海辺の家族たちのレビュー・感想・評価
全21件中、1~20件目を表示
瞬時に魅了するのではなく、本当に少しずつ、じっくりと染み込んでいく
この映画のまなざしは、マルセイユ近郊の陽光あふれる”海辺の街”から片時も離れることがない。つまり冒頭からラストまで、全てがこの街の中で完結する物語。しかしそこには兄妹たちの久々の再会によってもたらされる様々な人生や時間の流れが感じ取られ、さらには海外からやってくる難民というファクターが、非常に興味深い”さざなみ”をもたらしていく。その点、この構造は瞬時に観る者を魅了するというよりは、ジワジワと心を掴んでいくといった方が当てはまるのかも。とくに中盤で思いがけない死が人々に暗い影を落とすあたりから、映画を取り巻く空気感や観る者を引きつける磁力が大きく変容していくのを感じてやまなかった。風景画を彩るように丁寧に吐息を重ねていく筆運びによって、この映画が終わる頃、ああもっと彼らの物語を観ていたい、と感じる私がいた。その時になってようやく、自分がこんなにも本作に魅了されていたことに気づかされるのだ。
ケン・ローチより小ぢんまりした作風がゲディギャンの持ち味
労働者階級や移民・難民などの社会的弱者を描き続けていることから“フランスのケン・ローチ”と称えられているというロベール・ゲディギャン監督。確かに扱うテーマは似ているが、ローチ監督が弱い立場の人間の生き様を通じて国や役人や大企業の不公正や冷淡な仕打ちを非難するマクロの視座とメッセージ性を強く感じさせるのに対し、ゲディギャン監督はそうした大きな問題への意識を溶け込ませながらも家族や小さなコミュニティーに寄り添う、ミクロの視座が対照的だ。自身が生まれ育ったマルセイユとその近郊を諸作の舞台として撮り続けてきたのも、そんなミクロ寄りの姿勢に関係がありそう。ローチ監督作に比べて小ぢんまりした印象だが、それがゲディギャン監督作の持ち味にもなっている。
「海辺の家族たち」という題の通り、美しい入り江に面した小さな港町が本作の舞台。老いた父親が倒れたのを機に、父と実家で同居する長男のもとへ、教授職をリストラされた次男、人気女優でパリに暮らす末っ子が久しぶりに集まる。海は単なる美しい背景としてだけではなく、ストーリーに有機的に絡んでくる。女優のアンジェルを恋い慕うバンジャマンは漁師で、海の恵みを陸に届ける仕事。漁で得られた魚は、長男アルマンのレストランで供され、人々の糧となる。海は命をはぐくむ豊かさの一方で、人命を奪う無慈悲さもある。かつて海辺で起きた不幸が3兄妹と父親の関係を変えてしまう。海を越えてやってきた難民たちの一部も命を落とす。海は生の象徴であり、避けられない死の予兆でもある。この場所と外の世界とをつなぐ存在であることから、出会いと別れの舞台にもなる。
悲しみや憎しみや分断を克服する力として、愛と善に希望を託す本作。理想主義的ではあるが、大きな困難を前に無力を痛感して何もしないより、身近なところで小さな一歩でもいいから前に踏み出すことの大切さを静かに説いている。
ここは世界の中心ね
フランスの小さな港町、以前は随分賑やかであったようだが今は時代に取り残され三家族がいるのみ。レストランを経営する父が倒れた事により集まる三兄弟。長兄は跡を継ぎ、次兄は仕事上上手くいっておらず、年の離れた彼女とも別れるまだ好きと微妙な関係。妹である有名女優である妹は娘をこの場所で亡くした事で父との蟠りがあり久々の帰郷。近所に住む息子からの援助を拒み、今の生活が厳しい老夫婦。
素晴らしい風景、あー海いいなぁと思わせる世界が映し出される一方で突然軍の人が現れ、難民を取り締まる為聞き込みをする。
