春を告げる町のレビュー・感想・評価
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震災を知らない世代と歩む「復興」
東日本大震災から来年で10年になる。復興は進んだのか、そもそも復興するとはどういう状態なのか、様々な宿題を抱えたまま、福島県双葉郡広野町の人々が日常を送る姿を捉えている。 本作が素晴らしいのは、すでに震災を知らない世代を描いていること。震災後に生まれた子供を抱える夫婦が広野町に戻ってきて、どのように過ごすのか、震災をどのように語り継ぐのかという問題にすでに直面しているのだ。すでに多くの日本人が戦争体験をしていない世代で占められていて、戦争をどう語り継ぐかが大きな課題となっているように、すでに3.11をどう忘れないようにするかの課題を捉えている作品なのだ。 演劇部の高校生たちは将来のその子どもたちの姿を象徴しているかもしれない。部員の1人は震災を経験していない。他の部員たちと体験にギャップがある。復興をテーマにした芝居作りは意見がぶつかり合ってなかなか進まない。 様々な課題を抱えながらも人々は笑顔を絶やさない。田んぼに新しい稲が宿るように、広野町にも新しい命が生まれる。震災を知らない世代とともに復興の道を歩む町の力強さに感動した。
「復興」について考えさせられる
東京オリンピックの聖火リレーの出発点となる福島県広野町。2011年の大災害で原発の影響を大きく受けた町。そして住民が戻りつつある町。 高校の演劇部で、復興をテーマにした「人生ゲーム」という芝居を作り上げる過程が主旋律となっている。主役の佐藤さんは演劇部の中で唯一被災を経験していない「マイノリティ」である。そして被災者を知ろうとする映画の鑑賞者の「代表」なのかもしれない。他の被災経験がある部員達からの率直な言葉は、簡単には受けとめられない強さと厳しさがあった。そしてそれらは日本人誰もが受けとめる必要があるものだ。 意外だったのは、仮設住宅が閉鎖されるために「自宅」に戻ることになった高齢の女性達である。「仲間ができたし、便利だし…」との言葉は、買い物などが不便で仲間が近くにいない自宅に戻りたくないという本音なのだろう。仮設住宅は「コンパクトシティ」だったのではないか?災害のある無しに関わらず、施設ではない高齢者が集まり住む便利な街は機能するのだ。誰もが自分が生活していた家にいる必要が無いのだ。 災害も「復興」もいらない。 日々「笑顔」で生きていく、 それが良い。
よく分からない
よく分からない映画だった。 広野町は、一時は全町避難したものの、他の周辺地域と比較すると「復興」しているようだ。 人が戻ってきて、学校には子どもも多くいるようだが、人口の半数は原発事故関係に従事する人らしい。 高校の演劇部の生徒たち。若い5人家族。米作の農家。仮設住宅に住んでいた老人たち。祭りの再興をもくろむ町役場と、否定的な村落の人々。福島以外から来た建設関係の男たち。 いろいろな人が出てくる。 しかし、各々が別々の人生を歩んでいるだけであり、「いくつもの時間が交差し、重なりあい」(公式ホームページ)ということは全くない。 むしろ編集によって、脈略もなく混ぜるので、“交差”というよりは散発的で、まとまりのないまま終わっている。 上記の人々が、事故前は何をやっていたか、避難生活はどうだったのか、戻ってきた後、どこまで取り戻せた結果として、この作品中の姿になっているのかという、“背景”の情報が乏しい。 生活風景など、日本ならどこも似たり寄ったりだ。そんな映像を見せられても、「だから何?」と思ってしまう。 優れたドキュメンタリーなら持っているはずの、対象に“肉薄”して、個別事情をあぶり出すものがない。 また、最も長尺を割いて、メインテーマと言える演劇部の描写も、ポイントが分からない。 高校生が、「復興って何?」というテーマで、仲間と衝突しながら舞台作品を作り上げている。 しかし、具体的に何をやろうとして何が問題なのか、自分は観ていて理解できず、いくら観ても、「演劇部が頑張っているな」程度の感想しか持てなかった。 その他、いまだに帰宅困難な富岡町を、唐突に映す意味も謎である。 「復興」の一つの姿を映すための、“素材”としては面白い。 「仮設住宅の方が、便利だし友達もいて良かった」と語る老人たちには、少し驚かされた。 何気ない日常への復帰が真の「復興」だということだろうが、しかし、それらの“素材”の描き方において浅薄だと言わざるを得ない。
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