劇場公開日 2020年3月20日

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「本作では三島を一人の等身大として描いているのに好感が持てた。政治的...」三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 マルホランドさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0本作では三島を一人の等身大として描いているのに好感が持てた。政治的...

2021年6月21日
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本作では三島を一人の等身大として描いているのに好感が持てた。政治的な主張は感じられず、三島を批判するわけでも、過度な肯定感で味付けするわけでもなく、共に生きた人たちから見てどのように映ったのかをいろんなライトで照らし合わせていく。

俺が好意を抱いたところは三島は一人の人間として1000人以上の学生と対峙したところにある。決してねじ伏せるわけでも、説教にし来たわけでもなく、学生と話したいからきたのが男らしいと思った。と同時に意外だったのが、あの安田講堂内では哲学を題材にした三島と学生の討論が行われていたというところにある。

これは憶測にすぎないけれど、もしかしたら学生側は東大の先生とこういう難題の話をしたかったのかもしれない。しかし東大の先生の頭脳より学生側が上回ったからこそ話を聞いてもらえなかったのかもしれない。まともに話ができないからこそ、こういう議題に飢えていたのかな、と鑑賞しながら思った。

学生側の鋭い質問にも三島はたじろぎもせず答える所がこの人のすごいところなんだな。

三島はテレーズ・デスケルウ の小説を引用し、亭主を毒殺した妻は夫の目の中に不安を見たかったからと説く。それを反体制側の人間が大衆の目の中に不安を見たかったからに違いないと語っていたところが好きだし、全共闘は知性主義の東大を壊したという点で評価してたのも興味深い。

後半では三島の天皇論にも言及しており、三島は天皇を日本社会の救済概念・日本の文化伝統が集約されるもの、すなわち無意識的エネルギーの源泉として捉えている。天皇というものを現実を積極的に批判する根拠として読み返して天皇を代表とする日本文化が戦後社会の堕落に対して批判としての力を持つ。もし現実を批判するなら君たちは天皇の名においてやらなければならない、という考えは学生側が意表を突かれて笑ってしまったというエピソードも好きだった。

もしかしたら三島は初代ゴジラのように戦後の日本に喝を入れたかったのだろうと思う。

マルホランド