MOTHER マザーのレビュー・感想・評価
全259件中、1~20件目を表示
母親の描写に深みがなく残念
いわゆる毒親と、親子の共依存を延々と描写する作品。貧困家族を描く話として(実に荒い括りだとは思うが)引き合いに出されがちな「万引き家族」とは本質的に異なると感じた。「万引き家族」の登場人物には、あのような生活に陥らざるを得なかった悲哀を感じたが、本作の秋子はただの自己中心的な人間で、もっぱら本人の刹那的な行動により貧困が引き寄せられている。
強いて物語のテーマを探すとすれば、実際の事件の裁判で裁判官が母親の姉に問うた「周りにこれだけ大人がいながら何故助けられなかったのか」だろうか。あるいは、秋子のような人物が生まれた社会の病理がどうとかいうことだろうか。
周囲の大人は助けようとしなかったわけではない。周平に差し伸べられた手はあったが、秋子がことごとく薙ぎ払ったのだと作品を見る限りでは思えた。踏み込み方が甘いと感じる面もあるにはあったが、あれ以上介入すれば親側の人権問題がどうこうという話になるのだろう。
また、秋子の生い立ちがほとんど語られず、彼女の行動の原点が暗示されないまま毒親ぶりの描写が続くため、見ていて嫌悪感が先に立ち、問題が秋子の個人的資質に矮小化され、そこから何か他人事ではない問題に思いを馳せることはなかった。
実話ベースである点はすごいので、ひどい女がいたもんだ怖いねえ、という感想である。
それにしても、ベースになった事件はたった6年前の出来事だ。殺人を犯した息子は今も刑務所だが、母親はごく最近出所しているはずだ。収監中に彼女を取材した記事等を見たが、殺人を息子一人のせいにし、取材の見返りを細々指定して要求する等、とても反省しているとは思えない。息子は、彼女が出所したら妹に売春させて金を得ようとするのではと心配していたという。
この女を美しい長澤まさみに演じさせ、キャッチコピーに「聖母」を持ち出すのは、非常に軽薄な判断に思えた。元々長澤まさみの演技は好きだし、今回の熱演(もっぱら金切り声で突然叫んだり掴みかかって暴れたりすることでエキセントリックさを表現するのは安直だと思うが、これは監督側の問題だ)にも賛辞を送りたい。しかし、作品に「MOTHER」と命名しながら母親の行動の原点を掘り下げないのはどうなのか。
もっと息子一人にスポットが当たる形で描いてもよかった。中途半端な印象。
傍観するのではなく、自分に何ができるかを問う
製作陣も参考にしたであろう当該事件のノンフィクション本『誰もボクを見ていない』(山寺香著)を読んだ。毒親で息子との共依存関係を生んだ母を非難したり、貧困や虐待や居所不明児童を放置する社会も悪いと糾弾するのは簡単だが、それでは済ませられない。そんな著者の思いをこの劇映画も確かに汲み取った。
夏帆演じる児相職員や仲野太賀のラブホ従業員など、家族を支援しようとする人物は架空だが、実際に助けようとした大勢のエピソードを取捨選択して効果的に配した(港岳彦の脚本が手堅い)。彼らが手を差し伸べても、その手をすり抜けるように母子は消えてしまう。ほぼホームレスの外見のこんな母子を町中で見かけたら、あなたは声をかけたり、実際に助けたりできるのか。そんな難しい問いを孕む。
共感されることを拒む役作りに徹した長澤まさみは新境地。周平役・奥平太兼の物憂い目が哀しく、「誰も知らない」の柳楽優弥を彷彿とさせる。
もう一つの「万引き家族」。見終わった後の気持ちがこれ程まで違うのは何故だろう?
まず、本作は大まかな題材が「万引き家族」と似ています。
そして、共にビターなラストでしたが、気持ちの「重さ」が全く異なりました。
では、何故ここまでの違いが出るのでしょうか?
