ルース・エドガーのレビュー・感想・評価
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本当の姿とは。
人種差別、黒人差別を大きくテーマとして出している作品でした。
見えてるものも見ているものも考えも理想も何もかも全て、本人にしか分からないですね。
善なのか悪なのか、どっちの思考が正しくて、どっちの思考がおかしいのか、難しいテーマですが、見ていてわかりやすく表現されています。
黒人差別もある中での、人間模様。
でも最後までルースが善なのか悪なのか、どっちなのか分からず終わってしまうため、モヤっとします。
ルースの、本当の姿はどれだったのでしょうか。
個人的にはステファニーがなんか一番こわかったです。
一旦なにを考えているのだろう。
サイコパス感感じました。
ルースの7歳前に起きた壮絶な過去の詳細をあえて明かされずに映画は進みますが、過去に与えられた何かで彼をどこまで変えてしまったのか。
女教師の妹のローズさんがマッパになります。
突然。ガッツリ写っててびっくりでした。
すごい女優魂です。
そして演技上手いです、動きだけで様子がおかしいのがすごいわかります。
見てよかったです。
もったいない
結局は人種差別の話をしたいのか?事件の真相を追うのか?未成年のフワフワした感情を描きたいのか?
どれも中途半端。キャスティングもストーリーも申し分ない。見せ方が全くわからん。
この映画の本筋は何なの?
さすがにルースにちょっとイライラしたから「早く息子突き出せ〜」って思った。
主人公の何を考えているのかわからない怖さ
たまたま空いていた時間帯にやっていた映画をチョイス。
そのため、深い思い入れはなかったが。。。
主人公の何を考えているのかわからない怖さと、自分の理想を押し付ける教師とのやり取り。
こんな教師だったら、反抗してしまうかもしれない。だらしない体型の教師に言われたくないよなと感じた。
頭を整理するのに時間がかかりそう。
ルースの本心は明かされない。
それがキモな作品。
想像するしかない彼の心のうちを、観客が各々の偏見で埋める。
その恐ろしさに震えさせるのが、多分作り手の意図するところかなぁと。
ハリエットもピーターもエイミーも、同じ穴の狢。
わたしがどう思ったかについて、自分の拙い見識が、偏見が露呈するのが怖くて、解釈できない。そんな気持ち。
深すぎて言葉にできず...
とても面白かった…けど、答え合わせしたい
予告編は、とても良くできていて、観に行こうと思いました。ルース・エドガー を取り巻く先生、両親との出来事。予告編どおりに、レポートの過激な思考から、ロッカー検査のうえの花火没収。ルース・エドガーは、本当に、何かしている…そう思った。でも、しばらくすると、雲行きが変わるんだよね…。先生に、ハメをられてる?…と思った。でも、ラストは、ハメようとした先生を陥れたよね?いろんな展開に、どちらを信じていいか分からなくてなる両親。観ている私も、分からなくなりました。そして、真相は明かされぬまま終わりました。ロッカーの花火だって、ルースが入れたものじゃないかもしれない。でも、自宅にあったはずの花火が無くなり、火事が起こったのは事実。彼女が、お母さんに話した話は、本当のこと?みんなが、真実の中に嘘を紛れ込ませているから、何が真実で、何が嘘なのか、分からなくなった。映画を観ている私たちに、判断を委ねたのだろうか…。とても良くできていただけに、答え合わせしてほしかったかな。
ルース、討論のように正々堂々とたたかって!
