マトリックス レザレクションズのレビュー・感想・評価
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続編の最適解
大好きなマトリックスの続編。綺麗に完結したかに思えた3部作から20年ぶりの作品ということで、期待よりも不安の方が大きかったが、全くの杞憂だった。これ以上無い形の続編だったと思う。
観る前は「何故このタイミングで映画作った?」と謎でしかなかったが、監督はこの20年間色々世間に対して思うところがあったのね…エンドロール後のCATRIXのくだりなんかは、ゴールデンタイムにチャンネル回せば猫動画ばかりな今の日本にバッチリ当てはまる皮肉だったと思う。(「次はキャットリックスって映画をつくるのかなー?」って言ってる人がいてズッコケた。逆だよ逆ー!!!)
「分かりやすいものに飛びついてただ消費するな!もっと大事なものがあるだろ!愛の力を信じろよ!」的な怒りの叫びが聞こえて来る映画でした。パンクだわ。
個人的なメッセージを込めまくった作品でありながらも、ちゃんとアクション映画としても楽しいのは、さすがとしか言いようがない。ボット爆弾のところなんかは発想がぶっ飛んでて爆笑した。
ただこれは商業的にはコケるだろうなと思う。監督もそれは覚悟の上だろう。
でも、面白い面白くないで片付けるには余りにも勿体無い。楽しみながらあれこれ皆でじっくり考えたい映画。
welcome back Mr.anderson
不安と期待と希望が入り交じる観賞。でもファーストの衝撃を求めるのは酷ってもんなので、ほどほど脱力しつつ。
お陰さまで非常に楽しく拝見させて頂きました。現実と非現実の織り交ぜ方にはユーモアと共に、より境界線が曖昧になっていく怖さも内包していて、上手いなと感心しきりでした。
映像表現と音楽がキモだったファーストからしてみれば、映像表現は熟成した時代に求めても已む無しなのだが、音楽のチョイスが「大人しい??」って思っちゃったのは残念だったかな。全然、悪くは無かったのですけれどもね。
とにもかくにも、好きだったキャラが出てきたりしてワクワクが止まらなかったので、続いてくれてもワクワクしちゃうかな、と思いました。ありがとう!って感じです。
「夢」と「現実」
マトリックス
1999年に公開されたSFアクション映画
真実を知らず仮想世界マトリックスで人生を送る
主人公が現実世界の救世主であることを知らされ
成長して行く過程を描いており
CGや撮影技術において「驚異の映像革命」
と評されその後の映像作品に与えた影響は計り知れない
製作にあたっては攻殻機動隊等日本の漫画アニメに
影響を受けている
公開当時は大学生くらいで夢中になったものです
当時のブームは相当なもんで2chでは
エージェント・スミスのコスプレをした
大規模OFF会なんてのも行われてました
何よりすごいのは当時まだネット社会にも
なっていなかった時期に仮想空間やコンピューター
のアーキテクチャーやアップデートといった概念
を取り込んだ世界観を作り上げたこと
人によってはちんぷんかんぷんだったでしょうが
TVゲーム世代はすんなり受け入れられたと
思います
ただこのシリーズ3部作のうち最も評価が
高かったのは「1」で続編の「リローデッド」
まではその世界観と映像革命っぷりが溢れていた
のですが「レボリューションズ」で急に普通の映画
になってしまい尻すぼみで終わってしまった
印象も強かったのです
作り手として話を終わらせる方向に舵を切った結果
作品の特色が抜け落ちてしまったのは案外と言うか
残念な感じがしました
で今回のまさかの続篇
「今更続編なんて絶対コケるからやめておけ」
というファンの声が言うまでも無く聞こえてきました
ネオもトリニティも死んだ(っぽい)
あの終わり方からどうやって話を興すのか
ウォシャウスキー監督は毎年のように続編を
やれやれと「権利者(ワーナー)」から
言われていたようです
リメイクか?続編か?
