DAU. ナターシャのレビュー・感想・評価
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前代未聞のプロジェクトの序章に過ぎない
映画とは何かを改めて考えさせられる作品。“ソ連全体主義”の社会を前代未聞のスケールで完全再現し、オーディションで選ばれたキャストたちは、実際に再現された都市で約2年間にわたって生活したという。 さらに生物化学博士やKGBの元大佐まで出演していて、本物のオーラと迫力によって、これまで見たことがないくらい、異常な緊張感が画面から伝わってくる。もはや演技ではなく、作られたリアルな世界の中にカメラが入り込んだかのような錯覚に陥り、我々には伺い知れない独裁政権による圧迫感、そしてあまりにも衝撃的なバイオレンスとエロティックな描写は、これが映画であるということを忘れるほど。 作られた世界とリアルな世界の境界線を壊し、人間の本質に迫ろうとするこのプロジェクト。本作はまだ序章に過ぎず、続く「DAU. 退行」の上映時間はなんと全9章の6時間9分だという。どのように全貌が明らかになっていくのだろうか。
「本作を観ること=実験への参加」との妄想さえ抱かせる異様な体験
映画史上並ぶもののない、常軌を逸した規模の実験的プロジェクトから生まれた作品群の第1弾だ。歴史上最も壮大な実験国家であった20世紀のソビエト連邦の社会を再現するため、15年の歳月をかけ、1万2000平米(東京ドームのグラウンド面積より少し狭いくらい)に秘密研究都市のセットを建設。ここで約2年間実際に生活したキャストらもいたそうで、3年以上にわたって撮影された700時間におよぶ映像から13本の長編映画が作られた。もはや単なる映画プロジェクトというより、独裁国家における権力構造や人々の心理状態を特別に作られた環境で再現しようと試みる、政治学や社会心理学などの学際的な研究に映画表現を組み合わせた破格の大実験と言えそうだ。 ただし本作「DAU. ナターシャ」は、研究所に併設された食堂で働く店員ナターシャを主人公に、意外なほど小さなスケールで構成されている。一緒に店で働く若いウェイトレスとのやり取り、訪れたフランス人科学者との情事、そしてKGB職員からの厳しい追及。ナターシャと愛人との情熱的な夜の営みや、彼女が受ける性的暴行を含む拷問を、冷ややかに観察するようなカメラワークでとらえた映像を目にするとき、観客もまた壮大な実験の一部になっているのではないかと錯覚してしまう。今後公開される作品も加えた「DAU」シリーズへの、評価や拒絶も含めたさまざまな反応が、プロジェクトの背後にいる人々によって収集され、研究データとして蓄積されていくのでは…といった妄想だ。 娯楽性に乏しく、万人受けする映画ではない。それでも、史上例のない壮大なプロジェクトから生まれた作品群を目撃する意義は確かにあり、ほかでは得がたい鑑賞体験になるのは間違いない。
「する」と「させられる」で割り切れない不確かな行為
本作は、作品そのものの内容以上に、そのスキャンダラスな製作手法が世界中で議論の的になった。全体主義時代のソ連の実験施設を巨大なセットで再現し、そこに実際に人を住まわせ、当時の生活を長期にわたって体験させる。カメラはそれを切り取り、とてつもなく生々しい人間の痴態と暴力性を映し出す。 主な舞台は食堂と奇妙な実験施設、そして拷問部屋だ。軍事実験施設に併設された食堂で働く女性が2人、そこにやってくる常連の科学者たち。その中に1人外国人の科学者がおり、ナターシャは彼と一夜をともにする。