三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のレビュー・感想・評価
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ノンフィクションだからこそ印象に残る、「役者っぷり」が面白い。
○作品全体
ノンフィクションのドキュメンタリー作品は、「実際に起ったこと」に編集を加えたものであるということを理解しなければいけない…というのはいろんなところで目にするけれど、この作品も同様だ。ただ、その編集のストーリーテーリングの巧みさが光る作品だった。
タイトルでは「vs」という言葉が付いていて、作中でも「右翼vs左翼」、「保守vs革新」といった言葉が出てくるし、序盤は対立構造に注視している。しかし最終的に「あいまいで卑猥な日本国(作中の芥談)」を批判する「三島由紀夫と東大全共闘」という構図が浮き彫りになり、実は考えている部分は近いものであった…というような落とし所にしているのが、巧い。全共闘側からの共闘の誘いに「甘美的だけれども拒否します」という三島由紀夫のユーモアある回答でオチを付ける、というのもドラマ的でとてもおもしろかった。
本作タイトルは同じ題材を取り扱った書籍等を参考にしているのだろうけど、「vs」とタイトルにつけて実際はそんなに「vs」してないみたいなことは映画の文脈だと「あるあるネタ」の一つになりかけてる(それが良いとは思わないけど)。この作品もそれに近いけれども、だからこそフィクションっぽいドラマティックさがあるのが面白い。それでいて映される映像は当時の、ノンフィクションの映像。この二面性が、また良い。
映像の大半は壇上を映すのみだけれど、絵的な面白さが随所に入ってくるのも印象的。当然のように壇上で聴講する芥が急に話に割って入るのも相当な意外性があったし、野次を飛ばして壇上に上がってくる学生のシーンでは急に色収差が乱れた画面になるのも、間違いなく偶然なんだろうけど、妙に演出チックだ。
シーンごとで全共闘側の論客が変わるのも三島由紀夫が切った張ったで戦っているように見えてくる。
そんなさなかで平野啓一郎らの解説が緊張の緩和を作ってくれていたり、映像演出的な緩急に富んだ「映画」だったと思う。
映画通からしてみれば当然なのだろうけど、ノンフィクションドキュメンタリーは必ずしも演出が加わっていないわけではない…ということをすごく肯定的な意味で体感させてくれる作品だった。
○その他
・三島由紀夫の役者っぷりに痺れた。カメラを意識したポージングだったり、タバコを吸うときの表情、言葉を交わすときの余裕綽々な雰囲気と、その雰囲気を「作ってる」と言ってしまう親しみやすさ。三島由紀夫から感じる寛容さがなければ、ラストシーンの全共闘側からのラブコールも説得力がなくなってしまうわけだから、やはり役者っぷり、と言わざるを得ない。
・芥正彦のめんどくさい感じが素晴らしくて、助演男優賞をあげたい。当時、三島由紀夫にタバコを分けたけれど芥側が一本多くなってしまったことに対して、70歳を過ぎた芥が「タバコ返せてないな」と言うくだりとか、めちゃくちゃかっこいい台詞回し(と、あえて書く)だった。三島由紀夫に「敬意を払う」とか言いかけてしまうところも、敵対しているけれどリスペクトはある敵役っぽくて最高。芥正彦と三島由紀夫だけフォーカスすると、とてもノンフィクションとは思えない。両者ともにまさしく「千両役者」って感じだった。
誰もが何かを「議論」出来る時代に捧ぐ
東大安田講堂事件の約4か月後、三島由紀夫と東大全共闘との討論会。この面子とシチュエーションだけで、凄まじい「言い合い」を連想した私は愚かだった。三島は自らと全共闘の思想が全く相いれないものではないことを直感的に見抜いていて、論破ではなく説得をするためにこの一触即発とも思える場に臨んだ。
口調は終始穏やかで、時に自分を俯瞰した物言いをして笑いさえ誘う。全共闘の学生達も、三島の思想は受け入れられなくてもその討論に対する誠意は序段で感じ取っているのが分かる。互いに相手の言葉が終わるまで静聴し、提示された疑問には正確に答える。時に哲学的でさえある高次元の、本物の討論がそこに成立していた。