こんな強烈で、人を引き付けるのストーリーの映画を観たことがない。聴衆者がまぎれもなくこのストーリーに引き込まれていき、参加できる映画で、主に学校と家庭だけの会話で視聴者に質問、問題点を投げかける。
BLMのデモの動きの中、白人が作ったシステムをかえ、他民族にも合わせたシステムを作ろ
うとする運動が活発化している米国の現実に、ちょうどマッチする作品になっている。
エリトリアの戦争地域で少年時代を過ごし、米国バージニアのアーリントンのキャリアのある裕福な白人家庭にもらわれたルーズ。(ケビンKelvin Harrison Jr.)治療したが、まだPTSD symptomsが癒えないルースなのかも。統合失調症的な要素をもつ性格、二重人格、人を笑顔で操れる高校生。美しい笑いの中に何か秘めている事実がある。その笑いが時々、無理に作っている笑いのように見える。
ルースの正直さが見えないから両親は何が本当か探そうとするが、母親のエゴを通して過保護的にもなる。母親を学校まで送らせて、多分彼がウイルソン先生の教室に仕掛けた花火の惨事をみせるなどという企みを図る。奔走したり、疑ったりする母親を見ているのも辛い。
高校生のルースが大人を操っているようの演技していて、何が本当なのか、誰がしたのかわからなくなっている。その中で、他の映画ではこういう疑問はなかったが、この映画の場合は黒人の作った映画だと思え、どんな人かと思い、映画を観終わってから調べたら、ルースのように監督はアフリカのナイジェリアから10歳ぐらいに米国に来て優秀な経歴を持つ黒人だとわかった。
アーリントンのノバ高校では南部連合の旗(the first flag of the Confederate States of America)が降ろされていくのがウィルソン先生の教室の窓から見える。バージニア州でも米国社会の変化の影響が出てきていて、人種差別の象徴の旗は公立の組織からなくしているのも監督の裁量だろう。
白人の友達が黒人の同級生をBlack Blackというがルースに対してはルースだという。ルースは受け入れるが、他の黒人はうけいれられないという差別。こういう差別はよく聞く。監督もルースのように言われてきたのかもしれない。
ウィルソン先生の教室の飾りは彼女の性格や思想を反映している。シーザスチャベス、オバマ、マザーテレサ、キング牧師の写真が貼ってあるし、世界地図はアフリカが中心に見える。私個人の教室も半分は私の哲学が現れているホスターでもう半分は生徒のためのポスターが貼ってある。
ウイルソン先生とルースの思想の戦いが圧巻。これに焦点を絞って書こう。
黒人同士は黒人に厳しい。家庭の躾もそうだが、ルースが夜、ジョギングをしているが、黒人家庭だったら、特に息子には親は夜、暗い中ジョギングをするなというと思う。肌の色が夜と合わさって、夜、動く犯罪人と間違われて殺される可能性があるから。
ルースは白人の家族に育っているから、親からこういうことを言われていないという意味でも『自由』スピリットで育っている。
両親が『Our Black Son 』といって息子を守らなければならないと言ってるのは過保護で、現実の問題点から逃げようとしている。彼のエリトリアで生きた頃の精神問題PTSDを治療したと言ってるが、戦火で、子供心に人にうまく頼って生きるための策略を心得てきていることに疑問点を感じていない。
ここでなにかおかしいと感じているウィルソン先生の第六感は正しい。なにかきな臭いものを感じている。私も先生なので、このウィルソン先生の第六感や生徒がなにを書く(描く)かにより、深層をみることができるのがわかる。
黒人のなかの世代や背景の違う二人の黒人(ルースと歴史のウィルソン先生)黒人のなかにある根強い問題を追及する映画になっている。
社会の有能な黒人は評価され認められる。でも、一般の黒人は人間一人の価値よりまとめてblack Black (ルースの白人の友達がいうように)という見方を社会からされるようだ。
これを『公民権運動』でやっと自由を勝ち取ったが、まだまだ白人が作ったシステムの中で生きている黒人(例えば、ウィルソン先生)にはbest/perfect にならなければ社会から認められないと考えてる思想がある。だからアメリカ生まれじゃない黒人の生徒(ルース)にもパーフェクトを望むし、黒人の代表、完全である良い見本という期待感がある。ルースの友達ディシャンは先生のいうパーフエクト候補ではないからアスリーのスカラーシップも落してしまう(ルースのような生徒はどこもかしこも奨学金をくれるし、彼の家庭はそんなものはいらない。でも、ディシャンにはこれが唯一だったかもしれない)。はっきりいって、優秀でありリーダーになりそうな黒人は箱の中に入れて育てたい。ここから外れるものの面倒はみない。これが、ウィルソン先生の思想。自分の妹に対しても。