乱痴気騒ぎに近いパーティ、仕事終わりに酒をかっくらってべろべろに酔っぱらうウェイトレス、そして、KGBによる拷問を延々と見せつけるこの作品の目的はなんなのか。ナラティブな線で構成されず、当時の生活の断面を驚異的なリアリズムで見せるこの作品。出演者たちは芝居をしているのか、それとも全体主義を再現したセットの中で環境に洗脳されたのか。観ていて全く判別できない。 そのことを考えること自体が、当時の全体主義かのソ連に生きる人々を考えることにつながる。拷問したKGBはなぜそのような行為に及んだのか、進んだやったのか、環境にそうさせられたのか。科学者と主人公の女性は進んで愛し合ったのか、それとも異様なあの環境下で愛し合うようになってしまったのか。「する」という能動態と「させられる」という受動態では割り切れないような何かが、ここにはある。 なぜ、あのような過酷な撮影を出演者は受け入れたのか。それもまた自発的な意思と環境との間で簡単に割り切れることではないのではないか。本作を見て、そんなことを深く考えていくと、人の自由意志は本当に存在するのか、人間の意思の不確かさに思い至ってしまう。この映画には驚くべき、人間の本質的な不確かさが映されている。
他人の生活を、セックスも含めて覗き見るような不思議な感覚
部屋は複数ありますが、基本的には密室劇で、ワンカメの長回しで撮影されるので、映画というより舞台劇を見ている感じです。登場人物たちの、食事、仕事、口論、セックスなどを、手持ちカメラがジーッと捉え続けます。映像は生々しく、まるで他人の私生活を覗き見ているような、居心地の悪い気分になります。これを芸術と称えるか、悪趣味と切り捨てるかは意見の分かれることでしょう。私は、1950年代のソ連の秘密研究所が舞台という点にハマりました。キャビア、ウォッカ、カーシャ……。旧ソ連時代の習俗がヴィヴィッドに描かれている希有な作品です。冷戦時代のソ連を、21世紀に鑑賞するというなかなか醍醐味あふれる経験が楽しめます。DAU.プロジェクトはかなり壮大らしいので、2作目以降も楽しみです。
壮大な駄作
「オーディション人数約40万人、衣装4万着、1万2000平方メートルのセット、主要キャスト400人、エキストラ1万人、撮影期間40カ月、そして莫大な費用と15年の歳月をかけ、」を欠片も感じることなく終了。終わったときは「詐欺じゃね?」と思った程です。 ・ソ連を再現したセットはほんのわずかです。建物の中もだよ!というならそうでしょうけどそんな程度です。 ・ソ連の闇とかというより、ロシア人(スラブ民族)の闇じゃねえの?だって、この映画の設定時期より後、70年代後半から崩壊までは、テレビがしょっちゅう爆発し、人々は朝から酒を呑みまくり酒が手に入らなければヘアトニックまで飲んでしまう、少々残念な民族だからなあ。 ・音楽が一切ない。エンドロールも無音。 ・R-18がひたすら気持ち悪いし必要性も感じない。 これで銀熊賞だというんだからwww (追記) これ、何部作になるか知らんけどシリーズの導入部分なんですね。なるほど。しかし、これが導入となると次回以降鑑賞するかなあ。。。 (追追記) 知らんうちに続編が終わってた。上映も減ってたと思う。
なんだこれは…
DAUプロジェクトの公式サイトを見てから鑑賞 『DAU/退行』の批評家のレビューを見て興味が湧いたことも理由のひとつ シーンの過激さは置いておいて 序盤から閉塞感が充満しまくるレストランと情緒不安定な2人のやりとりに困惑しつつ… 尋問のシーンからはこれから明かされるであろう計画が垣間見えてそれなりに見応えがあった とりあえずもう少し追ってみようと思った
これやばいやつやな〜、、、 一切を映画的にせずに描いてるのって 生...