今、ネットを中心に多種多様な言論が渦巻く中、イデオロギー死守ありきの論争や枝葉末節の論破で「勝ち負け」を決するような「言い合い」が巷にあふれている。熱情と、勝敗ではなく真実を求める真摯な言葉、そして相手への敬意を終始保ったこの討論会は、誰もが見知らぬ誰かと議論できるようになった現代において、より示唆に富んだものになるのではないだろうか。
相手の敬意を持つこと
当時を知らない筆者は、全共闘にも学生運動にも三島由紀夫にも思い入れはなく、歴史の中の出来事と言う感じなのだが、この映画は今を生きる人間に響くものがあると強く感じた。
安田講堂事件を引き起こした左翼学生グループの全共闘が、保守の論客でありスーパースターの三島由紀夫と激論を交わす。互いに思想信条は相いれないはずだが、議論の果てには共通の敵のようなものが見えてくる。全共闘メンバでーでこの論戦でも壇上で三島を激論を交わした芥正彦は、当時を振り返って、それは「あいまいで猥褻な、この国」と表現する。
映画を通して感じられるのは、互いへのリスペクトだ。豊島監督は映画を作るにあたり、仮想的として現代のSNSの議論を思い浮かべていたそうだが、たしかに敬意なく罵詈雑言に終始し、マウントを取ることばかり考えているかのようなSNSの空間と、この講堂での熱は対極にありそうな気がする。
三島の天皇論もわかりやすく披露されており、三島由紀夫の思想を知る上でも貴重な資料になる作品だと思った。
三島由紀夫も東大生もアツい。ウザい。
三島由紀夫が割腹自殺したとき、私は小学生でしたから、現役時代の三島に関する記憶はまったくありません。だからこの映画で初めて、動く三島、喋る三島をちゃんと見ました。「論壇」とか「言霊」とか、今のネットメディアには登場しなくなった単語が頻出で、「そんな時代もあったのね」と不思議な感慨が湧いてきます。それにしても、三島由紀夫も東大生もアツいしウザい。「安保」って何? 「民青」って何? 「革命」って何? 50年で時代はこんなに変わるんですね。
ノンポリ世代も見やすい「三島由紀夫という右翼」指南
ドキュメンタリー映画化を依頼されたのが豊島圭介監督という人選が面白い。東大卒という経歴が理由だったのかは知らないが、豊島監督はこの討論会の時にはまだ生まれておらず、政治的なステートメントを押し出してきた映画作家でもない。だからこそ本作は、三島由紀夫や学生運動を知らない世代に、とてもエネルギッシュで面白い人たちがいた、という事実を提供してくれている。
特に驚いたのが三島由紀夫の佇まいや論法で、世代が違う若者たちの土俵に敢えて乗ろうという姿勢は、頭の凝り固まった老害ではまったくない(老害というにはまだ若いが、当時の学生たちには老害に見えていただろう)。マッチョ信奉で極右化した文豪、という雑な先入観がこの映画によって書き換えられたのは大きな収穫だった。
ただ、ノンポリな姿勢故に、この映像が現代にどんな意味を持つのかを提示するまでには至っておらず、興味と好奇心を刺激された者として、もっと踏み込んだものが観たいと感じはした。ともかく入口としての機能は確実に果たしてくれていると思う。
三島以上に、赤ん坊を抱いた男の印象が強烈すぎた・・・
三島の本は2、3冊しか読んでないし、その内容もはっきり覚えていない。そんな自分がこの濃厚な香りが充満するドキュメンタリーを見て何か感じるものがあるだろうかと、多少なりとも尻込みして臨んだ本作。いやいや、この圧倒的な熱量には度肝を抜かれた。何かを表現するたびに右だの左だので喧々諤々となる昨今、ひとつ間違えば本作もその格好の餌食となりそうなものの、しかしこの映画は決してそうならない。作り手の豊島監督が証言者たちに色々教えてもらいながら当時を振り返るというスタンスゆえ、映画の視座そのものがとても観客に近い、とでもいうべきか。主義主張の異なる両陣営が暗黙のルールを侵すことなく、さらにはユーモアという武器を駆使しながら戦う様は見ていて痛快だった。何よりも登場人物一人一人のキャラクター、特にあの赤ん坊を抱いた男の存在が際立っている。史実をあまり知らなかった私は、一本の映画として本作を楽しんでしまった。
