マトリックス レザレクションズのレビュー・感想・評価
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キャトリックス?!
総合的に完成度の高かった1作目、アクションがカッコ良かった2作目リローデッド、愛を感じた3作目レボリューションズ・・・と、これら3作をまとめてトリロジーとしてゲームを開発していたトーマス・アンダーソン。メタ構造として成り立っている今作だけど、そのゲームの内容とネオ自身の記憶と現実が交錯して精神を病んでいる設定だ。数々の過去映像を織り交ぜながら記憶と幻覚に戸惑うトーマス。一方で、救世主ネオを探しているバッグスを中心とするアイオ(ザイオンみたいな町)のグループ。やがてそれはゲームの世界じゃなかったと明らかになっていく・・・
キャリー=アン・モスが登場したのは嬉しかったけど、スミスを演ずるヒューゴ・ウィービングが登場しないのは残念だったし、同窓会的にローレンス・フィッシュバーンも過去映像だけだったことが残念。ただ、『ジョン・ウィック』シリーズでフィッシュバーンとは同窓会してるからいいのかも。
バッグス(バッグスバニーからとった名前)や彼女のタトゥー、それに白ウサギといった「不思議の国のアリス」的要素が満載。扉を開けると違った方向の重力に変化したりする空間において、縦横無尽に走るなんてのもまさにソレ。おまけにジェファーソンエアプレンによる「ホワイト・ラビット」が流れるというサービスまであった。
新しさはビルから次々と落ちてくる集団自殺人間爆弾。ウォシャウスキーのLGBT要素盛り込み意外にもアイデア豊富な一面が見えてくるのです。また、スミスとの和解など、エグザイルというゲーム内で役割を全うしたキャラの意味もおぼろげながらわかってきた。
ただ、全体的には1作目を踏襲した思い出し映画のようなもので懐かしい気分にとどまってしまいました。何度も鑑賞すれば様々な仕掛けもわかるんだろうけど、ちょっと観る気になれない。黒猫が何度も登場したことで、猫を中心としたキャトリックスが作られたら・・・
セルフパロディーではない形で過去作の相対化に挑んだ一作。
作中で、登場人物がどう考えても本作が作られた事情を暴露しているとしか思えないような台詞を呟いたことがおかしく、なるほどこれは『マトリックス』の前シリーズを現在の視点で総括し直した作品なんだな、と改めて納得しました。
過去作との対比や世界設定の説明が多く(非常に盛り上がるはずの場面すら)、上映時間も相まってやや鈍重な感のある内容ではあります。しかし『マトリックス』(1999)公開以降、本シリーズが世界にどう影響を与え、何が変化し、あるいは何が変わらなかったのか、をウォシャウスキー監督自身が映像を通じて総括するためには、やはり最低限これだけの時間が必要だったんだ、と実感しました。
黒を基調としたスタイル、美術は相変わらずかっこいいんだけど、この『マトリックス』的ファッションがその後あまりにも当たり前になった結果、今では陳腐とすら感じられるようになりました。本作ではあえて、過去作とそっくりの場面を入れることで(インサートカットは過去作そのまま)、この陳腐さという要素を作品に取り込んで、そこから新たなメッセージを打ち出そうとしています。
特にウォシャウスキー姉妹は『マトリックス』のイメージが排他主義や選民主義のシンボルとして流通していることに強い不快感を感じているらしく、繰り返し既存の『マトリックス』を相対化しつつ、キャリー=アン・モスの物語として収斂させていきます。彼女の存在によって、『マトリックス 』が変えようとして変わらなかったものが何なのかが明らかになる仕組みとなっています。鑑賞後あらためてポスターを見返してみると、まさに本作を一つのアートワークで表現していることが分かりました。
パンフレットは豪華版と通常版の二種類あるのですが、内容は全く別物とのこと。両方買ったら鑑賞二回分になるかも!
確かに映像は素晴らしかった。けど。
相変わらずの映像美で、それだけでも良かったのですが、内容がイマイチついていけなくて。
過去の3部作でもう終わっていたので、むりやり作った感があり、つまらなさが若干あったかなぁ。
これ以上続きがあっても、もう観ないだろうな。
そっちかぁぁぁ!!
