「主役はトムハンクスだった。」エルヴィス @花/王様のねこさんの映画レビュー(感想・評価)
主役はトムハンクスだった。
エルヴィスのファンでも無く、名前とアメリカで熱狂的なファンがいることくらいの浅い知識しかない。
どうして、アメリカで熱狂的ファンがいるのに、日本ではクイーンやビートルズみたいなファンがいないのか。(いや、いるとは思うが国民的認知度という意味で彼らよりも明らかにファン層は薄い様に感じる)
その理由が映画を観て分かった。
物語の最初から雲行きは怪しかった。
なんせ、主観で物語を語るのがトム・ハンクスだ。
エルヴィスの映画なのにエルヴィスと対峙している役が彼を語るのだ。
予感は的中した。
歌唱シーンなんて、ポップなCMみたいなカット割やら画面構成をされて、一曲もまともに流れなかった。
あー、知ってるかもねー。
聞いたことあるかもねー。
くらいにサラッと流されてしまった。
オースティン・バトラー演じるエルヴィスがどれだけ滝汗を描いて舞台上で熱唱しても、トム・ハンクス演じる大佐が無駄に長い台詞を挟んでステージを分断する。
エルヴィスはトムパーカーにとっての金のなる木、金を生むガチョウだ。
ステージで魅せるアーティスト性やファンを惹きつけるカリスマ性は過度に誇張され股間がアップになるカメラワークとエルヴィスを観て興奮して声を荒げる金髪女で表現している。
自身の人生なのに、母親に依存するマザコンで、マネジメント能力の低さから家族にも利用され、マネージャーからも搾取され続ける。
才能があるが故に妻や家庭の愛とは別の大衆から得る崇拝的な愛を欲して孤独になる。
孤独で空虚な思いを抱えながらドラックに溺れ、ステージに立つために医師の治療を受け睡眠薬で眠る。
果たして、エルヴィスは幸せだと思って生きたんだろうか?
物語の終わりで、本人の歌う姿が映る。
伸びやかな声、情熱的な視線からは本作で観てきた線の細いエルヴィスとは別人なんじゃないか?と思うほど魂の熱量を感じた。
果たして、この映画はエルヴィスと言う題名を冠して良いのだろうか?
タイトル違い、解釈違いなのではないだろうか?
サーカスを営み、そこからプロデューサーの腕を磨いていったトムパーカー。
大佐にとっては、サーカスで扱われる芸人もステージに立つアーティストも金儲けの道具に過ぎなかったのかもしれない。
アーティストはあくまでステージに立ってパフォーマンスをする才能がある人間だ。
熱狂してくれる場所がないと死んでしまう部類の人間だ。
表現者の求める芸術性が昇華された時に、大衆の心は一気に魅了される。
大衆の心を掴んだ瞬間、スポットライトがピンライトに変わり、全ての注目を自分に集めることができた瞬間があるからこそアーティストは作品を作り続けることができる。
本来なら、アーティストとファンの熱量を緩和し、健全な距離感でパフォーマンスを発揮させることができる環境を整えるのがマネジメントの仕事であり、役割だ。
素晴らしい才能を世界に広めることができなかった。縁の下の力持ちになれなかったマネジメント失敗者の自伝的映画だった。
エルヴィスの生い立ちを知るつもりで鑑賞するには良いだろう。
エルヴィスの歌を聴きたいので有れば、レコードや音源を聴いた方が良い。
アーティストは声の中に生きている。
kazzさん
私自身、プレスリーの曲は有名どころしか聞いたことがありませんでしたし、晩年のがっしりとした体格のイメージでしたので、全盛期の姿やステージに立つ姿を見られて嬉しかったです。真のカリスマ性を見た気がしました。
「生き急ぐ」という言葉があります。夭逝の芸術家によく当てられる言葉ですが、短い人生だったけれど、誰よりも濃密に生きたのではないか…そんな印象から出る表現ですね。
本人にとってどうだったかは分かりませんが。
〉アーティストは声の中に生きている。
良い表現ですね。プレスリーの歌声を今も我々は聴くことができますからね。
この映画をきっかけにプレスリーを聴く人が増えれば、それなりの効果はあったのかな。
プレスリーの最後のステージは公式には映像に納められていないので、あの映像はどうやって発掘したのか…この映画の最大の価値だと思います。