ディエゴ・マラドーナ 二つの顔 : 特集
心の底から“今、見てほしい映画” 追悼、マラドーナ
永遠のカリスマの二面性――尋常ならざるドキュメント
「人生はサッカーであり、サッカーこそが人生だ」。
2020年11月25日。世界中で愛され、そして憎まれたサッカー選手ディエゴ・マラドーナがこの世を去った。60歳だった。
2021年2月5日に日本公開を迎える映画「ディエゴ・マラドーナ 二つの顔」は、永遠のカリスマの栄光と転落に焦点を当てた“尋常ならざる一作”だ。生前のマラドーナが全面的に協力し、500時間におよぶあまりにも貴重な未公開映像をふんだんに盛り込んでいるから度肝を抜かれる。
そして彼が死去した今、本作はまた別の“オーラ”とも呼ぶべき神秘的な力をまとっている。普通の記録映画ではないのだ。仕事柄、さまざまな作品の時代性を引き合いに「今、見るべき映画」と形容したりするが、本作は心の底から「今、見るべき映画」と呼べる稀有な一本である。
この特集では、“本作の何がすごいのか”の解説と、大のサッカーファンでもある映画.com編集長によるレビューを掲載し、見どころを紹介していく。私たち編集部は、切に読者の皆さまに「ディエゴ・マラドーナ 二つの顔」を見てほしいと願っている。
2020年11月25日に死去した永遠のカリスマ――
見たことのない貴重映像で語られる、光と影の7年間
○今、見てほしい映画 ディエゴ・マラドーナ、安らかに
多くのファンが「マラドーナがこの世を去る」なんて予想だにしていなかった(なぜか彼は永遠に生きると思っていた)2019年に製作された渾身の一作。コロナ禍を受け2021年4月に日本公開を延期していたが、青天の霹靂とも言えるマラドーナの訃報を受け、急きょ、改めて公開日が同2月に前倒しされた経緯がある。
配給会社の尽力は、非常に良い影響を本作に及ぼしている。このタイミングで本作を鑑賞することで、観客はこのうえなく感動的な映画体験を得られるだろう。
本作はマラドーナが現役の選手だった1970~1990年代の映像に、本人やチームメイトの証言を交えて展開する。特筆すべきは、マラドーナの知られざる一面に迫るその内容だ。意外な事実が非常に多く含まれており、コアなファンも「知らなかった」と唸る場面がいくつも登場する。詳しくは、後半の編集長レビューでも言及しているので、チェックしてみてほしい。
○意外性にあふれる“普通じゃない”ドキュメンタリー
繰り返しになるが、本作は普通ではない意外性に満ちた一作である。以下の3つのポイントで説明していこう。兎にも角にも、あなたの予想を超える映画なので、いち早く映画館で鑑賞したほうがよい。
普通じゃないポイント① 本人が全面協力 500時間に及ぶ貴重過ぎる未公開映像10歳前後のマラドーナがピッチ上でドリブルを仕掛け、対戦相手の少年たちに影すら踏ませずゴールを陥れる。そんな姿に始まり、さらにはナポリのマフィアと何やら交渉する電話の音声など、どうしてそんなものが残っているのかわからないほど貴重な映像がふんだんに盛り込まれている。
また驚かされるのは、試合中の映像。テレビ放送などで見られるような観客席からではなく、ピッチ横やゴール裏から撮られているのだ。マラドーナの目線と同じ高さのプレー映像は、なかなかお目にかかれるものではない。
普通じゃないポイント② アルゼンチンの英雄ではなく、ナポリの神様としてのマラドーナ
多くのサッカーファンにとって、マラドーナといえばアルゼンチン代表での活躍が強く印象に残っているもの。しかし本作は、同国代表よりはむしろ、SSCナポリでの彼に多くの時間を割いている。
1984年当時、世界最強のリーグと謳われたイタリア・セリエAにおいて、下位に低迷する弱小クラブだったSSCナポリ。マラドーナは同クラブを初の優勝に導き、“神”として愛されるまでになったのだ。ナポリ時代に焦点を当てる理由は、その期間が彼の光と影、人生そのものを象徴しているように感じたことだと、本作監督のアシフ・カパディアは語っている。
普通じゃないポイント③ コアなファンでも「6割は初めて見る映像」
①と②により、超貴重な映像が画面上にドバドバ流れてくる。「少年時代からマラドーナのビデオを買い漁っていた」と語る映画.com編集部のコア・マラドーナファンでも、本作を鑑賞し「体感で6割くらいは初めて見る映像だった」と感激の声を漏らしていた。
○カンヌで注目と称賛を浴びた一作…「AMY エイミー」の世界的巨匠の最新作
そんな良質な作品を創出したのは、「AMY エイミー」で第88回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞し、「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」などを手掛けたアシフ・カパディア監督。本作はカンヌ国際映画祭ではアウト・オブ・コンペティション部門に正式出品、英国アカデミー賞のドキュメンタリー部門にノミネートされるなど、世界中の映画人から称賛を浴びた。
