「犯人の作り方」霧の中の少女 kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
犯人の作り方
ヴォーゲル警部(セルビッロ)と精神科医フローレス(ジャン・レノ)との対話で始まり、事の顛末を語るという展開。原作者が監督ということはストーリーの核を自在に操り、小説で訴えることと同じようにラストで含みを持たせることができるという有利な点がある。随所に田舎町アヴェショーのジオラマ映像を織り交ぜ、様々なミスリードを見ている者に与えてくれるという寸法だ。
証拠も何もない中でいきなり「これは誘拐だ」と断定するヴォーゲル警部。彼にはかつて「破壊魔事件」という連続爆弾魔の犯罪において大きなミスをしてしまい、被疑者の男に結局は多額の賠償金を与えてしまった過去もあり、部下たちからも心配そうな視線を受ける。そして、メディアを使って巧みな印象操作も行い、世間の目をも煽ってしまう作戦に出る。
疑いをかけられたのは被害者アンナ・ルーの学校に赴任して間もない教師マルティーニ。車が少女と一緒に映っていたという状況証拠と彼にアリバイがないことが理由だった。追いつめられるマルティーニ。しかし、彼のまじめな性格からすると、冤罪だろ!と感じざるを得ない展開だ。しかも、証拠捏造までするにいたり・・・
冤罪を扱った社会派サスペンス?しかも死体はまだ出てないよ?死体が発見される前に犯人逮捕?と、こうしてヴォーゲル警部の非道さまでもが浮き彫りになってくるのです。
いや、30年前の連続少女失踪事件も明るみになるのですが、もう作家の好き放題の展開。30年前の事件については驚きの犯人でしたが、アンナ・ルーの事件はあやふやなまま。精神科を訪れる警部ということもあるし、信用すらできなく、霧の男というより、観客をも靄に包むといった、モヤモヤ感満載の作品。「模倣」とか「失敗」といったキーワードもヴォーゲルの思い込みや戯言なのか?それとも真犯人の挑発?う~む、わからん。とにかくニジマスにだけはなりたくない。