「期待度○鑑賞後の満足度◎ 久方振りの本格的西部劇、それもバディもの。しかもかなり変わった切り口の。令和版『明日に向かって作れ(焼け、というよりは揚げろ?)』か?」ファースト・カウ もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
期待度○鑑賞後の満足度◎ 久方振りの本格的西部劇、それもバディもの。しかもかなり変わった切り口の。令和版『明日に向かって作れ(焼け、というよりは揚げろ?)』か?
※2024.01.07. 2回目の鑑賞【シネリーブル梅田】1回目の鑑賞では中ほど位まで寝てしまったので再鑑賞。
①西部開拓時代ものでもかっての西部劇で主流であったゴールドラッシュ(金鉱掘り)ものではなく、ソフトゴールドラッシュ(ビーバー狩猟)という目の付け所が新鮮。
恥ずかしながら、ヨーロッパ人の北アメリカ(アメリカ合衆国・カナダ)入植の始めからビーバーの毛皮が新大陸の稼ぎ額だったとは知りませんでした。
②そういうソフトゴールドラッシュが背景だからか、かっての西部劇のようなドンパチはありません。
しかし、ハードであれソフトであれ、西部開拓時代を舞台にしている限り、そこに根付いて暮らしていこうという入植者はともかく、流れ者はやはり一攫千金を狙うものが多いのは変わりません。
クッキーは言葉少なに「ホテルかパン屋をやりたいな」と言うのに対し、キング・ルー(しかし、此の時代の中国からの流れ者にしては非常にキレイな癖のない発音の上品な英語を話すのが何とも不思議)は一攫千金を狙う噺ばかり吹いております。
③当時は夜は真っ暗でしかも鳥獣の鳴き声や風、雨等の音以外は無音の世界。
当時の人達にとっては勿論当たり前の世界ではありましたが、それだけ却って人間一人一人の輪郭がハッキリ見えていたのかも知れません。
列車を襲撃して金を奪う派手な強盗も、一頭の乳牛のミルクをコッソリと搾るチンケなこと(人にお袋の味や故郷の味に想いを馳せさせて幸せな気持ちにさせただけマシかも知れませんけれども)も、人の物を盗るという意味では同じ。
同じ様な末路を辿るのは仕方がないかも知れません。
でも、ブッチ・キャシディとサンダンス・キット(追われて崖から川に飛び込むシーンで否応なしに思い出さされてしまった)のように派手に散るのではなく、人知れず(「ここなら誰にも見つからない」とキング・ルーが言った通り現代まで見つからなかった)、オレゴンの川をかそけき風が蕭蕭とわたるように、枕を並べて逝く方が、流れ流れて辿り着いたオレゴンの入植地で一緒にケーキで一攫千金を狙った二人には相応しかったかもしれません。
一瞬手にした(銀貨や紙幣が入っている)袋を見て(これなら一人で南の土地で新規出直し出来るかもしれない)、でも友と共に居ることが何より大事だと瀕死の友の横に横たわることを選んだキング・ルー。
現代は光も音も溢れすぎて却って人の輪郭がぼやけているのかもしれない。本当の友を見出だすのが難しくなっているかもしれない。
だから、“鳥には巣、蜘蛛には網、人間には友情”と最初にクレジットで表れされた通り、友情が人間にとって本質的に大切なものであるというメッセージを現代に声高ではないけれども送っていると思わずにはいられません。
④日本では、製作年度からいうと後の『キラーズ・オブ・フラワームーン』の方が先に公開されましたけれども、リリー・グラッドストーンは本当に魅力的な女優さんです。
もしかするとネイティブアメリカン初のアメリカ(合衆国)を代表する女優さんになるかもしれません。(アンジェラ・バセットがアフリカンアメリカン初のハリウッドスターになるという予想を思いっきり外した私の思うことですから説得力ありませんけれども。)
⑤最近の若者向け映画よりも此のような映画の方が、これからの映画の題材・これからの映画が描こうとしているもの・これからの映画が向かおうとしている方向が良く理解できるように思われてなりません。
※追記:最後までケーキを食べられなかったお兄さん、何故かおかしくて印象的です。
逃げるなかで「Baker(パン屋)とBegger(乞食)に共通するものは?」「Bread(パン)」というクッキーが自虐ネタのようなジョークを言うシーンがあります。
「人はパンと水だけで生きられる」のに「ケーキを焼く」たいう贅沢は、幸になる場合もあれば不幸の種になる場合もある、というキリスト教的な暗喩も含まれているのかな、と思ったら此の一節の出処はギリシャのある哲学者の言葉でした。勉強になりましたわ。