これやばいやつやな〜、、、 一切を映画的にせずに描いてるのって 生々しすぎて精神的にくるよね、、 DAU.退行も興味しか無いんだけど これ見ちゃうとちょっと怖いな
独裁政権の恐ろしさ
15年の歳月をかけて当時の街を再現し、2年間共に生活をしたらしく、かなりの量を撮影したのだろう。それを139分にするなら、カフェで飲み耽っている場面はもう少し減らして、もっと緊迫感あるシーンをもう少し入れた方が良かったのでは? ナターシャが三日間尋問された場面だけでも強烈だが。あんなことが本当にあるなんて、恐ろしい。ありもしないことを書かされ、あの書面が証拠になってフランス人のリュックは拷問を受け、殺されてしまうのか、、、キョーフでしかない。 プーチンはこの時代が恋しいのか?彼の今の行為は独裁者になりたいとしか思えない。あ〜あ、恐ろしや〜 ナターシャ、若いオーリャが掃除をせずに帰ろうとすると怒るのだが、だったら何故あんなに無理に酒を飲ませる?酔っ払ったらそりゃやらないでしょっ、飲まずに、タバコも吸い続けず、さっさと2人で片付けてしまえよ〜とイライラ。よく首にならないなあ。なんて変なことが気になった。
ピラミッドパワー
ウクライナ情勢が悪化する中、wowowで鑑賞(ボカシ有り)。解説を色々読んでみても、1万2千㎡のセット、主要キャスト400人、エキストラ1万人・・・どこに?と食堂と怪しい場所と研究所しか映されてないのでサッパリわからない。序章に過ぎないとのことだけど、大掛かりな大作が期待出来ないような作品でした。 さすがに40万人のオーディションから選ばれただけあって、リアルな演技というか、アドリブがかなり効いた舞台劇を見事に演じていた。カメラワークにしても映画の基本を撮るわけじゃなく、ドキュメンタリータッチへのこだわりがあった。ナターシャもオーリヤもかなり飲んでいた様子が窺えるし、フランス人科学者リュックも本当に酔っ払っていたのかな? だけど、見たいのはそんなセックスシーンや尋問シーンじゃない。全体主義を批判するような圧倒的権力の恐ろしさを見たいのに・・・マインドコントロールにしても柔らかすぎて、痛くも痒くもない。こいつら人間じゃねぇー!てのを見たいのだ。人の自然な営みはちょっとだけでいいと思う。 ロシア発の作品かもしれないけど、ロシアとウクライナの現実を知るにつれ、イデオロギーや政治体制なんてあまり関係ないこともわかる。結局はロシアの大国主義がもたらしたものであって、19世紀から20世紀初頭の帝国主義の時代に戻ろうとしているのだろう。若い方のオーリャがウクライナ出身だとか言ってたけど、今後も映画製作は続くのだろうか・・・
[序章]こんな常識があった。それは意外にも意外ではない。
まず、私は本作に高評価を出すわけですが、本作の星評価の低さを、私は意外には思わないです。私は本作へのスタンスを「意欲作」として捉える事にしたため高評価ですが、この映画に対して不快感・嫌悪感を覚えて評価が低くなるというのは、ある意味当然だと思います。私自身、不快な映画であった事は確かです。しかし、その不快さにこそ価値があるという事もあるんです。それはつまり、この映画が真に全体主義社会の狂気を映している、いや映してしまったからこその功績だと思います。そして、これは少しも過去の話ではなく、今この現代にセットとして再現され、見事に本当と言って差し支えない全体主義社会を構築するに至ったのです。 この映画は存在そのものが狂気と言えます。 こんな世界を2度と生み出してはいけないんです。 本作は、ナターシャという主人公の視点でソ連を体感するというミニマルな内容になっています。それ故に、観客は最初から最後まで現代と比べた時の違和感と多様性の弾圧を味わう事になります。何より恐ろしい事は、そんな街にいつのまにか順応し、許容する彼女を垣間見てしまうという事です。これは少しも他人事ではなく、国家規模だからこその話でもない、私たちの日常レベルにでさえ存在する、協調性に隠れた罠なのです。 みんなが協力する、仲良くするというのは勿論人間が生きる上で大切な事なわけですが、もし誤りがあった時、それに間違ってると言ってくれる人がいなければ、全員が間違ったまま進行してしまう。だからこそ、少数意見だとしても尊重される必要はあり、それこそ真の民主主義の魅力だと思うんです。 最後になりますが、本作は全体主義社会の弱点というのを体感するという点で非常に優れた作品と言えると思います。「百聞は一見にしかず」ということで、本や歴史からだけでは感じられない狂気の正体を知ることができることでしょう。 そして、何が恐ろしいって、これは序章という事です。続編に「DAU.退行」があり、上映時間6時間超えの超大作。私は映画館に行けなかった事を今心底後悔してます。DVDが出たら、心底すぐ観たい映画の1つですね。 では、以上。「DAU.ナターシャ」の感想でした。