それは、本作の「実話の要素が重すぎる」という点が最大の理由でしょう。
さらに、もう一つ、主演が長澤まさみだったから、というのも大きいと思います。
要は、「好感度が圧倒的に高い女優」に、みんながトコトン嫌がるような「好感度ゼロの役」をやらせたらどうなるのか、という、ほぼ実現不可能なことをやってのけている点が、本作の特殊性としてあるのです。
社会が成り立つには、最低限の共通の価値観の「常識」というものが必要になります。
そのため、「働けるのに全く働かずに遊びまくり子供らに迷惑をかける親」は傍から見ると嫌気しか起こりません。
まさに、そんな「働くのをトコトン嫌がり、どんな悪い事をしても、できるだけラクをして生きていこうとする母親」を長澤まさみが演じているのです。
しかも、これまで通り「演技派」なので、これがまたリアルに演じ切っていて、見ている側が複雑な気持ちになってしまいます。
さらに、「自由奔放で行き当たりばったりの生き方」でも、自分一人で生きているのなら、これほどの強い気持ちは動かないのかもしれません。
ただ、この母親は「自分の子供をどう育てようと私の勝手でしょう」と、時には子供を洗脳するような言動で操り続けているので、さらに嫌悪感が増すわけです。
とは言え、これはあくまで実話をモチーフにした「映画」に過ぎません。
1本の映画でこれだけ心が動かされるのは、ひとえに役者が全員上手いから、ということもあります。
最初から50分まで登場する「小学生の時の息子」は、窪田正孝の少年期を思わせるような顔立ちで是枝作品にも出ていそうな演技の上手さで、50分以降の「5年後の息子」も初の演技とは思えないほどの「名役者」でした。
子供への目線に立つと居た堪れない気持ちになったりもしますが、個人的な感情を抜かして純粋に評価すると、これ程までに人の感情を動かすことができた点で、映画史に残るくらいの作品と言えますね。
役者全員の見事なアンサンブルに加えて、長澤まさみの新境地が見どころと言えると思います。
時間と共に衝撃度が増! ラストは誰かと語りたくなる作品
「実際に起きた事件」に着想を得て、ニュースなどでは見ることが出来ない母子の裏側を「フィクション映画」として製作された衝撃作。
息子は学校には行かず、ずっと母親と一緒にいる。そして、その母親は奔放で天真な姿を見せ息子を励ます一方、金銭面で困ると、息子に悪事をさせるなど世間的には「困った母親」。
事ある度に「誰にも渡さない」と言い、息子を所有物としている姿勢には一貫性がある。ただ、その他については、私には一貫性が無くブレているようにしか見えない。そんな難しい役柄を演じているのが長澤まさみ。本作でも他作品と同様に、違和感のない力演で、率直に本作で再び演技の幅を広げたことを実感する。
そして、そんな母親に対して忠実な息子。共依存という難題も考えさせられる息子役(少年期)は、本作がスクリーンデビューの奥平大兼。鋭い眼差しと役柄のギャップが印象的で、この先どのように活躍していくのかが気になるくらい頼もしい存在感があった。
母子の「要役」となる阿部サダヲは、映画「彼女が名を知らない鳥たち(2017年公開)」とは真逆に近い役柄を演じている。「阿部サダヲが出て来たら笑える」という感覚は捨てる覚悟で本作に挑むことがオススメ。
本作では、息子がこれまでとは違った普通の生き方をできるチャンスに巡り合える時がある。でも結局は母親の言うがままにする息子の気持ちは、本作を最後まで見ないとわからない。さらに、本当に重い事件は「見た者」にしか感じることができない行間がある。
劇中、私は、内容がキツくて苦しいと感じながらも、「この先はどうなってしまうのだろう?」という気持ちが率先して、エンドロールまで上映時間を気にする隙がなかった。
言葉にできないというより言葉にしたくない…
普段はあまり事件ものは好んで観る訳ではないのだが、本作の原案になった事件が結構身近だったゆえ思いきって鑑賞。
事件の大筋は知っているのでストーリー展開は当然わかっていたものの、それにしてもあらためて言葉にしたくないほどのひどい話だ。主演が長澤まさみさんでなければ最後まで観切れた自信がない。
それでもいくつかのシーンではとにかく胸が熱くなった。「俺さ…行かなくていい?」・「仕事中に倒れられたら大丈夫じゃねんだよ」・「僕…お母さん好きなんです」etc …
本作に関しては、リアリティどうこうというより、むしろリアリティを突き詰めない程度がちょうどよいのかも知れない。とにかくノーモアとしか言いようがない。
ところで「ゆがんだ愛」とはよく言われるけれど、「正当な愛」とのボーダーラインはあるのだろうか。
親と学校の先生は選べない
前から見たかった映画
予告で長澤まさみさんが、足をペロっと舐める。
