「三島由紀夫の一人勝ち」三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 KNG_UDNKさんの映画レビュー(感想・評価)
三島由紀夫の一人勝ち
存命の方が多いので、以下敬称略です。
この映画は、三島由紀夫の視点で描かれているのでそう感じるのかもしれないが、この討論は、終始三島がコントロールしていたように感じられる。
まず最初に三島の方から議論の土台というか、相手がしゃべりやすくなるような引っかかる言葉を多分に含んだ演説を行い、学生たちを刺激する。学生たちはそれを受けて、他者は、とか、空間論や解放区などの認識論的な話を繰り出す。これは三島からしたら行動する前に認識についてしゃべっているのと同じで、大学の偉い先生たちが理屈をこねくり回しているのと大して変わらないように感じられたのではないだろうか。それでも辛抱強く議論に対応し、その中に少しずつ、日本論や天皇論の話題を紛れ込ませ、三島がおそらくしたかったであろう天皇論に議論を進めていく。
議論の途中で、「あっけにとられて笑うしかなかった」という振り返りの言葉があったが、あの瞬間に、その場にいた学生の多くは、「落ちて」しまったのではないかと思う。
そしてその場の空気にいたたまれなくなった、一番の論客で、ある意味場の空気に左右されない存在だった芥は、「飽きた」といって会場から出て行く(勝手に出て行けるだけ気楽なもんだと思うが)。
挙げ句の果てに、議論の終わりに、全共闘の学生から、共闘できないか、という言葉を引き出す。あれは思想の左右の違いのようなものはあっても、三島の言葉に学生たちが同調した瞬間だったのではないかと思う。さらにダメ押しで、三島は討論の後に主催者である木村に電話をかけて、盾の会に入らないかと訊いている。このときに遠回しに断った(周りに誰もいなければ「はい」と言っていたかもしれない)ことを確認して、三島としては、討論の目的の大半は果たした、と考えたのではないかと思う。
実際にはいろいろと違うところはあるかもしれないけど、少なくともこの映画からはそう感じた。文学者として、思想家としての三島由紀夫の存在の大きさが、東大全共闘の学生の比ではなかったことを端的に表しているのではないかと思う。