しかし、ルースはエリトリアの戦争地域から今の両親に救われて、アメリカの『自由』をやっと満喫していて、学業、スポーツ、討論などでも自分の力を試していて、自分のなかでベストを尽くすことを学んでいる。でも、学校の期待も背負っている生徒。彼は自分のことを米国社会(特に奴隷制度の名残の黒人社会)がみているステレオタイプの枠に自分を入れられないし、ウィルソン先生のいうパーフェクトを望む黒人の世界のエリートの思想にも足をいれない。『黒人であることは十分じゃない!』とルースにウィルソン先生は感じさせる。
ルースは人間として、自分の人生の戦いに挑んでいるが、ウィルソン先生は黒人としての戦いをルースに望んでいる。
黒人のなかでベストになるには完全でなければならないというウィルソン先生の思想とは相容れない二つの見解の戦いである。
最後のシーンでルースは母親に『もう一度やり直せるチャンスがある。』というが、ウィルソン先生は? ルースよ、卑怯な行動を取らず正々堂々と戦ってほしい。
名作中の名作
今、アメリカでは、黒人の差別は黒人の過剰反応だという新しい価値観が広がっている。気にしすぎなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
黒人でも、名誉黒人みたいや扱いをされる人もいる。
肌の色だけがテーマではない。
戦争、偏見と自由、理解と束縛、愛と不信…
人種、親子、夫婦、友達、教師と生徒、上司と部下…
社会と個人…
現代社会の問題をルース・エドガーを通して描写している。
単純に、ルースが幸せになる事を願う者と、ルースを利用して社会的地位を得ようとする者の駆け引き、それ以外にも様々な視点で観れる作品だ。
一人でも多くの人が、この作品を観る事で、今後の社会は変化していくのではないだろうか。
高校生は必見の作品だ。
ラベリングの悲劇
事前知識を仕込む余裕がなかったのだが、元が戯曲と聞けば納得するつくりではある。学校と家庭。狭い世界。
タイトルロールであるルース・エドガーは優等生である。しかも彼は紛争が激しい国、アフリカはエリトリアからやってきた。彼は「特別たること」「完璧たること」を期待される運命にある。
対峙する教師オクタヴィア・スペンサーには彼女なりの強固な信念があり、ままならぬ家族がおり、恐らく想像の及ばぬ過去の抑圧がある。それが彼女を走らせてしまう。
とにかく常に互いが噛み合わない。思いが伝わらないというディスコミュニケーションの連鎖が続く。無意識のラベリングの強固さを感じる。
理想の息子、信頼の厚い少年。ケルヴィン・ハリソン・Jrの貼り付いたような笑顔。優等生的な言葉、笑顔。表情があるようでない。
彼は自分の立場をよく知っていて、なおかつ他の境遇に敏感である。彼の時折見せる激しさを、結局誰も受け止めてはくれない。
物語全体が徹底的にディスコミュ二ケーションに彩られている。ナオミ・ワッツは結局息子を「信じていない」。ティム・ロスは常にどこか腰が引けている(客観視という意味では良いのだが、介入を避ける向きがある)。オクタヴィア・スペンサーは「ルース・エドガー」に巨大なものを見すぎている。それは正しいとも言えるが、だがしかしそれは本質なのか?
どうすれば曝け出せるのか?曝け出せないことこそが大いなる問題なのだ。曝け出したら何もかもを失うかもしれない。ルース・エドガーは安定しているように見せかけて、非常に危険な綱渡りを強いられているのだ。
ラストのルースの表情に、やはりこの先にある陰を感じるのは私だけだろうか?
折り畳まれたたくさんの心
一連の事件は、ルースが首謀者ではあるが、どこまで?どれとどれ?と細かいところが曖昧なまま。
サスペンスを明らかにするのが主眼というより、本人も気づいていないような偏見、ルサンチマン、プライドといったものが薄皮をめくるように提示される。
この映画で示されるのは「型にはまる・はめる」という、この社会で要求される生き方だ。皆、自分の役割を知り演じている。型を破ろうとして差別意識を顕在化しようと授業するハリエットにしても、差別を打ち破り成功したマイノリティ像をルースに求める。(そのあげく、ほかの生徒を下げる行動をとるとか。本末転倒)
意識高い系のエミーも、その意識の高さゆえにルースや夫や自分自身にも無理を強いてる(が自覚はない)
理不尽な出来事も矛盾だらけでも、答えをはっきりさせなければならないことがあるし逃げられない。その息苦しさ。
そして、最大のアンビバレンツは、名前を奪われルーツを否定されたことに強い怒りを覚えながらも、成功者としての地位を勝ち得たことを受け入れているルース自身だ。その涙も、年とともにどんどん心が磨耗して忘れ去るのかもしれない。と大昔の若者は切なくなった。
人種差別や格差社会に対する憤りがあった
主人公の高校生ルースはアフリカの北朝鮮とも言われる戦火のエリトリアに生まれ、幼い時にアメリカへ逃れ、医師夫婦の養子となった。
高校を代表する優等生となった彼の中に鬱積した教師や学校に対する思いが悪意ある計画を生んだ。教師や親との心理戦をドキドキしながら見守った。
