「われらは、新たなマトリックスの中にいる」マトリックス レザレクションズ parsifalさんの映画レビュー(感想・評価)
われらは、新たなマトリックスの中にいる
初回は、レビューを見て、評価が二つに分かれていたので様子見していたところ、YouTubeのツッチさんやたてはまさん等のレビューを見て、映画館で見ることにしました。マトリックス三部作は、自分が一番凄いと思っている映画です。
マトリックス三部作は、AIやPC的な視点から世界の更新という見方も面白いし、東洋哲学的な視点からも、国際政治的な視点から見ても面白いですね。電力不足による人間とマシンシティの争いは、エネルギー(石油や天然ガス等)不足による争いと置き換えられるし。前の三部作では、因果や論理でアーキテクトされていた世界が、レザレクションでは、感情、恐怖、不安で精神科医に設計しなおされていたのがより現代的に感じた。現在の世界が恐怖と不安による選択になってきているし。今回、バレットタイムは控えめになって、黒猫と共に時間を自由に操れるということができるようになっていた。今作、ラナ・ウォシャウスキー監督が、両親が他界して、悲しみを紛らわすためと、映画会社から続編を作るように迫られ、自身が作らなければ他の者に作らせると言われて、作らせられたというのが内情らしい。
本編の途中、マトリックスⅣのゲームを作成するという時に、周囲から様々な意見が投げかけられるシーンがあるが、その描き方から、マトリックスが、あくまでもゲーム(映画)の中の世界であって、現実との関係性はないような見解が示される。これら、周囲の人々振り回され、精神を病みがちでセラピーを受け、青いカプセル(真実に目を塞ぐ)を服用する元気がないネオと、マトリックス三部作後、元気がなかった監督がだぶって見えた。しかし、三部作後、世界は更に大きく変わり、イラクへの派兵、アフガニスタン侵攻、3.11が起こり、多国籍企業やGAFAが世界を席巻し、マスコミは完全に統制されるようになった。それが、新しいマトリックスを作る理由であったように思える。
マトリックスとは、人間から自由を奪い、役割を押し付け、刺激や欲望を煽り、恐怖や不安から利益を最大限にするために個人に降りかかってくる全てのシステムと監督がいっているように感じた。それから自由になり、男女や人間同士の愛のエネルギーをモチベーションにして、生きることこそが真実の生き方であり、覚醒することと言っているように自分は読み解いた。
ネオに、「自分は救世主なんかではない」と本作では言わせている。実際、ネオの力は、青い錠剤のせいか、飛翔する力はなくなっていた。また、救世主をサポートする仲間は、ゲーム等を通してネオを知った若い世代。彼らが活躍で、ネオとトリニティが再び力を取り戻すまでの過程は、普通の人々の力を借りないと、大きな目的に達することができないという暗喩のようだった。これらの流れから、マトリックスからこの世界が抜け出すためには、一般大衆により覚醒することを促しているようにも思える。スオームは、覚醒していない一般の群衆を表しているのだろう。それは、ネオとトリニティの覚醒のシーンにも見て取れた。世俗の関係やしがらみよりも、自分が真実と思うものを選択することの方が重要だと。
また、ネオやトランプ大統領など、特別な存在を崇めたりするのではなく、自分自身がマトリックスから自由になるため、何かに依存して生きるでのはなく、内的に価値を感じて生きることが重要なのだと言っているようにも感じた。最後の精神科医のセリフから、それらが透けて見えた。
東洋哲学では、クンダリーニ覚醒という覚醒が有名で、性的なエネルギーが極まって上昇し、チャクラを開かせることで、人間の能力や価値観が飛躍的に高まるという考え方がある。リリー・ウォシャウスキーもラナ・ウォシャウスキーも男性から女性に性転換をしたこと、今回、トリニティに覚醒をさせていること等からも、両性のエネルギーを如何にして統合するかが、人間に大きなパワーを与える鍵だと言っているようにも思えた。しかし、性転換は、普通であれば周りのすべてが反対し、誹謗、中傷されるだろう。終盤のスオームが襲ってきた部分は、監督が実体験で感じたことを映像化したのではないだろうか。
監督自身の周囲の狂騒も同時に描こうとしながら、コアなマトリックスファン層の応援の後押しも感じていたのだろう、皮肉、ユーモア、遊びが効いている。
最後、ゲームも映画も物語も死んだ。「メディアっていう物は、刺激と洗脳が全てなんだ。」ここに監督の最大の本音が詰まっている。その洗脳から逃れるための譬え話として、マトリックスという映画は存在している。
※補足 mRNAのコロナワクチンは、米の軍が開発した遺伝子操作による生物兵器であるとリークする動画があって、ネオが青い錠剤を服用しているので繋がってしまった。ネオが力を発揮できなくなった理由として描いているのかもしれない。現在の世界は、強欲な闇の勢力によって、完全にメディアが統制され、洗脳されていると思っている。それが「マトリックス」という映画の意図するところであろう。
続編を強制されて作ったけれど、わかる人にはわかるって映画かな。この映画のように、一般大衆も含めて覚醒・連帯して、支配者の恐怖による支配を見破ることを促しているようにも感じる映画であった。