自分の都合で娘を預けておいて、事故は父のせいだという娘の勝手さにえーってなり、次兄の後ろ向き的発言でえーっとなり、その彼女の行動言動でうげーとなりなかなか入り込め無い展開。老夫婦の決断はある意味幸せに見えるが子供としては最悪だろう。なのにすぐ立ち直ってそうなる!あー
子供達を見つけてからは皆んな温かい目線になる。服を脱がせる方法はそっちの方が怖いじゃん。
終わったあとはあーなんだか良かったなぁと思える映画だった。
ちょっと消化不良かなあ
家族が愛し合っているのかバラバラなのかよくわからない作品。
難民の子供たちが出てきてから、なんかまとまっていくような感じがしてこれからどうなるのと言うところでハイ終わり。
まだ物語は半分でこれから難民の子供たちと兄弟がどう関わっていくのかが入り口止まり。
難民の子供たちの登場がとってつけたような感じがした。
少し難しい映画だった。
みんな前向きに生きるようになったのは結果として父親が死んで兄弟が一同に集まった結果か。
お父さんの最後のプレゼントやったのかもしれない。
どっと来るのではなくじわっとくる感じの映画だ。
父のもとに集まった結果、それぞれの心を解放することができた。
原題「別荘」。父の暮らした海辺の村の別荘。倒れた父親のもとに久しぶりに集まった兄妹は、それぞれに事情を抱えているようだ。前知識なく見たのだが、父の今後を話し合うというより、それぞれの自立と心の解放がテーマだった。
見捨てられた村の展望、ご近所とのつきあい、老後の生き方、家族の在り方、難民問題、そして自分自身を見つめる姿勢など、少しずつではあるが大きな問題が盛り込まれておりどれも解決策は見つけられない。それでもそれぞれが自分の信じるやり方で前進していくであろうラストは希望が持てる。
1点だけ気になるカメラの視点が気になった。父親がタバコを灰皿に捨てた瞬間に倒れるのだが、その後灰皿がアップになり空へパンする。この灰皿の構図が、父親からの視点だということだ。父親が最後に自分の好きなバルコニーから空を見上げるという意図があるのだろうが、観客は、海側から父親の倒れる映像を見ているので、一瞬違和を感じるのだ。フランス映画はこのように少々「おやっ」と感じる視点や編集の妙がある点がとっつきにくいといわれる所以なのだろう。
きょうだいは難しい。 海辺の風景は美しい。どこかな? 何もな...
きょうだいは難しい。
海辺の風景は美しい。どこかな?
何もない海辺に物語が散りばめられている。
女優のポスターは美しい。
フランス映画らしく、セリフが饒舌。
老人たちにはたくさんの人生の物語とそして忘れられていた希望がある。
詩のような映画
予定通りにいかないのが、家族ってものなのかもしれない
頭上の高架鉄道が印象的な映画でした。
トラック乗りの僕、
毎日高速道路を走ります。
そのコースはおもに長野道~中央道~名古屋方面。
山と谷を縫って走るあの道路には、数ヵ所に非常に深い谷があり、恐ろしく高い高架から下の街が見おろせます。
どんな人が住んで、どんな暮らしがあそこにあるのか。
そして逆に、あの豆粒のように見える小さな家からは、天を突いて立つコンクリートの橋脚と大空に蓋をする道路の腹が、そしてそこを通過する車の姿が、どのように彼らには見えているのだろうか。
山肌の傾斜地に、まるでひどく狭いあの土地に、しがみ付くように貼り付いている村。すぐ目の前が海になっている村。
この映画「海辺の家族たち」が映し出すこの村のシチュエーションは、奥行きは無い。ものすごく奥行きが狭い。
空も狭い。高いけれど、でも途中で空が終わっている。
視界を遮る高架の存在が、村の生活にガラスの天井を架けている。
脱出しようにも、目の前が海で、道は途切れている。
閉ざされています。
四面楚歌の風景。
・・・・・・・・・・・・
高架の下に住む村人の物語でした。
フランス南部の大都市=マルセイユと、首都のパリを結ぶ鉄道です。発展から取り残された入江の村の頭上を、列車は通過するばかり。