トリロジーにはあまりのれなかった私。その理由として、公式パンフレットに寄稿された押井守監督の言葉を引用。「攻殻機動隊を期待したらドラゴンボールになっちゃった。」まさにそれに尽きる。特にラストMr.Smithとの対決がそれだった。
そんな理由からほとんど期待せず、予告すら見ずに予備知識ゼロで鑑賞。
結論から言えば、もの凄く面白かった。
序盤からいきなりゲームの世界?え?ナニナニ?の連続に頭もカオス状態に。これって1作目の序盤とまさに同じもの。
ストーリーが進むに連れて、これは二人の恋の物語(パンフレット引用)だったのかと納得。
アクションもトリロジーに比べ泥臭く洗練されたのがグッド。何より、覚醒しきっていないネオが防戦一方なのが良い。手をかざすだけのバリアだか、気功だかの攻撃がたまらん。
今回襲ってくるのが大群ってのがまたまた最高。どなたかのレビューにもあったけどまさしくゾンビ(笑)。落ちてきてグシャッが好きです。
劇中語られる、本当の自分、未来を選べなど、生半可な人間が語ると単なる厨二病だけど、トランスジェンダーとして自分の存在と世界とのずれに悩み続けた監督の言葉ならではの重さが胸を打つ。
そして何よりやられた!!と思ったのがクライマックス。
ビル屋上に追い詰められた二人。散々煽ってきた、ついにネオは真に覚醒して飛ぶのか?
と思いきや、そっちかぁぁぁ!!と、狂喜乱舞。恋人同士が手を繋いでので飛翔シーンと言えば、ドナー版スーパーマンを思い出さずにはいられない。また、個人的には、大好きなシャガールの恋人たちの飛翔を思い出した。
ついでに言うとラストにきっちりカッコいい衣装、サングラス姿の二人を見せてくれて感謝感激。
賛否両論渦巻くらしい本作。私的にはとにかく最高!!
今年初の複数回鑑賞映画でした。
うーん
青春時代にマトリックス3部作を鑑賞し、公開日初日にオールナイトで見ていた者としては少し残念だった。
やりたい事はよく理解できるし、レボリューションでのキャリー・アンモス演じるトリニティの最後があまりに悲しいものだったからこその続編なのかもしれないが、映像技術が進化した現代では、真新しい表現はなく監督とファンだけの自己満足映画になっていると感じる。
途中寝そうになったが何とか最後まで見た。
見たという事を認識する為だけの作品。
時代は変わった、パラレルマトリックス。
マトリックスの続編が出るなんて、思いもしなかった。
最も好きと言える作品の新作で、本当に楽しみにしていました。
ただ、懸念だったのは予告編でのあまりの普通さ。これはまたキアヌ が新境地のトンデモ作品に出るのか・・・?と思えるほど、「あのマトリックス」は感じられなかったこと。
やはり懸念はあたり、終始明るいな、とにかく明るいな、というのが印象的でした。
〜以下ネタバレ含みます〜
ローレンス・Fではないとにかく明るいモーフィアス(出ないことにすら意味がある圧倒的存在感。出なくて本当によかったことについては後述)、透き通る青い瞳のエージェント・スミス、バレットタイムからのゾンビ映画さながらの戦い、ネオのかめはめ波、派手にイメチェンしたメロビジアン・・・
<キャストについて>
キアヌ 、キャリー、バッグス役のジェシカ・H、プリヤンカ・Cはとてもよかった!!!!あの二人じゃないとそもそも話が成り立たないんですよ。そういう納得感を持たせるところが本当にすごいですよね。大好きです。
登場シーンが多いからではなく単純に魅力的だったのがバッグスです。妙な安寧が訪れた生温い世の中に、己とは?自由とは?と問うて危険を顧みず変革の最前線に身を投じるもう一つの主人公的立ち位置がぴったりだったと思います。彼女がいないと話が進まない、穴へ誘う闘うウサギでした。
そして大人になったサティーが出てくるとは胸熱でした。(彼女のエピソードはつらいですね、、、優しいご家族なのに。。。)正体がわかるまではフラッシュバックのなかでウィンクするめちゃ可愛いあの子は誰なんだ、ってかんじでしたが、まさかの登場にうれしい喜びでした。
これは本当ごめんなさい、よくないこと書くのですが、他のキャストの印象が薄いのが印象的でした・・・。エージェントはそういうものとしてスミスもナイオビの部下もふわっとしていておや?と思いました。わざとでしょうか?