ここに過ちを犯す二人の女性がいた。ルークを疑い対峙する教師(オクタビア・スペンサー)、迷いながらもルークを守ろうとする養母(ナオミ・ワッツ)。強く正しい女性像をも演じる名優たちだからこそ、このダメダメぶりも府に落ちたのだろう。
この作品にはブラックやイエローに対する差別や格差社会に対するどうしようもない憤りがあった。鈍い感触が残った。
しょせん「箱の中」。
箱の中に差し込む光は、仄暗くあたりを照らす。光が当たる者でさえ、箱の外に出られる訳ではなく。出たところで幸せな生活が待っている訳でもなく。光の当たる周囲にいるものは、いたたまれない。
箱の中で生きる者たちが、足を引っ張り合う姿。足掻く姿。箱の存在など理解できない者たちが「愛」を語るしかない現状への絶望。
「優等生か怪物か」なんてサスペンス要素以前に、アメリカ社会の人種問題の生々しさが、ここ数年の同題材作品の中では、一番でした。
ルースは、光の当たる場所で己の心に反する欺瞞的な生き方をし、仄暗い場所で、自分の気持ちに従っているだけに過ぎないのであって。白人社会の優しさに感謝するスピーチをする一方で、箱の中で生活するジレンマから逃れるかのように、町の中をひた走る。
無駄だよ。どんなに懸命になったところで、しょせんは、箱の中からは出られないし、出ても満足感などなく、後悔するのがオチ。しょせんは、この先も、今まで通りに「箱の中の人生だ」。
って言ってるみたい。
「光」を意味する”Luce”はイタリア語で、発音は「ルーチェ」。「ルース」は同単語の英語読みで、女の子の名前である「ルーシー」も語源は同じだったりします。ルースの出生地であるエリトリアは元イタリア植民地。英国保護領、エチオピア支配の時代を経て1991年に独立。以来、「民主正義人民戦線」書記長であるイサイアス・アフェウェルキ大統領による独裁体制が継続しており、「アフリカの北朝鮮」と揶揄される国。北部海岸まで陸路を旅し、イタリア・ギリシャを目指そうとするボートピープルを生み出す「危機的な問題を抱える国」の一つです。ちなみに、イサイアス・アフェウェルキ大統領は、中国に留学と言う名目で招かれた支配者候補生の一人で、彼の独裁手法の根底には毛沢東思想があります。ルースは幼少期に「戦場に駆り出された経験」すらあると言う設定。彼のガールフレンドであるキム・ステファニーは、おそらくベトナム戦争時代の難民。現実にアメリカの一般の人の身の回りに在り得る状況設定は、この物語が全く現実性の無いものではないと感じさせてくれます。
深い意味がありそうで‥
オバマは何もしなかった、黒人は殺され続ける!
私も信じる
濃い内容
ルース エドガーは、なかなか濃い映画でしたね。
表現的にはサスペンス的な部分が濃いのですが、真髄は人種差別の日常の現実をえぐり出してまして、どちらかというと、典型的な差別者と被差別者の間の差別ではなく、虐げられ続けた被差別者(この映画では黒人)の中で卑屈化してしまった被差別意識が、被差別者同士での差別を産んでいく構図が、なんともリアルでエグい感じでした。監督も黒人監督ですので、その辺りは非常にリアルでした。
ただ、最後までは重厚なサスペンスとドラマ、演技がよかったのですが、最後の最後がちょっとわかりにくすぎて、人によってはなんだこれ?ということになる人多そうです。
サスペンス調で描いてきてるので、きちんと事件の解明の落ちがないと納得いかないのではないかと。
ドラマを重点にしての描き方であれば、その終わりでもいいのかなとは思いますが。
まさに今、2020年の映画
「オバマ後」のアメリカ、現代の人種差別を描いた作品として非常に秀逸。一見平等に機会が与えられているようで、黒人が常に向けられる疑いの目。危険性があれば排除され、完璧でなければ「怪物」になってしまう…。「息ができない」というセリフはあまりにタイムリーですね。
作中、ルースの本心は殆どわからず、観客からすればまさに「聖人」か「怪物」か判断できず、「黒人」「優等生」「ティーンの男の子」という社会的役割に当てはめられない人間の多層性に翻弄されることになります。もちろん、1人の人間が「聖人」であることも「怪物」であることも本当はあり得ないんですが。
ルースに疑いの眼差しを向けこの物語の火種となる、黒人フェミニスト教師のハリエットも大変多面的で素晴らしいキャラクター。やっと、白人を助けたり、ひたすら性格が良かったり、かわいそうだったりする役割ではない、マイノリティの中の多様性が描かれるようになってきたということではないでしょうか。日本ではまだここまでマイノリティの多面性を描くことはできないように思います(文化と文化を単純に比べることは出来ませんが)。
終始ハラハラし、物語の展開が読めない人間サスペンスでとても面白かったです!監督を追ってみようかな。
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