DAU. ナターシャのレビュー・感想・評価
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ソビエトの軍事・スパイ実態が垣間見れる
おっぱいや、お尻、アンダーヘアまで度々登場。
性的行為の現場をだらだら長時間流すも、セクシーではなく退屈。
残虐シーンのこの映画を、見させるための餌として裸シーンを出していると
観終わった後、サブリミナル的な恐怖の洗脳が少しかかって、冷酷になっていると感じた。
特に勉強になったのは「電磁波」。
(当時から「電磁波・軍事使用」の証拠になる。)
【ソビエトの秘密軍事基地】
●「電磁波」を使うと、冒頭に証言!(ソ連は電磁波で人間の脳をコントロールする技術を獲得)
●忠実に再現された研究所
●DS大好きな三角の実験箱
●性的虐待の拷問シーン・特殊独房
●1回の拷問でスパイにする、恐怖のマインドコントロール
フライヤーに記述のような、「1万人の衣装や人間」も感じられず
2年間セットで暮らした贅沢が為の、女優がうつ的になり、軍人が冷酷になる
ドキュメンタリー的な映画となっている
恐怖映画ではないが
DSが、拷問し
恐怖によって人格を破壊し支配。
正常な人間の精神ではなくなる過程を「ソビエト」に擦り付け
控えめに表現している。
観た後、後味の悪さしか残らない。
脳を委縮させ、悪い波動に陥るので
金運や、開運したければ見ない方が良い。
伊イルミナティ―官僚の御令嬢が脱走して書き、発禁になったと言う暴露本の
処分シーンを思い出した。
芸術と言いながら、人々を陥れる為のDS映画だろうと思う。
観客を苛む意味でむしろ大成功
鑑賞前からはすでに本作は物語よりテーマが先行することを知りながらも、本作が与えてくれた衝撃は想像以上だった。それはいい意味なのか、悪い意味なのかはさておき、観客を苛む意味では、成功したと言えるだろう。
前半の露骨なセックスシーンは物語上では、作中人物にとってロマンスと言えるとしても、観客の視覚に対しては暴力だと思う。それはロマンスの成り行きによるものではなく、「1984」式な空間に幽閉された人々がただの欲望の塊に還元した結果だと言えるだろう。そういう前置きがあると、後半の全体主義の真の暴力も受けやすいかもしれない(どっちも拷問ですが)。
実際に鑑賞していた時、視覚的衝撃よりも音が気になる。本作の音響は非常に強調される。それはクレジットで長いサウンド関連のスタッフリストにも証左される。女たちの喧嘩シーンからはすでに耳が痛いほどの音量が出している。そして食堂という空間自体も食器から集まる顧客までヴォリュームオーバーの要素が集結している。後半の審問シーンも同じく、二つの審問室を繰り返して移動する時、象徴的なアイコンである巨大な重い牢の扉は度々観客の耳を刺激する。エンディングの無声のクレジットもその流れです。
戦後民主社会の中で育てられてきた日本の観客にとって、本作の全体主義に対する表現はわざとらしく見えるかもしれないが、でもそういう重苦しさは歴史、或いは芸術的虚構だけではない、まさに今お隣で「大国」を自負しているあの地域の人々が経験している現実です(残念ながら殆どの者は洗脳されたことすら意識していないようです)。
全体主義の幽霊はまだ漂っている。「平和」思想に麻痺している者よ、くれぐれも気をつけて
全体主義体制での個人の生き方
公開時のリリース記事で関心を持ち予備知識なく観賞。ひたすら長く、尋問を除いてシーンは単調。見終わりは全く面白くはなかった。が、帰宅後に頭の中でストーリーを補完してみたら印象が変わった。以下は私の解釈(パンフ等未読)。
・尋問機関がMGB(字幕)なので、時代は第2次大戦後~50年代前半。MGBはKGBの前身で、さらに前身のNKVDはスターリンの大粛清を実行した体制防衛のための秘密警察機関。一方、東西冷戦の開始で、MGBは対外諜報でも前面に立つことに。
・本作の大きな構図は、招聘したフランス人科学者リュックに対する影響力獲得工作、つまりスパイ化。
・科学者達が利用するレストランの給仕オーリャ(若い方)は、開劇の時点でMGBに取り込まれている(泥酔して帰宅したシーンで男が丁寧にヘアピンを抜く→ナターシャの尋問官が「ヘアピンで目を攻撃されるのを防ぐよう訓練されている」と言う)。