映画は、
少子高齢化や、ボートピープルの問題をからめ、高齢の親たち、そしてそのような親を置いて故郷から脱出して行こうとする息子世代・娘世代が諍う、小さな漁村のおはなし。
原題はLa villa. 「別荘」。
南仏の映画は、北部パリの都会物と違ってストーリーが、より叙情的ですし、空気に湿り気があるので僕は好きです。
老いていく者、
落ちぶれていく兄妹。
そして
死んでいく者があり、看取るためにキャリアを捨てて帰郷する者もあり、
はたまた歳を取った両親への思いは厚くて、医療と経済的なケアは忘れない(でも普段は後ろ髪引かれながら都会暮らしをしている)隣家の息子もいる・・
寂れた港町は、それこそ“限界集落”の様相。にっちもさっちもいかない。
スクリーンの親子のそんな姿は、身につまされるし。身にも覚えがある。
ところが
人が動くと事件とは起こるものだ。娘が帰ってくる。
父親を嫌い、死の思い出を遠ざけて20年。実家を離れて背を向けていた娘を、これまた20年も思い続けていた人がいた。待ち続け、恋い焦がれていた変わり者がいてくれたのだ。
若い漁師が花束を捧げて、母親ほどにも歳の離れた彼女にひざまづき、まるで「天井桟敷の人々」のジャン・ルイ=バローのような彼。
映画の終盤には、思いがけず 幼い三人の子どもも転がり込んで、家族に加わる。
老人ばかりの寒村に、再会者と闖入者がやって来て、村の家族に新たなる生命が注入されるのですね。“カンフル剤”のようですね。
むむむ。新しい刺激は新しい生き甲斐を生み出しますねー。
・・・・・・・・・・・・
(要注意だし、解決しなければならない課題も多々あるということを前置きしつつ)
特養老人ホームで働いていた僕は、幼稚園・小学校と老人ホームは同じ敷地にあっても良いのになぁと思うのですよ。
一緒にご飯を食べ、一緒に花壇を作り、一緒に生きてお話をして、一緒にお見送りをする。
一緒にいなくちゃいけない事ってあると思います。それは人としての、欠いてはいけないものを見つけ、生きることの輝きをお互いに発見できるために。
・子供は老人を生かす使命があり、
・同時に老人にも幼子を生かす重大な使命があるんですよ。
こんな話があるのです、
ベトナム戦で、
戦火を逃れてジャングルの中を幾日も逃げていた村人と兵士。もうくたくたに疲れ果てて一歩も歩けなくなった老人が「自分はもうダメだ、ここで死ぬ、ここに置いていけ」と地べたに座ってしまった。
その老人の様子をじっと見ていた兵士は「あなたはこの赤ん坊を抱きなさい」と兵士が抱いていた孤児を無理やりにその腕の中に押し付けて振り向かずに先へ歩き出した。
で、老人はどうなったと思いますか?
・・・・・・・・・・・・
エンディング。
高架のローマン橋の下を家族みんなが歩きます。立ち上がって急斜面の坂道を登っていく。
老いも若きも、死者も生者も、お互いが天上に向かって、優しく木霊と呼び交わすあのラストに涙しました。
・・・・・・・・・・・・
人間って、「輪廻転生」するんだと、思いましたよ。
海で死んだ娘の残した衣服が、とうとう必要とされて生き返ります。開かずの間だった子供部屋のベッドは今や三人の子供たちが並んで眠ります、孤独だった母親アンジェルに笑顔が蘇ります。
兄は警官をまき、スパゲティーを作り、弟は家族の有り難みに気付かされて、難民の子を風呂に入れ、教え子には自由を与え、著作の意欲に燃えて顔を紅潮させる。
固く握っていた手が、ゆっくりほどけていくように、老いと終末の恐怖から自分を守るために、がっちりと防御し組んでいた大人たちの手が、ほどけて緩んでいく。
私にもあなたにも、与えられた役割がある。
自分の終わりの日まで、自分の生まれた意味と、与えられた使命を抱くために、この両腕(りょうかいな)は在る。