作品そのものよりも制作過程の方が面白すぎて、こっちの方を映像化して欲しい一作、というかシリーズ。
膨大な参加人数と空前の撮影規模、そして15年という長・長期にわたる製作期間など、ソビエト連邦の官製映画ならともかく、現代の映画制作としてはどうかしているとしか思えないような作品、というかシリーズです。 そしてもっとも衝撃的だったのは、そんな巨大プロジェクトであるはずの本作が、これ以上ないほどミニマムな物語だったこと!平凡な食堂のウェイトレスが、外国人科学者を巡る政府の陰謀に巻き込まれて…、という、ポリティカル・サスペンス的な物語の筋(しかしそれもせいぜい導入部分)があるにはあるけど、普通なら30分で語れそうなところ、140分という長尺を掛けている上に、乱痴気パーティーの一件やウェイトレス二人でくだを巻いているところなど、何でこんなに時間をかける必要があるのかと悩むことしばしば。ポンポさんなら激怒すること間違いなし!もっとも撮影が『ファニーゲーム』(1997)のユルゲン・ユルゲスだから、観客目線で撮影するとか、最初から考えていないのかも。 本作は「ダウ・プロジェクト」で制作された13本の映像作品の一つということで、一応物理学者レフ・ランダウの半生を描く、という全体を通じたテーマがあるみたいだけど、本作では何か怪しげな研究所で奇妙な実験をしている場面が少し出る程度。これがどのように全体のテーマと関連してくるのか、ほとんど手掛かりらしいものがありません。 公式サイトの内容もなかなかの面白さ。共同監督のエカテリーナ・エルテリは「「DAU」プロジェクト参加者すべての等身大シリコンフィギュアを作成した」そうだけど、何でだよ!という言葉しか思い浮かばない。今後も続々シリーズが公開されるとか(自分たちで「狂気のプロジェクト」とか言っちゃってる!)。日本の配給会社と観客が監督の野望にどこまで付いてこられるのかが最大の見所かも。 一万人を超えるキャストは撮影中常時監視カメラと盗聴マイクで厳しく管理されていたとか、パリのプレミア上映では劇場映画というよりもインスタレーションとして発表されたとか、撮影延期と再撮影を繰り返す監督に出資者が激怒したとか(当たり前…)、そもそもプロジェクトの出資元が良く分からないとか、撮影終了後に一時フルジャノフスキー監督が行方不明になったとか、それどころか不審死した関係者がいるかも、とか、撮影現場に入るのに入国審査が必要だったとか、知れば知るほど興味と突っ込みどころが続々と湧いてくるダウ・プロジェクト。ぜひその制作過程をドキュメンタリー作品として公開して欲しい!
見たくない裸と拷問
ソ連時代のどこかにある秘密研究所に併設された食堂で働くウェイトレスのナターシャが主役。後輩ウェイトレスのオーリャと酒盛りや喧嘩したり、研究所に滞在するフランス人科学者リュックと一緒に飲んで、セックスし、そのためMGBからスパイ容疑をかけられ、拷問に近い取り調べと、リュックを陥れるような捏造文書を書かされる話。 ソ連の時代と言ってもいつ頃の事がよくわからなかったが、MGBと独裁政権らしいから1950年頃のスターリン末期頃かな。 外国人とセックスしただけで処刑なのか、とか、ウェイトレスごときが店の酒をがぶ飲みしても大丈夫なのか、とか、拷問による捏造文書のシーンなどは現実っぽかったが、この作品は観てて気持ちいいものではない。 ナターシャがもう少し綺麗な体ならまだしも、AVでも出てこないようなみすぼらしい裸は見たくない。 最後のエンドロールが英語表記だったので、合作なのはわかるが、音楽も無しでやたら長い。 DAUシリーズが続くのかもしれないが、次を観たいとは思わなかった。 6/22追記 レビュー投稿後、信頼できる他の方達のレビューを拝見する中で、この作品がDAUシリーズ16本の1本目との情報を教えて頂きました。そういう位置付けとしたら、もしかしたら今後の名作に向けての重要な作品なのかも。それなら、と、評価をプラス1の3に訂正する事にします。
