「毀すべき偶像は何なのか」悪の偶像 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
毀すべき偶像は何なのか
ひき逃げ事件の被害者家族と加害者家族が出会うことから始まる物語。
社会派サスペンス・・・?
という予想で、予備知識なしでの鑑賞です。
原子力政策委員会の委員長を務める市議会議員ク・ミョンフェ(ハン・ソッキュ)は清廉潔白なイメージがあり、今度の知事選の有力候補。
ある日、息子のヨハンが深夜、飲酒運転でひとを轢いた上、被害者を自宅に連れ帰って事故を隠蔽、妻もその手助けをしていた。
ひき逃げだけならば「事故」とすることもできるが、隠蔽工作が明るみに出れば、「犯罪」として糾弾されてしまう・・・
そう考えたミョンフェは、遺体を事故現場付近に戻し、息子を警察に出頭させる道を取る。
そして、息子の出頭直後に、被害者家族に謝罪に行ったところ、被害者の父ユ・ジュンシク(ソル・ギョング)から、被害者は新婚旅行中で、新婦リョナ(チョン・ウヒ)が近くにいたはずだと告げられる・・・
といったところからはじまる映画で、その後の展開は目まぐるしい。
事故現場にいなかった新婦リョナは、現場付近を走って逃げたことが、警察による捜査で明らかになり、それでは逃げた理由は何なのか・・・といった謎が次々に現れるので、注意していないと映画から取り残されるかもしれません。
ま、観客を取り残して進んでしまう映画は、映画自体にも責任があるのだけれども。
さて、加害者の父ミョンフェは事故の目撃者としてリョナを追い、被害者の父ジュンシクは義理の娘としてリョナを追う。
この前半までのリョナの役割は、ヒッチコック映画でいうところの「マクガフィン」(映画を進めるため必要なモノ)で、そういう意味では、リョナ自身に大きな意味を持つ必要はない。
一般的なサスペンス映画だと、マクガフィンを得るところで物語は終わるはずなのだが、この映画ではリョナが観客の前に現れてから、まるで別の映画に変貌してしまう。
韓国映画お得意の「おぞましい系」映画、暴力のオンパレード。
リョナは中国東北部、北朝鮮に隣接する地区からの不法移民(ただし、民族的には同じ朝鮮民族)で、脱中国の際に何人か殺しており、生きるためなら人殺しも苦にしない。
このリョナの登場により、映画の登場人物は、
権力を有する富裕層=加害者の父ミョンフェ、
権力におもねるしかない貧しい市民層=被害者の父ジュンシク、
それよりも下の韓国国籍を持たない不法移民=リョナ、
という構図が描かれることになる。
そういう意味では、観る前に抱いた「社会派サスペンス」といえるだろうが、最終的な落としどころは、すべて個人の復讐レベル。
どうにも後味が悪い。
こういう決着が韓国では万人受けするのだろうかしらん・・・
ちょっと、期待していたところとは違いました。
<追記>
事件の発端だけを整理すると・・・
ミョンフェの息子が飲酒運転でジュンシクの息子を轢き、まだ息のあるのを知りながら、自動車後部に押し込み、自宅へ戻る。
この事故(事件)と並行して、リョナは、彼女を付け回していた前夫を崖から突き落とし、溺死させる。
ジュンシクが死体安置所で息子の死体の前にみる溺死体がこれ。
リョナの前夫が付け回していたのは、彼女のお腹の子が自分の子であると思っていたから(だろう)・・・
が、この映画で唯一よくわからないのは、リョナのお腹の子が息子の子でないことを知っていたジュンシクが、リョナを助けようとしていたのか・・・
ミョンフェ>ジュンシクの支配・被支配の関係を、リョナに求めていたのか・・・
それとも、ただ単にリョナのことを憐れんでいたのか・・・
議員ミョンフェの清廉潔白というイメージが「偶像」であるならば、中国から逃れて来た同じ朝鮮民族のリョナの憐れむべき姿も「偶像」、貧しい市民ジュシンクの権力におもねるしかない姿も「偶像」。
そして、そのいずれもが「毀すべき」偶像、という意味のタイトルなのだろうか。