ギラギラした目力
内容分からずやっと見たけっかけは、
クラウドで奥平大兼がクールだったので
出演作品見てたらこれでてたんだと鑑賞です。
貧困とか、家庭内暴力とか複雑な家族
子供は悪くないのに、ダメダメ母さんに支配されていく。
長澤まさみさん、イメージ度外視の演技でした。
早く離して自立させてあげたいけど、
壊れた母の人格は変わることない。
世の中には少なからずどうしようもない大人がいる。
その子供も同じ道を、たどる。
現場からは以上です。
悪女
長澤まさみさんが嫌いになるくらい
素晴らしい演技だったと思います。
引っ叩くシーンなんか、
早くカットかけて抱きしめてあげてくれ!と、
もう何目線で見てるのか分からなくなりました。
母親にも何かこうなる過去があるはずと思って見てた
けど、どう考えても母親が悪い。
その場凌ぎに体を許して楽して生きようという考えが
トコトン腐ってた。
そして子供を自分の道具のように扱う。
しかも自分の何が悪いのか分かってないところが
最大の悪。
自分も子供がいるので、
子どもらの人生は周りの環境が作る、
友だちたちが作るものと思って、
親は困った時に手を差し伸べる。
くらいでいいやと思ってたけど、
子どもにとって親の言葉ってすごい重いのだなと
痛感しました。
もう呪いのように付き纏って動けなくなってしまう。
子どもたちには、自分の人生を歩め、
親の人生を自分のことのように思うな!と伝えたい。
正直キツイ
正直キツイ映画だった。
実話に対してより忠実にドキュメンタリー風に撮った作品なのだろうが、母親に対してあまりに同情の余地がなさすぎる。
アキコの幼少期、思春期。シュウヘイを生み、1人育てるまでのバックグラウンドをもう少し描写してもらえたら共感出来たのかもしれない。
シュウヘイの母親への盲目的な愛が切ない。とうしようもない親でも愛さずにはいられない、捨てずにはいられない血の強さ、呪縛。
シュウヘイの将来が幸福であることを願う。
長澤まさみの怪演
昨日石原さとみのmissingを観てきたのですが、最近はこの世代の清純派女優さんたちに汚れ芝居をさせるのが流行っているのでしょうかね。
こちら「MOTHER」はNetflixで流れてきてたまたま見たので、誰が出ているかも確認せずに見ました。
見始めて「この女優さん誰だろう?長澤まさみにそっくりだなぁ」と思ってしまったレベルで、少し太ったり野暮ったい服装をして外見を変えているのもありますが、表情から言葉遣いから何とも薄汚れた感が漂っています。
ただ長澤まさみがやるからこそ、母親に対して嫌悪感や憎しみより、本当にダメな人なんだなぁという感情がわいたのかもしれません。
ボスに従うのは嫌なことじゃない
ある女優が苦手になったきっかけの映画。
最近大丈夫になってきたから、内容忘れてるしレビューしたいので、言っちゃうけど長澤まさみさん演じるアキコという人に、再び会いに行く(視聴する)ことにした。
見終わっての感想は、よかった、前ほど嫌じゃない。
仲野太賀さんも出演してたことに初めて氣付いたというオマケも付いてきた。
アキコはシュウヘイの親というよりボス。
嘘つきで我儘なボスを好きだと、理不尽でも不満があってもボスに逆らわない。
シュウヘイは、クーデターを起こさない飼いならされてしまった我ら国民を象徴してるかのようだ。まあ虐待されてる子のパターンなんだけど。
サクサクっとボスの親を指示通り消す。
脚本は最高だと思う。
ボスを産んで見捨てた奴らにも責任がある。
そしてサクサクっと逮捕される。
シュウヘイは理不尽な命令でも忠実に従うことでボスへの愛をあらわし、同時に彼にとっては、刑務所暮らしという天国に行くことが出来たのだからハッピーエンド。
再びボスや妹と会えるかわかんないけど、その日が楽しみ。たまにアヤさんとも会えるかもしれないし。
ウソついたり怒鳴ったり殴ったり蹴ったりセックスしたり逃げたりの阿部サダヲさん演じるリョウ、嫌な奴だけどなんか魅力的な男だった。
共感できない方が幸せなのかな
子供って親しかいないんですよね
どんなに酷いことされてもそれが当たり前になっていて、普通じゃないって気づけない。優しくされない&問題が起こるのは親が言うように自分がいけないからだと本気で思う。
実際起きた事件の話なので、理解できたできないなどの話でもない気がしますが、長澤まさみさんの演技に脱帽です。
本当にいるんですよあーゆー人。そして家族だからって当然のように一緒にいなきゃいけなくて逃げられない。外からも助けてもらえない。それが伝わる映画だったと思います。
長澤まさみさん
コンフィデンスマンJPでの元気溌剌とした姿に好感を持つようになった最近、同じ年の作品に驚く。
なぜこんな生き方しかできなかったのだろう?