予定外であればこその押し付けられた恵みがあるのだ。
そう教えてもらいました。
・倒れた父親の介護という面倒と、
・見つけてしまった難民の子の世話という面倒が、山と海に挟まれて人生の活路を失っていた家族に、突破口を与えたんですね。
監督の眼差しは
小さな村の小さな家族に焦点を当てて、そこに人間の存在意義の原点を見ようとする手法。
地味だけれど監督の演繹法的メッセージ性をふつふつと感じさせます。
遠赤外線の暖かみで、じんわり心が満たされる作品でしたね。
ポール・ゲティギャン監督。
今は都会に暮らしていても彼こそマルセイユの出。高架を通過しながら眼下の同胞に注ぐ想いが優しい。
声高に現代社会の問題や矛盾を語るのではなく、穏やかに心に満ちていく「郷愁」と「詩」と、「海の美しさ」があって、
満ち潮のごとく、息を吹き返していく、家族の新しい誕生の物語がある。
困難に行き詰まっていても、お父さんは振り返ってくれる。
たとえ振り返ってくれなくても大丈夫。私たちは言えるんだと思いますよ、お父さん、お母さん、夫に妻に そしてきょうだいに。そして子どもたち、難民の子にも
「あなたこそ私の使命、私の家族」、
「あなたこそ私の生きる理由」。
「ショコラン:ありがとう(アラビア語)」と
شوكولاتة
【奇跡を呼ぶもの】
フランスの今を、少し角度を変えて見つめた佳作だ。
若者が少なくなって、高齢化が進んだ地域なんて云うと、日本のことかと思ったりするが、先進国は概ね少子高齢化が大きな社会問題になっている。
税率のバカ高い北欧の高福祉国家であれば、ナーシング・ホームが充実していて、老後の心配は少ないかもしれないが、フランスなどは移民も多く、社会福祉でカバーできる部分は大きくはなく、家族の負担も少なくはない。
フランスは、過去の植民地の関係もあって、アラブ系の移民の非常に多い国だ。
この映画の舞台となる入江は、フランス最大の港町で、パリ、リヨンに次いで3番目の人口を有するマルセイユの近郊にある。
マルセイユは港湾都市であることもあり、フランスの都市の中でも移民が非常に多く、そして、治安も良くない。
バックパッカーをしていた時に、マルセイユの治安のあまり良くない通りにある、古い、縦に細長い、手動開閉式のエレベーターの超格安ホテルに泊まったことがあった。
鍵は壊れてるわ、シャワーからは水しか出ない。フロントはアラブ人で、英語は当然通じないし、あのギョロリとした目が怖くてモンクは言えないわで、パイプベッドをドアのところに移動させて、外からドアを開けられないようにして寝たことを思い出す。
ジム・ジャームッシュの「ミステリー・トレイン」に出てくるメンフィスのアーケード・ホテルの方が何倍もマシな感じだ。
でも、旅の大きな思い出だ。
僕の個人的な体験で横道に逸れたが、こうした移民の増加や治安への不安で、少し郊外の昔ながらなフランス人の多く暮らす場所に新たな住居を求めたり、別荘を持つ人が増えているのだ。
これが物語の背景だ。
作品に描かれる家族の話やエピソードは、ご覧になった通りだ。
悲しいものもあれば、滑稽なもの、フランス人ならでは(?)のような話もあるし、これらを、良し悪しというより、誰もが目撃するような視線で描かれているのだ。
そのため、どこか自分と重なるという人もいるかもしれない。
ただ、最後のひとつのエピソードを除いてだ。
きっと、この映画は、この人々の優しさやウィットに溢れた対応を見せたいがために、これこそが本来のフランス人ではないのかと示したいがために、ずーっと物語を引っ張ったのではないかと思う。
そして、叫び、声がこだまする場面を通じて、こうしたものこそが、奇跡(父の機敏な反応)をもたらすのだと、希望を見せてみたのではないのだろうか。
「家族たち」というタイトルの意味
