「これまで作られた中で最も内省的なバットマン映画。リドラーの正体と動機探しが、ブルース・ウェインのアイデンティティー探しとの二層構造(或いは鏡の表と裏)になっている脚本が上手いと思った。」THE BATMAN ザ・バットマン もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
これまで作られた中で最も内省的なバットマン映画。リドラーの正体と動機探しが、ブルース・ウェインのアイデンティティー探しとの二層構造(或いは鏡の表と裏)になっている脚本が上手いと思った。
①『ジョーカー』ではラストクレジットに流れるフランク・シナトラの「Send in the clown」に酔わされたが、今回は冒頭からシューベルトの「Ave Maria」が流れて驚かされた。ニルヴァーナの「Something in the Way」という曲も印象的に使われているそうだが、恥ずかしながらニルヴァーナ聴いたことないので今度聴かなくちゃ。②ただ、『ジョーカー』とは映画の作り方や方向性が違うので、同じDCコミックが元とは言え同系列と考えない方が良いと思う。“『ジョーカー』は予告に過ぎなかった”とか“『ジョーカー』を越える衝撃”とかいう宣伝文句は真に受けないように。どうも最近の映画の宣伝文句は的外れが多い。その落差を宣伝文句のせいではなく映画自体の問題と勘違いしてゴッチャに評価しているコメントも見られるし…おっと閑話休題。③これまでに作られた中で最もコミック臭が薄いのが気に入った。評判の高い(私はそれほど高く評価していませんけれど)『ダークナイト』でもコミック原作もの匂いはしていたし。ということは最も“一般映画”に近いバットマン映画だと思う。④本作のバットマンはあまりカッコ良くない(駆け出し時代だしね。映画の中でもヒーローではなく“マスクをした男”扱いだし、警官も胡散臭い目で見てるし。現場に入れたのも窮地を抜け出せたのもゴードン警部のおかげ。警部に感謝しなくちゃ)。結局、最後の最後までリドラーの手のひらで踊らされていたし、防波堤の爆破も止められなかったし。ラスト、リドラーと同調したテロリスト達の暴挙を何とか阻止できただけ。⑤それに対してリドラーは最初の犯行に“カーペット剥がし”を使用したことをはじめ、細部まで計画しつくした上で決行したのだろう。市長宅への侵入や、検事の車に忍び込むのも、射撃も前もって準備していたと思う。恐らく唯一の計算外はキャットウーマンの飛び入り参加だったのだろう。演じるポール・ダノも『There will be blood』で当代最高の俳優ダニエル・デュ・リュイスと渡り合った演技派だけあって、映画後半からの登場ながら鮮やかな印象を残す。⑥リドラーの正体とその動機とがわかった時点で、実はバットマンとリドラーとは1枚の鏡の裏表だったことがわかる。ブルース・ウェイン=恵まれた孤児、は自分から両親を奪った「悪」に「復讐」するためにバットマンとなりゴッサムシティに跋扈する全ての「悪」を相手には出来ないから“自分を「悪」にとって「恐怖」の対象とする“ことで悪事を未然に防ごうとする。一方、リドラー=恵まれなかった孤児、は「社会」に「復讐」するのにバットマンのやり方を真似て「恐怖」(偽善者にも、悪党にも、市民にも)でゴッサムシティを翻弄する。⑦そしてリドラーとの闘いを通してその正体・動機・目的・やり方を知ったことにより、バットマンは「復讐」からは何も生じないこと、「恐怖」を武器にしてはいけないこと、「過去」に囚われていては前に進めないことを身をもって理解する。そういう意味では至極全うな1青年の成長物語とも言えよう。⑧演出は終始揺るぎないペースを保ち180分という長尺ながらだれない。ロバート・パティンソンも最初の頃は単なるアイドル俳優(そんなにイケメンでもないし)と思っていたが、今や『テナント』『ライトハウス』&本作の好演と立派に本格派の俳優さんになった。渋目の共演陣も作品のトーンに合っている。コリン・ファレルは素顔がわからないほどのメークアップなのでコリン・ファレルがやる必要性があったのかどうかわからないが、『ハウス・オブ・グッチ』でのジャレット・レトのオチャラケ演技よりはずっとマシ。