この映画はそのへんのやり取りをそのまま
前半部分にもって来ています
前作までの「マトリックス・トリロジー」は
トーマス・アンダーソンが1999年に開発した
大ヒットTVゲームで続編を会社から要請されており
本人が拒否しても他の人にやらせるつもりでいる
という図式はそうきたか~と思わせられます
トーマスは悩みに悩んで飛び降り自殺未遂
なども起こしますがそのたび死んではおらず
悪夢のような日々にさいなまれるところで
「あなたに真実を気付かされた」と言う
バッグスと名乗る女性に導かれて
今いる世界の真実に近づいていく事になります
そして後半はトーマスをそのような状況下に
置いて新バージョンのマトリックスで
管理していた「アナリスト」から
最愛の人を取り戻す愛のストーリーになります
前作までから「新バージョン」になった
マトリックスの世界
現実も17年経過して現実の世の中は
すっかり変わりました
ネット社会SNS社会に代わり
処理しきれない情報とゴシップや不祥事に
食いつき日々炎上が起こる毎日
管理社会型だった前のマトリックスと違い
感情をコントロールして支配しているという
アナリストからは現代社会の比喩を感じます
マトリックスの社会=現実の社会ですから
会ったこともない顔も知らない人間に
怒りを燃やしてネットで批判する人々の
現実とは何かという警鐘も感じます
この作品に関しても
ファンや映画会社が望む続編としては
あからさまに低予算がまるわかり
スミスやモーフィアスの配役が変わっており
キアヌも続編製作中らしいジョン・ウィックと
風貌をまるで変える気がありません
旧キャストも同窓会然としています
でもこれもファンや映画会社が望む
驚異の映像に溢れたマトリックスに持った「夢」
に対し「現実」という事ですよね
「夢」ばかり押し付けられても作り手には
予算や製作期間旧キャストのモチベーションからは
こんな「現実」しか出てきませんよという
非常に皮肉めいた作品だと思います
つまりファンからは期待したような作品ではありません
この作品のために初見で旧三部作を観た人からすれば
この内容は拍子抜けもいいとこでしょう
自分も他の人にもれず好きだったけど3作目でコケた
やつやなぁと言う印象で全く期待しないで観に行って
まさかここまでメタな内容とは思わなかったので
面喰いましたが作り手の言いたいことは
受け取れた気がします
アクションもしょぼいし絵的は褒められず
ファンが望まないものを投げつけた点においては
どうかと思いますがが嫌いになれないとこある作品でした
皆の思い出のマトリックスはアップデートされなくて
いいのかもしれません
続編やリブートものばかりありがたがって
客が入る風潮もいつまでも続かないと思います
新しいものに挑戦しなきゃいけないんじゃ
ないでしょうかね
「私の最高傑作?次回作だよ!」
チャップリンの言葉です
正直・・・
がっかりでした。
かなり期待してました。
中盤、話の展開が、だるく眠くなる始末。
リローデッドの続編って言ってたのどうしました?
モーフィアスって名乗った只のプログラムのエージェント?
謎展開のPVで期待し過ぎてしまったのかも知れません。
アクションもカメラブレブレで見にくいし、かつてのカンフーアクションも無し。(キアヌ達が歳なら若手に頑張って貰いたかったがイマイチ。)
アクションも、むしろ前作の方が見応えあった。今回全然パッとしない。
ネオが最後まで活躍しないんですよ。
(バリアと弾はじくだけ)
エージェント・スミスは、ヒューゴ・ウィービングでないとねー。
役者が変わったのは知ってましたよ、だったら話に絡ませるのはしない方が良かった。因縁的な演出や戦いをさせるのに役者が違うから全く感情移入出来ない。(オラクル同様プログラムのせいで姿変わったと言う無理矢理設定。)
ヒューゴ・ウィービングであるなら最初の社長と部下の会話演出やスミスとしての記憶復活が凄く盛り上がったのに!
ナイロビやメロビンジアンも姿変わっているので、(歳と落ちぶれで(笑))再登場に感慨深さ無し。サティは、年齢設定おかしくないですか?たしか、実は、60年位時間過ぎてたとか言ってたはずですが、若すぎでしょう。(ご都合設定のプログラムのせいとか言ってました?)
と言うか、役者の説明とかその他諸々で旧作の映像使うとかどうよ?って思んですよ。
効果的な演出で使うならともかく、状況説明的な使い方に映像使ってますよね?
なんだかなーって感想です。
字幕で観たせいか、途中眠くなったせいか、理解出来なかったかもですが、
そもそもバッグス達は、何故戦っているのか?