過去の反映が嘘のように寂れた海辺のリゾート地。もう住人すら僅かに残っただけであり、その人たちも終焉に向かうのを待つだけだ。隣人夫婦は町の運命に寄り添うように自死を選び、主人公一家も認知症の進んだ父親をはじめ、兄二人と妹の三兄弟も次の世代を持たず、おそらくはこの地で細々と終わりを待つのみ。
日本における農村の過疎化を重ねてもよい。要はそうして忘れ去られていく土地だということだ。
そこに流れ着いた難民の子どもたち。言葉も通じない三人の姉弟という、新しく異質な「家族」を迎え、交流の始まりを予感させるところで、物語はさらっと終わりを告げる。この後は観たものそれぞれに委ねられたのだろう。もちろん、このまま何事もなく物語が続いていくことはあり得ない。おそらくは難民姉弟を強制送還を強行しようとする当局と、この子達を受け入れようとする兄妹との間に一波乱も二波乱もあるのだろうけど、それを描く必要はないというのが、監督の判断でもあろうし、わたしはこれで良いと思う。良い余韻を残した映画。
じんわり染みる家族の物語
家族に起きた出来事が、少しずつ明かされていく感じ。
それぞれが傷つきを抱えていたことを、ぶつかりながらお互いが気づき、仲良かった関係に緩やかに修復していく様子が丁寧に描かれています。
そこには、愛とリスペクトがうまい具合に折り重なって、中盤以降一気に引き込まれる感じです。
一途に一直線に愛を告る若者にはかなわない(笑)もう、恋する男の眼差しにノックアウトされちゃいます。
ゆっくりと過ぎていく海辺の風景と、南仏の町並みに魅了される映画です。
終わりが心地よいフランス映画
フランス映画にしては珍しく、後半になるに従って解決して行き、最後は心温まる感じ
当初は登場人物に好意は持てないが、徐々に理解できてくる
良い映画でした
難民の子らがあまりにも美形すぎるのが・・・
自衛隊にもベレー帽はある
陸自だけだったと思いますが「略帽」はありますが。フランス軍、似合うねw
移民の女の子に見覚えはあるんだけど、どーしても、何処までも鑑賞済みフランス映画を遡っても分からなくて。だがだがだが。おもいだしたーー!
第九のフラッシュモブの女の子やん。
あー、スッキリした。
※ウソです。似てるけど違いますw
て言うか。彼女だけでなく、「見覚えはある」役者さん揃いの佳作。ちょっぴりイタリア映画を感じさせる幕開け。時代に必要とされなくなった労組左翼が立ち直る姿。歳の差恋愛。移民問題。限界集落を狙うリゾート開発。村と一緒に寂れていくだけの観光地高齢者問題。
まぁ、この小さな設定の中に、ぶち込み過ぎやろと言いたくなるくらいにぶっ込んで来ますが、ユルユルな時間感のおかげで特に混乱する事もなく。
終わり方なんか見て思った事は。
「なんて小津的なんだろ」
未だにこんな事を言うのって日本人だけなんでしょうけどねw
地味に浸みた。
なんか好きだなぁ...
ここが良かった!ってのは具体的に言えないのだけど、
なんか好きだなぁ。
海辺の街の独特な雰囲気と人間性、
時間がゆったりなんだよなぁ。
どうにかなるというか、どうにかする的な。
だから、都会の刺激に飽きていない若い二人は出ていくだろうし、
充分味わって少し疲れて老後を考えるようになった女優は、ここに戻ってもいいかしら?なんて思うだろうなぁ…。
わたしも、海辺の街の子だったから、やっぱ、海のパワーってスゴいって知っているし、老後は海を眺めながら過ごしたい。
余談だが、わたしの田舎には、じーちゃん、ばーちゃんが集まって海を眺めている場所がある。
その場所の名前が「がまんの丘」という、なんだか、とてもシュールである。
感想に戻って、海辺の街の空気感なのか、夫婦の自死も、難民を匿うのも普通の流れで、とても自然に感じちゃうし…。
観終わった後は、ほっこりしつつ、前向きに慣れる佳き作品。
兄妹の昔の映像はCGなの?