前作の方が続投してほしかった、とかではなく単純にこの人である必要性が薄く感じられてしまいました。あ、でもバッグスってレクシーと恋仲なのかな、キャッと思わせる場面とか相変わらずいろんな人種がいるのはやっぱいいな〜と思いました。
<脚本について>
人間は機械にとってエネルギー源だという前知識がないとただおぞましく、ネオとトリニティーの存在意義もわからないかもなので機械同士の戦争があったというのはすごい着想だと思いました。
ゾンビ映画はやめてほしかった。あと人間爆弾はいかがなものかと・・・。それにネオの力シリーズの表現がダサすぎませんか。終始カメハメ波的なアレでなんとかし続けるのは微妙だし、二人で飛ぶシーンも苦笑せざるを得ません。
アナリストがただの姑息で嫌なやつとして描かれているのもかなり、明るいな。と思った要因です。わかりやすい敵すぎて、物語が深まらないというか。
前作のアーキテクトが良すぎたからかもしれません。
<映像について>
とにかく明るいです。
まず、陽気なモーフィアスの出立、キャラクター。赤いピルを服用してラリってしまうあたりも、非常にライト。
<全体の感想>
マトリックスが今の時代にまた公開されることに、大いなる意味があるとものすごく勝手に思っていたのですが(フェイスブックの社名変更が直前だったのが驚きのタイミングというこじつけ)、すげー映画なんだよ!と事前知識のない人をポカンとさせ、マトリックスオタクを茫然とさせる作品だったかと思います。
初見の方→なんかすごい前評判だったけど、示唆は多いけど意外とわかりやすい話なのね
オタク(我々)→そうきたか、ラナ。うむ・・・(熟考のち懊悩)。
トリニティーの覚醒のとき、赤いピルはもはやいらない。というのは新しいですよね。通過儀礼をとっぱらってスムーズに真実の自分に目覚めるのが。ただ夫になんの未練もないのが悲しいですね、子供がいなければ速攻で覚醒していた気がします笑
開始20分が面白い
この現実が仮想空間である。
目からウロコのアイデアを斬新な映像で表現し、大ブームを作った「マトリックス」だが、3作目の「レザレクション」で自ら顔に泥を塗って終わらせたシリーズがまさかの復活である。
悪い冗談だと、大半の人が思ったと思うが、それは監督も同じだったみたいで、開始20分ひたすら「マトリックス」シリーズを茶化しまくる。
そう来たかと、悪くない。「マトリックス」だから出来るユニークな手法であり、この手があったかと多くの人が、スクリーンに身を乗り出すだろう。
だが、そこまでである。言い訳はこれにておしまいとばかりに、それ以降映画は陳腐なストーリー、陳腐な映像表現に終始し、落胆の2文字を観客に与え終わる事になる。
墓を掘り返しても、人は蘇りはしないが、開始20分の展開には、微かに指先や瞼が動いていたのではないか?、そう感じさせるものがあったので、とても残念である。
「マトリックス」以後パッとしないウォシャウスキー監督だが、映画の歴史書にはマトリックスの一発屋と下書きがされてる頃だと思うが、ここらで映画のネオよろしく復活を目指してみたが、もちろんここは現実である。
ため息(^^)(・∀・)
最初のマトリックスを大人になってみてたあなたなら解ってくださるでしょう!終わって映画館出た私はまるでヤクザ映画見た後のように背筋を張り30歳は若くなったかの様でした!色んな意見はあるでしょうがマトリックス好きの私には最高!キアヌボサボサでしたがかなり絞った顔でしたよ!
愛の物語
スタイリッシュじゃなかった。特に日本のシーンとかね。ネオのカッコ良さもなかった。うん、でもね。ネオとトリニティーが共に居る映像観れただけでも、観て良かったよ。アニマトリックス観てたから機械と人間の共存は違和感なかった。クジャクちゃんがやけに可愛いデザインなのは何故。フィギュアとか出そう。虚構の中に生きるを可としてるのが新しいかな。
よかった
キアヌリーブスファンなので、この映画は何回も観たいです。前回からかなり時間が経ったけれど、分かりやすかった。ストーリーもよかった。年齢も高くなったので、走ったりが少なく、手のパワーをブワーってするシーンが多く感じた。最後のエンドロールで、「パパママ〜愛してる〜」だけ、なぜ日本語訳されていたのですか?
復習してから観るべき
そういえばマトリックスあんまり覚えてないな、もう一回観てから行くか、とアマプラで前3作を復習して鑑賞。正解でした。
登場人物や過去シーンがわかった方が明らかに楽しめる。
本作がマトリックスシリーズ初見という方はやめた方がいいくらい。
さて、内容はと言うと少し眠くなるようなシーンも多かった。
さすがに過去のような映像の進化はなかったせいか、アクションシーンも終盤以外はあまり引き込まれなかった。
ただ、終盤に向かっての盛り上がりはよかった。
ド派手な演出にマスクの下でマジかよ…と呟きながら観れた。
ストーリーを理解しきれなくてもアクションや演出は十分楽しめる作品。
前3部作からの続編
公開前の映画メディアの記事の多くで1作目の続編という記事が出ていたが、完全に前3作の続編だった。これ1作目の続編と思って観た人達は全然話についていけなさそう…。。
前作『レボリューションズ』の結末から約60年後の話。前作の後、ネオはアーキテクトの後継者アナリストによりマトリックスの世界に再び繋がれていた。
ネオの復活後はメロビンジアンとの戦いや成長したサティーの登場、さらに今まで敵だったスミスとの共闘などはおおっとなった。
以降は復活するトリニティーがメインで活躍する印象だった。トリニティー以外にも本作では女性たちがリーダーだったり活躍する姿が印象的で監督のなんとなくだが意図は感じた。
キャストが一部変更になりおなじみだった
ローレンス・フィッシュバーンとヒューゴ・ウィーヴィングが続投なし。スミス役は続投でも問題ないストーリーでもあったので観れなかったのは残念だった。モーフィアスについては前作のモーフィアスが好きだったので最後までうーん…と感じてしまった。
一作目を見てから行くべし!