ソビエトの軍事・スパイ実態が垣間見れる
おっぱいや、お尻、アンダーヘアまで度々登場。
性的行為の現場をだらだら長時間流すも、セクシーではなく退屈。
残虐シーンのこの映画を、見させるための餌として裸シーンを出していると
観終わった後、サブリミナル的な恐怖の洗脳が少しかかって、冷酷になっていると感じた。
特に勉強になったのは「電磁波」。
(当時から「電磁波・軍事使用」の証拠になる。)
【ソビエトの秘密軍事基地】
●「電磁波」を使うと、冒頭に証言!(ソ連は電磁波で人間の脳をコントロールする技術を獲得)
●忠実に再現された研究所
●DS大好きな三角の実験箱
●性的虐待の拷問シーン・特殊独房
●1回の拷問でスパイにする、恐怖のマインドコントロール
フライヤーに記述のような、「1万人の衣装や人間」も感じられず
2年間セットで暮らした贅沢が為の、女優がうつ的になり、軍人が冷酷になる
ドキュメンタリー的な映画となっている
恐怖映画ではないが
DSが、拷問し
恐怖によって人格を破壊し支配。
正常な人間の精神ではなくなる過程を「ソビエト」に擦り付け
控えめに表現している。
観た後、後味の悪さしか残らない。
脳を委縮させ、悪い波動に陥るので
金運や、開運したければ見ない方が良い。
伊イルミナティ―官僚の御令嬢が脱走して書き、発禁になったと言う暴露本の
処分シーンを思い出した。
芸術と言いながら、人々を陥れる為のDS映画だろうと思う。
観客を苛む意味でむしろ大成功
鑑賞前からはすでに本作は物語よりテーマが先行することを知りながらも、本作が与えてくれた衝撃は想像以上だった。それはいい意味なのか、悪い意味なのかはさておき、観客を苛む意味では、成功したと言えるだろう。
前半の露骨なセックスシーンは物語上では、作中人物にとってロマンスと言えるとしても、観客の視覚に対しては暴力だと思う。それはロマンスの成り行きによるものではなく、「1984」式な空間に幽閉された人々がただの欲望の塊に還元した結果だと言えるだろう。そういう前置きがあると、後半の全体主義の真の暴力も受けやすいかもしれない(どっちも拷問ですが)。
実際に鑑賞していた時、視覚的衝撃よりも音が気になる。本作の音響は非常に強調される。それはクレジットで長いサウンド関連のスタッフリストにも証左される。女たちの喧嘩シーンからはすでに耳が痛いほどの音量が出している。そして食堂という空間自体も食器から集まる顧客までヴォリュームオーバーの要素が集結している。後半の審問シーンも同じく、二つの審問室を繰り返して移動する時、象徴的なアイコンである巨大な重い牢の扉は度々観客の耳を刺激する。エンディングの無声のクレジットもその流れです。
戦後民主社会の中で育てられてきた日本の観客にとって、本作の全体主義に対する表現はわざとらしく見えるかもしれないが、でもそういう重苦しさは歴史、或いは芸術的虚構だけではない、まさに今お隣で「大国」を自負しているあの地域の人々が経験している現実です(残念ながら殆どの者は洗脳されたことすら意識していないようです)。
全体主義の幽霊はまだ漂っている。「平和」思想に麻痺している者よ、くれぐれも気をつけて
ドキュメンタリーのようだからこそ…
描けるソ連時代の恐ろしさ。ソ連の社会主義の抑圧感が物語全体に漂い個人が精神的にも弾圧されていたことがよく分かる。ナターシャは食堂で働くウェイトレス。その食堂を科学者たちがよく利用するところから受難が始まる。ただの市井の人が絶対的国家に巻き込まれ、利用される恐怖は計り知れない。この作品は壮大なプロジェクトとして構成されているようで、この映画が第一章にあたるようだ。今後の展開が楽しみである。
全体主義体制での個人の生き方
公開時のリリース記事で関心を持ち予備知識なく観賞。ひたすら長く、尋問を除いてシーンは単調。見終わりは全く面白くはなかった。が、帰宅後に頭の中でストーリーを補完してみたら印象が変わった。以下は私の解釈(パンフ等未読)。
・尋問機関がMGB(字幕)なので、時代は第2次大戦後~50年代前半。MGBはKGBの前身で、さらに前身のNKVDはスターリンの大粛清を実行した体制防衛のための秘密警察機関。一方、東西冷戦の開始で、MGBは対外諜報でも前面に立つことに。
