「「好きなこと」があるということ」あの頃。 Yushiさんの映画レビュー(感想・評価)
「好きなこと」があるということ
冒頭の、劔が松浦亜弥と"邂逅"するシーンがとても印象的でした。友人から貰ったDVDをかったるそうにプレイヤーに差し込み、お弁当を食べながら映像が流れてくるのを待っていたところ、映像が流れ始め、劔の手はだんだんと止まっていく。割り箸はリモコンに持ち替えられ、音量を上げて、最初は何となく見ていた劔の目が真剣になっていく。その目からは次第に涙が溢れ、劔は玄関を飛び出し、アップテンポな音楽がBGMとして流れているなかCDショップへ自転車をかっ飛ばしていく。そしてそれを背景にして『あの頃。』というタイトル。「これから始まるんだ!」というワクワク感が演出されていて、映画の導入部としては完璧なものだったと思います。
個人的な話で申し訳ないのですが、冒頭の劔のような状態は僕にもありました。劔は好きだったはずのバンド活動が嫌いになっていき、「では、自分は一体何が好きなのか?」という疑問で頭がいっぱいになっていたと思います。僕の場合は部活動のサッカーだったのですが、「あれ?自分って好きでサッカーやってるんじゃなかったっけ?」と一度疑い始めてしまうと、もう止まりませんでした。何をしても楽しくなく、世界が真っ暗でした。僕の場合は、たまたま入った本屋で心から感動した本と出会ったことで、この窮地から脱することができたのですが、もし出会ってなかったら…と思うとおそろしいです。「自分は何が好きなのか、何で心が安らぐのか」ということが分からないで生きることは、おそらく死ぬことよりも辛いことだと思います。
劔は松浦亜弥と出会い、ハロプロと出会い、仲間と出会うことで毎日が輝きだすのですが、僕がいいなと思ったのは、その仲間たちがそれぞれ「ハロプロと同じくらい大切なものを見つけ」、ハロプロから徐々に離れていき自分の人生を歩み始めていったところです。極端な表現かもしれませんが、いくらそれが素晴らしいとはいえ、やはりハロプロというアイドルは単なるidol(偶像)にすぎず、「今が1番楽しい」と思えるためには、偶像から現実世界へと視点をずらしてそこで生きていくしかないということをそれぞれが認識していったのだと思います。経験上、人は生きている現実世界がつらくてどうしようもないとき、前向きに物事を考えることは難しいと思います。そこで、いったんどこか別の"世界"に身を委ねる、避難することで心を落ち着かせる必要があるのです。劔はハロプロという"世界"に避難することで、本当に自分が好きなものはバンド活動であることを再認識することができたのです。僕の場合は、本の"世界"に逃げ込んだことで、文章を書くことの楽しさに気づき、将来は文章を書くことを仕事にしたいな、と今では思うことができるようになりました。今自分が生きている現実がつらくなったときには、一旦はそこから距離を置いた別の"世界"に身を委ねてもいいが、心が落ち着いてきて自分の方向性を把握したなら、その世界から抜け出して現実世界を生きるように、ということが、この映画から汲み取ることのできたメッセージの一つでした。このメッセージは、生活が豊かになりすぎたがゆえ、親のもとにパラサイトしていれば、大人になっても好きなことだけをする生活を、しようと思えば可能な現代社会を生きる僕たちにはとても刺さるものがあると思います。
P.S.
この映画は、テンポが良いものでは決してなく、117分がとても長く感じました。評価が別れるとしたら、そこが1つの分岐点になると思います。しかし、今泉力哉監督は今年の2月18日に「退屈なシーンがない映画はあまりつくりたくないな」とツイートしていますし、音楽には新進気鋭のシンガーソングライターの長谷川白紙を起用していることから、最初からテンポの良いものを狙っていないことが分かると思います。
ちなみに、僕が成長したからなのか性格がひねくれたからなのか分かりませんが、「泣ける映画」「笑える映画」というように、観る人に特定の感情を起こさせようと宣伝されている、「楽しさ重視」のエンタメ映画を、楽しめなくなった自分としては、この退屈感は良いと思ってます!