旧ザイオン(アイオ)では、マシンと人類が共生していて滅亡の危機って感じがないで、機械に虐げられてる感が、薄いんですよね。
ネオ復活させるためにバッグス達が喧嘩売ってる感の方が強く、復活させたらトリニティも復活させなきゃやだと駄々こねるので(笑)復活させたらトリニティも覚醒して、ラスト。??
話が進んでいないんですよ。ネオ復活させてトリニティ復活させて終わり。
分かるんですけどね。「約束違うじゃねーか!」って状況になってたってのも。
ザイオン側も安定求めて「争う気ないよ」ってのも。
続編は、いいです。今回も蛇足だったかと。
追記:後から知りましたが、(ネットなどで。)マシン同士が戦争してるって設定あったんですね。そんな描写ありました?
(苦笑)
ネオとトリニティーの愛は不滅!
革命的な作品の四作目ということで観ましたが、十分に楽しめました。この作品は観る方の感覚によって、評価がかなり違うと思います。エヴァンゲリオンのように、シリーズ三作の背景を知らないと、眠くなって酷評になってしまうところもあるかもしれません。私としては、結局ネオとトリニティーの運命的な惹き合う愛情の勝利という面で、とても愛着感を持ちました。二人が一緒になって空を飛ぶシーン、まるで新海監督の作品の一コマのようです。また、老いて眠っていたネオの能力が覚醒していく姿は見事です。しかも最後にはトリニティーが先に空を飛ぶ能力に覚醒するところ、レディーファーストかと思い嬉しくなりました。最後のエンドロールで一見蛇足のようなシーンがありますが、今のハリウッド映画の行き詰まりと、これからの新しい作品についての皮肉のようなものが語られます。映画でもしばしば登場した黒猫のことを示唆しながら、これからは「キャットリックス」が受ける時代だと言っていますが、それは逆に言えば新しいものはいくらでも作れるという、自信の裏返しのような気がしました。
同窓会
本気で続編にしやがった。18年後に再覚醒するのだが、もう一丁その理由が腑に落ちないのは何故だろう。それより、30歳くらいまでの観客は置いてけぼり。過去三部作を観て予習してから臨め。と、言いたい。ウォシャウスキー兄弟も、ミズ・ウォシャウスキーになるほど、永遠に隣り合わせな時間が経ている。
ともあれ、三部作をリアルタイムで観ていたオッサンとしては、この続編は満足だ。久しぶりの同窓会みたいでね。
マトリックスは革新的だったけど…
流石にかつての主演2人がまたメインだとちょっと人生の流れを感じ過ぎて…。ボットの大群もただゾンビにしか見えない。スローモーションのシーンは変わらずカッコよし。話は今までよりわかりやすかったのでは…と思う。
エンタメ映画としてクソ 映像作品として3流 ファンの擁護とすり替え
今回のマトリックスはエンタメ映画としての評価はゴミだと思う。
まさかSNSでよくあるジェンダートークを世界的な映画で見せられるとは思わなかった。
擁護勢はエンタメとしてゴミだったから、どうにか評価基準を変えてそもそもマトリックスはこういう映画だったと自分を納得させようとしているようにしか見えません。
メタ部分は寒すぎるし尺の取り方も雑。監督の政治的コンプがビンビンに伝わってきてキツかったです。
ルフィや悟空が、作者個人の本音を話し出したらそれはエンタメとして終わりでしょ。
でも否定評価でさえ、トランスジェンダーや女性を身代わりの盾にして、この作品を否定することはマイノリティへの否定だ!差別だ!と騒ぐ人まで出てきているのは、まさにこの映画が表すSNS的社会だなと思った。
ラナがガチガチの左翼なのは知ってるけど映画は度外視して評価したつもりです。でも個人的な政治的コンプレックスが否応なしに伝わってきてしんどかったです。多様性に配慮したキャストも、皆一様に仕事を淡々とこなしていたのでハラハラすることは全くありませんでした。
評価する人の言葉を使うならば、この映画はトランスジェンダー崇拝のための儀式でしかなく、ヒロイズムからの脱却を象徴する女性キャストはみな仕事ができるのでしょう。淡々と仕事をこなしてトリニティを救おうとします。