言葉というものに真摯で誠実な人だった
友人に勧められて。
「おお…三島由紀夫が生きとる…動いとる…」ということにまず何か感動してしまった。
討論の内容は私には難しいものだったけれど、気迫と雰囲気と、そして三島由紀夫の語り口のあまりの嫌味のなさ、雄弁さに圧倒されて100分間食い入るように没頭して観てしまった。
学生たちの弁に対して一切の否定もせず喧嘩腰にもならず、題材は難解なのに何も知らない私の頭にもすらすら入ってくる分かりやすい答弁。
言葉というものに真摯に誠実に向き合い、それを伝えることに対する努力を常に怠らなかった人なのだなと思った。
それと同時に、たしかにここまで誠実で真面目な人が志を保ったまま生きていくのは、この時代にあっても相当に困難なことだったのだろうなと感じた。
三島由紀夫作品は初期の頃のものしか読んだことがなかったけれど、あらためていろんな作品を読んでみたいと思う。
そしてそして時代の熱気に感服しっぱなし。
国と個人の運命が共にあり、国と個が同一だった戦争の時代が終わり、そしてそこで「生き残ってしまった」と考える人たちが葛藤を抱えながら生きて生きてつくった時代。
国と個人が完全に別れてしまった現代では考えられないほど、若者が世の中や国について真剣に考え、当事者意識を持っていたんだろうなと思った。
今みたいに時間を潰せる娯楽が死ぬほど溢れかえっている世の中では、きっと人は無限の娯楽の消費に必死で、こういうことを考える時間も思考もなくなってきちゃってるんだろうな。
学生運動に参加していた熱量の高い若者、それに三島由紀夫が生きていたとしたら、一体今のこの令和の世を見てどう思うんだろうか。
こういった映像がちゃんと残されており、一般人でも見ることのできる形にしてくれたことに感謝。
本や教科書だけでは感じられない生きている人間や時代を感じることができ、本当にありがたい。
忘れていた情熱を思い出させてくれる
三島由紀夫について、少しでも勉強になったらいいかなという程度で検索したら出てきた映画。
タイトルだけ見れば、自分の考えをお互いに押し付け合うむさ苦しい映画かと思ったが、違う意味でむさ苦しく、観ていられないほど熱かった。
失敗したくない、恥ずかしい思いをしたくないと涼しい顔をして生活していたが
この映画を見て熱く、恥ずかしく、とことん向き合い、何かに取り憑かれることが人の心を動かすのだなと勇気をもらった
すごい人間
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学生運動が盛んな時期に行われた東大全共闘1000人と三島の討論会。
当時を知る人達の談話を交えながらのドキュメンタリー。
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三島由紀夫って顔さえもあんまり知らん状態やった。
でも色んなことに興味を持とうと思ってるので、劇場で見てみた。
いやーこの人物、すごいの一言。
襲撃される恐れさえある中での討論会、腹が座ってる。
もっと怖い感じの人なのかと思ってたら物腰が柔らかく、
とにかく血気盛んで自己主張の塊みたいな学生の話もよく聴く。
そのうえで自分の意見を主張する、とにかく敬意に満ちている。
映画の中でも誰かが評してたが、言い負かそうとなんて一度もしてない。
同じ革命思想を持つ人種として、学生たちを説得しようとしてる。
そういう嘘のない発言は、違う考え方の人達にも受け入れられるのだろう、
時には拍手、時には笑いが起き、学生たちに受け入れられたようだった。
こういう生き方って格好いいな、って思ったわ。
ただ討論のテーマは少々難しい。ついて行けないことも多かった。
時代背景を知らないからというのもあるだろうが、深すぎるからだろう。
でもそんなのどうでもいい、大まかな歴史と雰囲気を知るだけで十分感銘を受ける。
全共闘、当時のエリートたちは何を思っていたのか。
全共闘について調べてた過程で見つけた映画として鑑賞。
当時の空気の一端と、三島由紀夫氏のカリスマ性を感じるには良い作品だった。
