「圧倒的」三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 柴左近さんの映画レビュー(感想・評価)
圧倒的
三島由紀夫が、自身の天皇についての話の時に「これはもう意地だ」という言葉で締めくくったが、結局はその通りだと思った。
どんなに論理で他者を論破したところで、「はいじゃあそうですね私が間違ってました」とならないのは、人には意地があるからである。日本人が天皇抜きで考えることは、きっとできない。これは歴史の長さ、伝統で根づいたどうしようもない日本人の底意地だからだ。
学生たちは若さ故の潔癖と素直さ、血気盛んなエネルギーも相まって過激な思想を語っていた面もあるかもしれない。
しかし、猥褻な現在の日本に対しての怒りは本物だろう。
三島由紀夫もそこは同じであるように思う。
三島由紀夫は、本来人間の唯一の武器であり道具である「言葉」を使い真摯に学生たちや戦後世論と向き合い、また「言霊」を信じ発信し続けた。それは自身が日本人であることに誇りを持っていて、日本を愛していたからに他ならない。
今現在の日本国民は、果たして意地があるだろうか、怒りが、誇りがあるだろうか。50年前の彼らに応える熱量はあるのだろうか。
半ば同情的に、惰性的に差別反対や戦争反対と声を上げているが、これは本当に自分の意見なのだろうか。本物の差別を目撃し、本物の戦争の恐怖に怯えたことがあるのだろうか。
生きている意味をこんな陳腐なことに見出だしてしまうほど、自身の中身は空っぽなのだろうか。
日本の行く末を心配していた人がいた最期の時代。覚悟がある人がいた最期の時代。「日出ずる国」は、復活するのだろうか。
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