「キム・ジヨン、あのこは貴族、燃ゆる女の肖像…。惹き込まれた人はどうぞ」モロッコ、彼女たちの朝 ゆっきーさんの映画レビュー(感想・評価)
キム・ジヨン、あのこは貴族、燃ゆる女の肖像…。惹き込まれた人はどうぞ
すごく官能的で肉惑的。性描写など一切ないのに。
音楽が殆どないのと、赤ちゃんはじめ役者たちの息遣いがそのまま録音されているからか。
パン屋の女主人アブラは娘に対しても厳しい教師のように接する。決して笑わない。
ふくよかで子供に優しくどこか妖艶な妊婦サミアがアブラとは対照的に描かれている。
パン作りの時、アブラが床に生地を叩きつけるようにしていたのを見て、若いサミアがアブラの手を握り、もっと優しくするのよ…と一緒に手を握り生地をこねながら、語りかける。そのうちアブラの手も優しくなる。
アブラが髭の男から誘われている。
冷たくし、無視を決め込んでいた彼女も、サミアから言われてある日自分のセミヌードを鏡に写してみる。
まだ女として自分に魅力があるかどうか点検する。
翌日彼女はきちんとメイクしてオシャレして店に立つ。
その変化に同性のサミアはすぐに気づいて微笑む。
アブラの急死した夫。葬儀の儀式のため、妻が哀しむことすら出来ない風習。
最愛の人にサヨナラの挨拶もできず、死を悼めなかった彼女は夫の死や男性に対し、ココロを固く閉ざしていた。
お祭のさなか、通りで女達が喧嘩していた。それを見たサミアやアブラ、髭の彼らが楽しそうに笑った。アブラの笑顔を初めて見る。
アブラの一人娘、ワルダも無邪気で可愛らしい。
この作品。家の中も街なかも柔らかい暖色系の光を使っている。太陽の陽光も優しい。
だからなのか、風景や人がとても美しく映える。
ラスト、彼女は赤ちゃんを殺めようとするが、諦める。
母親は赤ちゃんの未来を考えて、やはりあの選択しか無かったんだろうか。
『アダム』…映画の題名。
赤ちゃんの名前だったのだ。
エンド前の『母に捧げる』とは、この監督のお母さんもまたシングルマザーだったのか?
と、思ったらチラシに過去にこの監督さんの家で未婚の妊婦さんを世話したエピソードが…。
この美しい作品を、このときまだハッキリと赤ちゃんの未来を決意出来なかった彼女には、どう映ったんだろうか?
そして、今、彼女は彼女自身の選択を、どう感じたんだろう。
時に女性にとって、『生』とは残酷なもの。果たしてこの選択は正しかったのか?
懊悩が伴わない最初から祝福される生ならば、女性側だけがこんなにも苦しむ必要は無いわけで…。
それはこの国だけでなく、世界的で普遍的な問題なのでは?
だからこそ彼女だけでなく、多くの、子を産んだことのある女性には永遠にQuestionマークなのかもしれない。