全共闘は、ヘルメット、火炎瓶、大学封鎖、みたいな過激で穏やかでないイメージがあったんだけど、こんな知的討論の場を設ける側面もあったんだなあ、とイメージが少し変わったかも。
当時の活動に参加してた人々の複雑な思いを知れたのも良かった。
タイトルが大袈裟かなぁ
本は読む方だが、どうも三島、太宰、芥川には触手が伸びず、たまに読んで見ようかと思うが数ページで挫折。三島由紀夫と言うと切腹と男色のイメージだけ。なんか気難しく、人の話をまともに聞かない人間と言う先入観があったが、学生らと対話する時の彼は時には有能なMCの様。深夜の討論番組で気にくわないと「黙れ!」と遮る某老司会者とは随分違うなぁw
ただ、タイトルはやはり大袈裟。と言うのも、「VS」と付ける激しい討論ではなく、頭良すぎて、自己満足の屁理屈を語る学生を三島由紀夫がいなしてる様にしか見えない。あれ、言っている本人以外の学生は理解出来てるのかなぁ。
村上春樹のノルウェイの森でも学生運動(舞台のモデルは早稲田)の様子が少し書かれていて、教授を追い出して演説を始めた学生らが、就職活動の時期になると慌てて単位を取りに必死になり、主人公が「運動はどうなった?」と聞いても返事はない。
東大の彼らはどうだったんだろう。一部は暴走したままになったが、世間は何も変わる事無く、彼らは祭りを楽しんだ後、就職活動を始めたんだろうか。
三島由紀夫の天皇論、闘っている相手は同一とする東大全共闘運動への共感は刺激的
豊島圭介 監督による2020年製作(108分)の日本映画。配給:ギャガ。
全共闘活動も良く知らず、三島由紀夫も文学作品は幾つか読んでいるものの、政治的なスタンスは狂信的右翼のイメージしかなく、諧謔的なユーモアを交えながら学生たちに哲学的考えを語る三島の姿は、実に新鮮であった。
三島が語る天皇、日本人を日本人たらしめている古代からの思想、その象徴的な概念として天皇が有るとのインテリ的な想いは、自分にも理解できるところがあり、少々驚いた。別の世界の人間と思ってきたが、三島由紀夫のことを、もう少し詳しく知りたいとは思った。加えて、左右の違いはあれど、闘う相手は同じ変化を望まない体制維持派(国益を損ねている)との三島の認識は、現時点においても一層顕著にも思え、考えさせられるものがあった。
赤ん坊を担ぎながら討論した東大全学連の論客芥正彦も、随分と浮世離れしていたが、その後も筋金入りの変革的劇作家として活動を継続してきているらしく、かなり関心を抱いた。あの赤ちゃんは娘さんで、妻は東大美学科卒であの時仕事中だったとか。その後、中島葵が内縁の妻となり、今も現役の劇作家や表現者であるらしい、なかなか凄い。ただ、若者らしい活動継続に意味が無いとの主張も理解はできたが、自分的には継続に意味大と唱える大人の三島の考え方の方に軍配を挙げたいとは思った。
監督豊島圭介、企画プロデュース平野隆、プロデューサー竹内明、 刀根鉄太、共同プロデューサー大澤祐樹、 星野秀樹 、岡田有正、撮影月永雄太、録音小川武、編集村上雅樹、音楽遠藤浩二、音楽プロデューサー溝口大悟、ナレーション東出昌大、助監督副島正寛、アシスタントプロデューサー吉原裕幸、 諸井雄一、韮澤享峻、企画協力小島英人、題字赤松陽構造。
出演
芥正彦、木村修、橋爪大三郎、篠原裕、宮澤章友、原昭弘、椎根和、清水寛、小川邦雄、平野啓一郎、内田樹、小熊英二、瀬戸内寂聴。
圧倒的熱量
三島由紀夫vs.東大全共闘というタイトルからすると、単純に右翼対左翼の激論が展開されることを想像した。確かに、両者の理念は正反対で、議論は噛み合っていないのだが、実は反米愛国という部分では一致していて、全共闘側はできれば三島と手を組みたかったのだということが、終盤でわかった。
議論は、時間、他者、国家、天皇などをテーマに観念的、抽象的な言葉が熱情をもって交わされ、ハイレベルな哲学の講義のような光景が繰り広げられる。言葉というものにまだ力のあった時代で、言葉で人を説得し、言葉によって世の中を変えていけるということが信じられていた、純粋で真摯な時代だったのだ。
圧倒的熱量を持った議論など失われてしまった今、コロナショック後の世の中は、変わっているのか、変わっていないのか。
論争の先に見えた本当の敵は何か?
