、本作に出てくる男性描写は皆、何も特別ものすごく邪悪な描き方をされているというわけでなく、あくまで語弊を恐れずに言えば日常の延長線上にあるようなもの。だから余計にふとしたときにゾッとしてしまう。
どうしても早熟な印象のあるアメリカのフィラデルフィアとNYが舞台ではあるものの、日本人的な印象を受ける粘着質な気持ち悪さで虫唾が走った。何気ない一挙手一投足に滲み出る下心は、向こうでも同じこと。ややもすれば他人事じゃない。真摯に好きな気持ちなんて微塵もない性欲むき出しの成人男性が、ティーンの女子をクドき、手を伸ばし、抵抗されないのをいいことに欲望の捌け口のようにぞんざいに扱うさまは非常につらくなる。どのカットにもしっかりと意味を感じて、引き込まれた。その時々の気持ちや居心地悪さなんかも伝わってくるよう。
その時々瞬間に感じることを大切にする。日本では同じ週公開『プロミシング・ヤング・ウーマン』同様、男嫌い・男性恐怖症になってもおかしくないくらい強烈な表現の可能性と責務がガツンとくらう。女性の社会進出・平等が進んできたとか、ハラスメントへの意識が高まってきた等とは言っても、現状はまだまだこのようなもの。世の中はまだまだ生きやすくなど無い、むしろ生きにくくすらなっている気もする。そうしたヘビーな役どころを演じた主演二人の演技と関係性が、本作のエリザ・ヒットマンによる演出脚本をさらに高める。克明かつ繊細に描いては浮き彫りにし、肉薄するような挑戦。真に価値のある作品。この映画を見なかったことになんてできない。
今年映画館鑑賞40本目?
最低限のセリフと最低限の音楽、最低限の解説で進む“望まない妊娠をした女性”のための映画。
なお、自分の中では上半期に観た映画No.1です。ファーザーより良かった。
主人公のオータムはペンシルベニアに住む17歳の女性。
母親や一緒のスーパーに勤める従妹にも言っていないが、妊娠をしている。
子どもをどうにかしたいと思いながら、近所の産婦人科に行くも、
自分でもやれるような妊娠検査薬程度の検査で「10週目」であると告げられる。
子どもを産み、養子に出すよう産婦人科から強いられるオータム。
“産む行為”自体を迷う彼女は、
彼女の状態を察知した従妹のスカイラーと共に、両親に何も言えないままNYへと旅立つ。
このオータムとスカイラーの出生地であるペンシルベニアについて、
映画内ではかなり閉鎖的な田舎町として描かれています。
この初っ端から表情筋が死んでる主人公のオータムの特技が歌なのですが、
(ちょっとラナ・デル・レイっぽい歌声、The ExcitersのHe's Got The Powerという曲のようです)
歌う彼女に「メス犬!」と囃し立てる奴がいる。
勤務先のスーパーでも男性上司に手を握られる等のセクハラが横行しており、
女性にとっては非常に暮らしにくい場所のようです。
なお、このペンシルベニアの産婦人科。
どう見てもおばあちゃんなDr.がオータムの検査を請け負うのですが、
なんかめっちゃテキトーです。
オータムの意見も聞かずに養子縁組の案内と、中絶禁止ビデオみたいなのを見せてきます。
そりゃ逃げるわ。
一方、オータムが無事に辿り着いたNYの産婦人科ですが、
まず保険の説明から入り、カウンセラーによるカウンセリングの実施、
その後、本人の意思を都度確認しながら、中絶するか産むかを聞きます。
これが都会か。
このカウンセリングの段階で、初めて、
“なぜ、オータムが妊娠してしまったのか”が発覚するわけです。
めっちゃきつい。
結果として、オータムはある選択をするのですが、この選択をした後、少しずつですがオータムの表情筋が生き返るのですよ。
最後の最後でちゃんと笑えるようになるんですよ。
もうその移り変わりを確認するだけでも、この映画を観る価値はあるってもんです。
オータム、お疲れ。
なお、このオータムにつかず離れずいる謎の従妹のスカイラー(販促写真だと頭乗っけられてる方の女子)ですが、
めっっっっっっっっっっっっちゃ美人です。
バイト先のスーパーで、客からも店員からも口説かれれば、高速バス内でも知らんお兄ちゃんに口説かれる。
ただし、彼女の関心事はオータムを守ることしかないっぽいです。
彼女がオータムと一緒にペンシルベニアからNYに脱走するために、ありとあらゆることをしでかすのですが、
どっちかと言えば仲の良い親族と言うよりも、頼りがいのあるアニキみたいな性格と行動をする方です。
強いです。
惚れます。
…こんな感じで。
個人的には言葉として語られる情報が非常に少量な分、却っていろいろ考えさせてくれる貴重な映画でした。素晴らしい。
ん〜、少女達の勇敢な旅路…。
高校生である主人公のオータムが妊娠し、従姉妹のスカイラーがその異変に気付く。ペンシルベニアでは、妊娠中絶に親の許可が必要なため、二人は、お金をかき集め、親の許可の必要がないニューヨークへと夜行バスで向かい、妊娠中絶手術を受けるという話。
十七歳の少女の心の葛藤を描き出す感動作と言いたいところですが、中絶手術を受けて、話は終わりということになります。
愛に満たされない思春期の少女達の物語ではありますが、内容的には、短編小説ぐらいの内容しかないですね。
それでも、若い女性が共感できればいいのかな。共感するかなぁ。
アメリカでは、こういう問題が頻繁に起こっているということですかね。そのあたりが、わからないので、評価しづらい面はあります。
ベルリンで賞をもらいましたか…。
青春映画というより、リベラルや左翼的な匂いのする映画てはありますね。
タイトル通りの展開
17歳の瞳に映る世界
映画タイトル通り、青春真っ只中の多感な少女が誰にも言えない不安?な思いを抱えながら、その苦難を乗り越える為に勇気を持って突き進む物語がドキュメンタリータッチで描かれておりサスペンスでも無いのにどうなる?と緊迫シーンもある。そのきっかけはなんだったのか?
Always …感謝してます
NEVER
決して凡庸な作品ではありません。
ただし、油断するとちょっと眠くなるかもしれません。
夏バテが思考体力を奪う前に鑑賞することをお勧めします。
RARELY
そして、めったに見ることのない(今まであまり取り上げてこられなかったような、いくらでもありそうなのにあまりなかったタイプの不思議な)作品です。
SOMETIMES
でも時々、次には何か大きな展開が待っているのではないか、と期待してしまう自分がいました。
ALWAYS
いつものことながら、こうやって日常生活の中では殆ど発動することのない感情の回路を刺激してくれる作品に出会えたことに感謝するのでした。
17歳の少女にとって、自分の(客観的に見れば)軽率な行動についての振り返りを頻度や人数で定量化されるというのはかなりしんどかったはずです。
映画で描かれたあのやりとりが、実際のカウンセリングの手法なのかどうかは分かりませんが、見事な演出だと唸らされました。
我々大人だって、例えば仕事での失敗を振り返る時に、あのプレゼン資料の誤字脱字や数値の正確性のチェックを複数人でしなかったのは、いつもだったのか⁉︎
同僚が忙しそうな時は、時々、ひとりでやってました、すみません❗️
なんて状況は結構ありそうです。
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