でもそこにかつてのマトリックスにあった、コンピューターに対峙する熱い人間関係、時に裏切り、死んでいく船員はいない。救世主、世界のために、命を投げ出そうとする人間もいません。印象に残らない意識が高いキャストがベルトコンベアさながらただ紡いでいくストーリーは、見どころも何もなくトリニティの覚醒で終わりました。
記憶に残るキーワード、カット、アクション、コンセプトなに一つ残らない時点でこの映画のクオリティは低いです。メタ部分が辛うじてですがそもそもうまくいってません。ファンの方にはマトリックスというブランドを抜いた上での評価を願いたいです。
わかる人にはわかる笑いってやつ
過去のシリーズや映画業界に詳しい人はメタ要素を消化できてクスクスする場面が多かったのでは。
繰り返しや焼き直し、(個人的には)想定外に胸糞悪いグロシーンがあった以上に、これはオタク向けコンテンツになったなぁと感じた。
マリオとクッパのピーチ姫をめぐる戦いを凄い高予算で観たという感想。
とりあえず、直後の感想
賛否両論になるのは必然
まず、続編を製作してくれて本当に感謝しています。
前作でトリニティーが亡くなり、ネオも自己犠牲にて人類を救ったものの、
どこかで生きていて欲しいと願っていたので復活してくれて本当によかったです。
以下、簡単に分かりやすく自分の評価点を記載したのでご参考下さい。
【良かった点】
・上記の通りネオとトリニティーが復活した点
・難解に思えるかもだけど、続編を作るとするならば、
非の打ちどころのないストーリーコンセプト
・アナリストの人間の感情を理解している敵としての不気味さ
・ラストの屋上での2人が見つめ合うシーン
・ファンにはたまらない前3作のオマージュ
【残念なところ】
・スミスとモーフィアスの配役変更
→めちゃめちゃ頑張ってましたけど、感情移入が正直薄れました。
・ネオの活躍が控えめだった点
→最後アナリストの動きについていけるようになったり、
新たな映像技術等で後半大活躍していれば、
批判しているライト勢の大方を味方につけれたのではと思います。
・最後の敵がヘリコプター2台w
→しかもトリニティーに抱えられて逃避行は残念でしたw
・今回初出の専門用語が多かった点
→モーダル、バイナリー、スーツ、シンシエント、ボット、スウォームモード、DSI等
パンフで説明はあるもののライト勢を混乱に導いていたのではw
特にスーツは未だ説明なし(デウス・エクス・マキナ等、機械側の支配者陣の事かな)
以上、また上記を改善して新たなマトリックスで大活躍するネオやトリニティーの続編を観たいです。
懐かしい…けど、ご新規お断り?
新作見てきた。
旧作3部作は遥か昔に見たんでだいぶ忘れてる…
そんな状態での視聴で、だいぶ懐かしい気持ちにさせられた。
ある程度の世界観の説明はあるものの、正直旧作見てないときついと思う。
散りばめられた旧作の映像や、当時の俳優たちには懐かしさを感じると共に、俳優たちも歳を取ってるのを見てなんとも言えない気持ちにさせられた…
今作は旧作を彷彿とさせる各種アクションも懐かしさを増幅させているが、逆に言うと当時衝撃を受けたような映像があるわけではないかなぁ。
ぜひ見る前に旧作の履修をオススメします。
かって「マトリックス」に目をみはった若者たちへ、
諦めるな、言い訳つくるな、歳をとったあなたも今からやり直せばいい
という映画だった。
それは俺もだった、ありがとう。
追記
大晦日に再見。
細かい映像的仕掛けや台詞の間の意味に気づくことができ、とても良かった。二度目のチャンスをつかみましょう。
20年前の作品からの脱構築
およそ20年振りに劇場にカムバックしてきた人気シリーズの続編。
リザレクションズとは「復活」という意味だが、それに至る道中でいかに紆余曲折があったかという内情が暴露された中身だったように思える。
鑑賞している最中、そんな製作者の内面のことを様々なキャラクターに散りばめさせ、それを象徴的に描いているように見えた。
バックス=新世代の若いファン
アナリスト=創造主、上層部