私は世代的に学生運動を殆ど知らない。まして三島由紀夫という人間も、歴史や国語の授業で聞いたくらいの門外漢だ。そんな私でもこの論戦からは目が離せなかった。何故なら、そこには日本の未来を憂う両者の"熱"があったからだ。
立場、思想は違えど、日本の進もうとしている方向に疑問を感じ、行動してきた両者。
だからこそ、彼らが舌戦の末に共通の敵のような物を見出した時の感覚には興奮するものがあった。
そしてその敵は今も変わらずそこにある。
悲しいかな、彼らは歴史に敗北し、我々はその後の日本を生きている。主体性のない国、空虚な日本というこの国で生きている。
もしも彼らの情熱があの時代を革新していたら、我々が住むこの国はもっと良い形になっていたのだろうか?
IFを語っても仕方がない。
理屈ではそう分かっても想像せずにはいられない。
一つだけ言える事は、熱情こそが世界を進める糧であってほしいという事だ。
熱情なき政治の先には腐敗しか待っていないのだから。
対立しているはずの全共闘の若者の演説を、どこか満足そうに笑みを湛えながら聞き入る三島の表情が印象的だった。彼らの熱情を見て、三島自身「この国もまだ捨てたもんじゃない」と、そんな希望をどこか見出していたのかもしれない。
未来を作るのは老人ではない、彼らのような活気ある若者であってほしいものだ。そんな未来に私は生きたい。そう思った。
議論が出来てるが、頭良すぎてバカになってる。
内容は国体思想vs共産革命の議論。議論は民主主義の根幹。実際は思想のぶつかり合いでしか無いが、議論はしていた。
思想の軸が真逆なのに議論をする。
今の政治には無い。
議論はしているが歩み寄ることはない。後日談で三島が全共闘のメンバーを勧誘したって話はあるが現場では軸を譲る事は無かった。
それでも笑い声が上がるユーモア、理解はするが交わらない態度。真剣勝負の議論はいつまででも見ていたい気にさせられた。
しかし議論の中身は思想的なもの、屁理屈vs屁理屈。テーマの立て方はボンヤリしたもの、それに三島が持論を展開。そこからあとは理屈の応酬。
それでも不思議とキャッチボールが成り立ってる。
ただしキャッチボールみたいに取りやすいところに投げるのではない。厳しい場所に速球を投げ合う。
「これ受けれるか?どうだ手が痺れるだろ」と言うようなやり取り。
学生だから出来る議論に三島が合わせる。余裕を見せつけると言うが三島には余裕があったのだろう。対芥以外は相当の余裕が見えた。
余裕が議論としての歩み寄りに見える雰囲気を作り出したのだろう。
こう見えるのは演出の賜物だろうな。面白い作品になった。
右か左か、勝つか負けるかでは無く
右か左か、勝つか負けるかでもなく、
語り合ってわかったことは、
互いにこれからの日本を真剣に憂いた。
今この国を本当に憂いて真剣に考える熱情溢れる若者がどれほど居るだろうか?
最後の在り方はどうかと思うが、出来れば生きてその熱情を持ち、この国を憂い続けて欲しかった。
1969年5月に東京大学駒場キャンパスで行われた作家・三島由紀夫と...
1969年5月に東京大学駒場キャンパスで行われた作家・三島由紀夫と東大全共闘との伝説の討論会の様子を軸に、三島の生き様を映したドキュメンタリー。1968年に大学の不正運営などに異を唱えた学生が団結し、全国的な盛り上がりを見せた学生運動。中でももっとも武闘派とうたわれた東大全共闘をはじめとする1000人を超える学生が集まる討論会が、69年に行われた。文学者・三島由紀夫は警視庁の警護の申し出を断り、単身で討論会に臨み、2時間半にわたり学生たちと議論を戦わせた。伝説とも言われる「三島由紀夫 VS 東大全共闘」のフィルム原盤をリストアした映像を中心に当時の関係者や現代の識者たちの証言とともに構成し、討論会の全貌、そして三島の人物像を検証していく。ナビゲーターを三島の小説「豊饒の海」の舞台版にも出演した東出昌大が務める。監督は「森山中教習所」「ヒーローマニア 生活」の豊島圭介。
9 D-8
この時代の熱量を感じる
三島由紀夫の熱、学生達の熱。思想と主張。
個人的にはこの時代の人達の己は正しいっていうところ、理屈っぽいところが好かない。他を認めず己を突き通す感じ。
三島由紀夫のようにそれを己の命までかけて突き通されると何も言えないが。
熱く狂った時代。
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