「コウモリ ネコ ネズミ 暗黒街凶戦」THE BATMAN ザ・バットマン 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
コウモリ ネコ ネズミ 暗黒街凶戦
スパイダーマンは2度リセットされたが、それを上回るのがバットマン。
60年代のポップなTV版、ティム・バートン版、ジョエル・シュマッチャー版、クリストファー・ノーラン版、DCユニバース版…。
さらにTVアニメやレゴになったり“ニンジャ”になったり…。
作風や世界観も多種多様。他のヒーローとは違う“ダークヒーロー”は作り手の創造を刺激する。それだけ魅力的な作品とキャラ。
そんなバットマンがまたまたまたまた…新生。
バットマンの“ダークさ”を決定付けたのがバートン版。
圧倒的なリアリティーをもたらしたのがノーラン版。
これらは誰もがイメージする“バットマン像”。(いやいやいや! 往年のポップなノリこそバットマン!…と言う人もいるだろうけど)
今回はヘンにそれを覆そうとはせず。それらを継承しつつ、今回もまたこれまでとは似て非なる。
よりダークに!よりバイオレントに!より重厚に!
ノーラン版に引けを取らないKO級のバットマンであった。
もう本当にダーク。作品を一言で表すなら、これに尽きる。
劇中ほとんど雨夜のシーン。まるで、光など差した事が無いような。
そんな天候だけではなく、“ゴッサム”という街そのものがそうなのだ。
犯罪、暴力、殺人…。常に街の何処かで起きている。
政治家、法の番人、慈善家…この街をより良くしようと悪や犯罪と闘う者たち。
が、その“仮面”の下は…。
“嘘”で塗り固められている。
彼らがしてきた事は、汚職、隠蔽、賄賂、闇との繋がり、保身…。言えば言うほど気が滅入ってくる。
皆、病んでいるのだ。
彼らを蝕んだのは自分自身の弱さであり、彼らを覆う環境。
これまでのゴッサムは犯罪が蔓延る街だったが、そんなんじゃない。ゴッサムそのものが病んでいるのだ。
一部の者がその耐性が出来、そこから漁夫の利を得ている。
ほとんどの人が何も知らぬまま、平凡に生きている。
彼らは社会のヒエラルキーの上層部や中腹。
では、最下層は…?
ゴッサムに見棄てられた護られなかった者たち。ゴッサムの“嘘”の犠牲者たち。
そこから生まれてくるのだ。“恐怖”や“復讐”は。
バットマンもリドラーもゴッサムが産み落とした代償と言えよう。
片やゴッサムの悪や犯罪と闘う闇のヒーロー。
片やゴッサムをパニックと混沌に陥れる狂人。
さらに言えば、恵まれた大富豪と誰も存在を知らない孤児。
立場や正体は真逆だが、根底の動機や抱えるものには近いものを感じる。
ゴッサム再開発という夢半ば、何者かに殺された両親。父の意志を継ぎ、自ら“恐怖”となって“復讐”を果たす。
その再開発という名目の下で、虐げられた子供の一人。その“罪”を暴き、自ら“恐怖”となって“復讐”を果たす。
恐怖を武器に、自身は復讐者。
極端に言えば、ヒーローとヴィラン。言動もやろうとしている事もまるで違う。
が、一歩踏み間違えれば…。
表裏一体の善と悪。
もう一つ、等しいものを感じるのは、手段を厭わない。
悪を葬る為なら、情けは無用。相手に徹底的に恐怖の制裁を与える。時には、殴り続け殴り続け殴り続け…。
これほどまでに暴力的で激しいバットマンは初めて。
何が彼をそこまで狂気的に駆り立てるのか…?