そこ、ちょっと不思議で気になっちゃった。
マルセイユの近くの港町
他の方のレビューにもあったが、初老の外国人だらけの映画なので、誰が誰なのかを確認するのは大変だった。
イタリアって入りくんだ入江があるので、ああいう日の目を見ない港町もあるのだね。
難民の件がなくても成立する映画だと思う。
ジオラマみたいな街の風景が良かった。
明日への活力
マルセイユと、聞くと、長友、フランス国歌、セザンヌしか思い浮かばないが、地中海気候のためか、画面も人々もカラッとしている感じが、伝わって来た。が、かつての避暑地も人口減のせいか、過疎化で、難民がたどり着いてくる様だ。
映画は、とても自然で分かりやすく さりげなく三人の兄妹のそれぞれの現状、過去の映像を交えて進む。作り方が上手いなぁと思った。
アンジェルを崇めるバンジャン、拒絶されても妙な笑みを浮かべて、なんだかキモいけれども、お互いの幼い頃を知る知人として見た。
バンジャンは、マルセイユの地が好きで、その地で日々を慎ましく生きている人物。で、見知ったアンジェルが舞台で光り輝いているのを見てミューズとし、その舞台台詞を暗誦、誦じてアンジェルと共有する。
ヨーロッパ映画を見ているとよく、お互いが聖書や詩、文学の一編を言い合ったりしている。普通の事なのだか、その豊かな文化にちょっと畏敬の念を抱く。
フランス映画よろしくと言うか、肉食文化なのか、二人はめでたくくっつく。うーむ、アンジェルのアバンチュールはすごい。
五年前に撮られた映画だが、介護、過疎化、難民問題、人生の終い方、初老の人達のこれからの生き方を描いている。そして、さりげなく、地球温暖化も描いていた。それは、山火事になると消火活動に入れないと、アンマンは一人山道を整備し、枯れ枝等を取り除く作業もしていた。マルセイユの山火事は過去何回か起こっている。
始め、三兄妹は、何故父親役と見分けがないくらいの初老の役者たちなのか?と思ったが、初老ならではの、これからの自身達の在り方を示す為のものだったと思った。
三兄妹は、子供時代に戻ってお互いの名前を鉄橋の下でこだまさせる。それは、父親の気力さえも、呼び戻す、この最後は、とてもいいシーンだった。
楽しい過去を共有した事のある人たちの明日への活力を現しているのだと思った。
続編が観たい〜
海辺の小さな町が舞台ですが、家族、兄弟、老い、死、リストラ、難民、人種差別など、人生や現代においての多少なりとも逃れられない問題を、絶望から修復への一歩一歩。
なんだかんだぶつかり合うけれど、「たばこ一本ちょうだい」と、みんなで時間を共にして、修復し合う時間。
あのベランダいいなあ〜。
Googleで検索したら、レストランがちゃんとありました!あのサカナのコックの丸い看板が◎
Le Mange Tout
階段を上がったり、電車を見上げたり、足をチャプチャプさせたり、、、、行ってみたいなあ〜(*^^*)
フィッシュランチとワイン、あの場所で味わってみたい!!
と、思わせる素晴らしい映画でしたね、パチパチ!
バルコニー
海辺の小さな村に住む父親が倒れ意思疎通も困難となる中、集まった家族と隣人達の話。
父親の営む小さなレストランを継いで村に残った長男と、娘ほど歳の離れた若い婚約者を連れた次男、娘を亡くして依頼20年ぶりに帰って来た女優の末娘という家族に、僅かになった昔からの住人である隣人夫婦とその息子、漁師を継いだ男の交流をみせていく。
アンジェルの抱えるキズに始まりちょっとゴタゴタしながらも打ち解け合っていく様や、新たに産まれるトラブル等、悪くは無いけれど…一応振りはあったとはいえども、山場からの展開は唐突じゃないですか?
それを気にみんなのベクトルが合うっていうのも理解出来なくは無いけれど、ちょっとそれでまとめるには強引だし。
まあ、フランス映画らしいっちゃあらしいのかな。
マルセイユを通して描く市井の人々の絆
『マルセイユの恋』、『キリマンジャロの雪』などで、一貫して出生地マルセイユ近郊を舞台とした作品を手がけてきたロベール・ゲディギャン監督にとって、マルセイユはもうひとつの主役。
マルセイユには地中海を通って各地の難民・移民が集う。これは、彼の父親が長らく紛争地帯だったアルメニア出身である事が関係しているのは明白。終盤で登場する難民の子供達と、辛い過去と厳しい現在を抱える3人の兄妹達の出会いが、思わぬ化学反応を生む。
地味すぎるほど堅実なドラマだが、これがゲディギャン監督の真骨頂。
全21件中、1~20件目を表示