「地味なバットマン」THE BATMAN ザ・バットマン 屠殺100%さんの映画レビュー(感想・評価)
地味なバットマン
バットマンほど、時々のいろんな解釈でキャラクター像が生まれ変わるヒーローはそういない。
ティム・バートン以降のバットマンのダークな感じは定番化してて、今回も見るからにその路線。
古くは40年代、50年代にアメリカで映画化され、60年代にはTVシリーズも作られたバットマンは、コミカル路線。相棒のロビンと共に悪い奴を明るく楽しい感じでやっつける、ダークさとは無縁のヒーローだったのが、ティム・バートンのバットマンからは幼少期に両親を目の前で殺されて心的外傷を負ってアルフレッドと俗世と隔絶された薄明かりの豪邸で独身のまま暮らし、暴力で悪い奴をボコボコにすることでトラウマを晴らすという歪んだキャラクター設定に置き変わった。
コミックでも、敵は精神異常者たちで、犯罪が絶えない暗黒都市ゴッサムシティを舞台にしたダーク路線ものが存在し、バットマンはコミカル路線からダーク路線が通常化していった。
唯一、コミカル路線に向かいつつあったのが、ジョエル・シュマッカー版。バットマンの精神を病んだ感じはあまり強調されず、『Mr.フリーズの逆襲』は完全にコミカル路線だった。スーツに乳首までついて、ピンプ感満載だった。
そこからノーラン版のバットマンになるが、バットマンの心の闇は雰囲気は出てるが、はっきりとよくわからない感じになっていて、一方敵がはっきり狂ってるがそっちの理由もあまり定かではないという謎めいた作りに変わっていった。
そしてなんといってもバットマンのガジェットからデザイン性が削ぎ落とされ、無機質でケレン味がないものになっていき、コミックの世界の話ではなく、現実の世の中の闇を反映している感を売りにするような独特の路線になっていった。敵のスケアクロウがボロ雑巾をかぶったただの頭のおかしいオッサン、ジョーカーが綺麗に整った化粧ではなく、汚いぐちゃぐちゃしたチョークの粉を塗しただけのような適当メイクで登場したり、ビジュアル面のケレン味をなくすノーラン版は狂人たちの心の闇を浮き立たせることに全面的に力を入れていた。
そして、今回のバットマン。リドラーはノーランのスケアクロウみたいなボロ雑巾のケレン味のなさを受け継ぎ、そこらのホームセンターで売ってるようなビニール素材の作業服をつぎはぎしたマスクで登場。ジム・キャリーのリドラーがいかにキャラ立ちして素晴らしかったことか。
キャットウーマンも、目鼻額が全く覆われていない顔ばれしまくりの安物ニットにちっちゃなトンガリが猫耳としてついたチープな感じが、これまたノーラン版のテイストを引きずっている。
そのチープさ地味さケレン味のなさがバットマンの風貌にも及んだ感があるのが今作。変調ボイス機能もなくなり、マスクの雑な鼻の縫い目、靴はワークマンで買ってきた作業靴みたいなパカパカとしたものにかわり、マントを開けば、コウモリではなくモモンガ上に羽が開き、最後はパラシュートというダサさがすごい。
飛び道具は、四つ又金具のついた飛び出しワイヤーしかなく、基本パンチで戦う。武器ではなく発煙筒やアドレナリン注射セットみたいなよくわからないものがスーツに装着されていて、よくわからない。ガジェットで楽しめる部分は極めて少ない。
特殊なガジェットで敵をバタバタやっつけるあっぱれなアクションシーンを期待すると残念な気持ちになる。
では、このバットマンの魅力はどこにあるかといえば、ミステリー的なストーリー展開である。バットマンが警察の犯罪捜査に協力して、セブン的な謎々で猟奇的な犯罪を繰り広げるリドラーの正体を追うという内容には見どころはあるが、セブンには叶わないと言う意味では、バットマンをミステリー化することで新境地を開こうとしたかもしれないが、あまり成功していない。
結論としては、ガジェットはもちろん、ストーリーも地味なバットマンという感じであらゆる意味でパワーに欠けたバットマンだった。