コンピュータプログラマー達=バレットタイムから逃れられない古いファン、スタッフ
キアヌ=監督の分身
そしてマトリックス自体をゲームソフトとして扱い、メディアミックスで儲けたであろう自分たちをパロディ化して序盤にさんざん時間を使っておどけて見せたのがなかなか懐が深いなぁと思うしなかなか笑いを誘うように真剣に見せるのが寛容的とさえ思う。
キアヌはマトリックスの世界の会議に何回も出たであろう。その度におなじ会話を聞き続けたと思う。「その話前も聞いたよ」と同僚のプログラマーに言うセリフはきっと監督自身も同じように制作場で何百回も言われたからなんだろうなぁと思う。しかしそれを嫌味ったらしく見せないであくまでふんわりとした印象を持たせるのは大人の余裕だ。
と同時にアナリストから貰う薬(青いヤツ)大量に飲むシーンはマトリックスらしさを追求するために精神的に追いやられてることを意味してるのかなと思ってもがいているのを表し、ジムでひたすら走るのは迷走を表しているのかもしれない。会議→薬を飲む→走るの繰り返しでハムスターが回転車を走るようにグルグル日常を繰り返しているのかと思うといかに心が消耗しきっているかが目に見えてわかる。
しだいにその日常が何回も繰り返させられ、その制作会議を何回も見せられ、企画会議をして続編はこうだ!ファンはこうしなければ満足しない!という打ち合わせを何度もして、何が現実かどこまで信じていいか、が分からなくなるのがマトリックスの題材である日常と非日常が分からなくなることのメッセージ性にも付随して皮肉にもその過程が作品とピッタリ重なるのも面白い。
まさか作品内でワーナーへの不満を暴露したりするとは思わなかったがそのクリエイターの苦しみや上層部への批判をキャラクターに言わせてマーケティングへの嫌味も多分に含まれていたのはそれ含めて作品として見せる思い切りの良さは良かった。
また今作のネオは銃をほとんど撃たずにかめはめ波を放つがそれ自体が監督の吹っ切れたメッセージとも裏読みできて好き嫌いが別れるとは思う。かめはめ波のぶっばや、最後の飛翔も含め既存の世界観からの脱構築を目指しているのだと肌で感じるように分かるが如何せん一方的に見せて単調に感じた。
しかしエンディングのあとも「ファンはこういう要素を入れれば好きになるだろ?」という皮肉も最後に見れて本当に監督は鬱憤が溜まっていたのかなぁ。
怒りの矛先は本当に合ってる?
私は、今まで観て来たシリーズ映画に対しては観たいというよりも惰性で観てしまうという癖があり、本作も期待してというより(おおよその見当はついているのだけど)どの様に新作として仕上げたのだうと言う興味だけで鑑賞しました。
一般評価はかなり低評価が多い様ですが、私は大体の予想通りだったので特別な思いもなく暇潰し程度には楽しみました。
一口に映画ファンといっても色々な人がいて、自分で言うのもなんですが、私はどんな映画を観ても作品自体をあまり貶さないタイプの人間だと自分では思っていますので、ネット時代となり様々な一般人の映画レビューを読んで、よくもこれだけ貶せるものだと驚き且つ感心したりしています。
私だって、つまらないとか、下らないとか、苦手とか、微妙とか、意味不明とか、鑑賞する作品全てに満足している訳ないし、失敗したと思う作品に遭遇する事もありますが、それでもその作品に対して貶したくなるほどの怒りなどの感情は起きないです。
(殆どないが)自分に合わない作品を観て、少し時間を無駄にしたかなという位の後悔は残っても、映画に限らずネットなどで見受ける数多くの怒りや憎しみなどが滲み出ている書き込みを見るにつけ、世間と自分の怒りに対する方向性がまるで違う事に脅かされます。
例えば、競馬とかパチンコとかのギャンブルで負けてそんなに怒りが湧くものですかね。更にその怒りって本来は自分自身に対して怒りである筈ですよね。
例えば、自分が投票した政治家が不正や不祥事を起こして怒りまくっている人ってのはどうなんでしょうね?
映画でも、それを観ようと選んだ自分に対しての怒りはないのでしょうかね?
