「無気力の世襲」MOTHER マザー movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
無気力の世襲
日日是好日の監督の作品。
こちらも、誰かの何者にもなれない人物が主人公。
自分で自分を認められる愛情の基盤があれば、誰かの何かになれなくても満足できるはずなのに。
長澤まさみ演じる三隅秋子が、ずっと無気力。子供もいるのに。消化試合のように生きている。
ずっと傷ついてきたんだよね。堪えてきたんだね。と声をかけたくなる。
実家では出来が悪くて大人になるにつれ妹と人生に差が出て厄介者扱い。大切にされた記憶がないからお金目当てで両親に近付けるのだろう。
結婚したのに夫とは離婚して。息子がいるが、生活を満たすために働く気力もない。容姿だけは良いのをあてにして、周りの男性に迫っては、養って貰えないか様子を伺い、どこも行き先がないと息子を使って実家や妹にせびりに行く。しかもお金はパチンコに消える。
更にはどうしようもないホストにまで、おそらく子供ができれば養って貰えるかなと計算したのかもしれないが、妊娠しても捨てられて。ダメな男だとわかっているのに、そんな男性からでも良いから一過性の愛情を求め、それすらも得られない自分にまた傷つき更に無気力に陥る。
仕事もちゃんと行かない母親がパチンコか新しい男性のもとへとフラフラ居所を変えるから、小学校すら教育の機会も奪われた息子は、他に行くあてもないまま母親について回るしかなく大きくなり、無計画に産まれた妹の父親がわりにまでなっている。
いつ、自我が目覚めるかと見ていても、母親を助ける役目が染み付いてしまっていて、幼い頃から母親のパシリにされ、都合よくこっちに来いあっちに行けとあしらわれているだけで充分な愛情を注がれていないのに、母親の命令なら嘘もつくし盗みもするし最期には殺しにまで手を染めてしまい、それでも母親が好きで、庇い懲役12年を背負う。それでも、ご飯も出るし本も読める刑務所の環境からもう出たくないというほどの生い立ち。傍目に見るとそれほど大変だったのに、他の育ち方を知らない周平は気付かない。産まれたところからずっとダメだなんて言わせる母親でも、子供にとってはたった1人の母親。それに甘んじるかのように何もしない母親は、言葉だけのマザーで、産んだだけで母としての責務はなんにもしていないのに。
道端でホームレスしているところを見つけて住居に案内し、フリースクールの存在を与えてくれた児童相談員の亜矢や、「仕事しろよ!お前が働かないから息子が悪さするんだろ!親なら二十歳まで面倒見るのが普通だろうが!」と一喝して食事の面倒まで見てくれた周平の仕事先の社長。
社会の救いの手は何度か差し伸べられていて、周平も人生を変えるチャンスは何度もあったのに、そこで声を上げられないほどに、母親との共依存関係は深い。
そして、亜矢からお母さんと暮らさない手もあると言われても、亜矢のように親から手を挙げられて育ったわけでは無い周平には、響かなかったのか。
学校へ行きたいから借金取りから逃れるために俺は行きたくないと話しても、亜矢にあんたは嫌われてると言い、自尊心を傷つけて従わせるような母親なのに。
誰かがあったかく迎えていれば。
祖父母の家に殺害強盗目的で入った時も、下の妹には会ってみたいなという祖父母。「周平、久しぶりに顔を見られて嬉しいよ」その一言があるだけで結果は変わっていたかもしれない。母親も同じ環境で育ったなら、親を大事に思えない殺したくもなる、せめてお金だけでも出してくれと考えてしまう気持ちがわかり犯行に及んでしまったのか?小学校の知識もなく、殺害に対する罪の重さや抵抗も少なかったのか?わからないが、祖父母への恩は全く感じていないことだけはわかる。
仕事をするスイッチさえ入れられれば。
仕事がなく暇を持て余すから、パチンコに走る。
暇だと存在意義を考えてしまい、傷つくのを避けるためだろう。包丁を持たせてみれば不器用ではなく、水商売でもなんでもできそうなものだが、自分に何かやれるという自信が全くないようだ。そんな人生だとしても、毎月生理はきて妊娠もし命の連鎖を産めてしまうのが、女性。言葉上マザーになるのは生物学的には単純、でも実際に客観的に見てマザーになるのは難しい。
主観では、あの子は私の子だと何度も主張していて、頼ってばかりで全く責務を果たしてはいなくても母性の欠如ではなさそう。
子供の主観で見ても、殺害を頼まれたうえ供述で罪をなすりつけられさえしても、母親を好きと話している。
断ち切るべき結末ではあったが、ここまで自己肯定感皆無の娘に育ててしまった祖父母が原因でもあるのかもしれない、だとしたら殺されるのはもしかしたら一周回って自業自得という見方もあるのかもしれない。
側で見てきた母親の積年の苦しみを晴らしただけで、誰彼構わず殺す人間に周平が育ってしまったわけではないという見方もあるのかもしれない。
なら母親ってなんなのか?
とても考えさせられる。
愛のないところから愛は注げず、母親の立場が可哀想でもあるが、妹には父性を補う存在としてしっかり愛情がある周平が健気で見ていてとても悲しい。
周平の「どうすればよかったんですかね」
これに尽きる。
「マザー」は、少なくとも、子供に善悪を教えなければいけない。身をもって愛を教えないといけない。
そして、それができないのなら、社会の力を借りてでも、子供にそれが与えられるよう、意思に反しても手放すなり機会を与えないといけない。一方、母親以上に関係性に立ち入れたり、最後まで助けられるほど手を差し伸べられる存在はなかなかいない。だからこそ、母親が子供を守らないといけない。ワンオペで2人を育て、しかも自分の愛情は不安定。とてもきついはず。社会に属し、親がダメでも育児を相談できる第三者を見つけておくのも母親としての役目。
見ていてそう感じた。