「10年経ってまた耳をすませたら…」耳をすませば 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
10年経ってまた耳をすませたら…
スタジオジブリでアニメ映画化もされた柊あおいの同名コミック。
原作漫画は読んだ事無いが、ジブリの映画は何度見た事か。
初めて見た時ちょうど私も彼らと同じくらいで、本当に青春の甘酸っぱさを感じた。
あれから30年近い歳月が流れたけど、二人の“その後”が描かれる。
やはり、気にならない訳がない!
実写で映画化。
ここで勘違いして欲しくないのは、ジブリ映画の実写化ではなく、あくまで原作コミックの10年後をオリジナル・ストーリーとして実写化。
だから、ジブリ映画の実写化とか、ジブリ映画とは違うとか言うのは甚だ見当違い。
やはり比較されて酷評の嵐だった『魔女の宅急便』の“原作小説の実写版”然り。あれはあれ、これはこれ、全くの別物である。
とは言え、どうしてもジブリ映画と比較してしまう。
作り手側もそれは承知のようで、ジブリ映画で描かれた中学時代を“あの頃”とし、実写で再現。
過去パートはジブリ映画で見ていた事もあって、すんなり懐かしく。
結構細かな所まで再現されていたが、設定が変わっていた点も。団地住まいが一軒家になり、二人の出会いが雫が書いた『カントリー・ロード』の詩ではなく図書室で借りた本に。調べてみたら、これは原作コミック通りの設定らしい。なら、いいか。
でも気になったのは、聖司ってバイオリン職人になる為にイタリアに修行しに行ったのに、何故かチェリストに。最も、原作では画家らしいが…。
ちょっと話反れるが…
ジブリ映画版は同社屈指の名作であり、アニメ/実写問わず青春ラブストーリーの傑作だと思う。
夢を追う事。悩みながらもそれに向かって進んでいく。青春の甘酸っぱい恋と絡めて。
ラストシーンのプロポーズなんて冷静に見れば突っ込まずにはいられないが、それさえも含めて。
それもこれも最初で最後の監督作となった亡き近藤喜文の手腕が大きいだろう。
よく思う。もし、今もご存命だったら…。ジブリの未来は違っていたかもしれない。
ジブリ映画版のレビューは書いていないので、この場を借りて超簡易レビューさせて頂き、本作の話に戻ります…。
本作のメインは“10年後”の二人。
雫は児童書の編集者として働くと同時に、今も物語を書き続けている。
が、落選してばかり。編集者としても担当を降ろされ…。
一方の聖司はイタリアで楽団を組み、一見自分の夢に向かって順風満帆だが…。
清野菜名と松坂桃李が好演。
“地球屋”の内装や今にも動き出しそうなネコの男爵人形“バロン”の再現も見事。
イタリア・ロケかと思いきや、和歌山県にあるヨーロッパをイメージしたテーマパークで撮影したらしい。驚くほど美しいイタリア気分に浸れる。(行ってみたい…)
現在と過去を交錯させて、昔も今も夢を追う雫と聖司の姿、二人の恋を瑞々しく。
『耳をすませば』は見る我々と一緒に物語を紡いでいく…。
…のだが、
可もなく不可もなく。正直言えば、ちょっと期待し過ぎたか。
まず、過去パート。こちらは話はいいのだが、中学時代を演じた二人の演技がちと拙い…。
初々しくはあるが、ジブリ映画のような胸キュンとまではいかなかった。
現代パート。こちらは主演二人の演技はさすが安定なのだが、如何せん話が…。
良くも悪くもベタでありふれている。
仕事もプライベートも恋も、夢と現実の狭間で悩み続ける雫。等身大であるが、よくある設定。
支えになったり、叱咤激励する周りの面々も。ステレオタイプなパワハラ的な上司も。
10年の間に成長し、夢に近付いていると思いきや、昔と変わりナシ。時が止まっているように感じた。
夢や人生に行き詰まった雫はイタリアの聖司に会いに行く。
昔も今も自分の先を行く聖司。私は何をやっているんだろう…。
それでも再会を喜ぶが、それも束の間。聖司は楽団の現地女性から好意を寄せられていて…。
帰国し、別れてきたという雫。何か吹っ切れたように、再び仕事に向き合う。もう一度、物語を書き始める。
音楽の技術を求める余り、音楽の楽しさを忘れていた聖司。久々の雫との合唱で音楽の楽しさを思い出す。
雫を追って、聖司も日本へ。あのラストシーンの準備は整った。
雫も聖司も再び自分の夢と向き合い、10年の遠距離恋愛の行方も…と、一見ハッピーエンド。
でも、何と言うか…、これが私たちの見たかった『耳をすませば』のその後なのだろうか…?
10年経って成長していたのではなく、遠回りして、あの再現したラストシーンも含め、結局やってる事は同じ。
私たちは新たな『耳をすませば』とその先を見たかったのに…。
TVドラマでは代表作があり、映画でも『ツナグ』は悪くなかったが、それ以外は…。平川雄一朗監督の特色の無い“ベタ”な部分が出てしまった。
『耳をすませば』と言えば、歌もキー要素。
しかしそれが『カントリー・ロード』ではなく、『翼をください』になっているのも、アレ…?
勿論『翼をください』は名曲だし、雫や聖司の心情にもリンクしているし、大人の事情もあるのだろうけど、やっぱり『カントリー・ロード』を聞きたかったのが本音。
劇中何度も使用される『翼をください』。雫と聖司の再会合唱、聖司のチェロ演奏はいいにせよ、ED主題歌までとはちと食傷気味…。
もう一度。これが本当に私たちが愛し、見たかった『耳をすませば』のその後なのか…?
今回は耳をすませても、あの頃のように心に響く歌や物語は無かった。
“その後”とか見てみたい作品って確かにあるよね。
でもそういうのって、やって良かったのもあれば、やらないで理想のままでいいのも。
私は怪獣映画が好きで、『ゴジラ対ガメラ』は永遠の夢なのだが、だから実現して欲しいような、欲しくないような…。
『耳をすませば』の“その後”もこのタイプだったかもしれない…。