上記は代表例ですが、逆の見方をすれば選択しているのは全て自分の筈なんですけどね。だから結果がダメだった場合の責任の半分はいつも自分自身にある筈なのに、怒りの全てを対象物に対してだけに向けるのは、どう考えてもフェアではないでしょう。
なので、私は結果がダメだった場合も対象物だけを貶すって事は基本的に出来ないのですよ。
映画ならそれも笑い話で済みますが、上記した政治や生活の話になると笑い話では済みませんよ。
だから、ネットで様々な事に対して怒りをまき散らしている人を見るのにつけ、自分の行動や言動に対してもっと自分自身を見つめ直す癖をつけないと怖いですよ。
作品に戻って言うと、第一作目の『マトリックス』という作品が、その後の娯楽SF映画に与えた影響力は大きく、間違いなくSF映画のエポック作品であり、マーベルやDC映画は言うに及ばず、殆どの作品は何らかの影響を受けていて、例えば近作の『フリー・ガイ』などはその発展形の良作であり、本作は一部のマニア向けの凡作というだけの話であり、企画の段階で目利きならそれは完全に予測できることであり、今更それを怒ってどうなるものでもないでしょう。
但し、第一作目から時代が大きく変わり、今の時代に於いてのこの作品には確たる敵役が不在であることが観客の一番の不満であったように思えるのだが、上記した事を考えると、現在社会での一番大きな問題もひょっとしたらその辺りにあるのかも知れませんね。そこまで考えて作っていたのなら、これはある意味で凄い作品だと思います。
髭無しキアヌを久しぶりに見ました
アクションはさすがといっていいほどとても楽しめるものです。
昔あった出来事をマトリックスというゲームにすることで夢や妄想ということにしてネオとトリニティーを世界に閉じ込めるという設定もとても良かったと思います。
でも、なんとも言えない物足りなさを感じました。
話が変わりますが、やっぱり洋画で見る日本の風景って少しおかしくてそこがなんかツボでした。
最後に人間(ポット)達が一気に襲ってくる様がまるでゾンビ映画を見ているようでハラハラドキドキさせられました。
好きか嫌いかの選択
面白いか面白くないかの選択
→面白くない
好きか嫌いかの選択
→大好き
イーストウッドの『グラン・トリノ』は大傑作だと思う。鑑賞後、凄い映画を観たと興奮したのを覚えてるしDVDも買った。しかし劇場で鑑賞して以来、1度も見返してはない。
一方、本作は駄作だと思う【機械に洗脳されてます】けど、鑑賞後はずっとレザレクションズの事を考えている。なんならもう一度見たい。繰り返し見たい。4KUHDを買う。
真実を知りたいか?
傑作だよ。
人生で初めて、今年のベストでもありワーストな映画。
最高に面白かった
「ザイオン」は「アイオ」と名前を変え、機械と共存し、農作物まで作る。
ネオたちの物語、戦いの「記憶」はモーフィアスの石像がそうであるように、長い時間をかけて徐々に風化されつつある。
アイオの人々は新しい生活に馴染み、自由を取り戻しつつあるように見えるが、彼らの心はまだ解放されていない。ナイオビの発言は「愛」ではなく「保身」だった。そして若い世代がそれをつまらないものとして察知している。
また、マトリックス内のネオやトリニティーも過去の「記憶」を失っている。
「記憶」から切り離された2人はそれぞれゲームクリエイターと主婦という偽物の記憶を与えられ、それが真実だと刷り込まれながら生活している。
過去の出来事はプログラミングで制作されたゲームという位置づけだ。
アナリストは男には社会的成功を、女には家庭を与えていれば目覚めないと高を括っているようだ。
記憶を回復することは、自分が何者かを思い出すこと。過去、現在の全てを統合して未来に働きかけ扉の向こうの自分に繋がること。それがアップデートだ。
私たちは一人ひとり、アップデートするために存在する。社会的に成功するためや、誰かの世話をするために存在するわけではない。
女性を揶揄するティファニーという名前を付けたのは冗談だとか、ネオにこの女をコントロールしろとか、虹色(多様性)に塗ったらどうだと言ってヘラつくアナリスト。この旧い強力なプログラムがボコられたのにはスカッとした。
映画が死に、物語も死に、もはや猫動画しかニーズかない現代で監督が取り戻したかったものとは。観る人の解釈に委ねられる。
だけど全てはパパとママの愛から始まるってこと。
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