ターゲットを奇襲し、残忍な手口で殺すリドラー。謎を仕掛け、時にはその模様を生配信。
ベースとなったのは犯罪史上初の劇場型殺人事件である“ゾディアック事件”。戦慄の殺人ショー。
単なるヒーロー映画のヴィランではなく、異常なサイコ・キラー。
今回登場のヴィランは皆そうなのだ。
現実に存在する人間であり、犯罪者。
ネコの不思議な力で生き返ったり、外見も変貌し下水道でペンギンと暮らしてもいない。
友人を救おうとする彼女も復讐者。
大物マフィアと繋がりある犯罪者。
リドラーもかつて登場した時のようなコミカルさやおちゃらけは微塵も無い。全く以ての別キャラ。
リアルであればリアルであるほど、存在感や恐怖を感じる。
バットマン自身もそう。
単独作としては最長の3時間。
バットマン映画とは言え、その長さで、暗く重い。
見る前はさすがに身構えるが、見始めたら一気に作品世界に引き込まれる。
リアルなのはキャラ像だけではない。
リドラーが仕掛ける謎を解明していく。
謎解きは高難度過ぎなのが困りものだが(って言うか、こちらが考える間もなくバットマンが解いてしまう…)、じっくり系の犯罪捜査サスペンスの醍醐味は充分で見応えあり。
ダークヒーロー映画であり、犯罪サスペンスであり、捜査劇であり、ホラー映画のような赴きも。
ドキュメンタリータッチの『クローバーフィールド/HAKAISHA』、リアルタッチの『猿の惑星:新世紀』『~聖戦記』などのマット・リーヴス監督の手腕が存分に活かされた。
ただ暗く重いだけではなく、アクションもインパクトあり。特に中盤のカーチェイスの迫力と圧巻さと言ったら! 間違いなく、バットマン映画最爆走のカーチェイス・アクション!
激しさだけではなく、ペンギンの車のバックミラー越しにジャンプしたバットモービルが炎と共に現れるシーン、横転した車の中のペンギンにバットマンが炎をバックに近付いてくるシーン…画作りはいずれもしびれる!
仄かに惹かれ合うバットマンとキャットウーマン。バットマンとゴードンのバディ。バットマンと支えるアルフレッド。そして、バットマンvsリドラー…。
3時間も納得のボリューム。飽きも無駄も無い。
映像も音楽も一級。
ロバート・パティンソンによるバットマン/ブルース・ウェイン像もこれまでとは全然違う。
大富豪やプレイボーイの顔は消え失せ、全てを遮断し、孤独の中に生きる男。何かに取り憑かれた病的な姿を感じさせる。
演技派として活躍目覚ましいパティンソンが、複雑なヒーローを熱演。
ゾーイ・クラヴィッツのキャットウーマン/セリーナも新鮮。初のショートカット、怪人や怪盗ではなく、己の信念を貫く戦士。
お馴染みのゴードンとアルフレッド、今回も心強い。ジェフリー・ライトとアンディ・サーキスが好助演。
口悪さが妙にリアルで唯一ユーモア感じさせるコリン・ファレルのペンギン、リアル・マフィアのようなジョン・タトゥーロも存在感あり。
中でもやはり、ポール・ダノ。
マスクとコスチューム姿は不気味さを漂わせ、ラストの素顔を見せた時の異常さは、かつてジム・キャリーが演じてヘンなイメージを植え付けたリドラー像を一新させてくれた。
さすがの演技巧者。それだけでも称賛に値する。
(また、ラストのリドラーの独房の隣に居たのは…? 明らかに、“奴”。続編が作られるのなら、再びバットマンとの対峙を是非見たい!)
リドラーの武器は、謎。その題材は、嘘と真実。
偽りの仮面の下に隠された衝撃の真実が、一つ一つ暴かれていく…。
市長、本部長、検事の嘘。その罪。
許されるものではない。しかしだからと言って、個人が復讐の為に命を奪って良いものなのか…? 罪には問われるべき。ならばその前に、公正な裁きを。が、その正義すら信じられないこの街。
バットマンにとって衝撃だったのは、両親の過去。父を理想的な“正義”と信じ、自分の今の行動はそんな父の背中を見て…。父はこの街の犯罪者と同じく、蝕まれた偽善者だったのか…? ならば、自分は…?
ゴッサムの罪と嘘を暴こうとするリドラーは、もしかしたら異常者ではなく、真実の伝導者なのか…?
リドラーの裁き。
バットマンの苦悩、葛藤。
ブルースの父の真実。
ゴッサムそのものの嘘と罪。
それらと闘い、救済する手立ては…?
背筋が氷り、全てを洗い流すテロ行為でも、それこそ軍事侵攻などでもなく、きっとある筈だ。
恐怖や復讐に囚われる事なく、自らの信念と正義を信じ、その“シンボル”となれ。
そうすれば、世界は後に続き、立ち上がる。
文学や哲学や心理学の世界では、神話の世界まで遡る〝父殺し〟というテーマがありますが、バットマンの世界も、何を父と見立てるかは各々の解釈次第としても、そのような普遍的なテーマを描く素材として確立された感じがします。