さらに辛口で知られる映画批評サイト「Rotten Tomatoes」では、90%フレッシュ(批評家スコア/1月13日時点)と高く評価されている。その品質は折り紙付きだ。
【編集長レビュー】奇跡といってもいいレベルの映画
熱狂的で、深く、泣ける 発見と興奮が連続する2時間
編集長・駒井尚文 マラドーナの死はとても残念な出来事ですが、死の直前にこの映画が製作されていたことは、彼の人生を後世に伝える意味で非常に有意義でした。内容的に、奇跡といってもいいレベルの映画なわけで。
過去にもエミール・クストリッツァ監督の「マラドーナ」という映画がありましたが、クオリティが段違い。本作は、非常に熱狂的で、しかも圧倒的に深い。そして泣ける。我々の業界で言うところの、マラドーナの「遺作」でもあります。
冒頭、オープニングからタイトルロール「DIEGO MARADONA」が提示されるまでの5分間が象徴的です。マラドーナはかつてバルセロナ(今はメッシが所属しています)に在籍していましたが、あまり活躍できず、ストレスを溜めたあげくピッチで暴力沙汰を起こして退団にいたっていました。
マラドーナが、ピッチで相手選手に跳び蹴りを決める衝撃シーン。そして、セリエAのナポリへと移籍し、凄まじい熱狂で迎えられるまでが冒頭の5分間に詰まっています。追放から歓迎へ、地獄から天国へ、「そんなの知らなかった!」「こんな映像見たことない!」の連続です。
この「知らなかった!」と「見たことない!」がずーっと続くわけです。「発見」と「興奮」の連続が2時間続く。
では、この映画は「サッカーにあんまり興味がない」という人でも楽しめるでしょうか? 私は、そういう人にもこの映画を勧めたい。それは、マラドーナのキャラクターと身体能力が理由です。基本的に、憎めないキャラクター。さらに、身長が低くてずんぐり体型なのに、足技が超絶に上手い。
ピッチでは、大柄な相手を一瞬で置き去りにし、技巧的なシュートを次々に決めます。サッカーを知らない人でも、見ていて胸のすくプレイがこれでもかってほどたくさん見られます。
マラドーナは、1980年代、セリエAで残留争いの常連だったナポリにリーグ優勝をもたらします。この優勝に到るまでのプロセスとカタルシスは、本作を見ていてゾクゾクする要素のひとつです。ナポリ市民になった気分で見ちゃいます。
日本では、テレビなどでマラドーナのプレイが見られるのは、W杯の映像が中心でした。つまり、アルゼンチン代表でのマラドーナ。当時、各国のリーグが衛星放送やネット配信で見られる時代ではなかったので、マラドーナのナポリ時代の映像は新鮮です。古いのに、とても新鮮。
もちろん、W杯の映像もふんだんに使われています。86年メキシコ大会イングランド戦の「伝説の5人抜き」を、NHK山本アナの絶叫以外のバージョンで体験できるのは貴重です。本作では「神よ、サッカーとマラドーナに感謝します!」って絶叫してる。
私はこの映画、カンヌ映画祭で初めて見たのですが、件の5人抜きのシーンでは、上映会場で拍手が巻き起こりましたからね。「マラドーナの凄さは、世界の共通認識なんだな」って痛感しました。
この映画の中で、非常に印象に残るのは、マラドーナを長年見てきたスポーツジャーナリストのダニエル・アルクッチと、パーソナルトレーナーのフェルナンド・シニョリーニが語る一連の言葉です。非常に示唆に富んでいます。
アルクッチ曰く、「『神の手ゴール』と『5人抜きゴール』を見れば、愛される理由も、嫌われる理由も分かる」。そうなんです。マラドーナは好き嫌いが非常に分かれるプレイヤーです。
また、シニョリーニ曰く「『ディエゴ』と『マラドーナ』という2つの人格が彼にはある。『ディエゴ』は不安定ながらも素晴らしい青年だ。『マラドーナ』は後から生み出された人格だ。フットボールビジネスとメディアの要求に向き合うためだ」。ディエゴはプレイヤーとしての理想を追求しますが、マラドーナ人格の方が次第に制御不能になっていく。
この映画のナレーションは、マラドーナ自身が担っています。後からインタビューした音声を、過去の映像にかぶせる形で使っています。コカインの常習で被った不利益や、マフィアとの交友がもたらした災い。さらには、婚外子の認知問題など、マラドーナの負のエピソードもふんだんに盛り込まれています。
だから、冒頭でも述べたように「マラドーナ正伝」と言っていい。マラドーナのプレイと、彼の遺した栄光の数々とともに、長く語り続けられる映画になると思います。
最後にもう一つ、この映画を見た私は「映画制作に関するある衝撃」を覚えました。心底驚いたんです。「この監督、何者だ?」って。それについては、当サイトの「編集長コラム」で詳しく書いたので、ぜひそちらもご覧ください。