しかし、息子はついて来る。賢い子なので教育が行き届いていたらまた違ったのでは、と他人事ながら悔やんでしまう。一度母と離れたいという機会があったのに叶わなかった。
幼子の虐待事件でも、どんな目にあっても子は母を最後まで信じ切る。そんな絶大なる信頼の存在である母、であるのに、その本人だけが信頼を裏切り続ける。ただ、この母、子供を手放さない、引き離されそうになった時だけ我が子だから、を連発する。寂しいからだけでなく信じられないが、心の奥底には小さな小さな母性があるのかも?と考えたが、全く義務や責任を果たさない。自分本位の勝手な思いだけで生き本来なら一番大切なもので大切なものを壊させる。やはり、理解できない。苦々しい思いで観終わった。
長澤まさみさん、あの美貌とスタイルを消すように消すようにわざと白髪入れたり変な化粧したりガバガバなダサい服着たりしているが、男が放っておかない。それでこの母変な自信あって母の本分が吹っ飛んでしまうだなとも思った。
テーマを言葉にすること
テーマを言葉にしちゃうとダサいと思ってる派なんですけど、割り切れなさを丁寧に描いた先にテーマを言語化すると、割り切れなさがより鮮明になって、言語が追いつけない現実が浮き彫りになる法則が発動してる映画はヤバい(語彙力)って事に気づきました。
そして、それこそが芸術が持つ意味の一つなんだろうなーとも思います。
周平くんが持つ境遇に流されながらも決して失われない美しいものと、長澤まさみ(役名忘れた)の瞬間瞬間で変わる怪しい美しさ・獣感・子供の様な存在感は、作品のテーマとは別にそれだけで映画館に足を運ぶ価値があると思います。
秋子の立ち居振る舞い
<映画のことば>
あたしがあいつをどう育てても、親の勝手じゃあないですか。
あれは、あたしが産んだ子なの。
あたしの分身。
ものの本によると「今日では、親権の権利性は、親として子に対して有する養育の義務を遂行するのに必要な限りで認められ、他人から不必要に干渉されない法的地位として構成されている。2011年の改正により、「親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」とし、「子の利益のために」がそう入され、その趣旨が示された。」とあります(二宮周平「家族法」 新世社 2020年)
本作で、秋子の立ち居振る舞いが、どんなことで周平や冬華の「利益のために」なっていたのか、評論子は、全く理解することができませんでした。否、周平や冬華を自分の「召使い」や(文字通り)「子分」として意のままに支配しようとする姿ばかりが目についたのは、果たして評論子だけだったでしょうか。
(むしろ、外形面で支配性を発揮しようとしていることは、実は、内面では周平・冬華に依存していて、本作のDVDパッケージの写真は、そのことを暗示している?)
親の子への接し方について、一部の人の間では「親業」という言葉も使われています。
改めて、そのことに思いが至った一本になりました。評論子には。
毒親
見ていてほんと楽しくない作品でした。
こんな親にはなってはいけないと心から思える作品である点は、評価できます。
自分では何もせず、子供の親を慕う気持ちをいいように利用した、子供を自分の所有物のように扱うさまは見るに耐えなかったです。
このような役をこないした長澤まさみさん、阿部サダヲさんはすごいですね。視聴者にほんとにダメな親、大人だと思わせるので。
最近、コンフィデンスマンJPを見たのでそのギャップが半端ない。
どこにも救いのない映画
重いテーマなので覚悟して鑑賞したのだが、想像をはるかに超えていた。
息子に依存する母と、そんな母を愛する息子。なぜ母を突き放さない、なぜ母から逃げない、私には理解できない共依存という名の呪縛。依存しあいながら堕ちていき最悪のラストへ。
精神的にゆとりのあるときでないと、かなりキツい作品。
長澤まさみの演技は言うまでもないが、幼少期・少年期を演じた二人に圧倒された。
全259件中、1~20件目を表示