「暗黒のゴッサムを漂う、虚ろな瞳。」THE BATMAN ザ・バットマン 高橋直樹さんの映画レビュー(感想・評価)
暗黒のゴッサムを漂う、虚ろな瞳。
その眼差しには痛切な傷みがある。シリーズを通じてこれほどまでに瞳に注力した俳優も演出家もいなかったかも知れない。寡黙に心を閉ざし、傷心に苛まれながらも、生きる目的を見出そうともがく男ブルース・ウェイン。
新たなるバットマン。
その若き日を描く『THE BATMAN』最大の特徴は、従来通りの寡黙なキャラクターに重ねながら、目にクマ塗りを施してまでマスク下の瞳(眼)にフォーカスしたことにある。観客の意識下で目の演技によってブルース・ウェインの感情をつぶさに伝える。ロバート・パティンソンはシリーズ史上最高の眼力を発揮している。これだけで観る価値はありだ。
『市民ケーン』は死に際に「薔薇の蕾」とつぶやいて生き絶える。
二番目の妻のために巨大な城を作り、金に糸目をつけずに美術品や動物たちを集め、巨大な暖炉がある居間で夫妻が交わす言葉はなく持て余されている。メディア王として巨万の富を得、すべてを手に入れたかのようなこの男。服従しか許さないその態度から盟友は離れ、妻も去り、身の世話をする執事は金で雇われた男だけ。生きる目的を喪失した晩年のケーンに巣くうのは絶対的な孤独、生涯求めた「薔薇の蕾」とは…。
『THE BATMAN』を観て、ケーンの対局に若き日のウェインの姿が浮かんだ。
若くて蒼いバットマン。
精神は成熟の手前にあり、自分の使命だと決めた自警活動は思うようにはいかない。身体を鍛えることは怠らず、父から引き継いだ遺産で悪の撃退アイテムを手作業で整える。ゴッサム屈指のウェイン産業経営にはまるで興味がなく、会社のことも身の回りのことも執事アルフレッドに任せっきり。
彼は日記をつけている。
街を浄化するための活動を始めて約二年、彼が目指す理想を実現するのは困難だらけ。考えることは山ほどある。何を優先しどう対処するのがベストなのか、試行錯誤の連続だ。夜な夜な獲物を求めて街を彷徨う。こんな自分は獣と同じではないのか…。しかも、カオスと化したゴッサムシティは目の前で堕落し続けている。
ウェインの眼に語らせるために、日記によるモノローグが効果的に使われている。自分だけの秘密=日記を開示することで、無様な自分に対する嘆きをゴッサムの混沌に重ねて描く。ここにマット・リーブス監督の本気度を感じた。
成長の過程にある未熟なウェインに起用されたパティンソン。
全編モノクロームの『ライトハウス』で、裸になって恍惚に酔うという飛び道具を与えられたれウィリアム・デフォーとは異なり、凡であるが故に理不尽な要求を前に狂気を露わにする無骨な男。呪われた過去を抱える陰影の深い演技は決して楽なことではない。多分にエキセントリックなキャラクターに物怖じせずに挑んだその役柄は、ウェインへの布石となったのかもしれない。
ウェインが心を許す数少ない人物のひとりが、キャットウーマンとなってバイクで疾走するセリーナだ。女優として洗練されたクラヴィッツのスマートな姿には好感を持った。アルフレッドのアンディ・サーキスは監督の盟友として役割を果たす。そしてバットマンの対局に位置する“合せ鏡”となるリドラーにポール・ダノ、ここは多言無用だろう。
ギミックへの配慮も行き届く。
若きウェインはデイパックを背負いバイクを駆る。バットスーツは防弾で身を守るだけではなく、クラップルガンを装備し、屋上から降下するウィングスーツにも変わる。チューンナップされバットモービルもこれ見よがしには登場させない。ラストではバイクがさりげなくアップデートされている。ストイックなこの姿勢が、新たなるバットマン像と重なっている。