・オーリャは給仕ナターシャ(主人公)がリュックに好意があることを報告。MGBはオーリャに指示して自宅での宴会をセットさせ、ナターシャがリュックと寝るよう仕向ける。
・ナターシャはMGBに呼び出された時点で全てを悟っている(大粛清の経緯から、秘密警察は事実かどうかは関係なくどんなことでも自白させるし、直ちに生命を奪うこともできると理解している)。供述書の記述がデタラメでも一切抗しない(日付を入れないことは、供述内容が「これから起こる」ことを示唆する)。処刑や拷問を回避し、尋問官との関係を「狩り、狩られる」から「共犯関係」に引き上げようと試みる。
・尋問後ナターシャは職場に戻る。オーリャが自分を売ったかに確信はないが、MGBにとって、リュックと直接の接触ができる自分の価値が高いことは自覚している。最後の「床を拭け」には、何も無かった自分が新たな役割を得たこと、オーリャとの関係でも心理的に優位に立ったことも反映しているだろう。
・終劇時点では、リュックは科学的貢献にメドが付いた段階で、ソ連人民に対する性的搾取を皮切りに多くの罪で秘密裁判にかけられるかそれを脅迫され、帰国後にソ連に協力(仏の核開発など軍事科学技術情報の入手か)するよう強要されると思われる。
改めて、これは社会主義/全体主義の下で個人がどう生きるかの現実を追体験させる取り組みなのだと思う。今の我々が見ると出来の悪いアクション映画のような拷問シーンも、順序が逆で、何の脈絡もない理不尽な暴力だからこそ被尋問者の心を挫くという現実の歴史が先に在るのだろう(あの監禁室のレイアウトも実物モデルなのだろうか)。
だが単なる回顧・追想ではなく、今日の世界でも、体制による脅迫・強要、転向の強制(さもなければ死)は数多く起こっていることを思い起こさせるタイムリー性がある。シリーズの続きが製作され日本でも公開されることを強く期待。
壮大なプロジェクト
オーディション人数約40万人、衣装4万着、1万2000平方メートルのセット、主要キャスト400人、エキストラ1万人、13年の月日によって、ソビエト連邦を完全に再現するという文句に惹かれて、宣伝を見たらすぐに映画館に向かいました。
しかし、画面で見させられたのは、中年女性のつまらなそうな仕事、愚痴、乱痴気騒ぎ、最後には刺激の足りない尋問シーン。
「ソビエト連邦を再現」との事ですが、記憶するところでは画面に出てきたセットは3〜4ほどで殆ど同じ場所にいて劇場で演劇でも見ているようでした。
また、問題の尋問シーンは、アドリブによってリアリティを出すとの事ですが、暴力に遠慮と甘さを感じて、役者同士がプレイをやっているようにしか見えませんでした。
但し、本作の醸し出している怪しい雰囲気とソビエトの閉塞感は十分に感じられたのでそこは好きです。
いろいろ批判しましたがパンフレットを買ったり自分で調べたりいろいろ結果的には楽しんでしまいました。
皆様は、オーリャの笑い声が嫌いだと思いますが、私は好きです。
不快なシーン満載
当時のソ連をできる限りリアルに描こうとしているの伝わった。
暴力的な描写が多く序盤から不快なシーンが続く。魚を机に叩きつけて踊るシーンや若いメイドが酔っ払うシーンはとにかく不快。目を瞑つまても音だけでも強い不快さを強く感じさせられる。
極めつけは最後の拷問シーン。ここは直接的な暴力シーンが多くただただ不快。
ただ不快さ以上になにか感じるような作品では個人的にはなかった。
そもそもどういう知識を必要とし、どういう心構えで見たらいいかもよく分からない。
観客に不快さを与える事を主としてる作品なのであればまぁもう少し評価を上がたいところだがそれも不明。
特に最後の拷問シーンはおそらくラスト1時間弱の時間を目一杯使ってたと思うが、全然ストーリーは進展せず、また拷問として効果が強いのかもよく分からない拷問内容であり非常に退屈だった。ある意味こちらも拷問を受けた気分だ。
余談になるが、トークイベント付きの試写だかなんだかを見た知人から聞くには若いメイドが酔っ払って暴れたシーンも限りなく酔っ払った状態に実際したと聞いた。それが事実ならリアルな描写を追求した作品ではあるんだろう。
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