愛にはいろいろな形がある。
マトリックス愛にも。
レビューを見ていると、好き嫌い、良い悪いどちらも書かれていますが、捉え方次第、自分の愛の向かう先次第だと思います。
私は、今じゃなきゃできないこのマトリックス、好きです。キアヌリーブスの正直さが画面にも出ていると思います。
一作目を見てから行くと、意図や意味がより分かり、もっと楽しめるとと思います。観終わり帰って、一作目観ました。やはりどちらにもそれぞれのよさがあるし、マトリックスの世界観は唯一無二だと実感しました。
マトリックスという私小説作品
この映画は娯楽作品の体を取りながら、ウォシャウスキー監督の私小説作品でもあり、
エヴァンゲリオンにおける庵野監督のように、メタ的に文学的作品を楽しむ視点がないと
つまらないと思えてしまうかもしれない。
個人的にはジョン・ウィックよろしく心の闇を抱えたネオ=キアヌのヘタレっぷりがよかった。
攻撃に対しずっと手をかざしてシールドを貼っている姿、
年寄りっていうのはもう自分を守ることしかできない存在なのだ。
その分、最後のトリニティの叩きっぷりが映えてくる。
男性として生きて苦痛を味わってきた分、
女性に転生したらこんなに清々しいのだと言わんばかり。
メロビンジアンはスピンオフに出る気まんなんなので、
マトリックスはこの後、流行りのユニバース系作品の仲間入りなのかもしれませんね。
いや是非メロビンジアン主演のユニークテイスト作品も作ってあげて欲しい。
続編というよりマニアが作ったファンムービーな感じ
マトリックスの評判が良くない事を気にしつつ、
前作を見直してから、映画館へ。
とりあえず、先程まで見てたマトリックスじゃないな、、と思いつつ、復習までしたのに、
前半の半分くらい居眠りしてしまいました、、
面白くない訳ではないんですが、テンポが悪いのかな、、
ラストのハチドリみたいなつがいのあれは、、
でも、もう一度見たいと思います。
寝ても理解できる映画では無いですしね、、
人文知の時代へのレクイエム
映像的に新しいものは出て来ない。全編オマージュだらけ。その意味は、マトリックスという作品の原点へと立ち返ろうとする、ポストモダン的な方法論である。
現実、フィクション、愛、そういった人生の諸要素をもう一度自分の根っこから考えてみようという切り口を、ラナ ウォシャウスキーはこの作品の映画化に見出したのだろう。
ただ、20年前とはいえ、一度は通った道だ。既視感は絶えず付き纏い、自分は老い、変わ
っている。失ったものはもう手に入らない。
自分に何が出来るのか。かつて私たちは人文知を通してそれを問うた。池田晶子は言った。分かる力、それは愛であると。しかし時代は変わり、それは廃れた。私たちはそれをもっと即物的で単純なもの、面倒臭くなくて、自分が得をするものの中に見い出そうとするようになった。私たち全員は本当に大衆になった。
だったら何だ。手に入るものが必要なんだ。フィクションと現実と愛の関係なんて考えたって怠いだけだし何の得もしない。
それなら、この即物的な構造を前時代的に脱構築したらどうなるのか。それがこの映画である。見る人それぞれの意見もあろうが、私はこの実験には賛同しない。面白くないからだ。面白いものを脱構築すれば、それはここがこうだから面白いという職人気質で無機質なメタフィクション(この言葉を今使うのは本当に不遜だと思うが)にしかならない。私たちはもうその先にいるのである。
私自身、未だ生きていて、この既視感さえ拭いされれば以前のように人を愛せるのにと思う場面に遭遇する。年をとるということはそういうことなのかもしれない。
年寄りの四方山話ではない。もう少し真剣なことだ。現実もフィクションも愛も、生きている限り私たちと共にある。そこから何を汲み出すかは私たち次第である。純粋さも真実も愛も求めなくとも、それはそこにある。そう言えば池田晶子はこうも言っていた。社会、それは私たちの 考え であると。
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