・本作の大きな構図は、招聘したフランス人科学者リュックに対する影響力獲得工作、つまりスパイ化。
・科学者達が利用するレストランの給仕オーリャ(若い方)は、開劇の時点でMGBに取り込まれている(泥酔して帰宅したシーンで男が丁寧にヘアピンを抜く→ナターシャの尋問官が「ヘアピンで目を攻撃されるのを防ぐよう訓練されている」と言う)。
・オーリャは給仕ナターシャ(主人公)がリュックに好意があることを報告。MGBはオーリャに指示して自宅での宴会をセットさせ、ナターシャがリュックと寝るよう仕向ける。
・ナターシャはMGBに呼び出された時点で全てを悟っている(大粛清の経緯から、秘密警察は事実かどうかは関係なくどんなことでも自白させるし、直ちに生命を奪うこともできると理解している)。供述書の記述がデタラメでも一切抗しない(日付を入れないことは、供述内容が「これから起こる」ことを示唆する)。処刑や拷問を回避し、尋問官との関係を「狩り、狩られる」から「共犯関係」に引き上げようと試みる。
・尋問後ナターシャは職場に戻る。オーリャが自分を売ったかに確信はないが、MGBにとって、リュックと直接の接触ができる自分の価値が高いことは自覚している。最後の「床を拭け」には、何も無かった自分が新たな役割を得たこと、オーリャとの関係でも心理的に優位に立ったことも反映しているだろう。
・終劇時点では、リュックは科学的貢献にメドが付いた段階で、ソ連人民に対する性的搾取を皮切りに多くの罪で秘密裁判にかけられるかそれを脅迫され、帰国後にソ連に協力(仏の核開発など軍事科学技術情報の入手か)するよう強要されると思われる。
改めて、これは社会主義/全体主義の下で個人がどう生きるかの現実を追体験させる取り組みなのだと思う。今の我々が見ると出来の悪いアクション映画のような拷問シーンも、順序が逆で、何の脈絡もない理不尽な暴力だからこそ被尋問者の心を挫くという現実の歴史が先に在るのだろう(あの監禁室のレイアウトも実物モデルなのだろうか)。
だが単なる回顧・追想ではなく、今日の世界でも、体制による脅迫・強要、転向の強制(さもなければ死)は数多く起こっていることを思い起こさせるタイムリー性がある。シリーズの続きが製作され日本でも公開されることを強く期待。
壮大なスケールの全体主義を体感したかったが、即興の密室劇だったDAUプロジェクト1本目
面白いかというと面白くはない。しかしつまらないかと問われれば、つまらなくはない。 「DAU.プロジェクト」とは、一つの町と研究施設を作り上げ、そこで旧ソ連時代の全体主義を再現するという大がかりのもの。ダウとはソ連のノーベル賞受賞物理学者レフ・ランダウのこと。 映像作品は今作を含め16作品の予定、このナターシャはそのうちの一部でしかないとのこと。 なので、この一作で判断しかねるものがある。 それにしてももう少しソ連らしさや、その大がかりなプロジェクトの一端が垣間見られるのかと思ったら、スケール感は小さい。 あくまでナターシャという女性の個人的な視点を没入感たっぷりに演出する。シナリオはあるがセリフは即興だったという。 そのためか背景の説明があまりなく、前衛的な即興劇のような感覚もうける。冒頭はいきなり愛についての禅問答が始まるし、キャットファイトは長い。 若いウェイトレスの同僚オーリャとの供依存のような愛憎関係、淡々と同じ事を繰り返す日々に不意に訪れる悲しみ、一夜を共にした外国人科学者に期待した恋愛関係の拒絶、人間または女性としての矜持を試されるKGBの拷問。 これが旧ソ連の女性のステレオタイプなのかもわからないが、少なくともナターシャが幸せではないことは伝わる。 その振る舞い方一つで優位性や関係性が変化する密室劇のようでもあった。 オーリャの家になぜ科学者たちが寝泊まりしているのか、いくら酔ってるからって、素っ裸にして風呂に突っ込む?など、不明瞭の点も多々あったが、15作すべてを俯瞰すると線でつながるのだろうか。 そして日本ですべて公開されるとも限らないが、今後に期待。
常識が通用しない映画
乱痴気とかしましい2人の口論と男女の営みとで費やされていく前半の時間。 些か眠気が押し寄せてきたが、後半はある意味見応えがあった。 唐突な終わり方と無音のエンドロール。どこまでも常識が通用しない映画だった。
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