劇場公開日 2021年2月27日

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「「する」と「させられる」で割り切れない不確かな行為」DAU. ナターシャ 杉本穂高さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0「する」と「させられる」で割り切れない不確かな行為

2021年8月10日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

本作は、作品そのものの内容以上に、そのスキャンダラスな製作手法が世界中で議論の的になった。全体主義時代のソ連の実験施設を巨大なセットで再現し、そこに実際に人を住まわせ、当時の生活を長期にわたって体験させる。カメラはそれを切り取り、とてつもなく生々しい人間の痴態と暴力性を映し出す。
主な舞台は食堂と奇妙な実験施設、そして拷問部屋だ。軍事実験施設に併設された食堂で働く女性が2人、そこにやってくる常連の科学者たち。その中に1人外国人の科学者がおり、ナターシャは彼と一夜をともにする。乱痴気騒ぎに近いパーティ、仕事終わりに酒をかっくらってべろべろに酔っぱらうウェイトレス、そして、KGBによる拷問を延々と見せつけるこの作品の目的はなんなのか。ナラティブな線で構成されず、当時の生活の断面を驚異的なリアリズムで見せるこの作品。出演者たちは芝居をしているのか、それとも全体主義を再現したセットの中で環境に洗脳されたのか。観ていて全く判別できない。
そのことを考えること自体が、当時の全体主義かのソ連に生きる人々を考えることにつながる。拷問したKGBはなぜそのような行為に及んだのか、進んだやったのか、環境にそうさせられたのか。科学者と主人公の女性は進んで愛し合ったのか、それとも異様なあの環境下で愛し合うようになってしまったのか。「する」という能動態と「させられる」という受動態では割り切れないような何かが、ここにはある。
なぜ、あのような過酷な撮影を出演者は受け入れたのか。それもまた自発的な意思と環境との間で簡単に割り切れることではないのではないか。本作を見て、そんなことを深く考えていくと、人の自由意志は本当に存在するのか、人間の意思の不確かさに思い至ってしまう。この映画には驚くべき、人間の本質的な不確かさが映されている。

杉本穂高